9 反逆者達の素顔
少女は見極めると誓った。
英雄の正義を、復讐鬼の在り方を。
そのためにまず向かうべきは、かつての師のもと。
レイン・トラジェディ。
彼女からは、フルグルが危険だと伝えられていた。
ならば、師はアンフェルに隠されていた秘密についても何か知っているのではないだろうか?
問いかけをぶつけるためにも、師と再会をしなければならない。
そして――ヒギリの次の標的もまた、同じ人物だった。
「……お前とその師匠とやらの話が終わったら、その時はわかっているな?」
ベッドに腰掛けたヒギリが、林檎を齧りながら呟いた。
「……物騒なことを言うのはやめてください。師匠は……レイン様は、フルグル様のような方とは違います。師匠はわかってくれるはずですから……」
弱々しい語尾は、これまで信じていたものが突き崩された故か。
どれだけ信じるといっても、もはや何か覆されるかわからない。少女の世界は不安定になっていた。
「信じるのは自由だ、勝手にしろ。裏切られて傷つくのはお前自身だしな、俺の知ったことじゃねえ」
「貴方……どうしてそこまで……疲れませんか、そんな生き方?」
「…………、」
「…………ふふ」
沈黙するヒギリ。
そして静謐な部屋に、ノーチェの笑い声が零れた。
無理もない。
なにせ、こんな世界で楽な生き方などあるかはわからないが、アマネセルの生き方はどう見てもそれとは正反対。人一倍心労を重ねる類だ。
ここまでお前が言うなと言いたくなる言葉もそうそうないだろう。
「あの……ノーチェさん? 私、何かおかしなことを言いましたか……?」
加えて当人は無自覚と来た。ノーチェはその稀有な在り方に驚きつつも、どこか愛おしいと思ってしまったのだ。
それに、理由はまだある。
「……失礼いたしました。……その、懐かしくて、つい。気に障ったのなら謝罪させていただきます」
「い、いえ、そこまでは……」
ノーチェの大げさな対応に気圧される。
ヒギリはそれをなにやら不満げに眺めていた。
「ノーチェ、なんだよ懐かしいって」
「……申し訳ありません。やはり、とても似ているので」
「まあ、それは否定しないが……」
ヒギリのその返しは、アマネセルには珍しく歯切れが悪いように映った。やはり、妹のことになると彼でも複雑な心境になるのだろうか。
この世界の英雄に逆らうような凶悪な人間に、そんな弱点があるのは不思議だ。
「あの……ところで、さっきどうして笑ったんですか?」
「…………、」
ノーチェが目を丸くしていた。
「……はっ」
ヒギリが短く吹き出す。
アマネセルは首を傾げたが、そんな疑問はどうでもよくなってしまった。
なぜなら、ヒギリが自然に笑顔を見せたのはそれが初めてだったからだ。
嘲笑うような笑みではなく。
この人も可笑しくて笑ったりするのか――と、そんな当たり前のことで、驚いてしまう。
(…………ところで、どうして笑われたのでしょうか)
◇
「疑問なのですが……」
レーゲングスに到着して1日目。
三人が宿泊しているこの宿は、彼らの『計画』の協力者が経営している。
つまりは王国に牙剥く反逆者の拠点の一つ、ということで平時ならばすぐにそれを問い質さねばならないのだが……。
世界を守護する誇り高い騎士、《四聖剣》が一人のアマネセルはそんな場所に世界最悪の反逆者と共にいる時点で、もはや何を誰に問い質せばいいのやら。
「疑問? 何がだ?」
「その、この部屋……」
少女が問いたいのは、
ヒギリやノーチェの素性でも、王国が抱えている正義の裏側でも、この世界に秘められた多くの謎でもなく――
「……ベッドが二つしかないのですが」
三人が泊まる部屋に、ベッドが二つ。
天地がひっくり返っても計算が合っていない。
「……床で寝るのは嫌か? ……今すぐお前が持ってる情報を全部吐けば、俺のベッドを貸してやっても構わないが」
