98 最後の大仕掛け
「――お疲れさまです」
<はあ、ほんと疲れたよ>
静まり返った宇宙空間に、二人の声だけが響く。
地上はどうなっているだろう、巨大宿痾の討伐には成功したようだが、それ以上のことは流石にわからない。とはいえ、あちらに巨大宿痾以外の驚異はないはずだが。
「さて、これが最後の大仕掛けです。やってやるとしましょうか」
<え? ここでやるの?>
「ここじゃないとダメなんです。下手に地球ですると地球が吹っ飛んでしまいますから。あとで再生するとしても、無闇矢鱈に破壊していいものじゃありません」
<私なら気にしないけどなぁ>
さすがにミリアはそうもいかない、というよりそもそも戻っている時間がない、というのもある。
「それに、今からやることには、巨大宿痾の死体が必要なんですよ。今から戻ってると間違いなく戻ってる間に消えちゃいますよ」
<はーんなるほど>
アイリスもなんとなく見えてきたようだ。
とはいえ、細部までは流石に理解していないと思うけど。ミリアは懐から、自分の姿をしたぬいぐるみをとりだす。絶妙にブサイクで愛嬌があった。
<あ、下手くそ>
「うっさい、頑張って創ったんですよ。これを――限界突破!」
ミリアは、その人形をどこかへ転移させる。
<転移させるなら自分も飛んでけばいいじゃん>
「こっちのほうが早いというのもありますが、そもそも宇宙でやらないとダメって言ってるでしょう」
質量というか、マナの保有量が多いミリアを転移させるより、ただの人形を転移させたほうが容量は軽くなる、という至って単純な話。
とはいえ、転移先は決まっている。
少しすると、それは飛んできた。
『終わったのか、ミリア!』
それは、アツミからの通信。否――読心だった。
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「…………た!」
――声がする。
意識の浮上を感じて、シルクはゆっくりと目を開く。
ああ自分は、一体どれだけ眠っていいたんだ? どれだけこうしていたんだ? わからない、そもそも自分はだれだ?
「――シルク、ちゃん?」
呼ばれた、気がした。
そうだ、自分の名前はシルク。宿痾操手のシルク。
であれば声の主は――? そもそも自分は、眠りにつく前何をしていたんだ?
様々なものがあやふやで、シルクは覚醒していく意識の中で、なんとかそれをまとめようとする。しかし、それを纏められるほど周囲の状況は単純ではなかった。
「ミリアちゃんからの通信来ました! 黒幕は無事撃破、いつでもいけますとのこと!」
「ランテちゃん、準備して!」
「は、はい!」
――シルクを抱きかかえる少女が、慌てた様子で返事をする。
周囲には、彼女以外にも多くの人間がいた。誰もが武装し、杖を握っている。――戦姫。そう判断することは容易だった。
思考が混乱する、これは一体どういう状況だ? 自分は一体どうなっている?
「――ラン、テ」
なんとか、抱きかかえる少女を――自分の名前を呼んでくれた、ランテの名前を呼び返す。友の名前だ、忘れるわけがない。
とはいえ――
――自分が寝ている間に、ランテの顔つきはかなり精悍なものになっていたが。
「大丈夫だよ、シルクちゃん。シルクちゃんをいじめる人は、ここにはもう誰もいない。それに、もうすぐシルクちゃんは本当の意味で助かるんだから」
「あ、わた、し――」
「えへへ……でも、今はこれだけ言わせてね?」
ランテは、杖を構えていた。
ケーリュケイオン、奇跡の再生機。ミリアが所持しているはずのそれは、ランテの手元に今存在している。ああでも、何故かこちらのほうがしっくりくる。
安堵、杖を持つランテを見たシルクの心の内に、そんな感情が浮かんだ。
「――おかえり、シルクちゃん」
ああ、そうやって声をかけてくれると、
「……ただいま、ランテ」
シルクはとても、安心するのだ。
そして、
「――再生機ケーリュケイオン! これが最後の奇跡だよ! 叶えて!!」
ランテは、目前の“それ”を代償に奇跡を発動する。
ランテが代償に捧げるものは、言うまでもなく巨大宿痾の亡骸。
朽ち果てようとしているマナの塊、代償としてはこれ以上ないほどに価値のある代物だ。やろうと思えば、これ一つから魔導機を創ることができるほどのマナである。
だから、ランテはその願いを叶える。
「……おねがい、ミリアちゃん」
これがミリアと、そしてシェードが打った大仕掛け。祈りを捧げるようにシェードは天を仰ぐ。
誰もが、未来を祈って奇跡を願う。
この奇跡は全てを救う奇跡の前段階。
前提を創るための奇跡だ。
そう、であればその内容は、すなわち。
「――|限界突破《コード:オーバードーズ》! 時よ、とまれぇええええええ!」
――――この瞬間。
世界の時間は、停止した。
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「――停止したぜ、ミリア」
『そのようですね』
