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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・春
29/185

【溢れると書いてあぶれると読む】




(あふ)れると書いてあぶれると読む】




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 ワタシの部屋の押入れの下段にある十体のぬいぐるみ。


 今日は恐怖に顔を引き攣らせて縮こまっている虎のぬいぐるみを手に取る。と、同時だった。


「なにをするー!!」


「今日は俺様に話を聞きたいんじゃないのか?」

「そうだけど、この状況!!」


 社長に荷物のように小脇に抱えられたワタシはじたばたと暴れる。が、生意気なことに社長の腕はびくりともしない。くそぅ。


「ひゃん!」


 しばらくワタシを小脇に抱えて歩いていたかと思えば社長の高級感溢れる車の助手席にぶち込まれた。虎のぬいぐるみがクッションになって痛くなかったけど、何をするー!!


「むがー!」

「大人しくシートベルト締めろ、ドラ猫」

「誰がドラ猫よっ!!」


 ふしゃー!!

 と、威嚇するワタシに社長はやはり鼻で笑うだけだった。むきー!!


 ◆◇◆


「──で、どこいくの?」


 畑に田んぼにあぜ道に山しか見えないど田舎の光景からどっかの高速道路っぽいところに入った車の中でワタシは社長にそう問いかける。

 社長は着けばわかる、とか言って明確な答えをくれなかった。誘拐されたって通報するぞおい。このご時世にワタシくらいの女の子連れ回すとか犯罪なんだぞ?

 まあ通報しないけどさ。


「ところで何故俺は虎なんだ?」

「え? ああ、これ」


 虎のぬいぐるみ。

 怯えている、虎。

 ──別に何か意識したわけじゃない。さいはて荘のみんなをモチーフにしたぬいぐるみを作ろうって思った時、直感で決めただけだ。


「ライオンではなく虎なのは何故だ?」

「はーん? 自分のこと百獣の王だとかでも思ってんの?」

「俺様だぞ?」

「呪うぞ」


 とことんむかつくな!! 不思議そうな顔で言うな!!


「……初めはライオンで作るつもりだったけど、なんとなくライオンよりも虎だなーって思ったの。理由なんてないよ。直感だもの」

「ふむ……まあ、ライオンのように群れるのは好まんからな。単独で狩りをする虎──的確ではある」


 かーっ!! 自分は虎に相応しいってか? けーっ!!

 まあ社長を虎に当てはめたのワタシだけどさ。


「──最近、さいはて荘の住人たちに聞いて回っているらしいな。何故さいはて荘に来たのか」

「あ、うん。もちろん強制じゃないよ」


 実際、元巫女には深く立ち入ってないしね。元王子が教えてくれたけど。


「分かってる。みな、お前が経緯を聞いてくるものだから昔を思い出して改めてさいはて荘に来てよかったと思えた──そう言っていた」

「……そうなの?」


 ……さいはて荘に来てよかったと改めて想えた、か。

 ……それはつまるところ、さいはて荘に来るまでみんな色々あったってことなんだよね。お蝶も、爺も、元王子も、元巫女も、元国王も……色々な経験を経て、色々な出会いの上にここさいはて荘に来ている。そしてみんな、さいはて荘のことを心の底から安息の地だと認めている。


 ……──それはきっと、社長も同じだ。


「社長も、さいはて荘に来てよかったと思ってる?」

「……ドラ猫の世話をさせられる羽目になったことを除けばまあおおむね」

「呪うぞ」


 全く失礼なヤツである。

 ──でもまあ、社長もさいはて荘に来てよかったとは思ってるんだね。そうじゃなかったらあんなオンボロアパートに住まないだろうけどさ。


 ──さいはて荘。


 大家さんと元軍人。お蝶と爺。元巫女と元王子。元国王と社長となっちゃん。


 ──うん、みんなのいるさいはて荘に来て……本当によかった。


「……ん? ここどこ?」


 いつの間にか高速道路から降りていて、どっかの都会の中を走っていた。高層ビルが首に痛い。人もあほみたいに多い。


「もう少しだ」


 信号機に何回か捕まって時々止まりつつも、車は高層ビル群の中を潜り抜けて──やがて開けた場所に出た。


「……川?」


 夏に行ったさいはて荘の裏山に流れる川とは比べものにならないくらい広くてゆるやかな流れの、川。川ってよりは運河って言った方がしっくりくるかもしれない。

 舗装された土手もあって、歩行者用の通路と自転車用の通路が通っていてとても広い。社長は近くの駐車場に車を停めるとさっさと降りていってしまって、ワタシも慌てて虎のぬいぐるみを抱えたまま降りる。