口にした瞬間、ヒギリは二重の意味で不味いと思った。
「なっ!」
一つは、趣味の悪い意味に聞こえたかもしれないこと。
今のはヒギリのベッドに入ってこいという意味ではなく、ヒギリが床で寝るので、ベッドを明け渡すという意味だ。長い牢獄暮らしで――いや、それ以前に、あまりに久々に落ち着ける時間を得て、気が緩んだか。
それに加え、別段ヒギリとしてはこの顔が横で寝ることに違和感はないのだ。
アザミの夢見が悪い時は、側にいて安心させてやることなど珍しくもなかった。
やはりやり難い顔だ。中身はまるで違うというのに。
とはいえ、そんな気の緩みを、相容れない、気に食わない少女に見せてしまったのは失態だ。
アマネセルが頬を赤らめている。だが、これは今現在の問題としての脅威度は低い。
そして、もう一つ。こちらが問題としては本命。
「………………………………………………………………ヒギリ様ぁー……、今なんと?」
アマネセルは驚いて仰け反る。
ノーチェが首を傾け、漆黒の艶めく髪を垂らして、その隙間から真っ暗な瞳でヒギリを見つめている。まるで地獄の底から這い出て来たような様相だ。
地獄と形容される場所から出てきたのは、ヒギリの方なのだが。
「…………すまない。悪い冗談だった。こっちだって、こいつに近づくのさえごめんだ」
ノーチェの愛は重い。
ヒギリも『忠誠』と口にしながら、彼女の気持ちがそれだけでないことくらいわかっている。
かつての復讐の機を待っていた、ヒギリとノーチェ、二人の暮らしの中でのことだ。
町を歩いている時に、ヒギリが女性に声をかけられただけで、ノーチェが凄まじい勢いで、丁寧な口調ながらも異様に恐ろしいオーラを纏い、その女性を退けたことがあった。
「…………ええ、当然ですよね! 目の前で浮気など! ……まったく、ヒギリ様は冗談がお上手でいらっしゃる。喜劇役者としても大成したことでしょう! 少々、冗談のセンスは悪趣味でしたが」
それまでのどす黒いオーラを霧散させ、ぱぁぁぁっと、華やかに笑う黒髪の女性。
「…………うわき?」
アマネセルはわからなくなっていた。
彼女――ノーチェ・トリウィアもまた、ヒギリに協力している以上は王国に仇なす反逆者だ。 なのに、そのはずなのに。
彼女がヒギリへと向ける熱っぽい視線は、まるで恋する幼い少女のそれだ。
というか二人はそういう仲なのだろうか?
ノーチェ側は明らかにそういう態度だが、ヒギリの態度は素っ気ない。
アマネセルが決めた見極める対象には、ノーチェも含まれている。
彼と彼女のことを、もっと知らなければならないのに、知る程にわからなくなっていく。
彼らは普段、まったく悪人には見えない。
しかし悪人が常に悪人らしく振る舞うとも限らない。
それにしても、だ。
こう考えてしまう――彼らは、こうなる前は、もっとずっと普通の暮らしをしていたのではないだろうか、と。
だとすれば、彼らを変えたのは……そこまで考えて、アマネセルは思考を打ち切る。
無駄な方向性の思考だ。
仮にどれだけ、彼らが大きく変わったのだとしても、もはやそれは過去。
そこまで気にする余裕など、どこにもないのだ。
そして、今立向べき問題は。
「……ですから、結局ベッドはどうすれば? 私は囚われの身である以上、床に伏していろと言われれば従う他ありませんが」
「囚われの身だなど! それは勘違いでございます、アマネセル様」
「……それは、どういう……?」
ノーチェの勢いに気圧される。
どうにも彼女達には簡単にペースを握られてしまう気がした。
「確かにアマネセル様の同行、それを決めた状況を見れば半ば脅迫に近い形だったかもしれません。ヒギリ様は少々強引なところがあります、そこも素敵なのですが。しかし、私はなるべく良好な協力関係を築きたいと考えています」
