99 おしまい
<あは! あはは! あひゃ! ひゃは! はははは! あはひゃ! はひゃはあはは! ははははは! あひゃははははははははははは!!!!!>
笑い声だけが、停まった時間に響き渡る。
勝ち誇ったような笑み。あまりにも見苦しい、ケダモノのような笑みだった。
<やった! やったわ! やってやった!!!>
「ヘル、メス……貴方何を……!」
<限界突破よぉ!! わからないの!? 操手には固有の能力がある。私だって厳密には操手。私の固有は、自分が所有していない杖の限界突破を使用すること!!>
つまり、ヘルメスはミリアのメルクリウスで奇跡を起こしたのだ。
しかし、であれば一体、何を代償にしたのだ?
代償なしの奇跡は終焉機の力だ。メルクリウスで奇跡を起こすなら、当然代償が必要になる。そしてそれは自分にとって価値のあるものでなければならない。
巨大宿痾だって、討伐したランテが代償にしたから、討伐という価値で奇跡が起きているのだ。
そしてヘルメスが代償にできるものなど――
<私自身を代償にして、ねぇ!>
もはや自分しか存在しない。
「ば、バカじゃないんですか!?」
確かにそれなら奇跡は起こせるだろう、しかし、それではヘルメスの目的は完全に放棄したことになる。そもそも、これではもはや自殺だ。
<……そもそも、あんたどこから湧いて出たのよ! ミリアちゃんは、ちゃんとこいつを消し飛ばしたんだよね!>
「ええ、流石にこんなふうに出てこられると困りますから」
だが、出てきた。
<あら、そんなに愚図だったの貴方達。まさか私が、終焉機を破壊されて消し飛ばされることを想定してないとでも思った?>
「……そんなことまで!?」
――終焉機を破壊されれば、もはやヘルメスに逆転の手立てはない。
つまり、その想定はもはや嫌がらせのためにしか存在していない想定なのだ。
<意識が消し飛ばされる直前に、私は自分から意識をこなごなにして、マナに溶け込ませた。いずれ、マナを大量にチャージするなかで、少しでも自分の意識が融合して復活するように!>
とはいえ、実際の想定はもう少し復活を考えてのものだった。
ミリアがマナを完全に一つにしてしまうことが想定外だったと言える。
<そのせいで! こうして貴方を道連れにすることしかできなくなったけれど! もうそれでかまわない! 魔導の発動にはもう間に合わないでしょうけど、貴方を消すことはできる!>
<……そ、そうだよ! 今更でてきても、ミリアちゃんの魔導は既に発動してる! だったら、貴方のしたことは!>
「……いえ、これは」
ミリアは体を確認して、目を見開く。
変化が起きていた。
「“私”が、消えていく――?」
変化は、意識だ。
ミリアはふと、自分の体が崩れ落ちるのを感じた。
うまく、体が動かない、意識して手を動かすことができない。
膝をついて、宇宙に静止するのが精一杯。それも、慌ててアイリスがメルクリウスを操作したからそうなっているに過ぎない。
急速に、ミリアの意識が奪われていくのだ。
<あ、はは、成功、成功よ!>
<な、何をしたのさ!>
<簡単! 奇跡を起こしたの!>
ヘルメスは崩れ落ちるミリアと正反対に、立ち上がって勝ち誇り、ミリアを見下ろす。
<ミリア・ローナフ! 貴方はこの世界の人間にはありえない知識を持っている。その知識は、マナが生み出していたのよ!!>
――ミリアには前世の知識がある。一体どこからそれを手にしたのか、そもそもなんでそんなモノが存在していたのか。
そして、そもそもどうして歯抜けだったのか。
本来ならきっと、それは本当になんの理由もない、理不尽極まりない偶然だったのだろう。
だが、いまこの瞬間ヘルメスはマナを使って奇跡を起こした。
ミリアの記憶はマナが作り出していたもの。ミリアはマナによって知識を得て、行動していた。ということにヘルメスが改変した。
それによって何が起きるか。
ミリアはマナによって生かされていたのだとしたら、
いまこの瞬間、ミリアは迂遠な自殺を完遂させたということになる。