自分の体を動かそうとしながら、アツミは通信先のミリアに告げる。ミリアの方も、何やら周囲を見渡して確認しているようで、お互いに納得した様子で言葉を交わした。
『ダンシング埴輪がうごかなくなってます、成功でしょう』
「いや、何で確認してんだよ」
まぁ、この辺りはいつものことだ。
少し驚いたのは――
<え? なになに? 何が起こったの?>
「……おまえ、アイリスか?」
――アイリスの声が聞こえたことだ。
とはいえ、考えてみればあそこでミリアがアイリスを消滅させていないことは解る。そこまでおかしなことではないだろう。おかしなことと言えば、
<え? これ読心? なんで会話できてんのさ>
むしろ、アツミが読心でミリアと通信していることだろう。
「読心は、他人にも記憶を読み取らせることができる。アイリス、てめぇの記憶を読み取るときにもしたぜ?」
<じゃあ、今ここは、アツミちゃんの読心した記憶の中ってこと!?>
「てめぇはミリアにひっついてるだろうから、動けてるだけだろうけどな」
そう、ここは読心の中。
記憶の世界だ。だからこそ、アツミの体は時間が停止して動かない。ミリアだけが、時間停止の制限から外れた状態で動くことが可能、といった状態だ。
なぜ動けるのかといえば、単純にランテがミリア以外の時間を停止するように奇跡を起こしたから。
『とはいえ、宇宙にまで電波が届くのはアツミちゃんの努力あってのことです、本当にお疲れさまでした』
「ねぎらいは受け取るが、電波言うんじゃねぇ」
なんて、軽口を交わしてから、
「それで、ここからどうするんだ?」
『――今から、マナを消し飛ばします』
端的な宣言。アツミは予期するまでもない答えだったので、そうかと流すが、流せないのはアイリスだ。彼女もミリアの目的を知ってはいるが、方法がてんで想像つかないのである。
<ちょっとまってよ、さっきからミリアちゃんはそう言ってると思うけど、無茶でしょ。マナって無限のリソースなんだよ? 消し飛ばした先から湧いてきちゃうじゃん!>
『――そのマナは、一体何を元手に無限のリソースとなっているんです?』
<なにって、マナは時間がリソースに……なって…………あ>
――時間とは、無限だ。人が生まれる前から存在し、人が滅んでも無限に続いていく。だからそれに根付いたマナも無限のリソースになる。
だが、であれば――
「そういうこったな。今この瞬間。時間の停まった世界で――」
『――マナは有限です』
そうだ、つまり。
マナを消滅させる唯一の方法、それは、
『だから、この停止した時間のなかで、この宇宙全てに存在するマナを全て使い切ります』
<な――――>
愕然。
たしかにそれならば、マナは完全に消失する。一度マナが世界から消えてしまえば、もう一度マナを生み出すことは可能か不可能か――不可能なのだろう。
しかし、だとしても。
<無茶すぎる! そんなのどうあっても間に合わない! この時間停止だって無限じゃないんでしょ!?>
『十分な時間はあります』
<だとしても、一人じゃ!>
「――一人じゃねぇよ」
叫ぶアイリスを否定したのは、アツミだった。
力強く、自信たっぷりに、皮肉げに。
「繋げるぜ、ミリア」
『お願いします』
<繋げる、どこへ――? ……あ、いや、そっか!>
そして、
『お姉ちゃん!』
ランテ達の声が聞こえてきた。
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――ミリアの取った方法はとても単純だ。
マナは停止した時間の中では増えない。今、その時間に存在しているマナしかこの宇宙には存在しない。だから、停止した時間の中でマナを全て使い切る。
問題はいくつかあった。
一つはどう考えても一人では間に合わないということ。
いくら猶予はあっても、一人でマナを使い切ることは不可能、それを解決するために、アツミの読心を利用した。
アツミがシードア島に行った理由は三つ。一つはシードア島の調査。もう一つはミリアとの連絡要員。そして最後に、巨大宿痾の攻撃に巻き込まれないため、だ。
先程やってみせたように、アツミに転移などを使って合図を送り、読心の応用で意識を繋げる。
宇宙と地上の魔導による通信は確立できなかったが、この方法であればミリアとアツミは通信が可能だったのだ。
そして、アツミが意識を繋げるのはミリアだけではない。
――ランテ、だけではない。
シェード、カンナ、ローゼ。
――それだけでも終わらない。
アスミル隊を始めとした、他の戦姫達。そう、現在生き残っている、全戦姫と意識をつないだのだ。
<けど、意識を繋げることに何の意味が――>
「いいですかアイリス」
ミリアは、それまで準備をしながら会話をしていた。アイリスの発現は、ちょうど間をもたせてくれるいい発言だった。
「――円環理論は、互いが触れ合っていることで使える理論なんです、たとえそれが、意識でも」
<あ――>
そう、円環理論。
