悪魔
会議室を出て一分も歩けば城壁に設置された物見櫓がある。狭いとはいえ10人は入るそこには私たちunfinished以外にも北における指揮系統を任されたアーサーたちが詰めている。
「思ったよりもこちらが押していますね」
他の都市が攻められてから僅か、王都にも魔の手が一斉に伸びた。今は北門だけではなく、その反対側である南門にも魔物が進行しているようだ。しかし、変異種が現れても天秤が魔物側に傾くことはない。
「龍角のやつ、暴れてんなぁ!」
城壁から下の様子を眺めていたレオは視線の先で戦いを興じている龍角を見つけ羨ましそうに言葉を零す。先ほどまでは個人行動をしていた私たちだがイベントもいよいよ終盤と言う訳で全員が集まっている。
「あと4時間ですか。どう考えても時間内に殲滅することは出来そうにありませんな」
戦場よりも奥側を見据えるロードは一向に数が減らない魔物たちを見て溜息を零す。
「イベントが終われば魔物が消えるかも……そんな都合いいことないよねー」
「あれじゃないか。時間まで耐えれば王国騎士団が戻って来るみたいな」
一刀の説は有力候補だろう。竜退治に向かっている騎士団と魔術師団が戻って来れば戦況も大分変るだろうし。まあ、何はともあれ私たちのやることは変わらない。イベント終了までの4時間、その間だけでも王都を死守するだけだ。
「アレを見てください!」
アーサーが指し示す先を見る。先ほどまでは太陽の光が差し込まれていた大地には広く深い影が落とされていた。
「雷雲か?」
この場にいた誰かが言った。雷雲は魔の森から向かって来ているようだ。どう考えても普通ではない。何か強大な魔術が行使されたのか。
「おいおい、ヤバいんじゃね?」
レオが迫り来る雷雲を見ながら狼狽える。大規模魔術が発動すればどれ程の被害が出るのか。プレイヤー、その中でも魔術に関してはトップクラスの実力を持つ春ハルさんでもあれ程の魔術は行使できないだろう。
どうするべきか思考を巡らせる。万象夢幻を使えば防げるかもしれない。しかし、それでも王都の大部分を覆えてしまいそうな積乱雲が作り出す雷を私一人のオリジナルスキルで防げるとは思えない。
「四門準備完了です!」
「第一及び第二結界、起動!!」
対応に迷う中、眼下では王国の兵士たちが忙しなく動いていた。そうだ、王都を防衛するのは何も私たちプレイヤーだけではない。最初に王城を囲うように半透明の膜が展開し、次いで城壁から王都を覆うように同じ膜が張られた。
「結界がどれ程もつか未知数ですね。我々も何か手を打ちましょう」
アーサーは起動した結界の耐久力に懐疑的の様だ。ここに来てプレイヤーの信用の無さが仇となった。冒険者ギルドとは協力関係を築くことが出来たが王国とはギルドを通じての関係だ。
私たちは王国の兵士がどれくらい居るのか程度しか知らず、城壁を使う許可を得ただけに止まっている。今展開された結果についても何も情報は持ち得ていなかった。
「魔物の進行が止まったよ?」
アーサーがクランメンバーに指示を出す中、聖が戦場を指さした。先ほどまではプレイヤーと死闘を繰り広げていた魔物たちは魅入るように雷雲を見つめている。例え剣を受けようとも、魔術に炙られようとも反撃せずに一点だけを見つめる光景は異様さを孕んでいた。
最前線の魔物が鳴いた。それは連鎖するように魔物軍の本陣へと伝わる。ファングウルフが遠吠えをし、ゴブリンやオークたちが武器を掲げる。魔物全てが手を止めて黒雲に向かって何かしらのアクションを起こす。
「今だ! 魔物たちを殺ってしまえ!!」
誰かがそう口にする。そして、それと時を同じくして魔物たちの声が最高潮に達した。その刹那、雷雲に稲妻が迸り、戦場に輝かんばかりの光を落とした。
晴天ならば天使の降臨とでも呼べただろう。だが真っ黒な巨大雲が堕とす光から現れたのは紛れもない化け物だった。
戦場に緊張が走る。
それは全身を黒く染めた人間のような姿でありながら、蝙蝠の羽に先が三又の槍のようになった尻尾。極めつけは額から伸びる二本の角が生えた私たちが想像する悪魔そのものだ。
戦場に一時の停滞が生じる。誰も動けないのだろう。僅かでも動けば化け物に目をつけられ、殺されてしまうかもしれない。しかし、瞬時に恐怖は限界を迎える。最初に崩れたのは王国の兵士だった。
「悪魔だ! 悪魔が来たんだ! やっぱりあの噂は本当だったんだ!!」
震える指で異形を指し示しながら腰を抜かしたように地面に座り込む。悪魔、その単語は瞬く間に戦場に行き渡った。先ほどまであった戦場の熱気はもうない。冷や水をかけられたかのように静まりかえり、だがしかし、ひそひそと突然現れた存在を見ては人々が己の心内を零す。
その隙は致命的だった。今、魔物たちが動き出せば前線は抵抗も出来ずに崩壊し、魔物たちが城壁を乗り越えて王都は陥落していたはずだ。
「これは、これは。私の催し物に来てくださって誠にありがとうございます。訪問者共がいるのは想定外でしたが贄が増えたと考えればまさに幸運!!」
悪魔がまるで演説をするかのように身振り手振りを加えて言葉を紡ぐ。その言葉にさえ威圧感と呼べるものが存在した。『勝てるわけがない』誰もがそう思ったことだろう。
「落とせるか?」
聖に問いかける。確かにアレが出現した瞬間は身が縮こまる感覚に襲われたが今は持ち直している。
「もちろんだよ、ゼロ。僕に任せといて」
聖は弓に矢を重ね、弦を引いた。




