【もろみ食堂のなついろまかない】
【もろみ食堂のなついろまかない】
傷ついた犬。
血塗れの狼。
無表情な兎。
艶やかな猫。
何もない人。
飛べない梟。
怯えてる虎。
ピエロな猿。
汚れてる熊。
潰れてる鼠。
さいはて荘のエントランスに飾られている巨大なキャンパスの下に陳列されている、十体のぬいぐるみ。
それが風のように遠ざかって行くのを眺めながらワタシはお蝶に誘拐された。
と、思ったらお蝶が踵を返してエントランスに戻り、猫のぬいぐるみを持ってワタシに押し付けてきた。
「えっ、なに?」
「いや、なんとなく。──よし、行くぞ!」
そしてまたお蝶に誘拐される。人さらいめ。
◆◇◆
もろみ食堂は十一時から十四時までのランチ時間帯と、十六時から二十時までのディナー時間帯に営業している。ちなみに隣にある元王様のパン屋さんは十時から十八時まで営業している。
お蝶の仕事は朝、食材の買い出しに行くことから始まる。開店祝いにと社長がプレゼントしてくれた赤と白のコントラストがお洒落な軽ワゴン車を乗り回してスーパーで必要食材を買い込む。食材によっては業者と契約を結んで定期的に運んでもらうらしいけど。
そうして買い込んだ食材で開店前に仕込む。基本的には汁ものやカレー・シチュー類などをあらかじめ作っておくらしい。
「お前らの仕事は注文を受けて、それをアタシにちゃんと伝えること。お客さんが食べ終わったらお皿を下げてテーブルを拭く。とりあえずまずはこれらをやってみろ」
「はーい」「はぁい」「うっす」
シチューを煮込みながら仕事内容について説明してくるお蝶にワタシとゆゆ、大王は揃って返事をする。
──そう。ワタシだけ職業体験するのもなんだから、ゆゆと大王も巻き込んだのである。本来なら学習指導要領に則って学校が色々調整した上で職業体験を進めていかないとだめらしいけど、まあなんか社長も知ってるらしいから社長がどうにかしてくれるでしょ。困った時の社長である。俺様何様イヤミ野郎だけど、何だかんださいはて荘のみんなのためにあれこれ動いてくれているいいヤツなのだ。
俺様何様イヤミ野郎だけどね!
「こんなもんか。よしお前ら、どういう流れで動けばいいかひと通り教えていくから分からないことあったら聞けよー。何回でも教えてやっからな!」
仕込みを終えて鍋に蓋をしたお蝶がそう言いながら胸を張ってにかっと笑う。その拍子にエプロンにプリントされている〝もろみ食堂〟の文字が胸に持ち上げられる。いいなぁ、大きいおっぱい。
──ちなみにワタシたちは家庭科で使うエプロン着用なうである。そう、割烹着である。頭装備だけはかろうじておしゃれな三角頭巾にしてあるけど! ちなみにワタシの三角頭巾はワタシ手製の呪い頭巾である。装備するとほんの少しだけ体が軽くなる優れものである。ありえない? ありえるよ。だってワタシは魔女だから。
「おっと、そろそろ開店時間だな。大王、表のプレート引っ繰り返して立て看板も出してくれ」
説明を受けながら店内での動きをシミュレーションしているうちにいつの間にか十一時になっていたらしい。大王が大王ゆーな、と言いながら表に出たのを機に──〝もろみ食堂〟開店である。
緊張する。
「うはは、大丈夫大丈夫。失敗したっていいからな」
ワタシの硬い面持ちに気付いてか、お蝶が満面の笑顔でそう言ってくれた。その言葉にワタシだけでなくゆゆと、店内に戻ってきた大王も少しだけ安心したように笑う。
「おっと、早速一人目だ。おめーら、頼んだぜ」
「うん!」「はいっ」「うす!」
「いらっしゃいまし!!」「いらっしゃいませぇ~」「らっしゃい!!」
──そして見事にタイミングの合わないワタシたちの掛け声が、店内に響き渡ってお蝶を爆笑させたのであった。舌噛んだ。
「あら、バイトさん?」
「らっしゃい! ──いえいえ、職業体験に来た子たちです」
