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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・春
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【清白と書いてすずしろと読む】




清白(せいはく)と書いてすずしろと読む】




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 ワタシの部屋の押入れの下段にある九体のぬいぐるみ。


「お~い、魔女いるか~」

「!」


 お蝶の声だ。

 いると答えれば入ってもいいかという問いもなくがちゃりとドアを開けてお蝶がずかずかと入り込んできた。別にいいけどさ。

 と、その時ふわりと煮魚のような香ばしい匂いが香ってきて無意識のうちに涎が口内に溜まる。


「何か持ってきたの?」

「ぶり大根だよ。大家さんに持ってったんだけどな~……いなくてさ」


 小ぶりの鍋を手に部屋に上がり込んできたお蝶はそう言いながら机に放置してあった雑誌の上に置いた。まだ途中までしか読んでなかったんだけど。別にいいけどさ。


「大家さんはさっき元軍人と一緒に買い物行った」

「お~お~、相変わらずお熱いこって」

「今のところ元軍人が一方的につきまとってるだけだけどね」


 さっさとプロポーズなりなんなりすればいいのに。


 それはともかく。

 ぶり大根を食べてもいいのかってお蝶に問えばおう食え食え、と返されたので遠慮なくキッチンからお箸やお椀を取り出して持ってくる。基本、大家さんとこで食べるからろくなものないけど一応最低限程度はある。


「どうしたのこれ?」

「作りすぎてな~」

「え? お蝶料理できたの?」

「失礼な。これでも料理得意だぜ~?」


 意外だ。

 夜の蝶モードのお蝶はとんでもなく妖艶で男を手玉に転がすような狡猾さを持ち備えている悪女って感じだけど、さいはて荘でのオフモードお蝶ははっきり言って、ズボラである。快活が服を着たような、と言えば聞こえはいいけれど要はズボラなのだ。共用の浴場から上がった後ブラとパンツだけでぶらぶら庭歩くし。痴女である。


「料理好きだからな。アタシ、定食屋開くのが夢なんだ」

「えっ、そうなの?」

「おう。──冷める前に食べろよ」


 そう言われてワタシはいそいそとぶり大根をお椀によそって口に運ぶ。まずはぶりのあらを。骨にそのままかぶりついて辛うじて残っている身を軽く啜る。ほろりと身が簡単に溶けて骨から外れ、身によく染み込んだ煮汁と一緒に口の中を旨味で一気に満たした。


 おいしい。


「なにこれおいしい。えっ、おいしいんだけど。これ本当にお蝶が作ったの?」

「そう言ってるだろ? アタシのこと見直したか~?」


 からからと快活に笑ったお蝶にワタシは視線を向けつつ、さらに大根にもお箸を伸ばした。

 煮汁とぶりの旨味がぎっしりと染み込んで焦がし飴のようにとろとろとした茶色になっている半月切りの大根は口の中でやはりほろほろと簡単に溶け、大根特有の甘みが煮汁のおかげでよりいっそう引き立って香ってくるのが分かった。


 おいしい。


「なんか腹立つ」

「なんでだよ」


 ちくしょう、箸が止まらない。

 ぱくぱくと次から次へとぶり大根を口に運んでいるワタシにお蝶は嬉しそうに目を細めて笑う。むきー。


「ってか、気になってたんだがありゃ何だ?」


 ふいにお蝶にそう言われて視線を逸らせば押入れの下段の、九体のぬいぐるみがあった。

 ああ、と何でもないことのようにワタシはさいはて荘の住人をイメージして作ったぬいぐるみだと答える。


「アタシたちを? へぇ……とりあえずあのクマは絶対元国王だろ」

「うん」

「で、猿は元王子。犬は……大家さんか? その隣のは狼だよな? じゃあ元軍人だ」

「そのとーり」

「虎は社長として……あののっぺらぼうの球体関節人形もどきはなっちゃんか? 結構よく表現できてんな」

「そお?」

「残りは兎と猫……アタシと元巫女だよな?」

「兎が元巫女で、猫がお蝶だよ」


 ワタシの答えにお蝶はほーん、と頷きながら猫のぬいぐるみに手を伸ばした。ロシアンブルーの体型をイメージして作ったスタイリッシュな、妖艶な猫のぬいぐるみ。


「こういうの作るのが好きなのか?」

「別に。呪うために必要だっただけ」


 そう、呪うためにね。

 ──(まじな)うためだよ?


