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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・夏
55/185

【豹南中学校のそらいろべんとう】




【豹南中学校のそらいろべんとう】




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 さいはて荘のエントランスに飾られている巨大なキャンパスの下に陳列されている、十体のぬいぐるみ。


「この絵、いつ見てもすげぇよな。何時間でも見てられるってか……」

「うん。すごいよねぇ。黒錆ちゃん、美術部に入ればよかったのにぃ」

「え~。描きたい時にしか描きたくないタイプだし」


 気付けば夏休みももう終わろうとしている。そして今日は登校日である。登校日ということで、昨夜は大王とゆゆがお泊まりに来た。大家さんのところでまったり夜ごはん食べながら談笑して、一緒に浴場で大騒ぎして、ワタシの部屋で川の字になって寝た。

 ──ともだちとの初めてのお泊まり会、とっても楽しかった。


「ってかこのぬいぐるみ、黒錆ちんがこのアパートの住人をモチーフにして作ったってのは分かるんだけど……あの車に轢かれた死体は何なんだ?」

「あー。えっと、お蝶がワタシをモチーフにして作ってくれた鼠のぬいぐるみ……」

「えっ。お蝶さんが?」

「えぇ~……」


 手足が内臓にしか見えない、舌が血にしか見えない、目玉を飛び出させている鼠のぬいぐるみ──うん、どう見ても死体である。この出来にはさすがの大王とゆゆもドン引きである。


「まじょちゃん、だいおうちゃん、ゆゆちゃん。はい、おべんとう」

「あっ、ありがとうお母さ──デカッ!!」


 豹南中学校は給食制度で、お弁当は必要ない──が、登校日である今日だけは給食が出ない。だからこうして大家さんがお弁当を作ってくれたのだが……おせち料理に使う重箱が出てきた。四段……いや、五段か? 青空を映し出したような綺麗な風呂敷で包んであるから分かりづらいけど……五段あるよね、絶対。


「ごめんね、おべんとうづくり、もとこくおうさんとおちょうさんもてつだってくれたんだけど……こんなにたくさんになっちゃった」


 ほかのくらすめいとともたべてね、と言って大家さんは苦笑しながら手渡してきた。なるほど、元国王とお蝶の仕業らしい。


「王様とお蝶さんも一緒に作ったとか、すっげぇ贅沢! ありがとうございます、黒錆ちんのお母さん」

「すっごく楽しみ! ありがとうございますぅ~、黒錆ちゃんのお母さん!」


 頭を下げて礼を言うふたりに大家さんは優しい微笑みを浮かべていってらっしゃい、と手を振ってきた。その後ろで元軍人も気を付けて行っておいで、と手を振っている。

 ワタシたちはそれに元気よく手を振っていってきますと答えた。


 ──お弁当おっも!!




 ◆◇◆




 お昼である。

 お弁当タイムである。

 外は快晴である。でも外には出ない。何故ならば暑いから。ぴっかぴかのエアコンが付いた教室で机をくっつけてみんなで涼しみながら食べるのである。


「すげーっす! すげー豪勢っす! これ、おれたちも食べていいんすか!?」

「いいよ。多すぎてワタシたち三人だけじゃ消費しきれないし」

「俺は食べることにあまり興味ないんだがな……まあ、食材を無駄にするのも本意ではないし、食べてやるよ」


 うっせぇこの中二病。

 ──と、失礼。そういうワケで坊主といおりんも交えて五人で重箱を囲んだ。坊主といおりんは普通にお弁当持ってきているけど、育ち盛りの男子だし余裕で食べられるでしょ。


「いいな~。先生、カップラーメンしかないんだ。いいな~」

「…………」


 エセメガネ先生が廊下から教室を覗き込みながら独り言のようにいいな~、と繰り返している。うざい、混ざりたいなら正直に言え呪うぞ。


「……先生も食べる?」


 だがそこは大人で優しいワタシ。哀れなエセメガネ先生に声を掛けてあげる。


「お? 先生と一緒に食べたいのか? そうかそうか、そこまで言うなら仕方ないな~」

「呪うぞ」


 おっとつい本音が。

 ──そういうワケで、エセメガネ先生も加えた六人で昼ごはんタイムとなった。ちなみにいつもの豹南中学校は給食センターから運ばれてきた給食をクラスのみんなで教室に運んで配膳するというスタイルの昼ごはんである。


