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さいはて荘  作者: 椿 冬華
さいはて荘・春
13/185

【人間と書いてひとあいと読む】




人間(にんげん)と書いてひとあいと読む】




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 ワタシの部屋の押入れの下段にある十体のぬいぐるみ。


 ワタシはその中から、いつものように梟のぬいぐるみを手に取った。よし、呪──違う違う。ワタシは梟のぬいぐるみを抱えてさいはて荘の二階へ上がる。


「爺~いる~?」


 インターホンなんて鳴らさない。二〇四号室のドアを乱暴にガンガンと叩いてやる。そうすれば中からやかましいと一喝が飛んできて、けれど直後には入れと声をかけられた。

 遠慮なくドアを開けて上がり込む。爺の部屋は四方が棚に囲まれていて、日本中の銘酒が所狭しと並んでいる。正直言ってとても狭い。そして地震が起きたら確実に死ぬ。大家さんもそれを心配しているのだが、爺に譲るつもりなんてないらしい。日本酒に溺れて死ぬのならば本望、だそうだ。


「何の用じゃ、魔女っ子」

「んーとね、聞きたいことがあって」


 ただでさえ四畳半しかない畳の間が棚のせいで二畳ほどしかくつろげるスペースがない。だから板張りの床に思いっきりはみ出る形で足を延ばして座り、梟のぬいぐるみを手元でいじりながら言葉を選んでいく。


「別に言いたくないとかならいいんだけどさ、どうしてさいはて荘に来たのかなあって」


 あまり他人のプライベートに踏み込むようなことはしたくない。だが、気になるのだ。お蝶と話したからだと思う。

 こんなど田舎のオンボロアパートに住むメリットなんてない。

 けれどワタシとお蝶は大家さんに惹かれて、誘われるままさいはて荘へやってきた。

 ──じゃあみんなはどうしてさいはて荘にやってきたのか。ふとそう考えて、一度気にし出すともう止まらなかった。


「なんじゃ藪から棒に」

「……ワタシは大家さんに助けてって縋ったからだった」


 聞く前にまず自分のことを話さないと、不公平よね。


「お蝶も、大家さんが連れてきたようなものだった」

「……ふむ。まあ確かに元軍人のように隠居するつもりでもなければこんな辺鄙な場所に来るにはそれ相応の理由があろうな」


 爺はそう言うと顎鬚を撫でながら昔を懐かしむように目を細めた。


「ワシがここに来たのは──なっちゃんが来た後じゃったな。元々ここに住んでおった元軍人を除外すれば大家さんを一人目として、ワシは四人目じゃな」


 なっちゃんそんな古くからいたんだ。そっちのがびっくり。


「ワシがここに来たのは青二才──社長がやたら元気になってたからじゃ」

「えっ、社長?」

「これでも退職する前は重役に就いておった。退職してからもご意見番のような役割をしておった──社長の会社の、な」


 なんと。同じ会社で働いていたのか。全然見えない。


 仕事一辺倒で趣味らしい趣味も持たず、機械のように会社を回していただけの社長がある日突然憑き物が落ちたような晴れやかな顔で出社してきたらしい。それからの社長は機械のような人間であったのが嘘のように人間らしくなったのだという。


「あやつはいくつもの不動産を保有しておるが……ほとんどホテル暮らしじゃった。出張に次ぐ出張、出張がなくとも会社から近いという理由でホテルで寝泊まりしておった」


 カーッ、贅沢な!


「それが数日おきにどこかに帰るようになった。常にホテルの位置を把握している秘書にさえも居場所の把握を許さず、のう。女ができたとワシ以外は思っておったがのう……」


 爺は社長の穏やかな面持ちに女の存在ではないと直感した上で“帰るところを見つけたのか?”と問うたのだそうだ。それに対して社長は“ああ”と答え──爺にだけは、さいはて荘の存在を教えてくれたらしい。


「それで、ワシも欲しくなったのじゃ──“帰るところ”がな」

「え? ……爺、家なかったの?」


 ホームレス?


「そういう意味じゃない。……分かるじゃろう?」


 ──まあ、分かるけど。ホームレスってのは冗談。


 “帰るところ”


 ──帰る家のことではない。毎日寝泊まりする場所ではない。

 心を落ち着け、安心して身を預けることのできる──心のふるさと。


「帰る、ところ」


 帰るところ。

 その言葉でワタシが思い浮かべるのは()()のいる家じゃない。

 とかいってさいはて荘でもなかった。

 真っ先に思い浮かんできたのは──大家さんと元軍人だった。ワタシを見て微笑んでいる大家さんと、その隣で穏やかな顔をしている元軍人。


 ──……家族、か。


「家族が欲しかったの?」


 ワタシの小さな問いかけに爺はさてな、と答える。


人間(ひとあい)に焦がれておったのやもしれんな」

「ひとあい?」


人間(にんげん)と書いて人間(ひとあい)──人付き合いのことじゃ」


「人付き合い……そもそも爺、家族はいないの?」


 と、聞いてから突っ込みすぎたかと少し不安になるが──爺は骨ばった手でワタシの頭を撫ぜて気にするなと言ってくれた。……なんかみんな、ワタシの心読みすぎていない? え、ワタシってば実はサトラレだったりするの?