店内に入ってきた一人目のお客様は上品そうなマダムのグループであった。元国王の店に寄ってたな。手元からぶら下がっている紙袋に印字されているロゴを見なくても分かる。
「まぁ、偉いわねえ」
「ゆら子ちゃんじゃないの。職業体験なんて偉いわね~クラスメイト?」
「はぁい、同じクラスの大王ちゃんと黒錆ちゃんで~す」
ゆゆがいつものふわふわとした調子でマダムたちを席に案内した。ワタシはお盆に人数分の水を用意して運んでいく。
「貴方、見かけない子ねぇ。どこのお子さん?」
「あ、えっと……さいはて荘の……」
「ああ! ゆーちゃんとこの!」
ゆーちゃん。
ゆーちゃん……ユリウス。元国王、マダムからそう呼ばれてるのか。
「いいわねぇ、ゆーちゃんといつでも会えるなんて。もろみちゃんもあそこに住んでいるのよね」
「でもあんな辺鄙なところに住むなんて無理だわ~」
「本当ね。とっても不便じゃない?」
マダムにそう問われてワタシはえっと、と思わず口ごもってしまう。中学校に通い始めて数ヶ月──人間嫌いで、人間と関わることに恐怖を覚えていたワタシでもゆゆや大王というともだちができるくらいには社交的になれた。でも、やっぱり怖い。
──さいはて荘のみんな以外はやっぱり、怖い。
「おねえさ~ん、職業体験職業体験」
「あら! いやだ、ごめんなさいねぇ。職業体験の邪魔しちゃ悪いわね」
どもっていると背後からお蝶が朗らかな声でそう声掛けてくれて、マダムたちは思い出したように注文をし始めてくれた。
慣れない手つきで注文の内容をメモしながら口頭でも若干どもりつつ注文内容を繰り返す。
「頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
注文を受け終えたワタシはいそいそとお蝶の元に戻って、内容を伝える。
「了解。──お疲れさん、よくできたな。えらいえらい」
「ん……やっぱり、難しいね」
──他人と喋るのは。
ゆゆと大王と初めて出会った時もワタシは警戒しっぱなしの緊張しっぱなしで、うまく話せなかった。ゆゆと大王、それに坊主やいおりん──彼らは小さい頃からこの町で一緒に育ってきた幼馴染同士とかでものすごく仲が良くて、そこに部外者であるワタシが加わった形だったからなおのこと──警戒しきっていた。
他人が、怖かった。
──紆余曲折を経て今ではすっかり仲良くなったし、ワタシのみんなに対する呼称がみんなの間で定着しちゃうくらいには馴染んだけれど。
「黒錆ちん、また客が来た。オレが水運ぶから案内頼む」
「おっけ」
昼飯時だからか、お客さんはその後も途切れることなく次から次へとやってきた。最初はワタシたちを物珍しげに見るお客さんの目もあって戸惑いの色が強かったが、回数を重ねていくうちに慣れてスムーズに接客できるようになっていった。
「AセットおひとつとBセットおひとつですね、畏まりました」
他人が苦手なワタシも回数を重ねていると──と、いうかこの忙しさだとさすがに気にならなくなってきた。ゆゆと大王もはきはきと笑顔でお客さんたちの対応をしている。
「反乱軍セットできたぞー!」
「はーい!」
お蝶が出してきたおにぎりと味噌汁をお盆に載せてお客さんのところに運んでいく。反乱軍セットを頼む奇特な人間なんてワタシだけだとゆゆは言っていたけど、案外多くて嬉しい。
「反乱軍セットをお持ちしました」
「おう、ありがとうな嬢ちゃん。えらいな~、まだちっこいのに」
──と、おじいさんがワタシの頭を撫でようと手を伸ばしてきたのを見てワタシは思わずビクッと肩を震わせた。
その拍子にお盆が揺れて、あっと思った時には味噌汁が零れてしまっていた。
やってしまった。
「あっ──」
「はいはーい、すみませんね~今、新しいのをお持ちするんで。──大丈夫か? 火傷は……してねぇようだな。ならよし」