「社長っ」


 そう多くはないけれど人がいる土手にワタシは情けなくもビビって、社長の腰にしがみつくようにしてひっつく。社長は鬱陶しそうに見下ろしてきたけれどワタシを引き剥がすことはしなかった。


「どうしてここに来たの?」

「あそこに大きな建物が見えるだろう?」


 そう言われて視線を向ければ確かに、川から少し離れた場所に大きくて白い建物が何棟も建っていた。あれって。


「病院?」

「そうだ。そして、ここで俺は大家さんと出会った」


 そう言われてワタシは目を丸くしながら周囲を見回す。

 土手へ上がるコンクリートで舗装された味気のない階段。その一番下に今、ワタシたちはいる。ここから病院の敷地まで道が一直線に繋がっている。


「あの日はひどい雨だったな」


 そう零すように口にして社長はくっと小さく笑う。何事かと思えば社長はワタシの腕から虎のぬいぐるみを取り上げた。


「虎か。確かに、あの日の俺は猫だったな」

「……どういうこと?」


「俺様は選ばれた人間だ」


 なにいきなり。呪うぞ。


「勝利を約束された一族の嫡子として生まれ、英才教育や帝王教育の末に他の候補者どもを全て置き去りにして社長に決まった」

「ソレハスゴイデスネ」


 ……いや、本当凄いんだろうな。仕事している姿知らないけどさ……社長がとんでもないエリートだってことはわかる。裏ボスだしねさいはて荘の。


「俺様には最初から全てが用意されていた。環境も、将来も、人間関係も──何もかも全てが決まっていた」


 社長の両親も例に漏れずエリートで、息子である社長を完璧な人間に育て上げるべく社長を取り巻く環境を徹底的に整備して、管理したのだそうだ。子どものころから付き合う友人も両親によって選別されていて、自分で選んで決めたことが何ひとつとしてなかったらしい。

 会社の益になるか否か、それだけが重要で社長の情緒など親にとってはどうでもよかったようだ。いや──情緒さえも、会社の益になるようコントロールされていたのだろうと思う。


 だって社長は、無情緒すぎる。


「それで……どうしてここにいたの?」

「何のために生きているのか分からなくなったからだ」


 (あぶ)れていた──そう言って社長はどさりと階段に座り込んだ。その隣に、ワタシも座る。


(あふ)れると書いて(あぶ)れる──人間という枠から俺は溢れてしまっていた」


 食すものも、読むものも、見るものも、聞くものも、学ぶものも。

 友人も、恋人も、趣味も、服装も、髪型も、言葉も、思考さえも。

 生き方、さえも。

 何もかも全て。根こそぎ全て。ありとあらゆるもの全て。

 全て──定められていた社長は、気付けば人間という枠から(あぶ)れていたのだという。


「……爺と、似てるね」

「ああ。だが、爺は全てに無関心であれど仕事に関しては努力を怠らない人間だった。だが、俺はその努力さえもなかった。なんせ選ばれた人間だったからな」


 選ばれた人間であり。

 人間であることを否定された人間でもある。


 ──そう言って社長はふうっと大きく息を吐いた。


「社長として世界を渡り歩いていたある日、何故俺は存在しているのか分からなくなった」

「…………」


 存在理由。


 人間であれば誰しも自分の存在理由について──考える時があると思う。思春期とか、多いんじゃないかな? ワタシは死にかけている時によく考えていた。ワタシは何のために生きているのか。

 爺が齢七十にして人間関係について考え始めたように、社長も──三十を超えてようやく存在理由について考え始めたのだろう。


「それで……ここで雨に打たれていたわけ?」

「ああ。ここにいたのはたまたまだったがな……捨て猫の如く雨に打たれていたわけだ」

「そこを大家さんに、傘でも差し出されたわけだ。捨て猫の如く」


 ワタシの言葉に社長はふっと笑う。その通りらしい。


「その時の大家さんは──死にかけていた」

「…………」


 大家さんは大病を患っていて、その手術を受けた影響で今の体になったと聞いたことがある。手術を受けたのは元国王とアメリカで出会ったというタイミングだから、社長と出会った当時は──病身だったのだろう。