「その割には被害受けてるの爺さんだけだよな」

「呪ってほしかったらいつでも言ってね」

「おう。一生頼まねェ」


 そこでふと、ワタシはお蝶の顔をしげしげと見る。


「ん? 何だ? アタシに見惚れたか?」

「別に。何でさいはて荘に来たのかなあって」

「そこはせめてお世辞言ってくれよ。──さいはて荘か」


 ここははっきり言って、いい住処とは言えない。

 町まで自転車で三十分という山と畑と車が一台ギリギリ通れるくらいのあぜ道しかないど田舎である上に、アパート自体もオンボロ。四畳半しかない和室と貧相なキッチン、一応近代化の波に乗って洋式なトイレ──風呂はない。外に共用の浴場があるから男女交代で時間を決めて入っている。洗濯機も共用。

 今時なかなか見ないオンボロっぷりである。家賃は鬼安いらしいけど(ワタシは払ってないからそのあたり知らない。小学生だもーん)、その鬼安さに見合ったオンボロさと不便さなのだ。


 お蝶のような稼ぎ盛りの美女がこんなアパートに住むなんてあまりイメージできない。都内の少しお洒落なマンションでヒモ男と暮らしてるイメージ。

 それなのにお蝶はわざわざここに住んで、ここから三十分ほど自転車を走らせて電車に乗り込み、都市部まで向かうという非常に不便な暮らしをしている。


「アタシな、定食屋を開くのが夢だって言っただろ?」

「うん」

「それを思い出させてくれたのが大家さんだったんだよ」


 懐かしむように、何かを愛おしむように緩やかに微笑みながらお蝶はぽつりぽつりと語ってくれた。

 元々お蝶は父親と二人暮らしで、夜の蝶として働き始めたのは父親の借金を返すためだったという。


「中学を卒業した後から働いてたよ。違法だよな違法。でも何よりも自分の娘にやらせる親父がやべェよな」

「お母さんは?」

「お前くらいの時に死んじまったよ。母さんは優しくて料理が上手でな、料理は母さんに教わったんだ」


 ワタシくらいっていうと……小学二年生? 五年生? 体型の方なのか実年齢の方なのか分からん。


「ワタシ十一だけど……」

「えっマジで? 二桁いってねェと思ってた」


 やっぱりか。貧相だしねワタシ。


「二桁いってないのに料理教わってたの? すごいね」

「まあ基本中の基本だけだったけどな。やってることはガキの手伝いだ──でも、その基本中の基本がなけりゃ母さんの味は再現できなかったな」

「あ、じゃあこのぶり大根も……」

「おう。母さんの味だよ。母さんが死んだ後、料理はアタシがするようになったんだ。……やらされたって方が正しいけどな」


 お蝶のお父さんはいわゆる典型的なDV父親であったらしい。母親をこきつかい、母親が使い物にならなくなれば娘もこきつかうようになり──果てには娘が働ける年齢になれば夜の店で働かせた。


 逃げなかったのか、と問うたワタシにお蝶は誰も助けてくれなかった、と答えた。


「ガキの頃はそれが異常だって気付かなかったけどな……中学に上がる頃にはそれが虐待だと気付いて、教師や児相に相談したよ。でも、誰も助けてくれなかった」


 お蝶の話を聞いた担任の教師は父親に電話し、真実かどうか確認したらしい。お蝶から言われたこと全て、包み隠すことせず父親に話して。

 当然──父親は子どもの戯言であると担任に話し、真摯な態度で迷惑をかけたことを謝罪した。その真面目で明朗な父親の態度に担任はお蝶の虚言であると判断し──そこで完結させてしまった。その後どうなったか?

 当然、お蝶に対する父親の虐待が激化した。それも、外には露見せぬよう巧妙に、狡猾に。

 児相の方も──電話で相談したはいいものの保護者一緒に来るよう申し付けられただけで子どもであるお蝶の言葉は聞いてくれなかったそうだ。


「誰も信じられないって、思ったね」


 ──それは、分かる。

 痛いほどに、分かる。

 苦しいほどに分かる。


 ワタシも、そうだったから。


「逃げたこともある。でも、逃げる度に警察に連れ戻されて……“ひとりで頑張って育ててくれているお父さんを困らせるな”って怒られた。色んな人間から」


 誰も信じてくれず。

 誰も助けてくれず。

 逃げ場さえ奪われ。

 そこに残ったのは、虐待する父親だけ。


「見た目と体はいいから働けって言われてな。嫌だつって逃げようとしたら犯されそうになって──」

「はっ!? ち、父親に?」

「おう。とことん最低だろ?」


 逃げても警察が連れ戻すし、誰もが外面のいい父親の言うことをを信じるが故に未成年であるお蝶は自分の身を守るために父親の言う通りになることにしたのだという。


「まー、そんなんだからスレにスレてよ。成人する頃にはすっかり腐りきって金をいかに毟り取るかしか考えていなかった。親父に渡す分さえクリアすれば後は自由にできたからな──それで遊ぶことしか考えていなかった」


 お蝶が働いている夜の店は時給制と歩合制が合わさっているようで、お蝶に男たちが貢げば貢ぐほど給料が上がっていく仕組みであるらしい。だからお蝶はどんどん稼いで稼いで、そのお金でギャンブルやホストクラブなどで遊びまくったらしい。


「何も考えていなかったよ。親父に対する憎悪以外、なーんにもなかった。状況を変えたいっていう気持ちはガキの頃に潰されてしまっていたし、覚えた遊びにハマるしかなかった」

「……それがどうして、定食屋を開く夢に繋がったの?」

「フフ。ある時な──店に大家さんが来たんだよ」

「はっ!?」


 どうやら大家さんの仕事の一環で、取材のためにキャバクラに来たらしい。

 大家さんは大家としての仕事以外に、絵本作家としての仕事もあるのだ。大家さんらしい温かくて優しい絵本を描いている。それが何で夜の店に?