感情のやり取りによって無限のマナを生み出すそれがあれば、マナはいくらでも生み出せる。ただし、この世界ではそこに限界が設けられている。
だから、
「さぁ、始めましょう! 円環理論によって限界まで集められたマナを使って放たれる。私の最高にして最大の――」
杖を構えたミリアが、
「魔法を!」
――チャージに入る。
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――世界を愛で救いたい。
学園にやってきて初めての挨拶で、ミリアは生徒たちにそう告げた。
愛、愛情だけではない、親愛も含まれるその感情は、けれども人々には信じられていなかった。
かつて、ミリアは理解のできない珍獣だった。
やることなすこと、全てが規格外のトンデモ生物。天才とナントカは紙一重、いっそナントカだったほうが救いがあるくらいの天才。
それがミリアだった。
――理解のされない少女は、しかし願った。
いずれ自分と同じように、世界を本気で、心の底から救いたいと願う人たちで溢れて欲しい、と。
正直、巨大宿痾を討伐する戦場にいた戦姫達に、世界を救えるという確信、世界を救ったという自覚はない。気がついたら最後の戦いに赴き、気がついたら勝利していた、というのが彼女たちの多くの感想だ。
でも、だとしても。
確かに彼女たちは世界を救ったのだ。
宿痾を終わらせて、黙示録を終わらせて。
彼女たちは新たな世界の、神話の幕開けを創った。
それが、知らず識らずのうちに勇気となる。
それが、知らず識らずのうちにミリアと重なる。
それが、知らず識らずのうちに奇跡となる。
だから、
だから戦姫たちの円環は、完成した。
「――見ていますか、アルミアさん」
この戦場で、今まで一度も声をかけてこなかった相手に、ミリアはぽつりと零す。
「世界は救われますよ。約束どおりに、私が世界を変えるんです」
きっと見ているだろう。
言葉はいらないだろう。
だとしても、声をかけずにはいられなかった。
それが、ミリアにとっての一つのゴールになると思ったから。
<――ほんとにやりきっちゃうんだ>
アイリスは、ぽつりと零す。
――これで終わる。
そう思うと、アイリスはまるで現実感が持てなかった。
<私達、どうなるんだろうね>
「世界は、今の形に一番近いように再構成されると思います。マナによる破壊――宿痾の存在をなかったことにして」
<私達は、操手だよ>
「ですが、それと同時に貴方はアイリスです。シルクさんも――ああ、あとあの兄弟も」
<あいつらはどうでもいいかなぁ>
そうやって話を続けていると、やがて沈黙が降りる。
ぽつり、とそれを破ったのはアイリスだった。
<……人になったら>
「はい?」
<歴史が変わって、人間になったら、いろんなことがしたい。プリクラとか、ゲームとか、テレビを見たり、マンガを買い漁ったり!>
人。
――アイリスは歴史が変われば、当たり前に人として生きていけるのだろうか。わからない、でも、そうであればいいと思う。
いくらアイリスだって、ごくごく普通の少女になれば、世界は自分とシルクだけでいい、なんて言わないだろう。
だって――
<そして――ミリアちゃんと友達になりたい>
――そうやって、楽しそうに笑うんだから。
「いまは違うんですか?」
<今は……無理。私は操手だし、お姉ちゃんみたいに、救われる権利もない。だから……だからいつかでいい。そうやって、明日を楽しみにしたい>
「あはは、そうですか――でも」
ミリアは、
「そう言われたら、私はもう友達のつもりですよ、アイリスちゃん」
笑顔でアイリスにそういった。
<や――やめてよ。ちゃんとか似合わないし。それに……>
「それに?」
<……アイリス、って呼び捨てのほうが、特別な気がする>
そう言って、少女は赤面した。
そうしている内に、
マナはチャージを完了させる。
「さぁ! これで決着です!」
ミリアは笑っていた。
きっと、これまでで一番の、とびきりの笑顔で、
「マナよ! 貴方は確かに万能かもしれません! ですが! 私達が生きていく未来に、貴方という万能は必要ない! 私達は、可能性を選んで生きていく! わからない明日を楽しみに生きていく!!」
そう、マナに対して、
世界に対して、
宇宙に対して叫ぶのだ。
未来あれ、と。
「――――“ミリアあれ”!!」
――あ、噛んだ。
ミリアの宣言を聞いていた戦姫の全てが、心を一つにした瞬間だった。
その時。
ミリアの足を、誰かが掴んだ。
<さ、>
それは、
<せ、>
――妄執。
<る、>
終わってしまった、敗北した女の、
<かあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!>
ヘルメス・グランテの悪あがきだった。
「命滅機メルクリウス!! |限界突破《コード:オーバーフロー》!!!!」
かくして、世界の誰もが望まない、多大一人のためだけの、醜すぎる奇跡が、はじまった。




