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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・春
25/185

【辛いと書いてつらいと読む】




(から)いと書いてつらいと読む】




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 ワタシの部屋の押入れの下段にある十体のぬいぐるみ。


 その中から他のぬいぐるみに比べてひとまわりほど大きい、熊のぬいぐるみを胸に抱え込んだ。泥を模した布でめちゃくちゃに縫われた、泥だらけの汚れている熊のぬいぐるみ。


「からい」


 三階三〇二号室──元国王の部屋。

 そこでワタシは熊のぬいぐるみを隣に置いて、カレーパンを頬張っていた。むちゃくちゃ辛いカレーパンを。


「あ~、魔女くんにはやっぱり辛すぎるかぁ~」

「おいしいけどね」


 元国王が新しく店に出したいと作った新作カレーパン。牛肉がごろごろと詰まったボリュームたっぷりのカレーパン。とってもおいしいのだけれど──正直、辛い。すごく辛い。


「はい、ラッシー」


 ことりと机に置かれた白い飲み物にワタシは首を傾げる。牛乳……ではない。カルピスっぽいけど……ラッシーって?


「インドのヨーグルト飲料だって思えばいいよ~」


 カレー屋やインド料理店なんかに置いてあるインドの飲み物で、辛いものと相性がいいらしい。確かに甘い香りがしていて、辛いカレーで舌を痛くしている今のワタシには魅力的に見える。

 遠慮なくラッシーに手を伸ばしてこくりと一口、飲んでみる。とろっとしたスムージー状のヨーグルトのようなさっぱりとした味わいがワタシの口内を満たしている辛みを取り除いてくれる。おいしい。


「うわ、おいしい。この飲み物おいしい」

「それはよかった~」

「ねえ、カレーパンとこのドリンクをセットにすればいいんじゃない? カレーパンを買ったお客さんにラッシーを勧めるみたいな」


 カレーパンは辛いけど、ラッシーと一緒ならすごくおいしく食べられる。あま~い和菓子とにが~いお茶みたいな感じで。ヨーグルトを使うなら保存は効かないだろうからその場で作って提供するドリンク的な。


「ふむ~。いいかもね~常連のおばちゃんたちにもカレーパンとラッシーを味わってもらってどうか聞いてみるよ~」

「うん。ほんとおいしいよこれ」


 カレーパンがすすむ。ラッシーもすすむ。最高の組み合わせである。


「ははは、気に入ってもらえたようで何よりだよ~。……ところでその熊のぬいぐるみ、なに?」

「これ? 元国王」

「えっぼく?」


 元国王はびっくりしたように目を点にして熊のぬいぐるみをしげしげと見つめた。


「ぼくって熊っぽいかなあ?」

「うん」


 むっちゃ熊っぽい。体おっきいし髭もっしゃだしどっか憎めない顔しているし。


「──ねえ、元国王って王族だったって元王子から聞いたけどほんとなの?」


 ほんの少しだけ逡巡したのちにワタシはそんな問いを投げかけた。ワタシの問いに元国王はほんの少しだけ目を見開いて、けれどゆるやかに微笑んでそうだよと頷いた。


「小さな国だけれどね、これでも王位についていたんだ」

「それがなんでさいはて荘に来たのか……聞いてもいい?」

「いいよ」


 元国王は柔和な笑顔を浮かべてワタシの頭を撫でる。元軍人の分厚い手ととても似ているけれど、元国王のはとても柔らかくてぽふぽふとしていて、なんだかふわふわとした気分になる。


「ぼくね~、ダメな王様だったのさ」

「……ダメな王様……独裁者とか?」

「ははは、独裁者の方が分かりやすく悪者でよかったかもねぇ」


 元国王はいわゆる“傀儡王”だったのだという。王族の血を引いて、王位についてはいたけれど実権は一切握っていなかったらしい。


「象徴……とはまた違うの?」

「天皇陛下のことだね。日本のは象徴であるって法に定められているし、国民もそう認識しているだろう? ぼくの国はね、王族が全権を握っているとされていたんだ。古い歴史が続いていて……絶対君主制の国だと認識していた。……国民はね」


 国民も、諸外国も元国王の国を絶対君主制の古い国だと認識していたがその実態はまるで違い──むしろ元国王ら王族はなにひとつとして権力を有していなかったのだという。裏にいる貴族たちに実権を握られ、言いなりになっていたのだそうだ。


「でも時代は変わっていく。君主制なんて古い制度がいつまでも続くわけがない……だからね、民主主義の隆起が起きたのさ」

「革命……ってこと?」

「そう。王族不要論が高まってね……国民だけじゃない。他の国からも民主主義に移らぬのは傲慢だってされて……ぼくは、王位を剥奪された」


 と、いうか王族そのものを撤廃されたんだよね──貴族たちに。


「えっ?」


 国民じゃなくて、貴族? 元国王を操っていた……真の支配者……だよね?