「すごいなぁ、お前のお母さん」

「母ってか、同じアパートに住んでいる人たちがハッスルしちゃっただけなんですけどね」


 重箱の中には多種多様な料理が詰まっていた。和風から洋風、中華風まで至れり尽くせりでパンまであった。お弁当ならではの俵おむすびやミートボールにからあげ、卵焼きにたこさんウインナーといったおかずたちもちゃんとあって、ザ・お弁当の楽しみも味わえる。素晴らしきかな。


「うっめぇこのごぼう」

「あ、ごぼうの甘辛煮ね。おいしいよねそれ」


 お弁当の中で一番好評だったのはごぼうの甘辛煮だった。味の感じからしてお蝶作。確かにごぼうの甘辛煮はごはんが進む最高のおかずである。たまらんよね~。


「いいなぁ、こんな弁当を作ってくれる奥さんが先生欲しい」

「エセメガネせんせの好みってどんなひとぉ~?」


 エセメガネ先生が弁当のおかずを口に運びながらしみじみとそんなことを言うものだから、恋愛に関心の深いゆゆが喰いつくように身を乗り出しながら尋ねた。


「先生の好みな~、やっぱり綺麗でスタイル良くて優しい人がいいな~」

「せんせぇ、身の丈という言葉がこの世にはあるんですよぉ?」

「由良、先生をいじめるのはやめなさい」


 先生泣くぞ、と真顔で言うエセメガネ先生にゆゆは悪びれもせずけらけらと笑う。


「綺麗でスタイル良くて優しい……オレの知る限りじゃお蝶さんくらいだな、思い浮かぶの」

「お蝶さん?」

「もろみさん」

「ああ、もろみ食堂の。お前らよく食べに行ってるけど本来、帰り道での買い食いは禁止なんだからな?」

「そう硬いこと言うなって。──で、先生どうなんだ? もろみさん」

「おお、もろみさんな。めちゃくちゃ綺麗だよなぁ~あの笑顔にはさすがの先生もドッキドキ」


 好みらしい。

 まあそりゃ当然だ。お蝶、綺麗だもん。ボンッキュッボンのナイスバディだし。姐御肌でかっこいいし。


「──でもあの人、水商売してたんだろ?」


 お蝶が好みだというエセメガネ先生をはやし立てるようにわいわいと会話が進んでいた時であった。

 冷や水を浴びせるような、侮蔑の色をふんだんに孕んだ声が水を差してきたのは。

 声の主など、確認しなくてもわかる。中二病だ。

 間違えた、いおりんだ。間違えてはないけど。


「体を売る女の作った料理なんてとてもじゃないけど食べる気になれないね、俺は」

「おい庵。人を職業で差別するんじゃない」


 エセメガネ先生が珍しく〝先生〟の顔でいおりんに注意する。けれどいおりんは首肯の返事こそすれど自分の言ったことが間違っているとは露ほども思っていないようであった。

 中二病男子特有の潔癖さというのかな? よくあることだろうけど──……


「いおりん」


 ワタシもお蝶を侮辱されて、黙ってなんていられない。


「むかしむかし、あるところにひとりの天才な女の子がいました」

「は?」

「その天才な女の子はとっても上手な絵を描く才能を持っていました」

「はぁ……」

「お父さんとお母さんは女の子の描いた絵をすごいと褒めて、上手と褒めて、もっと描いてとお願いしました」

「……?」

「女の子は絵を描きました。お父さんとお母さんは言いました、もっと描いてと。女の子は描きました。お父さんとお母さんは言いました、もっと描けと。女の子は描きました。お父さんとお母さんは怒りました、もっともっと描けと。女の子は描きました。お父さんとお母さんは叫びました、もっともっともっと描けと。女の子は描きました。お父さんとお母さんは殴りました、もっともっともっともっと描けと。女の子は描きました」

「…………」


 抑揚もつけず淡々とある物語を口にするワタシに圧されてか、いおりんは不気味そうなものを見る目でワタシを見ている。ワタシの事情を知っているエセメガネ先生は神妙な面持ちでワタシたちを見守っていて、全てではないにせよさわりだけ知っている大王とゆゆはワタシが大丈夫かどうか心配そうに窺ってきている。何も知らない坊主は首を傾げているだけだったが。


