【ひやしやさい】
「とーたん、ちめたー」
「冷たくて気持ちいいだろう?」
夏も真っ盛り。
涼しい夏だぁ、と思っていたら突然爆発した。太陽が〝そういえば夏だった!〟って慌てて一気に温度を上げた感じ。
爆風をモロに受ける日々、ワタシは朝早くから元軍人や巡と一緒に川に来ていた。あっちこっち暑いけれど、裏山のふもとに流れる川はとても冷たい。滝つぼあたりはもっと涼しいらしいけど、巡がまだ小さいから今日はふもと。
「野菜もよく冷えているぞ」
日が昇る前に収穫して、ざるに入れて吊るして、川に沈めてあったらしい。瑞々しいトマトやきゅうり、とうもろこしにピーマンと色んな野菜が川のせせらぎを受けてきらきら煌めいている。
「ほら、食べてみろ」
ぽりっときゅうりの先端をかじって吐き捨て、差し出してきたのを巡が大喜びでかぶりつく。生のおいしさはまだ難しいんじゃないかな、と思ったけれどそうでもなかったらしく、ご機嫌にがりがりかじっている。
「おいしいよね~」
ワタシも川に沈んでいるざるの中からトマトを取り出して、そのまま豪快にかぶりつく。ぶしゅっと果汁が飛び出すほどジューシーなトマト。実にうまい。
「こういうの、ぜいたくよね」
「もぎたてを川で冷やして食べる、というのは田舎ならではの特権だな」
「うんうん。こんなぜいたくな生活するんだから、巡はきっと大きくなるわよね~」
とりあえず、舌は間違いなく肥える。
「ああ。ここはいいところだし、心も豊かになるだろう」
豊か……豊か。
うん……豊かになるわよね。ならざるを得ないわよね。だってさいはて荘だもの。
「そういえばどれみ、開業届を出したそうだな」
「あ、うん。お母さんと一緒にね」
これまでは身内で細々とやっていたハンドメイド作品の取引。それを広げてオンラインマーケットに出品することにした。画家としても社長と正式に専属契約を結んだし、これを機に本格的に仕事してみることにしたのだ。
とは言っても、まだ収入はない。当たり前だが、無名な上に世界規模のハンドメイドマーケット〝HHH〟には世界中の選りすぐりのハンドメイド職人が出品している。ぬいぐるみとかアクセサリー作りにはわりと自信あるけれど、所詮は井の中の蛙だってHHHを見て思い知った。
ま、でもそれでいいと思っている。まだ学生だし、のんびりやっていくつもり。ちなみに絵画作品は社長との専属契約だから出品はNG。ワタシも出すつもりはない。
「名前はどうしたんだ?」
「〝SAIHATE〟ってショップネーム。ユーザー名は〝どれみ〟」
安直だけれど、ひねった名前にするよりも覚えやすくて呼びやすい方を選んだ。和名だと海外からの検索に当たりづらいし、とか言って下手に横文字にしちゃうとメインターゲット層である日本勢が読めない・覚えられない・横文字全部同じに見えるで印象が薄くなる。
それを踏まえて、シンプルにこの名前にしたのである。
「何を売っているんだ?」
「ぬいぐるみキーホルダー。呪い効果はないヤツね」
まあそもそもワタシ以外がやっても呪えないけどね。魔女たるワタシにしかできないからこそ、ワタシは魔女と呼ばれているのだもの。
ちなみに。
別にぬいぐるみがなくても呪える。
「ワタシは黒錆どれみ」
──魔女である。
と、トマトの果汁迸らせながらかっこつけてみる。ああ、トマトおいしかった。
うん、ぬいぐるみがあると楽ってだけで、ないと呪えないってワケじゃない。まあやらないけど。
「とうもろこしって生で食べられるの?」
「ああ。完熟前の柔らかい時期は生で食べるのに向いている。ほら、食べてみるといい」
そう言って差し出されたとうもろこしは確かに実がまだ熟しきっていない小ぶりなもので、ちょっと柔らかかった。
川のせせらぎという名の露を浴びて瑞々しく輝くとうもろこしに思いっきり歯を立てると、しゃきっと思った以上の軽やかな歯応えがあって思わず笑みを零してしまう。この歯応えだけでも十分楽しいのに、実もちゃんと甘くておいしかった。完熟の茹でとうもろこしにはさすがに及ばないけれど、それでもしゃきしゃき歯応えと一緒に楽しむ分には十分な甘さだ。
「おしゃかな!」
「わ、ほんとだ! なんだろ? アユじゃないわよね」
「ヤマメだな。ふもとにいるのは珍しい」
川のせせらぎの狭間を縫うように泳いでいる数匹のかわいらしい魚にほっこりとしつつ、内心おいしそうだなと考える。
「部活は美術部に入ったらしいな」
ヤマメははらわたを綺麗に洗ってこう、荒潮をごりごりすり込んで塩焼きに──ハッ!
「あ、う、うん。そう! 美術部に入ったの。と、言ってもコンクールに参加するために入ったようなものなんだけどね」
綾松高校は部活に入ることが義務付けられていて、いろいろ悩んだ末に美術部に入った。美大に進むならコンクールなどで実績を積んでおいて損はない、という大家さんの助言のもと美術部に決めたのである。社長との専属契約がある以上、賞金が出るようなコンクールは社長と相談の上慎重にやらざるを得ないけど。
「絵を仕事にしたいとかどうかは、まだわかんないんだけどね」
「わからずともよい。私とて、農家になろうと思って畑作業を始めたわけではないのだからな」
「んん~、そっか」
将来、どうするか。
アーティストとして、そしてデザイナーとして何かを作っていたいなとは思う。けれど、明確なビジョンがあるかというとそうでもない。まだ、ぼんやりとした将来像しか持っていない。
「……でも」
──でも。
でも、社長は明確なビジョンを将来に見て、見据えて、その上で〝打算〟を打ったのよね。
「…………」
ほんの少しだけ照れ臭い心地になって、誤魔化すように川の水を蹴り上げる。ばしゃり、と水飛沫が上がる。




