【黒錆彰人の場合】
【黒錆彰人の場合】
傷ついた犬。
血塗れの狼。
無表情な兎。
艶やかな猫。
何もない人。
飛べない梟。
怯えてる虎。
ピエロな猿。
汚れてる熊。
潰れてる鼠。
暴れ狂う鯱。
さいはて荘のエントランスに飾られている巨大なキャンパス。そしてその下に絵本と一緒に陳列されている、十一体のぬいぐるみ。
巡と元王子の人形劇でほつれてしまった血みどろの狼を繕いながら、畑作業に勤しむ元軍人を眺める。
「ねーちゃ! でっかいかりふらわー!」
「わっでっか!!」
人の顔ほども大きなカリフラワーを抱えてご満悦そうにしている巡に笑い、繕い終わったぬいぐるみを置いて元軍人に声をかける。
「お父さん! 今日はどんなお絵かきやるの?」
「あぁ、少し待ってなさい」
さいはて荘のみんなとのお絵かきももう七人目。社長は結局やらなかったから、あとは元軍人と大家さんだけ。
勅使河原教授に言われたのがきっかけで始めたお絵かきだったけれど、順調にたまっていくみんなの絵を入れたファイルを眺めているとつくづく、勅使河原教授の言っていたことが正しかったと染み入る。
他人を見ているようで見ていない。ワタシはさいはて荘で揉まれて育ったのもあって同年代の子たちより客観視できていると思っていた。けれどとんでもない。ワタシはワタシの気付かないうちに、自分本位の都合がいい客観視をしていた。物事を多角的に見ているようで優劣をつけたがる。
それが〝他人の絵を見ない〟という形で表出しただけのこと。ワタシはいつの間にか、自分が天才の中の天才、天災画家と呼ばれていることに驕りを覚えていた。自分がスタイルを持たないことに天狗になり、決まった画材しか使わない彼らを見下していた。
自分には尊大なところがある──そう自覚はしていたけれど、正しい形で自覚できていなかった。
性格を矯正しようとは思わないけれど、そういう自分がいることをきちんと自覚して、その上で〝驕り〟をコントロールしないといけない。
──と、まあそういうワケで今は画集を買い漁ってたりする。ワタシにとって絵画とは呪いだから、そういう意味で絵画に命を懸けていそうな画家を中心に。ベルナール・ビュフェとか香月泰男とかフィンセント・ファン・ゴッホとか。
こういうのを見ていると、〝やっぱりデジタル絵は絵じゃない〟なんて驕りが心の奥底に滲み出てくる。以前のワタシなら見て見ぬふりして、元王子の描く萌え絵も味があるとうわべだけの言葉で覆い隠していただろう。実際、そうしていたしね。
でも今のワタシは、そんな自分をちゃんと自覚できている。自認できている。そういう醜い自分がいることを、目を逸らさず直視できている。
……これも驕り、かもしれないけれど。でも、成長した……と思いたいところだ。
「筆も絵具も一切使わない。畑にあるもの何でも使っていいから、この畑を描いてみてくれ」
「なんでもー?」
「ああ。ただ野菜や果物は私に相談してくれ。腐るから絵に使えないのもあるしな」
ふむ。それはなかなか面白そうだ。
早速、巡が畑に突入して葉っぱをちぎり出した。ワタシも畑の周りをゆっくり歩いて回って、それから元軍人に使ってもいい土はあるかと聞く。
収穫を終えた畑の畝を指さされたので、そこから土を回収した。砂絵の要領で画用紙にボンドを塗りたくって土をばらまき、またその上にボンドを落として土をばらまき、を繰り返して立体感を作っていく。
枯れ葉も砕いて土にちりばめて、リアル感を出す。
さて巡はどうしてるかな? とちらっと覗きに行ったら、画用紙の上に大量の葉っぱが重ねられていた。そして本人はもう飽きたらしく、庭に出てきていた爺とおしゃべりしていた。まあこの時期、華やかなお花とかもないしねぇ。
巡にもうやらないことを確認して、巡が集めた葉っぱの山をもらうことにした。とりあえず、まずはトウモロコシの衣部分らしい葉っぱを縦に割いて細かい繊維を集める。小さいもじゃもじゃ毛玉にしたら、緑色の葉っぱで包み込んで──キャベツあるいはレタスの完成。カリフラワーに見えなくもない。これをいくつも作って、土で作った畝のいちレーンに並べてボンドで接着していく。ふむ、ずいぶん厚みが出てしまった。どう保存するかなあ……。
「ほお、かなり作りこんでるじゃないか」
「お父さん。まぁこういうのは得意分野だし。お父さんはどんなの?」