「ねえいおりん、その女の子、今何してると思う?」

「はぁ? ……何なんだよ。知らねぇよ、そんなの。虐待児の話か? だったら死んでるか、施設に預けられてるかじゃねぇの?」

「ぶっぶー、はずれー」


 ──正解はここにいまーす、でしたー。


 その答えに、いおりんは一瞬何を言われているのか分からなかったようで怪訝そうな顔をする。──が、エセメガネ先生や大王、ゆゆの態度からワタシの言葉の意味を察したのかその目が見開かれるのにそう時間はかからなかった。


「人間、どんな過去があるか分からないんだよ。どんな境遇の上に立っているのか分からない。どんな想いの果てにそこに立っているのか分からない。だからいおりん──」


 ──お蝶のことを何も知らないくせにお蝶を馬鹿にするのは、このワタシが許さない。


 そう言い切っていおりんをねめつける。

 いおりんは気まずさからか言い返すことも謝罪することも、言い訳することもなくむっつりと押し黙った。


「どういうことっすか? 今の話って黒錆のこと、っすか?」

「ああ、ワタシと今の両親とは血が繋がってないの。実の両親に虐待されてたところを今の両親が助けてくれた感じ」

「まじっすか? 黒錆の両親っつーと、あの優しそうなお母さんとおっかねぇ顔のお父さんっすよね? すっげーいい人に出会えたんすね!!」


 おそらく深いことは何も考えていないだろうが、けれど坊主のその屈託のない笑顔にワタシは荒みかけていた気持ちがふっと和らぐのを感じて思わず口元を緩めてしまう。

 ワタシは大家さんと元軍人と血が繋がっていないことを恥じてなんていない。むしろ、誇りに思っている。血の繋がらない娘であるワタシを心の底から愛してくれている両親を、誇りに思っている。だからこういう風にワタシの家庭環境を変に憐れんだり気遣ったりせずになんでもないことのように受け入れてくれるのは、本当に嬉しい。


「……まー、黒錆の言う通り、人間ってのは一枚岩じゃあないからな。先生だって人生の荒波をひとつふたつ乗り越えてきてるんだぞ? だから偏見と先入観で人間性を見定めるのはお前ら、今のうちに卒業しとけ~」


 ──庵、お前が食べているその煮っ転がし、もろみさんが作ったものだぞ。間違いない、先生には分かる。


 続けて声に出されたその言葉にいおりんはぎょっとしたように自分の手元にある煮っ転がしを眺め、けれどやはり何か言葉にするでもなく気まずそうに沈黙を貫いた。

 素直になれない年頃──分かるよ、いおりん。だからまあ大人たるワタシとしてはこのあたりで許してやってもいい。ウム。


「ほらいおりん、お蝶の作ったごぼうの甘辛煮。アンタおいしいって言ったでしょ。もっと食べなさいよ」

「……ん」


 気まずそうにしながらももくもくと食べ始めたいおりんにワタシは満足そうに笑って頷く。それでよいのだ。


「仕事といえばさぁ~教師も公務員だよねぇ? せんせはど~してせんせになろうと思ったのぉ?」


 ほんの少しだけ張り詰めていた空気が緩んだのを見計らってゆゆがエセメガネ先生にそんなことを問いかけた。ふむ、先生か。──なりたいとは思わないなぁ。


「先生なぁ~、妹がいるんだよ妹。それも四人」

「四人!?」


 多っ! ああ、なるほどそういうことか。


「妹さんたちの面倒見てたの?」

「そうなんだよ~上の妹でも先生より十も下でな~だから毎日ぴーぴーやかましい妹に囲まれながら生活してたよ」

「それで、面倒見るのが楽しいとか……そんな感じ?」

「いんや、全然」


 むしろ〝兄〟だからと妹の世話を押し付けられることが、何事においても妹優先であることが嫌で仕方なかったらしい。思春期のころは妹たちのことが大嫌いだったのだという。ゲームしようにも妹たちに邪魔されてうまくできず、クラスメイトとの会話にうまく混ざれなかったこともあったそうだ。