「――なぜ? またすぐに敵対関係に戻るかもしれないというのに……」
「ということは――『仲良くなれるかもしれない』とお考えということですよね?」
「なっ、なにを言って……? そんなはず……」
「『良好な関係を築いては、それが反転した際に余計な悲しみが生じる』……つまり、良好な関係が築ける可能性はあるということでしょう?」
「それは……」
図星ではあるが、認めたくない事実だった。
彼らの『素の人間性』はそこまで嫌悪するようなものではない。
先刻も感じた『こうなる前』の彼らを思えば。
だがそれは、よくある感傷に過ぎない。
出会い方が異なれば。
何かが違っていれば。
そんなことを想わせる、ただの真っ黒な悪ではない、灰色の敵は大勢いる。
――結局は、怯えているだけなのだろうか。
灰色を斬り裂くことを、恐れているのだろうか。
「ご安心ください。貴方様の出した答えがどんなものであれ、わたくしはそれを受け止めましょう。ただ、今はあまり『先』のことを考えるのはやめにしませんか? 大丈夫です、わたくしはそういう切り替えは得意なので。もしもわたくし達と敵対するという答えを出すのなら、ええ、瞬く間に受けれいてみせましょう」
それの一体何が『大丈夫』なのだと、アマネセルは背筋に冷たいものを感じた。
やはり彼女の考えはこちらとは別種で――
「……ただ、わたくしは貴方様を好ましく思っているのです」
ノーチェの言葉に、思考を遮られる。
……今、彼女はなんと?
「何故です!? 私と貴方は敵同士! そんなことはわかっているはずでしょう!?」
「けれど、こちらの提案に乗ってくださっている時点で――貴方様は、あのフルグルという男とは違います。あの男の所業を許していない。それだけでわたくしは貴方様に好意が持てます。《星導騎士団》は皆、理想という名の狂気に染まったのだと思っていましたから」
「……それもまだわからないと、何度も……」
「ならばわたくしも、何度でもそれで構わないと申し上げましょう。現状、好意を持てる――それでいいのではないでしょうか、表向きは良好な関係を築いておく理由など」
「……、それは……。……貴方も同じ考えですか?」
ノーチェの視線から逃げるように、アマネセルはヒギリへ視線を移した。
「……別に俺はお前と馴れ合うつもりはねえ。だがノーチェの考えに口出しする気もねえ。こいつは昔から、自分の意志を示さず、俺と違うことをするのを嫌がるやつでな……俺としちゃ、こいつが珍しく自分の考えで動いてるだけでも、それを尊重してやりたい」
ばつの悪そうな顔のヒギリ。先刻の失言が尾を引いているのだろう。
それに、彼の言葉は本心に見えた。
二人の関係性は謎だが、ヒギリの態度は素っ気ないものでありながら、ノーチェをとても大切に思っていることが節々から伝わってくる。
「ありがとうございます、ヒギリ様。流石の寛大さでございます……!」
「……その言葉は俺から遠い部類だと思うがな」
許さぬという気持ちのみで動くヒギリを『寛大』などと評するのはノーチェくらいのものだろう。
にこにこと微笑むノーチェを、渋い顔で見つめるヒギリ。
「わかりません。なぜ貴方は……」
「……好意だけでは疑わしいというのなら、貴方様から好かれ、上手く懐柔しようとしているのだと疑ってもらっても構いませんよ? 理由なき好意など、気持ちの悪いものだということもわかっております。ですが、理由を伝えるのが難しい好意というものも存在するのです。今この時のように」
「…………わかりました。今は全てを保留にして、貴方の意向を汲みましょう。なので……」
「はい、なんでしょう?」
柔和な笑みが向けられる。
どうしてだろう。彼女を見ていると何故だか安心してしまう。彼女とは、根本的な部分で敵であるはずなのに。
失われた記憶と何か関係があるのだろうか?