「これだ」
元軍人の画用紙にはいくつもの葉っぱが並べられていて、葉っぱの下に野菜の種類と特徴が書いてあるなるほど、標本風ね。
「え、コレ里芋の葉っぱなの? 〝となりのトドロ〟でトドロが帽子代わりにしてたヤツじゃん」
画用紙からはみ出ているでっかい葉っぱの下に書かれている説明に、ワタシは知らなかったと大きなため息を零す。うーん、収穫は手伝うけど、主に元軍人が収穫した野菜を洗う係だったから葉っぱの形なんてちゃんと見てなかったかも。
「部屋に模造紙あるからそっち使う?」
「ああ、それは助かる。ありがとうどれみ」
「お父さんって絵は描かないの?」
「描かないな。最後に描いたのは多分小学生の時だと思うが……」
昔からじっとするよりも体を動かす方が好きだった元軍人はもっぱら山中を駆け巡ってばかりで、同年代の子とも体力や運動神経の格差からあまり遊ばなかったらしい。
「とか言って、山の自然に心惹かれるわけでもなく。木に登るのに使う体力、坂道を駆け抜けるのに使う体力、滝上りに使う体力──そっちの方が肝心だった」
何に対しても心躍ることはなかった、と語る元軍人に──これまでにも幾度となくさいはて荘の住人に感じた言葉が頭をよぎる。
人間の根底は変わらない。
「でも……お母さんと結婚してからのお父さんはすっごくいいお父さんって感じだよ? ゆゆたちもそう言ってたし……」
例えば三者面談。例えば幼稚園の運動会。例えば綾松高校の文化祭。
お父さんは積極的に来てくれた。そして、ワタシの友だちとその父兄たちとも穏やかな関係性を築いていた。まさに〝お父さん〟らしく。
そうだ、と元軍人が首肯してくる。
「お前たちにとって〝いいお父さん〟であるためにどうすればいいか、それを考えただけだ」
かつて、元軍人には友だちがいなかった。少年たちが面白いと夢中になる漫画やゲームを母が買い与えてくれもしたそうだが、〝面白い〟と感じることはなかったという。爺のような無関心とはまた違う。関心を持って接してみても、そこに何らかの感情を見出せないのだと元軍人は語る。
「母はそんな私を心配して、流行りのものをとにかく揃えてくれていたな」
「お父さんのおかあさん……おばあちゃん、よね。成人する前に亡くなったってのは聞いてるけど……」
「優しい母だったよ。目元や泣きボクロが巡によく似ている。何かをしていても面白い、楽しい、もっとやりたいという感情が湧かない私が唯一、有り余っている体力を消費することに生き甲斐を見出していると気付いて……色んな道場に通わせてくれた」
裕福ではなかったが、先に鬼籍に入っていた父親の遺産を活用しながら元軍人に色んなことをさせてくれたそうだ。
それでも元軍人は楽しいと思うことがなく、ただただ体力を消費することに生き甲斐のようなものを見出していた。その矢先、母親が亡くなって……その時初めて、〝悲しい〟という感情を得たと、元軍人は寂しそうに微笑んだ。
「けれどその時の私はそれが〝悲しい〟という感情だって分からなくてな。重たい心を引き摺るように、外国人傭兵部隊に入った」
「……そんで、それでも何かを得ることはなくて……虚しいまま日本に戻って、大家さんに出会って変わったワケだ」
「そうだ」
人が変わるのは難しい。想像しているよりもずっとずっと、本当に考えているよりもはるかに難しい。変わろうと思っても変われない。人間の根底は変わらない。
だからこそ、人は人を求める。
人を変えるのは、〝新たな出会い〟だけ。
家族しか知らない幼子が幼稚園で友人を得て変わる。学校しか知らない青少年が社会に出て変わる。──孤独しか知らぬ退役軍人が、愛する人を得て変わる。
ベタベタではあるけれど、納得できる話だ。
ワタシだって、変わった。大家さんと出会って変わった。社長と出会って変わった。ゆゆたちと出会って変わった。勅使河原教授と出会って変わる機会を得た。もちろん、いいことばかりじゃない。獺野先生や春哉もまた、ワタシにとって考え方を変えるきっかけとなった。
「お前たちは私にとってかけがえのない存在だ。そんなお前たちにとっていい父親でありたいと、亡き母親を思い出して強く実感した」
元軍人はワタシたちやさいはて荘のみんなが関わること以外で〝面白い〟〝楽しい〟〝つまらない〟〝嫌〟といった感情を抱くことがない。けれどそれでは、ワタシたちにとってのいい父親になれない。
