【きつねうどん】
黒錆家四人と社長で、ワタシの新生活に向けて必要なものの買い出しに行った。
大きなものは予めネットで注文して宅配を依頼して、ハンガーや食器類なんかの日用品は現地のホームセンターで買うことにして、服とかお布団とか中型ラックとかを見繕いにやってきたのである。
ワタシの好みに合わせて、シトラスオレンジ色を基調にあれこれ揃えていった。個人的にシトラスオレンジ色のふとんカバーが一番お気に入りだ。かわいい。
「お前が好きなのは赤色だろう?」
「……赤一色のどぎつい部屋にするワケないでしょ? ばーか」
ばーか。
さて、そんなこんなで買い物を終えたワタシたちはうどん屋に来ていた。社長がチョイスしたお店にしてはとても小さくて古めかしい、民家をそのままうどん屋にしましたって感じのお店だった。かけうどんなんか三百円と安い。
「懐かしいな」
「さんにんではじめてきたおみせだったねぇ」
お?
──どうやら、さいはて荘に社長が移り住んで間もないころに、三人で食べに行ったお店らしい。社長はここではじめてうどん食べたんだとか。
ああ、そっか。
コイツがきつねうどん好きなのって、そういうことか。
「きつねうどん、五人分」
「あいよー」
元軍人がきつねどんを注文して、社長はおでんを見繕いに行く。ワタシもそれについていって、やれ卵を取れやれ肉を取れやれこんにゃくを取れと言う。
「ここのうどん、そんなにおいしかったの?」
「……どうだったろうな。正直、そこまで味は覚えていない。ただ……」
ただ──
自分と一緒に食べている大家さんと元軍人の笑顔が。
そう小さく零す社長に、ワタシはつい笑顔を浮かべた。うん、社長がきつねうどんを好きになった理由、よくわかる。
ワタシがはじめて食べたのもくりごはんだったなぁ。退院したその日の夜に、さいはて荘の大家さんの部屋で出されたあのきいろい、ふわふわなごはん。あまくて、おいしくて、しあわせな味。うん、ワタシもそこまで深く味覚えてないかも。
ただ、強烈に覚えてる。
ワタシを見つめて笑う、大家さんと元軍人の姿を。
「にひひっ」
「……なんだ、不気味な鳴き声を上げて。ドラ猫からカワウソに転職か」
「どういう意味よっ!!」
フシャー!!
いやマジでどういう意味よっ! カワウソって何!? カワウソ可愛いし好きだけど!!
「マヌケ面」
「なんですってぇ!?」
フシャー!!
──と、応酬しつつおでんをモシャっている間にきつねうどんが来た。ここの店主さんは香川県から来た人らしくって、いわゆる讃岐うどんと同じように作ってるらしい。ちなみに聞いてびっくりしたのだが、地元じゃあかけうどんひと玉百五十円らしい。場所によっては五十円。それで採算取れるって香川県……。
「あっおいしー!」
讃岐うどんならお土産でもらった乾麺とかで食べたけど、それとは比べ物にならない。なんというか、うどん!! って感じ。今、ワタシはうどんをぞぞっている!! そう実感できる。できちゃうくらい、弾力も質量もある。おまけにおつゆがうまい。あっさりしているんだけど出汁がよく効いているからおいしい。
おあげの方も手作りらしくって味がぎゅっと染み込んでた。
「にーちゃ、おいしーね」
「まあまあだが悪くない」
出ましたまあまあ。思い出のお店でくらい素直になればいいのに。
「こんど、かがわけんでうどんやさんめぐりしよっか?」
「あぁ、いいな。五人で行こうか」
「…………」
社長は返事をせず、うどんをぞぞる。
でもわかる。
社長の目元がかすかに緩んで、すごく嬉しそうにしている。まったく、素直じゃないヤツである。
「じゃあワタシ、愛媛にも行きたい。みかんでしょ? 愛媛って」
蛇口をひねったらポンジュースが出てくるとか。香川県の場合うどん出汁。
「高松空港にある。うどん出汁が出てくる蛇口」
「マジか」
シャレだと思ってたのに。じゃあ愛媛にもあるのか。ポンジュースが出る蛇口。
「じゃあ飛行機で行くか。そこからレンタカーでいいだろう」
「まじょちゃんのだいがくせいかつや、しゃちょうさんのつごうもあるし……はやくてなつかな? おちょうさんのあかちゃんがうまれたあとになりそうね」
「あ~お蝶の赤ちゃん見るために絶対一回帰省しときたいわね~」
元国王とお蝶の子ども。男の子でも女の子でも美人さん間違いなしだ。
「でも、どういう性格に育つかはホント想像できないわね……」
「うゆ?」
うん、お前だよ巡。大体お前のせいでどういう子に育つのか完全に未知数だ。さすがに巡のように生後数ヶ月で立って走り回って喋り出す、なんてことはないだろうけど。
ない、わよね?
「だいじょーぶ、めーがちゃんとみてる」
「なお心配よ」
そうか、巡にとっては妹か弟ってことになるのよね。年も近いし。
……なお心配よ!!
あぁ、それにしても。
ずず、と最後に残った一本の麺を啜ってワタシは目を伏せる。麺が引き抜かれた衝撃でさざ波立つどんぶりのように、ワタシの心もさざ波立つ。いろいろ考えて、想って、耽って、また考えて──でもやはり、消えてくれない。
このさざ波だけは、消えてくれない。
──ワタシはもうすぐ、さいはて荘を出て行く。