「ひどく顔色が悪くてな。今にも倒れそうなほど真っ白だった。それなのに──彼女は、俺に傘を差し出して笑うんだ」

「大家さんらしいね」

「ああ」


 懐かしむように目を細める社長を見上げてふと、ワタシは気になったことを問いかけてみることにした。


「社長ってさ、大家さんのこと好きなの?」


「大嫌いだ」


「えっ」


 予想してもいなかった答えにワタシはぎょっとしてしまう。大家さんにだけやたら甘くて優しい社長のことだから大家さんのこと好きで、けれど大家さんと元軍人に遠慮して身を引いているとか──そんなの考えていたのに。


「俺様の好みはもっと図太い女だ」


 あんな放っておいたらすぐ死んでしまう女は嫌いだ。

 そう言って社長は反吐が出るとでも言いたげな──心底嫌いでたまらないという、憎々しさに満ちた表情を浮かべた。


「……じゃあ、なんで」

「笑うからだ」

「……笑う?」

「傘を差し出してきた大家さんに俺は“お優しい人間のつもりか”って言った」


 ……うん、社長らしい。ひねくれてる。


「そうしたら大家さんは笑って、“人間って認めてくれてありがとう”と言ったんだ」


 ──人間として、認めてくれてありがとう……。


 ……、…………。


「その後すぐ元軍人が憤怒の形相でやってきてな。大家さんに無茶をするなって怒りながら連れ去っていった」


 ……その時から大家さんにぞっこんか。


「そこで気付いたんだ。人間扱いされたのは──初めてだってな」

「…………」


 その後社長は無意識のうちに大家さんと元軍人をストーキングしてさいはて荘まで来たそうだ。


 ──いやちょっと待て。さらっと言うな。さらっと。


「元軍人は俺の尾行に気付いていたようだが、何故か放置されていた。おかげでさいはて荘まで来れたがな……」


 その後社長の存在に驚いた大家さんに招かれて三人で夕食を一緒に食べたらしい。何だそのシチュエーション。

 そうして大家さんの病気を知った社長は俺にここまでさせておいて勝手に死ぬとか何事だ、って強引に渡米と手術を取り付けたそうだ。


 いや、展開はしょりすぎ。早すぎ。


「……もしかしたら元軍人はそうなることを期待して俺を誘い込んだのかもしれないな。堅苦しい男に見えて、狡猾だからなあの男は」

「ふぅん……」


 展開をはしょられすぎて最後の方はよく分からなかったけれど、ともあれ社長は捨て猫状態だったのを大家さんに拾われる形でさいはて荘にやってきたらしい。


 野良猫が初めての優しさに触れて戸惑う的な。


「俺はあの人が大嫌いだ」


 優しくて慈愛に満ち溢れていて、何者をも受け入れる器の大きさと懐の広さを持っていて、そのくせ自分自身の幸福に手を伸ばそうとしないあの人が大嫌いだ。

 ──そう言って舌打ちをする社長に、ワタシはなんだかおかしくなってくすりと笑ってしまう。


「何だその笑いは」

「なんでもない」


 ──社長も、同じなんだなあ。

 大家さんに──“お母さん”に、幸せになってほしくて仕方ない。

 社長にとっても大家さんが“お母さん”かどうかは微妙だけれど。大家さんの方が年下だし、“妹”? 初めての“家族”?

 ──家族。家族か、そうかもしれない。

 初めて優しくしてくれた“家族”と、ようやく手に入れることのできた“帰る家”を──社長は、守りたいんだ。


「ねえ社長」

「なんだ」

「おなかすいた」

「…………大家さんにメールしておけよ。夕食はいらんって」

「うん」


 大嫌いなの──わかるよ。

 幸せになってほしいのに。

 幸せを甘受してくれない。

 それが歯痒くて仕方ない。

 ──そうでしょ? 社長。

 幸せになってほしいよね。

 幸せを、くれたからこそ。



【無情緒】




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