【かれーらいす】
カレーは神だと思う。
まず、誰にでも作れる。
そして誰が作ってもおいしくなる。
さらに、どんなおかずとも合ってさらにおいしい。
「ふむ、だいぶ上達したようだな」
一階一〇四号室、元軍人の部屋。
そこの畳の間で机の上にまな板を敷いたワタシは慣れない手つきながらも包丁で野菜を切っていく。キッチンのシンク台はワタシには高すぎて危なっかしいからこっちで切るよう元軍人に言われたのだ。
「大家さんのお手伝い毎日してるからね」
「その調子で励むように」
感情のほとんどこもらぬ、無機質な声でそう言った元軍人はこれまた無機質な目でワタしの手元をじっと見つめる。怖いんだけど。
ワタシは今カレーを作っているところだ。たまにはワタシが夜ごはんを大家さんに作りたいって元軍人に相談したら場所を貸してくれたのだ。大家さんには内緒。元軍人が用意するから今日は作らなくていいと伝えてあるそうだ。なかなか気の利くやつである。
「……体つきもしっかりとしたものになってきたな」
「それ、太ったってこと?」
「本来のものになりつつあるということだ。むしろもっと太れ」
レディーになんてことを。
──でもま、確かに以前のワタシは骸骨のようにガリガリだった。その頃に比べると今はだいぶんふくよかになったと思う。大家さんのごはんおいしいからな~。
「ねえ元軍人、カレーにりんご入れたい」
「入れるならすりおろした方がよかろう」
「おいしそーだね、うん、そうする」
野菜を切り終わった後はキッチンに移動して、元軍人があつらえてくれた台座に乗って鍋に火をかける。まずはたまねぎを炒めてこんがりきつね色、飴色に。
「袖をまくりなさい」
背後から元軍人がワタシの服の袖を何重かに折ってピンで固定してくれた。うん、動きやすい。元軍人って面倒見いいよね。大家さんにも甲斐甲斐しく尽くしてるし。大家さんには愛想いいくせにワタシには無愛想なのが腹立つけど。てか大家さん以外全員に無愛想だけど。
つーか早く告白しなさいよ元軍人。
ワタシをやきもきさせないでほしい。シャキッとしてほしい。今の平穏なひとときのままで……とかこの関係を壊すくらいならばこの想いは秘めよう……とかそこらの少女漫画にありがちな焦らしやめてほしい。
「余計なお世話だ、魔女」
「だから人の心読まないでよ」
まったく元軍人はこれだから。
おっと、野菜を鍋に流し込んでー。ぐーるぐーる。
「……ふむ。お前から見ても彼女は私に心開いてくれていると思うかね」
「そうじゃなかったらそっちの方が驚きなんだけど」
「そうか……私もそうだろうと思っている」
自意識過剰乙! って言いたいけれど大家さんの元軍人を見る目は明らかに愛しい人を見る乙女のそれだ。子どものワタシにだって分かるくらい、大家さんの元軍人を見つめる目はとても甘い。元軍人が大家さんを見つめる目の方が甘ったるくて目立たなくなってしまってるけどね。
あっ、灰汁とって~。そしたらルーをぼとぼとーっと~色んなメーカーのルーを混ぜるとさらにおいしい!
「じゃあ何で告白しないの? 大家さん、確か二十五だよね? 二十四だったけ? 結構年離れてるけど未成年じゃないしセーフだと思うよ」
大人同士なんだし。
「そのあたりは全く気にしとらん。……ただな、魔女。誰かを愛し、愛されるというのは決して紙一重では済まないのだ」
それがたとえ血の繋がった家族でもな。
そう言った元軍人に、ワタシはなんとなく元軍人が大家さんに想いを告げない理由が分かった気がした。
ただ好き合うだけならいい。
けれど愛し、愛され、愛し合うのであれば──それ相応の覚悟が要る。たとえ親子でも。
「……大家さん、フっちゃうかな?」
「だろうな。今想いを告げても間違いなく彼女は断る」
困ったような笑顔で。
悲しそうに微笑んで。
気持ちを誤魔化して。
涙を零さないように。
そんな大家さんが容易に想像できて、ワタシはふーっとため息を吐きながら鍋をかき混ぜる。食欲を誘うカレーの香りが部屋を満たしていて、既に胃袋はカレーを受け入れる準備を終えてしまっている。最後にすりおろしたりんごを入れて混ぜながらワタシはちらりと元軍人を見上げた。
「ワタシは元軍人じゃないと大家さんを幸せにできないって思ってるよ」
不本意だけどね!
でも、元軍人が大家さんを誰よりも何よりも大切に想っているのは見ていて分かる。痛いほどに分かる。だから、大家さんの傍にずっとついていてほしいって心の底から思う。不本意だけど!
フンっ! ──嬉しそうに笑うな元軍人! むかつく!
──よし、完成したカレーを炊き立ての真っ白なほかほかごはんにかけて、さあ完成!
今夜のメインはカレーラースです。おかずは大家さんの笑顔。