<終わり! 終わりよ! これで、何もかも! あはは、あはははは! 死ね! 消えろ! いなくなれ! ミリア・ローナフ!!!>
「ぐ、ぅ……」
言葉は、返せなかった。
自分の放った魔導によって、自分自身をかき消そうとしているのだから。
<無様! 無様無様無様!! とんだお笑い草だわ! 全てを救うと豪語した悪役令嬢様が、最後の最後で自分だけを救えなかった! 傲慢極まりない貴方が! その傲慢によって死んでいくのよ! ああ、本当に、傑作だわ!!!>
同時に、ヘルメスもまた消失している。しかし、それでももはやヘルメスは何らかまわないだろう。
そもそも、ここで消失したとして、歴史がやり直しになれば、ヘルメスの消失はなかったことになるのだ。
だから、
<消えるのは貴方だけよ、ミリア・ローナフ! 何故ならこの停止した時間の中にいる人間は、歴史を変えても記憶が消えないのだから!>
<……こいつ!>
――ヘルメスは聡かった。
彼女の言うことは事実だ。この時間停止の空間で歴史は変わり、変わったということを認識している人間は、変わる前の歴史も記憶したまま歴史が変わった世界へと降り立つ。
ヘルメスもまた、そうだ。
精神体として、バラバラになった状態から復活したヘルメスも、同様に記憶を保持したまま歴史改変を迎える。
しかし、ミリアだけはそうではない。
ミリアだけは記憶がマナによって形成されているため、マナの消失とともに消える。そして意識がなくなれば、ミリアはあることができなくなる。
<そして、貴方は宇宙に取り残されるのよ! もう魔導は使えないから、転移で地上に帰ることは叶わない!!>
――ミリアは、帰れないのだ。
本来なら、この魔導を発動させると同時に転移で地上に帰還するはずだった。それがヘルメスによってできなくなった。そうなれば、メルクリウスも能力を失い、ミリアは宇宙の塵へと変わる。
故に、
<――私の勝ちよ、ミリア・ローナフ!!>
ヘルメスは、そういい切った。
それが、
<ふざけるな、クソババァ――――!!>
――アイリスの限界を、もたらしてしまうとも知らず。
突如、メルクリウスの針がヘルメスへと突き刺さった。
もちろん、それは直接ヘルメスを傷つけることはない、だとしても、ヘルメスの困惑は誘った。
<急に何をするの、アイリス!>
<おまえが! お前が余計なことをしなければ!!>
アイリスの激昂が宇宙に響く。
三人しかいない空間、魔導が発動したことで、アツミの読心ももう届かない。流石に限界だったのだ、アツミだって。
でも、それ故にここは寂しく、孤独な空間だ。
そんな中で、アイリスだけは叫ぶ。
<未来が希望に満ちていて何が悪い! それを楽しみにして何が悪い! 知ろうとしなくて何が悪い! 私達から、未来を奪うな、ヘルメス・グランテ!!>
<く、あ、母に、なんて口を……!>
<お前なんてもう、母じゃない――!>
叫びとともに、アイリスの精神体が現れ、針を振り上げる。
その眼には、大粒のナミダが浮かんでいた。
「メルクリウスゥゥウアアアアアア! |限界突破《コード:オーバーフロー》ぉおお!!」
操手は、人として声を出すこともできる。でもそれは、意識しなければ出せるものではない。
だから、その時のアイリスは、がむしゃらに叫んだ言葉は、彼女がそうであることを望んだから、そう飛び出したのだ。
「あい、り――す――」
ミリアが目を見開く。
この状況での限界突破。捧げられるものがないという現状で、アイリスがそれを使えば、
「私を代償に持っていけ! メルクリウス!!!」
<な、何を――!>
「私が消し飛ばすのは!」
<意味のないことを止めなさいアイリス! 私をここで消し飛ばしたところで――!>
「アンタの記憶だ、ヘルメス!!」
――記憶。
そう、記憶だ。
<あ――>
確かに、消失してもヘルメスは記憶を保持したまま元の歴史を歩くことになる。しかし、記憶を消してしまえば? マナのことを、宿痾のことを、ヘルメスの所業を忘れてしまえば?
少なくとも、今のヘルメスは完全に消滅する――!