「あ~、驚かせたかねぇ。すまんの、嬢ちゃん」
「いえ、こちらこそすみませんでした」
零れてしまった味噌汁が広がっているお盆を手にしたまま、頭を下げる。やってしまった。やってしまった──けど、無理だ。あれは、無理だ。
怖い。やっぱり──他人は怖い。
「てかじーちゃん、年頃の女の子を撫でるのはだめだっての~このご時世、なおさらな~」
「いや、悪い悪い……もろみちゃんの言う通りだ。ほんと悪いね、嬢ちゃん」
「いいえ、どうかお気になさらず……」
「いや、そこは気にしてもらわねーとな~。な~、じーさん」
お蝶はそう言ってワタシの手からお盆を取り上げてにかっと笑う。そのお客さんに対する台詞とは思えぬ言葉に、けれどおじいさんは怒ることなく同意して笑った。
「もろみちゃんの言う通りだ。驚かせてすまんね、嬢ちゃん」
「あ、いえ……えっと」
「気にする暇あったら運べ運べ。おらおら動け」
そうやってお蝶に急かされ、新しいおにぎりと味噌汁をお盆に載せたワタシは改めておじいさんのところに運び、また頭を下げる。
「気にせんでええよ。もろみちゃんも言ってたろ? わしも悪い。失敗させてすまんかったね~」
おじいさんはにこやかな笑顔を浮かべながら味噌汁を啜って、おいしいおいしいと零す。その朗らかな笑顔に少しだけ落ち込んでいた気持ちが持ち上がり、ワタシはほんの少しだけ微笑んだ。
「黒錆ちゃん、だいじょうぶ?」
おじいさんから離れて厨房に戻ってきたワタシにゆゆが心配そうな顔で話しかけてきた。それにワタシは笑顔を向ける。
「大丈夫。やっちゃった」
「黒錆ちん、大人苦手だよな。オレたちの前でも最初は借りてきた猫状態だったけど、大人の前だとさらに酷いよな」
「うん。どうしてもね~」
やっぱり他人は怖い。
さいはて荘のみんなは心の底から信じられるし、安心できるし、胸が詰まって泣きたくなるほどに心安らぐけれど──さいはて荘のみんな以外の大人の前に立つとどうしてもダメだ。
思い出して、しまう。
──アレらのことを。
「はいはい、喋ってねーで仕事仕事! おらおら動け~」
ワタシたち三人の頭をお蝶がべしべしと鍋つかみで叩いてきて、ワタシたちははーいと返事しながら再び仕事に戻った。
お昼時のピークは十三時を少し過ぎるまで続き、ワタシたちは次から次へとやってくるお客さんにてんてこ舞いし続けた。とは言っても、ワタシたちが慣れないから手間取っているだけで普段はお蝶がひとりで十分回せるような客数なんだろうけど。
「お疲れさん、そろそろ客も減ってきたからお前ら、昼飯食え」
元国王目当てにやってきたのであろうママさん集団を見送ってほっと一息ついているとお蝶がそんなことを言いながらテーブルにどんぶりをみっつ、並べた。まだ店内にお客さんがいるのにいいのかと思ったが、きゅうと盛大に腹が鳴ってお客さんたちに笑われてしまい、ワタシは恥ずかしい思いをしつつ大人しく席に座るのであった。
「わ~、まかないだ~」
お蝶が用意してくれたのは料理で使わなかった肉の切れ端や刺身の切れ端を贅沢に盛り付けた豪快な丼ものであった。海鮮丼っぽいけれどステーキ肉の切れ端っぽいのもたっぷり載っている。
「いただきますっ」「ます~」「ますっ」
三人揃って手を合わせてから、かぶりつくようにどんぶりを掻き込んだ。ずっと動きっぱなしでお腹減ってたんだもん、多少の行儀の悪さは勘弁してほしい。
「ふわ、つめた~い、おいし~い!」
刺身の切れ端はもちろんのこと、ステーキ肉の切れ端っぽいのもよく冷えてて火照った体によく染み込んだ。馬刺し、あれに近いかな。でも牛肉ステーキだ。
「牛赤身肉の表面を焼いたやつをボイルする感じでまた焼いて、それにタレに絡めて一晩冷蔵庫で寝かせたやつなんだ」
「おいしい~。ものすごくじゅうしぃ~」