だから、元軍人は自分を変えた。
ただ──それだけのことだと、元軍人は言って笑った。
「……結構苦労してるんだ、お父さん」
「そうでもない。爺のように全く関心が持てないってわけでもないしな」
畑だってそうだった。畑を耕してみようと関心を持って始めて、けれど何の感慨も見出すことができなくて。
でも、今じゃあワタシたちの体を育てるための栄養源として、おいしい食卓に貢献するための食材としての意義を見出せて結構楽しいらしい。育てた野菜の向こう側にワタシたちの笑顔がある、と思うとすごく心が躍るのだと元軍人は──〝お父さん〟らしい笑顔を浮かべた。
とても安心する笑顔だ。お父さんって、抱き着いて頭を撫でてもらいたくなる。お父さんを見ていると、ワタシたちはすごく大切にされているって心の底から安心できる。安堵できる。
でも、それはワタシがお父さんの娘だからだ。さいはて荘のみんなが、お父さんの家族だからだ。きっと、お父さんはゆゆたちの前でも〝お父さん〟らしい顔をする。今まで通りに、これからも。
けれど、でも。
お父さんは──ゆゆたちに対して何らかの感情も、湧かないのだろう。
「〝情〟が欲しい──昔はそう思っていたな」
幼いころはもちろん、学校で過ごした思春期も友情や色恋、勉学に部活と周囲が色彩豊かな青春を送る中元軍人だけは無色のままだった。外国人傭兵部隊にいた時も、戦いの中に沸き起こる感情はなかった。有り余る体力を破産する心地よさはあっても、充足感を得たことはなかった。稼いだ金で酒を呷り仲間と飲み食いし女を抱いたとて、何も感じなかった。
日本に戻り、さいはて荘で隠居生活を送り始めてからもそう。何も変わらない。何も。
無機質は、無機質だった。
元軍人。
黒錆彰人。
信頼性に重きを置き、安堵を心から願う殺戮に生きた退役軍人。けれど、人間の根底は変わらない。無機質なところは変わらない。
黒錆彰人はどこまでも無機質だった。
それが変わったのは、大家さんに出会ってから。
「正確に言えば、大家さんが死にかけた時だな」
「お母さんが?」
「ああ。大家さんがさいはて荘に来た当初……大家さんは死を甘受して愛しんでいた、というのは前にも話したな? 私は大家さんの希薄な生存本能に、生物としての欠陥を気取って生理的嫌悪を覚えた」
あぁ、腹が立ってブチ殺そうかと思ったって言ってたっけ。この時そういう感情を自分が持っていた、って気付いたのは後からなのかな? あ、頷いた。そっかぁ。
「最初はお互いにあまり関わらなかったんだ。隣室でこそあったが、大家さんはほとんど部屋にいてな。私も関わり合いになりたくなかったんで、放置していた」
事態が急変したのは大家さんが来てから一週間経ったころのことで……あんまりにも外に出ない大家さんに、まさか死んだのかと思った元軍人は多少強引に押し入ったらしい。ウジが湧く前に処分せねば、とか思ってたって……。今のふたりを知ってると信じられない関係性だなぁ。
「部屋には大量の絵が散らばっていた」
「大量の……絵?」
「優しい色使いの、幻想的で夢いっぱいな水彩画が部屋の床を埋め尽くす勢いで散らばっていた。その中で、大家さんは倒れていた。──死にかけていた」
丸一週間、飲まず食わずでひたすら絵を描いていたらしい。お前の母だなって思うだろ、と言われてなんだか嬉しくなって、照れ笑いする。
「何でこんなことをしている、と問うた私に大家さんは──つゆりは」
──何かを、遺したかったから。
──何もないわたしだけれど、わたしでも遺せる何かを……遺したかったから。
今よりも流暢な、けれどひどく枯れた声で呟いて微笑んだ大家さんに、元軍人は自分の母親を思い出したという。
母親の、亡骸を。
充満する線香臭の中棺に横たわる、母親の姿を。
その当時、元軍人は胸に蟠る何かを感じ、けれど〝何〟であるのかわからずいつも通り無機質な顔でその場を立ち去った。
その〝何か〟が一体何であるのか、大量の水彩画に囲まれて死のうとしている大家さんを前に元軍人はようやく、理解したそうだ。
〝悲しい〟というきもちなのだと。
「それを呼び水に、様々な感情を覚えていくようになった形だな」
「ごちそうさま」
はいはいのろけのろけ!