「でもな~ある日、気付いたんだよ」


 ──にいちゃぁん、どこぉ


 いつまでも付き纏ってくる妹たちが鬱陶しくて、煩わしくて、嫌いで仕方なくて、だから公園に置き去りにして逃げた。

 家に近く、顔見知りのご近所さんたちも多いそこであれば自分がいなくとも平気だと、エセメガネ先生は思ったらしい。思って、妹たちを捨てた。

 捨てて──妹たちは泣き叫びながら兄を追い求めて町中を徘徊した。

 妹たちをたまたま見つけたご近所さんたちが保護してくれたものの、いつもすれ違っては挨拶するご近所さんに対して妹たちは怯えたように泣き叫ぶばかりでただひたすら〝兄〟を求めていた。


「──先生な、その時初めて知ったんだよ。子どもには〝()()()〟がないってな」


「しゃかいせい……」

「そう。子どもの世界ってのはすごく狭い。大人たちが思うよりもずっと──狭い。たとえ毎朝挨拶しているご近所さんでも、幼い子どもにとっては〝大人の中のひとり〟でしかないんだ。甘えるという発想、頼るという思考、縋るという意識がないんだ」


 幼い子どもにとっては〝家族〟こそが全てで、それ以外は〝それ以外〟でしかない。その他でしかない。年齢を重ねるにつれて〝幼稚園〟〝小学校〟と少しずつ広がっていくが、それ以外のものはやはり〝その他〟でしかないのだ。

 子どもの世界は、大人たちが思っている以上にとても狭い。

 当時の妹たちにとって顔見知りのご近所さんは頼れる大人ではなく〝お兄ちゃんじゃない人〟にしか見えていなかったのだ。だから妹たちはただひたすら、兄を求めることしかできなかった。


「その後は当然怒られてボコボコにされたし、妹たちの鼻水でぐちゃぐちゃになるしでひどい目に遭ってなぁ~……でも先生、後悔したよ。なんでこんなに狭い世界しか持てない妹たちを捨てたんだろうってな」


 ようやく会えた〝頼れる人〟に涙を流して縋りつく妹たちに、エセメガネ先生は自分の浅はかさと愚かしさを反省したらしい。そして──子どもたちの世界の狭さについて、考えるようになったらしい。


「だからってわけじゃないが……先生が先生になろうと思ったきっかけのひとつではあるな~。学校ってのはな、将来を生きていくのに必要な社会性を培っていく場でもあるからな」

「へぇ……」


 なんか意外。地味メガネのくせになかなかどうして、心にぐっとくる経験をしているじゃあないか。

 ──やっぱり人間、第一印象で安易に人間性を見定めるべきじゃないなぁ。危険性を察知するという意味でも第一印象で見定めるのは大切かもしれないけれど、でも全てじゃない。それはワタシもさいはて荘で過ごしたことでよく知っている──知っているけれど、それでも忘れそうになる。驕りそうに、なる。

 ……気を付けないと。


「〝()()()〟──それは今のお前たちにも言えることだ。自覚してないだろうが、今のお前たちの〝世界〟はとても狭い。……さっき、黒錆と話したことで庵もそれは実感したんじゃないか?」

「…………」

「今のお前たちは〝家〟と〝学校〟以外にまともな世界を持っていないだろ? 交流する相手も学校の人間が大半だ──知らず知らずのうちに、すごく狭い世界に生きているんだ」


 だけど世界ってのは本当はもっと広い。

 人間というものも、本当はもっと深い。


 ──けれどワタシたちはまだそれを知らない。よく分かっていない。分かっているつもりで、分かっていない。

 ワタシもさいはて荘のみんなと過ごすことで少しは世界の広さを知っているつもりだけれど、それでもやはり〝つもり〟でしかないんだろうな。


「いじめで自殺する子とか、よくニュースで見るだろ? あの子たちの世界もそうだ──大人たちは自殺した子を見て、憐れんで〝未来があるのに〟と言うだろう? 無茶を言うなって話だ──その子たちにとっての世界は〝家〟と〝学校〟しかないんだからな」


 ──狭い世界で、どうやって未来を臨めというのか。……そう言ってエセメガネ先生は少しつらそうに眉を顰める。

 ……確かに、世界が狭いと逃げる場所がたくさんあるということを知ることさえできない。その発想さえできない。〝警察に頼ればよかったのに〟とか、〝児童相談所に行けばいいのに〟とかなんて、後からいくらでも言える無責任な言葉だ。その時の子どもには、それしかないのに、どう思い付けというのか。