「確かにすっげーうまい。でもこれ、メニューにないですよね?」
「ああ。冷製ステーキはうまいっちゃうまいんだが、冷たい肉ってのはあまり人気なくてなぁ。一晩寝かせた牛赤身肉は煮込み料理に使ってる」
「へぇ~、なんか得した気分」
肉の切れ端と刺身の切れ端しか使っていないまかないだけれど、まかないだからこそお客さんに出すメニューとは違うものを作れるって感じだな。ああ、おいしい。
「まさに夏! などんぶりだよな」
「そうだねぇ~このどんぶりに名前付けるとしたらなに? 黒錆ちゃん」
「えっワタシ?」
「黒錆ちん、そういう名前付けるの得意だもんな~。オレらのあだ名だって黒錆ちん命名だし。大王は減点だけどな」
う~む、確かにワタシが中学校に行くまでゆゆと大王はお互いのことを普通に名前で呼んでたし、男子どももそうだった。ワタシが適当に名付けた通称がいつの間にか浸透したのはいつだったか……。
「ん~……ここはシンプルに〝夏色まかない〟でいいんじゃないのかな~」
冷たいお肉に冷たいお刺身がたっぷりのどんぶり。まさに夏色って感じの、夏バテ対策にも良さそうな夏のメニューである。
「もろみちゃん、〝夏色まかない〟実装よろしく!」
「ふぁ?」
唐突に店内で談笑しつつ遅い昼食を取っていたおじさんのグループからそんな声が上がってきてワタシは目を丸くした。
「あーん? 一万円取るぞおら」
「お小遣い一瞬で溶けちまうよ、勘弁してくれよもろみちゃん~あのまかない、すっげー美味しそうだからさ」
「そうそう。あのちみっ子、むっちゃうまそうに食べるから気になって」
……ちみっ子ってワタシか? いや、確かに小さいけど! ゆゆや大王に比べるとどうしても貧相だけど!!
「そこまで言うなら考えてみっかぁ~」
「頼むよ~」
おじさんたちとお蝶は軽い口調ながらも楽しそうにそんなやりとりを交わす。姐御と呼びたくなるほどのお蝶の豪快さはさいはて荘の外でも発揮されていて、それがこの町の人たちにはたいそうウケている。常連が多いことからもお蝶の慕われやすさは分かる。
──すごいなぁ。本当に、すごい。何がすごいって、その〝距離感〟である。
今日のお客さんの中には新規のお客さんも何人かいた。そのお客さんに対しては一歩引いたところから丁寧に、穏やかで親しみやすい口調で話しかけていた。けれど長く通っているのであろう常連さんに対してはおじさんたちに対するのと同じような感じで砕けた口調で話しかけている。とか言って同じ常連さんでもマダムとかおばあさんとかに対しては乱暴な口調は控えている。
──絶妙なのだ。お蝶の、他人との〝距離感〟が。
すごいなぁと、お蝶を見てまた思う。
◆◇◆
「はい、お疲れさーん。よく頑張ったな~」
職業体験はランチ時間帯の十四時までということになっていて、一旦閉店のプレートを掲げたお客さんのいない店内でお蝶はワタシたちを労るように笑う。
「おめーらがいてくれたおかげでだいぶ楽だったよ。お前らが中学生じゃなきゃ普通にバイトとして雇いたかったところだ」
「あんなおいしいまかないを食べられるならバイトしてもいいかもぉ~」
「それな。マジでうまかった」
「うはは、あのおっさんどもも言ってたし、メニューに加えるつもりだよ。だからまた食べに来いな」
「うん。いい経験になったよ、ありがとお蝶」
たった数時間の職業体験だったけど……本当に、色々経験になった。一番の収穫はお蝶の〝距離感〟かな。あれは勉強になる。特に、他人が苦手なワタシには。
「……そうだお蝶、せっかくだし聞きたいんだけど」
お蝶に何故か持たされてここまで持ってきてしまった猫のぬいぐるみを膝に載せて弄びつつお蝶にそう問えばなんだ、と笑顔でワタシの言葉の先を促してくれた。相槌を打つだけじゃなくこちらが話しやすいようにクッションを挟む、そのテクニックもお蝶ならではなんだろうなぁ。本当に、学ぶところが多い。