あるいは、彼女はもしや……。
そう考えると、納得できることが出てくる。彼女はこちらのことを知っている?
だから好意的に接してくる? だが、そうならばそうと伝えれば……まだ確証がないのだろうか、だから今は理由は伝えられないということだろうか。
……いいや、もっと単純に、亡くなったという彼の妹に似ている、という理由だろうか?
だが、顔が似ているというだけで好意的になるものだろうか?
わからない。とにかく、確かめなくてはならないことが際限なく増えていく。
少女は内心で、ノーチェの重要度を引き上げておいた。
彼女は不明点が多い。
しかし、警戒しているだけでは、何も始まらない。
――――「そうして対話を拒んでしまえば、わかり合えることなどないでしょう。いいえ、わかり合えずとも構いません……わかり合うことなどそう簡単にはできないでしょう。それでも、歩み寄ることをやめてしまっては……!」
かつてヒギリにぶつけた自分の言葉を思い出す。
分かり合えるかよりもまず、分かり合うことを放棄したくない。
彼らはフルグルのように、狂気に落ちているわけではないのだから。
だから今は、考えるだけでいるより、警戒ばかりしているよりも。
「…………私は、親しい人から『アマネ』と、そう呼ばれています」
まずは、歩み寄ることを選んだ。
「……まあ!」
「で、ですので……その……」
「……まあ! まあまあ! 構わないのですね!?」
両手を合わせて嬉しそうに揺れる黒髪の女性。
普段は大人らしい流麗な所作だというのに、突然こんなにも少女のようになってしまうのは、同性の自分でも可愛らしいと思ってしまう。
「え、ええ……形だけでも……。形にはいずれ中身が伴うかもしれませんから」
「ええ、わかりましたわ――アマネ様! これからよろしくお願い致しますね」
「……は、はい……よろしくお願いします、ノーチェ様」
「わたくしのことは、どうぞ敬称などつけずに」
「ですが……」
「わたくしはいいのです。この身は従者、この身は道具、己以外の大抵の方には敬意を払いたい性分なもので」
「そうですか……では、ノーチェ」
「はいはい、なんでしょうかアマネ様」
「……繰り返しになりますが、ベッドは……」
「ご一緒しましょう、アマネ様。ああ、もちろんわたくしがヒギリ様と同衾の栄に浴すこともやぶさかではないのですが! やぶさかではないのですが!」
ちらちらとわざとらしくヒギリに目配せしながら言う。
「……やぶさかだ」
短く告げて、ヒギリはベッドに潜り込んでしまう。
「もお、つれないのですから……そんなところも素敵でございます」
「……あ、あのー……、ノーチェ?」
正義や、その他様々なことに思い悩む少女――アマネは、毛布に包まった背中を熱っぽく見つめる女性に告げる。
「はいはい、アマネ様。なんでしょう?」
「……その……貴方は……、距離の詰め方が……極端ですね?」
「……これは……申し訳ありません、はしたない真似を……。わたくし、あまり人と接することがありませんので……」
しゅんと項垂れてしまう黒髪の女性。本当に対人経験が疎いのかもしれない。
「い、いえ……嫌ではないのですが……」
これが世界へ反逆する者なのだろうか……? と何度目になるのかもわからない困惑を胸にアマネはその日の眠りについた。
(……大丈夫、ですよね。こちらはまだ、有益な情報を渡せると向こうに想わせているはず、寝首をかかれる心配はないでしょう。そもそもフルグル様を倒せる以上、やはり私如きを闇討ちする理由はありませんし……だから、大丈夫、大丈夫なはずです……)
――そんなアマネの心配を他所に。
ヒギリもノーチェも、ぐっすりと眠っているのだった。
(……今なら、彼らを簡単に騎士団へ突き出すことができる)
そんな考えが過った。
《炎獄の凶手》とその協力者。手柄としてはこの上ないだろう。
手柄を上げれば、自分の地位も上がり、《英雄》に近づけるかもしれない。
――――だが、それは本当に、自分が目指した英雄だろうか?