「──人間はな、どんな形であれ誰しもがこうやって演じながら生きているものなのだろうと私は思う」
元軍人がひらりとある一点を指さす。その先には、乱雑にまとめられた落ち葉と小枝の山。ん? と首を傾げたワタシの前で、元軍人の指がそっとその山を突いた──ウオッ!? 何!? なんだ!? 今何か飛んでった!! 枝!? 枝じゃないナナフシ!?
「生物はみな、どういう形であれ適応するために、あるいは自分を守るために演じるものなのだろうと思う」
いきなり飛び上がった枝にびっくりして心臓がばくばく言ってるけど、どうにか落ち着かせながら元軍人の言葉に耳を傾ける。
「素で生きていけるのならばそれが一番楽なのだろうがな。だが、素でいることが正義でも正解でも、正常でもないのが難しいところだ」
素。
素といえば、お蝶だ。お蝶はとてもさばさばしててさっぱりした姉御肌、って思っていたけれどそれは演じているだけだって、お蝶本人は言っていた。本当は弱いのを隠すために、本当は不安なのを見抜かれないために〝強い女〟を演じているのだと、言っていた。
素。
素といえば、爺だ。爺は紛うことなく素に生きている。趣味に娯楽に関心に生き、無関心は徹底的に謝絶する。その生き方はいっそ清々しくもあるけれど──爺は、本心では〝友〟を欲しがっていた。素のままじゃあ決して得られそうにない、友だちを。
「私はどれみや巡のいいお父さんで在りたい。どれみの友人たちにも、どれみが胸を張って自分の父だと紹介できるような父親像で在りたい。──だから、ちょっと張り切ってるんだ」
ぐっ、とサムズアップしてくる元軍人につい笑ってしまいながら、自分はみんなからどういう風に見られたいのか考える。
強い女に見られたい? うぅん、弱いヤツだって思われたくはないけれどそこまで拘りはないかな。優しい人? うーん、大家さんばりに無条件で誰にでも優しく、ってのは無理だからそこまで気を張りたくない。うぅむ。
「演じろとも、演じるなとも言わん。だが──〝崩したくない自分〟だけは保てよ」
「崩したくない自分……」
「今後、もしかしたら嫌な人間と相対しなければならない機会が増えるかもしれない。先日の一件とはまた違う──ビジネスの上で、あるいは取引の関係で」
学校。仕事。趣味。友達。恋愛。結婚。夫婦。育児──ありとあらゆる面で、人間関係が流動的になっていくだろうと元軍人は言い、ワタシの鼻の頭を強くこすった。泥がついていたみたいだ。
「八方美人になれとは言わん。天然でできる大家さんじゃないしな。だが、守りたい矜持は守れよ」
「……うん」
正直、想像もつかない。春哉の一件だって、あれから春哉がちっとも関わってこなくなったからあれ以上も以下も何も起きてない。大学だって、また新しい人間関係を築かなくちゃいけないことに不安ばかりが募るだけで守りたい矜持云々なんて考える余裕がない。ワタシ人見知りだからさ……。
だから自分がどういう自分で在りたいか、それは考えてもわからない。これからわかっていくのかもしれないし、わからないままかもしれない。
でも少なくとも。
〝ハッピーエンド〟も〝バッドエンド〟もないってのは、わかったかな。それどころかエンドさえないことも。だって、春哉とはあのままなあなあになる形で関わりが減った感じなんだもん。謝罪されてスッキリ、怒ってスッキリ、改めて友だちになってスッキリなんてうまいことはない。ないし、ワタシも正直このままふんわりと何もなかったことになってくれればむちゃくちゃありがたい。掘り返されたくない。
小説や漫画、映画みたいにエンドは来ない。続いていく。巡っていく。季節は、廻っていく。
「まあ、なるようにしかならんさ」
「真面目な話の末にぶん投げたわねお父さん」
「ぶん投げるさ。私だってなるようにしかなってない」
いろいろうまいことやれるほど器用だったら大家さんとこじれてお前に助けてもらう羽目になってない、と言う元軍人に思わず首肯してしまった。
……うん、そっか。
そうだよね。なるようにしかならない。
だって。
人間の根底は変わらない。
「うん、なるようになれだね」