<や、やめろ、やめろ! やめなさいやめて!! それをしたらどうなるか、貴方解っているの!? 私は宿痾が存在する以前に既に命がある。でも、貴方はそうじゃない! もしここで自分を代償にすれば、貴方はきっと消滅する!>
「構うもんか! 私はそれ以上にあんたが許せない! アンタが過去にもどったら、また色んな人が不幸になる! それだけは、絶対にさせちゃいけない!!」
説得は無意味。
そもそも奇跡は既に起きている。ヘルメスはアイリスを止められない。
それが解った時、
<い、や――>
ヘルメスは、
<いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!>
叫んだ。
<いやよ! 消えたくない! 死にたくない! 失いたくない! せっかく全てを手に入れたのに! 神になれるはずだったのに! 後少しで私は完成したはずなのに! なのになのになのにぃいいい!!>
「ふざけるな! 何が神だ、何が全てだ! 何もかもを踏み台にして、それでもミリアちゃんに負けたじゃないか! 人類に負けたじゃないか!!」
<そいつがおかしかっただけよ! そいつが! ミリア・ローナフさえいなければ!!>
「それ以上に! アンタさえいなければ、そもそも誰も不幸になんかならないんだよ!!」
――マナを発見したのがヘルメスでなければ。
たとえヘルメスでなくとも、世界は大混乱に陥っていただろう。それは間違いない、けれど、だとしても。
「私はアンタが、世界で誰よりも許せない!!」
アイリスが、そう考えるかは、また別の話だ。
<あ、あ、あ、あ……あああああああああああ!! た、た――助けてミリア!!>
そして、ヘルメスはミリアへと助けを求め始めた。
アイリスの目が濁る。そこまで落ちたか、と侮蔑にそまる。
<貴方は人が死ぬのを嫌うのでしょう! 失いたくないのでしょう! だったら私も助けてよ!! ねぇ、お願いよぉ、私がわるかったからぁ!!!>
「こいつ、どこまで――」
アイリスの苛立ちが、もはや殺意を通り越して虚無に到達しそうなその時、ミリアはそっと、アイリスの肩に手を載せた。
「あい、り、す……」
今にも消えてしまいそうな意識の中で、それでもなんとか、アイリスを押し留めようとしている。
「――なんで!? まさかそいつを助けろっていうの!? 無理だよ、もう奇跡は起きてる。止まらない!」
癇癪を起こすアイリスに、しかしミリアは首を振る。
否定。
――一瞬希望に歪んだヘルメスの顔が、絶望へと舞い戻る。
ミリアがいいたいのは、そこではない。
単純だ。
「シル、ク――さん」
ぽつり、と。
ミリアはそれだけアイリスに告げて、そしてゆっくりとその意識を薄れさせていく。
もう、言葉を紡ぐことすらできないのではないかと言うほどに、ミリアは憔悴していた。
それでも、
「……そういうこと」
アイリスには、伝わった。
「――ヘルメス。一つだけ聞く」
とても、とても冷たい声で。今にもヘルメスを叩き殺したいのを我慢するかのような声音で。
「――貴方は、どうして世界を管理しようとしたの?」
それを、問いかけた。
<な、あ、え……ど、どうしてって>
錯乱していたヘルメスが、その言葉で、少しだけ冷静さを取り戻す。
何故か、簡単なことだった。
<ああ、あれ――私は――どうして歴史を私のものにしようとしたんだっけ?>
ああ、そうか。
――ヘルメスは、忘れていたのだ。
踏みにじるのでもなく、固執するのでもなく、ただただ最初の想いを忘れていた。だとしたら、そのどちらよりも、まだヘルメスには救いがある。
「忘れてたんなら、いいよ」
<な、何を――>
「もう一度だけ、思い出せ。アンタに救われる権利はないけど」
――アイリスだって、忘れていた。
そもそもその時アイリスは、人ですらなく、魂すら持っていなかったのだから、当然だけど。
「――シルクお姉ちゃんには、その権利がある」
ヘルメスの娘としてのシルクが、救われないのは間違っている。
事故で亡くなった、ヘルメスが変貌してしまう原因。アイリスが――アイリスだった人形が守りたかった、大切な人。
ああ、なんで――
<ああ、そうか――私は、シルクを――>
ヘルメスは、
「どうして私は、そんなことも忘れていたの――?」
――ただ、呆然とした表情のまま、消滅した。
<>
世界に、二人だけが残った。
もはや意識があるのかないのかもわからないミリアと、消えかけの精神体、アイリス。
二人は、空を見上げていた。
地球の空に、ミリアの魔導が展開する。
この世界に存在する全てのマナを使った特大魔法。
それは、
宇宙を駆ける、姿なき流れ星だった。
――二人は、そして戦姫たちはそれを見る。
いつまでも流れ続ける星々を。
けっして実体があるわけではない、パノラマを駆け回る映像だ。偽物、まがい物、なんでもいい。
だとしてもそれは美しいのだ。
地上の戦姫たちはミリアの帰りを待ちながら、
ミリア達は、どこへ征くこともなく、二人で空を眺めながら。
流れていく星々を見送った。
やがて、アイリスはミリアが自分を見ていることに気がつく。
少しだけ照れくさくなって、笑みがこぼれた。
ミリアもそれに反応して笑ってみせた。――そんな、気がした。
ぽつり、と少女の口から言葉が漏れる。
はたしてそれは、祝福か、決別か。
もはや誰も知ることのない言葉が、星々とともに宇宙へ残されて。
世界は、再編される。