そこに正義はあるのだろうか。
騎士団への疑念。それが晴れるまでは、軽率なことはできない。
「……本当に、一体どうしてこんなことに……」
この町へ来る途中、王都にも立ち寄って、そこにある宿にも宿泊している。
その時もアマネセルは、ヒギリ達を警戒して、彼らと一緒に寝ることなどあり得ないと警戒し、一晩中気を張っていたのだが…………なにもなかった。
あまりにも肩透かしというか、想像と違うというか。
…………それでも彼らは、この世界を守る《四星剣》を殺しており、この世界を救う《英雄》を殺すと誓っている者達なのだ。
信頼など、できるはずもないのに。
これまでとは別種の心労が胸に積もる。
信じていた王国への不安ではなく。
――――ただ単純に、この者達といると、少々疲れる。
それは、得体の知れなさもあるが……それよりも。
今日の疲れは、ノーチェに振り回された結果だろう。
その事実はまた、アマネを混乱させていく。
ぐるぐると思考が渦巻き続ける中で、とうとう彼女は、相容れないはずの者達のすぐ近くで眠りに落ちてしまった。
◇
翌朝、目覚めるとアマネはベッドの上で一人。
横に目をやると、ヒギリのベッドに潜り込んだノーチェが、そこにはいた。……なにか見てはいけないものを見たような気まずさがある。
この二人は、やはりそういう仲なのだろうか。いずれにせよ自分には立ち入る必要のないことか。
今日は師であるレインのもとへ向かう予定だ。
いよいよ抱えている謎をぶつけられる時が来る。
身支度を整えながら、決戦の時を想う。レインと考えが決裂しなければ、戦いになることもないが――しかし、それでもやはり、緊張の質としては決戦の前というのが今の状態に近い。
「……ヒギリ様ああぁぁあああぁぁ、捨てないでくださいぃぃ……」
びくっ、とアマネが振り返る。
背後には、ベッドから這い出たヒギリと、彼に抱きついているノーチェが。ノーチェはずるずると引きずられている。
ぱりーん、と彼女のイメージが壊れていく音がした。
「……おはようざいます。なにをしてるのですか?」
「……よう。……あー、こりゃ……気にすんな。ノーチェは寝起きが悪い」
「寝起きが悪いと、どうして貴方に抱きつくのですか」
「わからん」
「本能があ……本能があぁぁ、ヒギリ様を、ヒギリしゃまを求めるううぅぅぅ~……」
「……だそうだ」
寝言が達者に答えを返してきた。つくづく奇怪である、ヒギリに対しては出会った時から異質な人物だと感じていたが、平時ならノーチェの方がよほど怪人物だ。
ヒギリはそのまま、ノーチェを自身にぶらさげたまま器用に顔を洗っていた。ちょっとした怪奇現象であった。
◇
「お恥ずかしいところを見られてしまいました……」
寝ぼけたノーチェの髪を梳いて、顔を洗うように促し……という、ヒギリがいつもしている作業を、アマネは自ら買って出た。そして、途中でノーチェが意識を取り戻し、醜態を見られるどころか丁寧な介抱を受けてることに気づき――彼女は大いに焦った。
「申し訳ありません、申し訳ありません……わたくし最大の恥部を……従者たるわたくしが世話をさせてしまうなど、あってはならぬ失態……」
「い、いえ……私は孤児院出身なのですが、その時はチビ達の世話もしていたので、なんだか懐かしかったです」
「『深く恥じ入れ幼児と同等の愚か者』、ということですね。……承知いたしました……」
「いえいえいえそんな他意はありませんよ!? 別に悪い気はしませんよ、こういう他者に見られたくないところを見せ合うのも、互いを理解しあうことに繋がりますよね? ……ノ、ノーチェとしては好都合だったのでは?」
「……なるほど! 金言でございますね。では、アマネ様はこれでまた一歩、私達との距離を近づけたと!」