ワタシは、ワタシでしかない。色々考えたっていざその時を迎えてみなくちゃわかんないワケだし。
「うん、別にいっかぁ。ワタシはワタシだし、お父さんはワタシのお父さん! 大丈夫、ゆゆたちがお父さんの素にビビったってワタシにとっては最高のお父さんだよ」
それで、いいんだ。
ワタシと元軍人は最高の〝父娘関係〟、それでいい。
「……ああ、そうだな」
元軍人の嬉しそうな、こらえきれない喜びを噛み締める笑顔にワタシはひひっと、悪戯っぽく笑う。
「ねーちゃ、でけたー?」
「あ、サボり巡だ~。まだよ。お父さんが標本作るから手伝ってあげて」
「まかせろ」
やる気満々で葉っぱを破きに行こうとする巡をいなしつつ、元軍人が葉っぱの種類について巡に教え始めた。
それを傍目に、模造紙を取りに自室へ戻る。道中、爺が縁側に寝そべって大家さんにマッサージしてもらっているのを確認したのでついでに呪っておく。
「お父さん! 模造紙、すぐへたれるから板とかに打ち付けた方がいいんだけど、ある?」
「ああ。ありがとうどれみ」
見事なもので、板切れを何枚か組み合わせてあっという間に土台を作り、模造紙を敷いて巡と作業を始めた。ワタシも倣って作業に戻る。小枝につるを絡ませて小ぶりなトマト畑を再現する。
うーん、ちょっと色彩欲しいな……。空は黄色い葉っぱや赤い葉っぱをグラデーションさせて夕焼けを再現したけれど、畑がちょっと地味だ。ちっちゃなお花ないかな。
「ゴーヤの種使うか?」
「え? うっわ、真っ赤!! キレイ!! え、ゴーヤってこんなんだったけ?」
「完熟した黄色いゴーヤの種だ。料理に使わないやつを保存していたんだが、いい機会だから標本にしようと思ってな」
つるりとした手触りの、ルビーのようなきらめきをもつ真っ赤な種。めっちゃキレイ。よし、これを果実に見立ててみよう。
「──って、そういえばお父さん。どうしてお絵かきで標本にしようって思ったの?」
「ん? そうだな……この葉っぱもな、私にとっては何の感慨も湧かないただの葉だ。だが区別はつけられる。特徴も特性も、何ならどの程度育った末に標本にされたのか経緯もわかる。だが、それだけだ。何も感じない」
けれど、と元軍人はそこにワタシたち姉弟が関わることで途端に意味合いが生まれるのだそうだ。ワタシたちの学びになる、知識になる、糧になる、話題の種になる、物知りお父さんだって思われる──そんな様々な意味合いが生まれて、無機質ではいられなくなるのだと元軍人はおかしそうに笑った。
「要するに、いいお父さんやりたいってだけだな」
葉っぱのスケッチにしなかったのも、スケッチよりも実物の方が学びになる、と本当にそれだけらしい。
案外深い意味なんてなかったことにワタシは笑いつつ、こうやって一緒にいてくれるだけでいいお父さんだよって返した。
いっちゃのお父さんは夕食の席でもいっちゃとほとんど喋らないらしいし、いおりんのお父さんも休日に遊びに連れていってもらったことがほとんどないらしい。とは言っても、いっちゃは喋りこそしなくてもたまの休日に観光名所に連れて行ってもらっていたらしいし、いおりんも遊びこそしないものの日常的な会話は普通にこなすそうだ。
一長一短。お父さんとて、人間だ。色々あって当然だ。
それを自覚して、どう足掻いても変えようがない根底の部分と向き合いながら〝いいお父さん〟とは何かを考えている元軍人は──それだけで十分、〝いいお父さん〟だ。
それに、ワタシは別にお父さんがパンツ一丁で寝転がっていても構わない。ワタシにとっては、そばにいてくれる──それだけで最高のお父さんになるから。
「……本当に、まさかこうなるとは思わなかったなあ」
さいはて荘に住もうと決めてよかった、と元軍人が微笑みとともに零して──目頭を指で押さえた。
「とーちゃ、ないてる?」
「巡、男が泣いていいのは愛する存在が死んだ時と嬉しい時だけだ」
「つまりないてるのねー」
よちよち、と巡が小さな手で元軍人の頭をワシャる。平和な光景だ。
《黒錆彰人》
〝元軍人〟
──「情が欲しい」
◆◆重んじるもの:信頼性
◆◆大切にしたいもの:安堵
◆◆変わらないもの:無機質
【父娘関係】