「貴族たちは自分たちの富を守ることこそが一番大切だからね~。民主主義の波に圧されてそれが崩れるのが怖かったんだろうね……自分たちがやってきたことを全部ぼくのせいにして、ぼくを引き摺り下ろしちゃったんだ」

「な……なにそれっ!! あんまりじゃないっ!!」

「…………怒ってくれてありがとね~」


 ぼふぼふ、と元国王の大きな手がワタシを落ち着かせるように頭を優しく叩く。


「でもね、ぼくだって決して褒められたもんじゃないんだよ」


 元国王は傀儡王として生きることを受け入れていて、何一つ困らない裕福な生活と引き換えに国民を見捨てたのだと語った。美しい妻たちを手に入れ、子にも恵まれ、好きなことを好きなだけできる裕福な暮らし。圧政に喘ぐ国民たちと自分の生活を比べ──元国王は迷うことなく自分の生活を選んだのだそうだ。


「だから罰だって思ってるよ。災害が起きて国民に死者が多数出た時も、ぼくは最近娶った若い妻に夢中だった」

「…………」


 ……なんというか、想像できない。

 ……お蝶の時も爺の時もそうだったけれど、今のみんなからはとても想像がつかない過去を……みんな持っている。

 元国王はとても優しくて温かくて……どこか大家さんに似ているってワタシは思っている。大家さんが無条件の愛情なら、元国王は無尽蔵の愛情だ。元国王はさいはて荘のみんなのことをすごく、すごくすごく──すっごく愛してくれている。


 だから、今元国王が語ったような過去の元国王が──信じられない。

 けれど、真実なのだろう。元国王は──嘘を吐かない。


「はは、失望させちゃったかな?」

「思うところはもちろんあるけれど、でも過去だから」


 ワタシは今の元国王を信じてるから。


 そう言ったワタシに元国王は少しだけ目を見張って──泣きそうな顔で笑った。


「ありがとう。──本当に、さいはて荘に来てよかったよ」

「……さいはて荘にはどうやって来たの?」

「王族制度が廃止されて、王位を剥奪されて一般市民に引き摺り下ろされたあと……ぼくは刑務所に入れられてね」


 独裁者にはしかるべき罰を、ということで死刑を望む声が多かったらしい。当時の奥さんたちは“望まない婚姻だった”として子どもを連れて貴族のところへ逃げるように下賜されていったのだそうだ。身分制度こそ民主主義に移り変わったことでなくなったらしいが、貴族の地位はそのままらしいからとことん腐ってるなあと思った。


「死刑にこそならなかったけれど、国外追放になっちゃってね。まあ島流しのようなものだね」

「……最近の話よね?」


 中世じゃないよね?


「他国とあまり交流を持たない小さな島国とかだと古い慣習が続いていたりするんだよ~」

「へぇ……それで元国王はどうやって日本に来たの?」

「そこは完全に偶然だね~。しばらくバイトしながら食いつないでいたんだけど……ある時ね、社長と大家さんと元軍人さんに出会ったんだよ」

「えっ? どこで?」

「アメリカだよ~。難民を受け入れる町がアメリカにはいくつかあってね~そこでどうにか生き延びていたんだ」


 ──どうやら大家さんの手術のために渡米していたところを元国王と偶然出会ったらしい。大家さんが手術のために渡米したことがあるというのは聞いたことがあるけれど……元国王と出会っていたとは。


「最初にぼくに気付いたのは社長だったんだ。“まさか王か?”ってね」


 社長は世界を飛び回っているからな~国際情勢には普通に詳しそうだ。きっと元国王の顔も知っていたんだろうな。


「ぼくもまさかぼくを知ってる人がいるなんて思わなかったからびっくりしたっけなぁ~……」

「それで……大家さんたちに誘われた感じ?」

「うん。その時大家さんは物凄く弱ってたんだけれどね……ぼくの話を社長から聞いて、大家さんはぼくに向かってこう言ったんだ」


 じゃあ今の王様は私たちとおんなじなのですね──私の友達になってくださいますか?