「「……達?」」
不本意なことに、ヒギリと声を揃えてしまう。
一瞬彼とにらみ合う後、すぐに視線を逸らすアマネ。
「まあ、ノーチェとは近づいたかと」
「ふふ、でしたら醜態を晒した甲斐がありました。アマネ様も、是非存分にあられもない姿をお願いいたしますね?」
やはりこの女性、丁寧に見えて侮れないところがある……とアマネはノーチェへの警戒を高める。
「……さて、本日は《四聖剣》のもとへ向かうとのことでしたが」
気の抜けた会話が続いていたが、ここで一気に話は真面目な方向へ舵を取った。
アマネもすぐに気を引き締める。本来、彼らとの関係は油断ならないものなのだ。
「……ええ。……え、ついてくるのですか?」
「当たり前だろ。お前の交渉が失敗したら、その場で戦闘に突入する」
「……――殺す、ということですか」
「当然そうなるな、必要な情報はお前が持ってるんだろ? 生かしておく理由がない」
「……貴方の目的は、ザフィーア様なのですよね? なら、なにも殺す必要は……」
「そうですね、来るべき時に、《四聖剣》の邪魔が入りさえしなければ」
ノーチェの補足。アマネは彼らの目的、その概略を聞かされていた。
ザフィーアを討ち取る、そのために《四聖剣》を排除する。
「殺さずとも、どこかへ監禁しておくだけでいいのでは? ……場合にもよりますが、私がレイン様の足止めを引き受けても構いません。それで彼女の命が助かるのなら……」
「不確定な要素を残したくないな。お前を信用できたとしても、突破される可能性がある。確実を期すなら殺す以外ない」
「――――復讐のために、仇以外の者も殺すと?」
「ああ、必要なら誰だろうと殺す。フルグルには殺す理由が山程があったが……そうでなくとも、俺は『俺の邪魔になる』というだけで、そいつを殺す。俺は殺人を楽しむ趣味などないが、それでも躊躇う程の博愛主義者でもない。そもそも、戦闘になる場合――レインとやらはお前の信じた正義に反してるんじゃないか?」
「……そう、かもしれませんが……それでも、命を奪うことには反対です」
レイン――師との交渉がどういう結果になったとしても、フルグルの時とは違う。
命を奪うべきである人物であるはずがない。
それに、そもそもアンフェルでの一件は状況が許さなかったとは言え、どんな事情があろうが、アマネは殺しには反対だ。
「……ヒギリ様。監獄からいくつか拝借した物の中に、魔力を封じる魔導器があります。これを相手につけ、こちらの協力者に引き渡し事が済むまで監禁しておけば、それで戦力を削ぐという目的は確実に達成できるかと」
「……それなら!」
ノーチェの言葉を耳にして、アマネがヒギリを見つめ、答えを促す。
「……確かに命を奪うこと自体が目的な訳じゃない。俺とフルグルは同じクズだが……俺は殺人鬼とは違う。確実性が保証されるならなんでもいいんだ。……俺が本当に奪わなくちゃいけない命は、一つだけだからな」
どうにか落とし所を見つけられて、一息つくノーチェ。
アマネも同じくほっとして――そこで気づく。相反する想いに。
ヒギリは恐ろしい存在だ。口を開けばすぐに命を奪うと軽々しく言ってのける。だが、まったく話が通じないとも思えない。フルグルのような、相互理解が不可能に思える相手ではないのだから。
それ故に、彼とだって理解し合うことはできるのではという希望が見えてきた。アマネはどんな相手とも、理解し合うことを望む。それを簡単に諦めた世界に、平和はない。理解を拒絶し、相手の存在をすり潰すことばかり考えていては、アマネが想う英雄にはなれない、正義を成せない。
同時に――なぜ、彼のような人間があそこまで修羅と化すのだろうかという疑問も強まる。
