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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・夏
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【おかゆ】


 支配する絵を描こうではないか。

 そんなカッコいいことを誓った時期がワタシにもありました。デジャヴ。


「げほっ……ごほっ」

「大丈夫か? お母さんがおかゆ作ってくれたぞ」

「おとぉさん……」


 一階一〇一号室──ワタシの部屋。

 そこで高熱と頭痛と鼻水と咳とにうなされながらベッドに伏せっていたワタシに元軍人の──お父さんの、聞いていてほっとする落ち着く声がかかってきた。

 うん、ご覧の通り風邪っ引きである。

 昔に比べると体もしっかりしてきて病気する数も減って来て、だから油断してた。くぅ。


「うちで寝てもいいだろうに」

「だめ……おがぁさん、うつる……」

「安定期に入ったからそこまで心配せんでも大丈夫だ。むしろお前に来るなって言われてしょんぼりしているぞ」

「だっでぇ、あがちゃんいるのにぃ」

「わかったわかった……ほら、おかゆ食べなさい」


 ぐわんぐわんと揺れる頭に熱くてだるい体をずるずると起こして、ローテーブルに向かう。そんなワタシに元軍人が自前の袢纏を着せてくれて、ぶかぶか大きいけれどあったかいそれにほうっと息を吐く。


「わあ、梅がゆだぁ」


 ローテーブルに置かれた土鍋の蓋を元軍人が開けてくれた途端にほわりと白い湯気が立ち昇って、梅のすっぱい香りが鼻孔から全身に広がる。


「熱いから気を付けなさい」

「はぁい」


 ふうふう、とれんげで掬ったおかゆに息を吹きかけてそうっと口に含む。熱くて、けれど優しくて体に染み渡るお母さんのおかゆ。ほっと、しんどくて疲れていた心が温まる。

 ワタシが風邪を引いた時はこうやっておかゆや鍋焼きうどんを作ってくれる。とても熱くてとても温かいそれらは、どんな薬よりも効く万能薬だ。


「んん、おいひぃ」

「食べたらすぐ薬飲んで寝るようにな」

「うん」


 なんてことないやりとり。

 なんてことない家族の会話。

 ──けれど熱があるからだろうか。

 ──ついこの間、社長とあんな話をしたからだろうか。


 〝佐々呉どれみ〟のころの記憶がふと、甦ってきた。


 両親(りょうしん)と書いて両親(ふたおや)

 ()()は、ただワタシと血が繋がっているだけの他人だった。家族でもなんでもない、他人だった。

 ワタシが熱を出して寝込んだ時も──絵を描くのをやめることを、許してくれなかった。買いたい車があるのだと、買いたい服があるのだと──それなのに寝込むなんて迷惑だと、親に迷惑をかけるなと──ああ、頭痛がひどくなってきた。

 そんな時、ワタシはいつだって〝お客様〟を待ち望んでいた。家に誰かがいるとアレは途端に〝病弱な娘を甲斐甲斐しく介護する親〟になったから。その間だけは、虐げられることがなかったから。


「どれみ」


 ずきずきと悼む頭にぼうっとしていたら、ふいに元軍人の大きくて分厚い手がワタシの額に触れてきた。筋肉質で温かい手。──お父さんの手。


「食べ終わったらうちに戻りなさい。寝室でゆっくり寝るといい──その方がお母さんも安心するだろうしな」

「……うん」


 大家さんと元軍人。

 お母さんとお父さん。

 血は繋がっていない。同じ黒錆姓だし戸籍上でもちゃんと家族だけれど、ワタシたちに血の繋がりはひとしずくたりとして存在しない。


 ──けれどワタシは胸を張って言える。


 この人たちはワタシの両親(りょうしん)だと。


「……梅もっとほしい」

「ん、じゃあ持ってくるからそのまま食べていなさい」


 はあい、と力なく返事するワタシの頭をひと撫でしてから元軍人は部屋を去っていってしまった。途端にきゅうっと胸の奥が詰まる。

 ──熱を出した時ってどうして、こんなに寂しくなるんだろうなぁ。


「はふはふ……」


 寂しさを紛らわすようにおかゆにふうふう息を吹きかけては口に運んでいく。すっぱくて優しくて、ほっとする味だけれど──それでも寂しさは、やっぱり消えない。

 ……早く帰ってこないかな、元軍人。


「どれみちゃん、うめもってきたよ」


「!? おっ、おがぁざん!?」


 からりと窓を開けて縁側から入ってきたのは大家さんだった。梅干しと飲み物を載せたトレイを持って微笑んでいる大家さんにそれまで胸の中で渦巻いていた寂しさが飛散するけれど、逆に焦ってしまった。


「がぜうつるっ……」

「だいじょうぶ。あかちゃんはすくすくげんきにそだってるし、それにわたしがかぜをひいたらこんどはどれみちゃんがかんびょうしてくれるでしょう?」


 だからだいじょうぶ、とだいぶん大きくなったお腹をさすりながら大家さんは満面の笑顔を浮かべる。そうしておぼつかない足取りでふらふらトレイを運んでくる大家さんに不安からあたふたと手をばたつかせるけれど、大家さんは焦るワタシにくすくす笑うだけだった。


「これくらいならだいじょうぶ。……おとうさんもいるし」


 と、ぼそり言う大家さんにワタシは首を傾げて視線を窓の方に向ける。おった。元軍人がむっちゃ怖い眼光で窓の外からこっちを覗き見している。不審者だ。


「……みたいだね」

「ふふふ。たべおわったらうちにかえってきてね。おふとんをあたためておくから、ゆっくりねて」

「……うん」


 ふ、と胸が何とも言えない充実感で満たされる。なんて言えばいいのかわからないけれど、なんだかくすぐったくてうれしくて、それでいて涙が出そうになる。


 ……ああ、ワタシは幸せだ。



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