「──〝将来〟に必要なものって何だと思う?」
ゆゆは言った。適当に就職して結婚できればいいと。
大王は言った。かっこいいから婦警になってみたいと。
坊主は言った。サッカー選手になってプロ入りしたいと。
いおりんは言った。夢を見ていないで現実をしっかり見ろと。
「〝関係性〟だな」
お蝶は、言った。
「かんけいせい……」
「どんな仕事だってな、関係性がモノを言うのさ。アタシとお客さんの関係。アタシと元国王の関係。アタシと業者の関係。それだけじゃねぇ、アタシの使う食材を作る農家や酪農家との関係。他の飲食店との関係。自治会との関係。学校や会社、商店との関係──定食屋ひとつでも生まれる関係性は多岐に渡る」
関係性。
家族関係。友人関係。隣人関係。師弟関係。ワタシにも色んな人との関係性がある。さいはて荘、豹南中学校、豹南町……ワタシの行動範囲なんてこのくらいしかないけど、それでもたくさんの関係性がある。
「例えば大家さんのような絵本作家でもな、絵を描くだけで終わりにはならねぇ。編集者だったり出版社だったり、色んな人間との関係が必要とされる」
うん、確かに。
あの爺でさえもさいはて荘のみんなとの関係性だけは持っている。どんな人間にだって──生きていく以上は何らかの関係性を持つことになる。それが仕事となれば、なおのこと。
「だからな、将来どんな仕事をしたいかの関係なしに築いた〝関係性〟は大切にしていけ。それはいつか必ずおめーらの役に立つ」
でもな、とお蝶は真面目な面持ちでワタシたちをまっすぐ見据える。
「〝関係性〟が大切だからってどんな人間とでも関係性を持とうとはするな」
「えっとぉ……悪い人とは関わるなとか、そういうことですかぁ?」
「それもあるけどな──お前ら、〝お客様は神様です〟って言葉、知ってるだろ?」
「うん」
お店に来て、お金を払ってくれるお客様は神様だと思え、ってことだよね。無理な業務を強いるブラックなところの上司とか、クレーマー気質なお客さんとかが使う常套句なイメージだけど。
神様は神様でも貧乏神的な。
「ありゃな、実は意味が違うんだよ」
「え?」
「元々は三波春夫っていう歌手が言い出したことなんだがな──お客様は神様だから敬えとか、何をされても逆らうなとか、そういう意味で言った言葉じゃねぇんだ」
お客様は神様です。
──そもそもこのフレーズすら、後付けのものらしい。
歌う時には神前で祈る時のように雑念を払い、まっさらな心にならなければならない。──その覚悟を歌を楽しみに訪れてきたお客さんに向けて謳ったものであったそうだ。
「お互いの〝関係性〟が成り立ってこそ通る言葉なんだよ。一方的な関係性じゃあねぇ、お互いにお互いを尊重し、大切にしているからこそ成り立つんだ」
相互関係性。
──それが成り立たない相手とは関係性を持つな、そうお蝶は言って口を吊り上げた。
「悪人だけじゃねぇ、世の中には他人を尊重できない人間ってのがいるからな。魔女はそこんとこよく分かってるし大丈夫だろうが──ゆゆに大王、おめーらもよく覚えとけよ」
そして、お前らも他人を尊重できない人間にだけはなるな。
──そう言ってお蝶は、笑顔ながらも真摯な眼差しでワタシたちを見据えた。そのまっすぐな視線にワタシたちはこくりと頷く。
他人との関係性。
他人との距離感。
──きっと、お蝶が言いたいのはそれだけじゃない。
自分自身との関係性。
自分自身との距離感。
〝自分〟という人間をいかに失わず、そして〝他人〟という人間をいかに見つめられるか。その、関係性。
──かつて自分を見失い、けれど大家さんに見つけてもらえたお蝶だからこそ言える言葉で、染みる言葉だ。
──しっかり、心に刻み込んでおこう。
【関係性】