「なーんか、色んな業種の人間に話を聞いているんだってことでマネージャー? 担当者? 数人と来てたよ」

「へぇ……で、お蝶がその取材を受けたんだ?」

「おう。最初はな、またこの手の質問かって思ってた。よくあるんだよ──“何故夜の店で働こうと思ったんですか?”、“夜の店で働いている自分をどう思っていますか?”、“ご両親に対してどう思いますか?”──そういうくだらねェ質問がな。だから最初は大家さんのことをうっさんくせーインタビュアーだと思ってた」


 そう言って何かを思い出したのか、お蝶は噴き出すようにくすくすと笑い出した。


「大家さんのな、アタシに聞いた最初の質問何だったと思う?」

「えっと……そう言うってことは、いつものと違ったってことだよね」

「おう。あのな──“おねえさんはなにいろがすきですか?”って聞いてきたんだよ」


 目を点にしたね──そう言ってげらげらと笑い声を上げるお蝶に、ワタシも目を点にする。わざわざ夜の店に行ってその質問? 大家さんらしいけど。


「もうびっくりしてな──思わずいつもならおっさんどもに合わせて答えているところを素で“白”って答えちまってな~……」

「白が好きなんだ」


 それは珍しいかも。お蝶って赤色とか紫色のイメージだから。

 あ、でもさいはて荘のズボラお蝶は青色や緑色のイメージかも。


「そんでなー、大家さんは“おねえさんらしいいろですね”って笑って……今度は“すきなたべものはなんですか?”ってよ」

「へぇ~……それでなんて答えたの?」

「大根って答えたよ。いつもなら可愛らしく“いちごパフェが好き~”とか答えるんだけどな」

「大根……」


 おいしいよね、ぶり大根。


「そしたらさあ、大家さん嬉しそうに笑いながら言うんだよ。“すずしろですね”って」

「すずしろ?」


清白(せいはく)と書いて清白(すずしろ)──大根の別称なんだよ」


「へぇ~」


 知らなかった。


「どっしりと構えているのにとても清らかで、どんな料理とも調和する大根はアタシの優しそうな空気にぴったりだって笑ってた」

「…………」


 うん、その通りだ。

 お蝶はいつだってどっしりと構えている姐御肌な人だ。誰とでも仲良くなれるし、誰かを傷付けるような人間じゃない。初対面なのにすごいな大家さん。ワタシなんて初めて会った時は金髪のいかにもヤンキーな感じにビビったのに。


「気付いたら……大家さんに色んなことを話していた。大家さんの気遣いだろうなーそのテーブルはいつの間にか大家さんとアタシのふたりだけになっててなー、母親の料理だとか親父のことだとか全部ブチ撒けちまった」


 ──誰も信じられなくなってても。

 ──何もかもどうでもよくなってても。

 ──やっぱり、誰かに聞いてほしかったし助けてほしかったんだろうなぁ。


 そう言ったお蝶に、ワタシはゆるりと頷く。

 ワタシも、そうだった。

 大家さんに──助けてほしくて、縋った。


「大家さんはアタシと母親のことを色々突っ込んで聞いてくれてなぁ……その過程で思い出したんだよ。そういえばごはんを作るお店をするのが夢だった、ってな」


 お母さんのおいしい料理を作れるようになったらお店を開いてみんなに作る!

 そしてみんなをおいしい料理で笑顔にする!


 そんな夢を思い出したお蝶は──そこで限界だったという。

 もう父親の元にいたくないと、気付けば大家さんに縋っていたらしい。

 成人したばかりで社会のいろはをろくに知らぬお蝶に、大家さんは何の迷いも躊躇いもなく手を差し伸べてくれたのだそうだ。


 ──ワタシの時と同じように。


「そんでさいはて荘に来たというわけだ。夜の店は稼ぎがいいんでね、親父に渡すのはやめたけどまだ続けている。お金が溜まったら店を開くつもりだよ」


 そう言って満面の笑顔を浮かべるお蝶は──どんな夜のネオンよりも輝いて見えた。


「お父さんはどうなったの?」

「いやぁ、それがアタシもよく知らねぇんだよな……社長が何かしたっぽい」


 ──また社長か!

 あの人何なんだ。ワタシの時もそうだったけど、いつも大家さんの裏で社長が暗躍している。裏ボスか、裏ボスなのか。ちなみに表ボスは元軍人。

 大家さん最強じゃん。


「ま、そーいうわけでアタシは大家さんの誘いに乗って遠慮なくずかずかさいはて荘に来たってワケだ!」

「そうなんだ。来てよかったね」

「おう、本当にな」


 だって。

 さいはて荘の住人たちは、心の底から信じられる。

 ワタシとお蝶は顔を見合わせて──笑った。



【無遠慮】




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