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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・夏
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【おんせんたまご】


「魔女!! フロ入るぞ!!」


 ひとさらいが あらわれた!

 って、ちょっと待て!!


「ちょ、お蝶!! この時間まだ男風呂の時間──」

「おらぁ!!」


 ばぁん、と浴場への扉が勢いよく開かれる。

 さいはて荘の部屋には風呂が付いていない。代わりに、前庭に共用の浴場がある。元軍人がこだわりにこだわり抜いて作った檜風呂があって、男風呂と女風呂で時間を決めて入浴している。

 そして今日のこの時間帯は男風呂の時間。

 つまり。


「きゃあああぁぁああぁ!!」


「ギャアアアァアァアア!!」


 元国王の絹を裂くような野太い悲鳴と、ワタシの地獄の果てから轟くような掠れた絶叫が木霊した。


「ちょっとお蝶くん!! まだ十分あるだろう? もうちょっと待ってよ!!」


 まさに脱衣所で服を着ようとしていた元国王と出くわしてしまったワタシは記憶を抹消すべく覚えたての方程式を復唱する。


「いいから出ていけよ。アタシと魔女の風呂タイムを邪魔すんな」

「ぼく被害者!! 邪魔したのそっち!! もぉ~!! お蝶くん勘弁してよ~」


 泣きべそをかきながら浴場を去って行った元国王にほんの少しだけ同情する。


「さて!! 入るかぁ!!」

「それはいいけど……なんでまたいきなり?」


 別にお蝶とお風呂に入ることは珍しくない。男女交代制だし、浴場は広いからみんな一緒に入ることはよくある。ちなみに一番エロい体をしているのは元巫女だ。間違いない。


「温泉卵作ったからよ、どーせなら風呂で食おうと思ってよ」

「おんせんたまご!」


 温泉で作るっていう、あの!!

 ──なんだったけ? ゆで卵っぽいことは知ってるけど実はどんなものなのかよく知らない。


「温泉じゃなくても作れるの?」

「一般家庭の風呂じゃ難しいからキッチンでだが、作れるぜ」


 温泉卵っていうのは黄身が半熟で卵白が半凝固状態になったもののことらしくって、六十度から七十度のお湯や蒸気を利用して三十分くらい茹でるとできるらしい。

 温泉によっては成分が染み込んで味がついてることもあるらしいけど、今回は普通にキッチンでお湯の温度を測りながら茹でたものだからタレにつけて食べるんだそうだ。


「へぇ~、いつもと変わりないお風呂なのに温泉卵を浮かべてみるとなんか温泉に来た気分」

「だろ? 日本酒もあれば最高だったな。持ってくりゃよかった」


 すっぽんぽんになったワタシとお蝶の間で温泉卵を入れた器が入っているざるがぷかぷか浮かんでいる。温泉卵を食べるタレというのも入っていて、ほのかにかつおぶしの香りがする。だし汁で作ったのかな。


「ほれほれ、食べてみろ」

「うん」


 ひっくり返さないよう気を付けながら温泉卵をそうっとタレの入った器の上で割る。でろんと、ゆで卵に成りきれていないとろとろの半熟卵がぽちゃりとタレに落ちた。半熟卵とは明らかに違う──卵白がものすごくでろでろだ。なるほど、これが温泉卵か……。

 器を手に取ってスプーンで掬うように、と、いうか吸うように器に口をつけてりゅるんっと温泉卵を吸う。タレごと吸う。


「んむっ、おいひ」

「だろ?」


 でろでろの卵白ととろとろの黄身がタレとよく合っておいしい。お風呂で食べているという非現実感、とでもいうのかな? いつもとは違う状況もあってかなんだか余計においしく感じる気がする。


「本場の温泉卵にゃかなわねーけどな」

「そうなんだ? 食べてみたいなぁ、本物の温泉卵」

「さいはて荘のみんなで温泉旅行と洒落込みたいよな~」


 さいはて荘のみんなで温泉旅行! すっごく楽しそう。すっごく行きたい。


「行くとしたら大家さんの赤ちゃん生まれて、そんで落ち着いてからだな」

「うん。みんなで行きたい」


 ワタシの弟か妹も一緒に、みんなで旅行。すっごく楽しそう。すっごく行きたい。絶対行きたい。うん、社長に言おう。


「社長に相談してみる!」

「……お前が社長に言ったらまず間違いなく実現するな。さいはて荘慰安旅行」

「そお?」


 ワタシじゃなくても聞くと思うけど。社長甘いもん。


「ま、実現するとしても一年後だ。まずは大家さんのサポートを、だな」

「うん」


 それはちゃんとやる。おねえちゃんになるんだもん。

 たまひよクラブ毎月買って勉強もしている。管理人室にも少しずつ赤ちゃんを迎えるための道具が揃ってきていて、大家さんのお腹もだんだん膨らんできていて、少しずつだけれど本当に〝おねえちゃん〟になるんだなあって思えてきている。


「心配なのは大家さんの体力がもつか、か」

「うん。そこは元軍人も社長も心配していて、社長が全力でサポートするって言っていた」


 大家さんは体が弱い。一時期は死にかけて、けれど社長とともに渡米して手術を受けたおかげで助かった。そのおかげで命の危機はもうないものの、それでも大家さんの体は弱い。目と耳があまりよくなくて、まっすぐ歩くのも難しくて、ずっと動き続けることも難しい。さいはて荘のみんなでハイキングに行く時とか、元軍人が運ぶし。

 そんな大家さんが新しい命を産むという、現代においても死亡率が決してゼロではない大変なことをこなすのだ。──不安にならないはずが、ない。

 産婦人科については社長がどうにかしてくれる。でも、最後にものを言うのは大家さん自身の体力なのだ。だから大家さんが元気に、健やかな体で出産に臨めるようワタシたちもサポートしていかないといけない。


「だーいじょうぶだって。さいはて荘だぜ? むしろみんなが張り切りすぎて大家さん疲れねーように見張らないといけねーぜ?」

「……確かに」


 確かにストッパーにならないとヤバいかも。

 あの社長だって妊娠が発覚した時、混乱しすぎてたまひよクラブのおんなじ月のやつを十冊買ってきたもん。そんな風にトチ狂った行動を取るやつがいないとも限らない──あっ、元国王赤ちゃんの丸焼きっていう猟奇的なパン作ってた! マジでストッパー必要だ。ストッパーにならないとヤバい。


「ストッパーとして頑張る」


 大家さんを守らなければ。お母さんを守れるのはワタシだけだ!



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