「家族はおった。昔な」

「昔……」

「ワシゃあ若いころはそれこそ前の社長みたいな人間でなあ──仕事以外何も考えとらんかった」


 仕事以外全てに無関心じゃった。

 そう言って爺はふう、と息を吐きながらキッチンに立って湯を沸かし始めた。梅茶と昆布茶のどっちがいいかと聞かれたので昆布茶と答えておく。


「結婚もしとったし、子どももおった。じゃが関心なぞなかった。家には寝に帰るだけじゃった──我が子の誕生にさえワシは関心を持たなかった」


 それは……なんというか、男は背中で語る的な昭和のお父さんだねとフォローし難いレベルだ。いや、昭和生まれじゃないから昭和のお父さんがどんなんだったかなんて漫画でのイメージでしかないけどさ。


「家族だけではない。友人とも……同僚とも……実の両親や兄弟さえも──ワシにはどうでもいいものじゃった」


 必要以上の交流に意味を見出さず。

 必要以上の言葉を不必要だと断じ。

 必要以上の想いは邪魔でしかなく。


 ただ無関心に仕事のことだけに生きていたのだという。そこに目的も目標もない。信念も信条もない。義理も義務もない。ただ目の前にあった、それだけで爺は仕事に生きていたようだ。


人間(にんげん)そのものに興味がなかったのじゃろうな」


 ──ああ、そうか。

 だから社長を見て、関心を持ったんだ。同じような人間であったはずの社長が──ある日突然、人間らしくなったものだから。


「四十の頃か。妻に離婚してほしいと言われた時も、子どもがワシではなくワシの弟の子だと知った時も──ワシは関心を持たなかった」

「えっ」


 奥さんと離婚したというのは今の爺の生活からしてもなんとなく分かってた。でも、子どもが爺の弟の子って。


「妻が泣きながらワシの血なぞ引いとらんと暴露してきてのう……じゃがワシは“だから?”としか答えんかった」

「えっ、いや奥さんも大概だけど爺も最低すぎない?」

「最低じゃったよ」


 今だからこそわかる。ワシは本当に最低だった──そう言って爺は目を伏せた。


「ワシが初めて人間に関心を持ったのは社長の変わりようを見た時じゃった」


 えっ、つまり七十になるまで一切人間に興味なかったってこと? それはそれですごい。


「そしてさいはて荘に来て……初めて、人間(ひとあい)というものについて考えるようになった」


 隠居暮らしをしている退役軍人と身体が不自由な絵本作家に出会って、ふたりと会話して、ふたりの人間性に関心を惹かれ。片道数時間もかけて大学に通っているなっちゃんの存在を知って、あえて不便を選ぶ理由に興味を惹かれ。

 そうしてさいはて荘に住み、そこの人間(にんげん)たちの人間(ひとあい)がどのように変遷を辿っていくのかを見守りたくなったのだそうだ。


「……その関心を、奥さんや子どもに向けられたらよかったのにね」

「……さあな。反省はしとるが──だからといって今過去に戻れたとして、関心を持てるかと聞かれると微妙じゃの」


 ワシはさいはて荘のおぬしらだからこそ関心を抱けたのだ。


 そう言う爺にワタシはふぅん、と返す。さいはて荘のみんなだからこそ関心を持ったっていうのはわからなくもない。でも、自分の家族にさえ関心を持てないってのはわからないかなあ。

 ワタシだって、()()に対しては未だに憎悪という関心があるもの。もう捨て置いているけれど、それでも全てが消えるわけじゃないからね。


「……やっぱり想像できない。今の爺からは」


 クソガキと大声で一喝してくる爺。

 大家さんに料理リクエストする爺。

 元国王と山奥の川へ釣りに行く爺。

 お蝶と酒を酌し合い呑み交わす爺。


 ──思い返してみても、たった今爺が語った昔の爺と少しも重ならない。別人なんじゃないのかって思うくらい、重ならない。


「そりゃそうじゃろうな。ワシでもびっくりじゃもん」


 じゃもんって。


「……今のワシじゃからこそ言えることがある。魔女っ子──関心を向けられぬ人間には関わろうとするな。責任を持って関わってゆけぬのなら、関わるな」


 ワシは妻に関心なぞなかった。じゃが結婚した。

 そうして生じた妻との関係にワシは責任なぞ持たなかった。義理も義務も何も果たすことなく、妻という人間を捨て置いた。

 その結果──ワシは妻を傷付けた。妻が不倫に走り、托卵したことを責める権利なぞワシにはない。まあ、そもそも責めようとするほどの関心さえなかったのじゃがな──……


 そう紡いでから爺は沸かした湯を急須に入れて蒸らし始めた。ふわりとしその香りが立ち昇り──ん? しそ?


「関心を持てぬ人間(ひとあい)ほど、虚無なものはない」


 ここさいはて荘に来て、大家さんや元軍人と出会って、後から入ってきた元国王やお蝶と仲良くなって──やっと痛感したのだそうだ。自分が妻や子にどれだけひどい仕打ちをしていたか。


「関心を向けられぬのに無理に関係を持とうとするな。無関心な関係がどうなろうと自分は傷付きやせんが──相手は傷付く」


 もしもここさいはて荘の住人に、かつて自分が妻子にしたような態度を取られたらと思うと、ワシはどうしようもなく怖くなったよ。

 唇を噛み締めながらそう言った爺は──心の底から過去を悔いているようであった。齢七十にしてようやく理解した、人間関係の在り方。


「ほれ梅茶」

「昆布茶って言わなかったっけ」

「ワシは梅茶の気分じゃ」

「じゃあ聞かないでよ」


 わざとでしょ絶対。


「──のう魔女っ子」

「ん?」


 昆布茶な気分だったけど、梅茶も梅茶でおいしい。

 ずずずと啜りながら爺に視線を向ければ爺はワタシの目をまっすぐ見据えていた。とても優しい、おじいちゃんらしい目で。


「ここの人間(ひとあい)は──特におぬしと大家さん、元軍人の人間(ひとあい)は──死んでも蔑ろにするな。離すな。想いを、貫け」


 ──……。


「うん」


 大切に、するよ。



【無関心】





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