 ──ワタシも、そうだったからこれについてはよくわかる。頼れると思った人が頼れないと分かるとなおのこと、世界が閉ざされたような感覚に陥るのだ。


 絶望しか、なくなる。


「そういやお前ら、将来の夢の宿題やってきたか?」

「いちお~ありますけどぉ」


 提出日は夏休み明けだからまだ出さなくてもいいんだけど、みんな既にやってきたらしい。ワタシ以外の四人からプリントを受け取ったエセメガネ先生は軽く目を通してなるほどねぇ、と顎を撫ぜる。


「由良、お前一応学校への提出物なんだから〝玉の輿〟って本音は胸の内に仕舞っておきなさい」

「えぇ~」

「大王、警察になりたいっていう夢はいいんだが、その理由が〝悪いヤツを合法的に殴れるから〟というのはダメだ。アウトです」

「大王ゆーな。特に理由思い浮かばないんだよなぁ~」

「そこはまあ、わかる。まだ決まりきってないうちは難しいだろうが、体面を繕うっていうことも今のうちに覚えとけ」

「めんどくせぇ」

「坂口、サッカー選手になるための道、あとで先生と話し合おうな」

「うっす!!」

「庵は公務員……と、いうのは分かるんだが、公務員と言っても色々あるぞ? どんな仕事をしたいか、そういった展望はあるか?」

「いや、それは特に……安定していればそれでいいですし……」

「いやあ、公務員だから安定してるとも言えんぞ?」


 エセメガネ先生は苦笑しながらそう言うとプリントをそれぞれに返し、腕を組んで軽く唸りながら説明してくれた。

 公務員とひとくちに言っても国家公務員と地方公務員とでは大きな差があるし、地方公務員でも事務から土木建築に清掃と多岐に渡るらしい。そして業種によって給与の差、仕事量の差、負担の差も大きいそうだ。エセメガネ先生のような教師でも学校によって大きく左右されるらしく、例えば都市部の人口が多い学校なんかだと毎日深夜まで残業は当たり前だし、土日も部活動のために潰れるのだという。


「忙しい役所だとサービス残業で潰れる新人も多いんだ。クレーム対応で心身を病む人間も少なくはない。公務員を目指すのは構わない。むしろ親御さんからしたら最適な答えだろう。だが、自分のやりたいことを探すことも忘れるなよ?」


 まだまだ人生これから、色々やって考えていけ──そんな、先生らしいことをらしくもなく言ってエセメガネ先生は笑う。

 いおりんはやっぱり、何も言い返すことなくむっつりと仏頂面でいるだけだった。だけど──いおりんとて、中二病ではあるけど別に悪いヤツじゃない。たぶん、ワタシの言ったことも──先生の言ったことも、分かっているだろう。

 分かっているけれど、どう応えればいいのか分からないだけだ。

 うむ、悩め悩め青少年よ。ワタシも悩むから。


「黒錆はまだ決まってない感じか?」

「うん。何になりたいのか、何をしたいのかよくわかんない」


 特技はある。でもそれを仕事にしたいとは思わない。

 好きなことはある。でもそれを職業にしたいとは思わない。

 もったいないと人は言うのかもしれないけれど、思えないのは思えないのだから仕方がない。


「まー、ゆっくり考えとけ。別に今決めなきゃならんってわけじゃないし、思い付かなかったら思いつかなかったでいいから適当に書いとけ。これ、校長に出さなきゃなんねぇんだよ」

「はーい」


 この適当さがエセメガネ先生のいいところである。熱血すぎなくクールすぎなく、程よい具合に適当。これが一番しっくりくる。だからエセメガネ先生は慕われているんだと思う。地味メガネだけど。


「みんな、これ食べたらサッカーするっすよ!」

「暑いからパス」「オレも」「うちも」「俺もごめんだ」「悪いな、先生もパスだ」


 いや、先生そこは付き合ってやれ。


「え~!! サッカー楽しいっすよ!」

「ワタシか弱いし」「オレひ弱だし」「うち可愛いし?」「…………」「先生イケメンだし?」


 いおりんアウトー、サッカー参加。


「!? 待て! なんでそうなる!!」

「答えられなかったから」

「そんなルールだったか!? 聞いてないぞ!!」


 今決めた。さあ、坊主と汗臭く青春してこい。


 ──君に足りないのは汗臭さだ(たぶん)



 【社会性】



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