 今よりも呂律が回り、流暢な言葉で大家さんはそう言って顔色の悪い顔で微笑んだのだそうだ。

 そう言われて初めて自分には友達がいないことに気付いて、自分の人生がいかにハリボテであったかを痛感したらしい。


「王位を剥奪された時よりも、妻たちに置いていかれた時よりも……島流しにされて難民として暮らしていかないといけなくなったことよりも──何よりも、大家さんにそう言われた時が一番、(つら)かった」


 下から見上げられるのでもなく。

 上から見下されるわけでもなく。

 遠巻きに眺められるのとも違う。

 同じ目線で、同じ立場に立って──手を取ってくれたその瞬間が何よりも苦しかったと、元国王は語る。


 それは、わかる。ワタシだって大家さんと初めて出会った日……呼吸ができないほど苦しくなったから。だから、わかる。


(から)い、そして(つら)い……あの時ほど辛酸を舐めた日はないよ」


 屈辱だと思った。

 侮辱だと憤った。

 けれど同時にひどく安堵している自分がいて、そのことに愕然とした。

 安堵感だけでなく幸福感と解放感も覚えてしまったことに茫然とした。

 怒りよりも、縋りたい気持ちの方が強かったことに──絶望感すら覚えたと元国王は言って苦笑した。


「ぼくは大家さんの言葉に対して何も答えられなかった。でも、大家さんはそれでも笑っていた」


 その後は社長が元国王に住所の書かれた紙を押し付け、そうして三人は去っていったのだという。


「住所はさいはて荘のだった。つまり社長はぼくにチャンスをくれたんだね~。さいはて荘に来るなら受け入れてやらんでもない的な?」

「それで……日本に渡ったんだ」

「うん。頑張ったよ。必死でバイトしてお金溜めて、日本語も覚えて」


 そうしてさいはて荘にやってきた元国王を大家さんは笑顔で受け入れてくれたのだそうだ。

 それから元国王は帰化を目指して社長の協力を得ながら努力し続けて……そして今では町の小さなパン屋さんの店主という位置にいる。元国王のそんな過去を聞いてワタシははふぅ、と息を吐き出した。


「……すごいなあ」

「みんなね」


 うん。

 さいはて荘のみんなは、すごい。

 色んなことがあって、色んなものを抱えて、色んなひとと出会って、色んな想いを経てさいはて荘に集まってきた。そうして今──みんなは笑顔で暮らすことができている。

 そうなるよう努力してきたみんなは、本当にすごい。


「魔女くんももちろんすごいよ~」

「何もしてないよ」


 ワタシはただ、大家さんに助けてもらっただけだ。

 大家さんに助けを求めて、助けてもらって、それからは大家さんの庇護下で安穏に暮らしているだけだ。


「何言ってるんだい? 大家さんと元軍人さんが今、あんなに幸せそうにしているのは魔女くんがいるからだろ?」

「……え」

「そりゃ魔女くんが来る前も普通に仲良かったけどね。でも今みたいに仲睦まじくはなかったよ」


 ──そうなの?


「元軍人さんが大家さんを慈しんでいるのは元からだったけどね……大家さんも元軍人さんのことをああいう目で見るようになったのは魔女くん、君が来てからさ」


 衰弱しているワタシを助けるために大家さんが色々努力して、それを元軍人さんが支えて──その中で大家さんは自分に少しだけ自信を持てるようになったらしい。


「自分に……自信」

「知ってるだろ? 大家さんが自分のことを低く見積もっているのは」

「うん」

「仕方ないことなんだろうけどね~……だから大家さんは元軍人さんと距離を置いているところがあったんだよ。でも君が来て、君が大家さんの下でぐんぐん元気になって──君が大家さんと元軍人さんにすごく懐いて」


 だから大家さんは元軍人さんの傍にいることを申し訳なく思わなくなったんだよ。

 ──元国王のその言葉に、ワタシはなんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで複雑な表情になってしまう。ワタシの存在が潤滑油になった的な? ふたりの仲にはワタシがいなくちゃダメ的な? ……えへへ。


「だから、ね。魔女くん──」


 いっぱいふたりに甘えなさい。


 その言葉にワタシは頷いて笑顔を浮かべる。


「──大家さんには本当に、幸せになってほしいよ」


 そう言って微笑む元国王の顔にワタシはふと、違和感を覚える。

 大家さんの幸せを願っているのは元国王だけじゃない。ワタシも、元軍人も、他のさいはて荘のみんなだって願っている。けれど何だろう。


 なんだろう、元国王の笑顔。

 笑顔、それは変わらない。いつもの優しくて穏やかな、もりのくまさんのような安心する微笑み。

 けれどなんだろう──大家さんに幸せになってほしいと零した時の元国王の笑顔は。


 なんだか、壊れそうに見えた。


 今にも手のひらから零れ落ちてしまいそうな。

 今にも融けて消えてしまいそうな、儚い笑顔。

 心が千切れそうなのを笑顔で封じてるような。

 

「──元国王、もしかして」


「ん?」


「……、……なんでも……ない」


「何だい、気になるな~なんだよ~」


 子どものように唇を尖らせてくる元国王にワタシはゆるりと微笑み、その時胸に抱いた疑問は──元国王に伝えず一生奥底に仕舞っておくことに決めた。


 大家さんの、幸せのために。



【無自覚】





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