ザフィーアへの憎悪。核はそこか。以前は信じるはずがないと言われたが、今はどうだろうか。機を見て、もう一度彼の過去について聞き出さなくてはならないと、アマネは強く感じた。
そのピースが欠けたままでは、彼のことは絶対に理解できないはずだから。
◇
「師匠のもとへ向かう前に、個人的な用事があるのですが構わないでしょうか?」
朝食の際にそう切り出したアマネ。
メニューは、リンゴの果汁を絞ったジュースに、アマネとノーチェはハムや卵を挟んだサンドイッチ。
「ついていってもよろしいでしょうか?」
「……監視のため、ということですか?」
「はい」
「はっきりと言いますね……」
「誤魔化したほうがよかったでしょうか」
「いえ、正直に言ってもらえたほうが。監視もなしに許可されたのなら、それはそれで尾行などを疑いそうなので」
「では、監視いただきますね、アマネ様」
にっこりと微笑むノーチェ。やはりどこか一筋縄ではいかない女性だ。
「……ところで、あの……それ、なんですか?」
「……あん?」
アマネはヒギリが食べているものに、怪訝そうな視線をやった。
端的に言えば、『野菜の山』であった。緑と白の山、その下にはどろりとしたマグマめいたスープが泡立っている。その中には細長いなにか……麺だろうか。
アマネにとって、それは未知の食べ物であった。
「こいつは、『メンカタカラメヤサイダブルニンニクアブラマシマシ』というらしい」
「――――は?」
「ノーチェが見つけた先史時代のレシピを再現させたものだ。これで完璧に再現できてるのかはわからんが、美味い」
「はあ……めんかた? よくわかりませんが、すごい名前ですね……見た目もすごいですし」
「そうだな。先史時代の人間が考えることはよくわからん。まあ、美味ければなんでもいいがな」
――あなたもよくわからないです、朝からそんなものを……という言葉を、アマネはジュースで喉の奥へ流し込んだ。
「先史時代の方達は味覚が……その、少し今とは異なり、独特だったのでしょうか。それに、独特の食文化を持っていたようですが……」
「……メシがないよりマシだろ」
「……それは、そうですけど」
皮肉は流されてしまった。
それにヒギリの言うことは一理ある。彼の今食している物も含め、彼らの食事はこのご時世にしては思いの外豪勢がで、懐事情もそう悪くないようだ。
なんでもノーチェには《遺産》を利用した独自の資金源があり、金銭面では困っていないらしい。
その辺りもあまり反逆者らしくない……とアマネは半眼でヒギリを睨んだ。
そして気づく。
――要するに、ヒギリの現状はノーチェのヒモなのだと。
「……ふふっ」
「……なに笑ってんだよ」
「なんでもありません」
◇
――「また出たらしいぞ、『血雨の亡霊』」
――「おっかねえなあ。行方不明者も増え続けてるんだろ? レイン様はいつになったら巨大種を……」
――「めったなこと言うもんじゃねえ。俺達は黙って祈ってるしかねえだろ。ザフィーア様が世界に平和をもたらして下さるんだ。その部下であるレイン様を疑うってのか?」
出掛けのことだった。朝食を取っていて宿に備えられていた食堂で、ある噂を聞いた。
詳しく聞いてみると、この街では今様々な異変が起きているらしい。
巨大種が現れ、雨が止まなくなったというだけでなかったらしい。むしろ、巨大種よりもそちらを恐れている人間の方が多いそうだ。
『血雨の亡霊』。
血に染まったような赤色のローブを着た、目深にフードを被った、小さな女の子の幽霊。
そいつが現れた日の翌日、街から誰かが消える。
止まない雨を齎す巨大種は、街から少し離れた森の奥に広がる湖にいるが、《四聖剣》であるレインによって封じられ、街を直接襲うことはないという。
だが――亡霊は街に現れる。誰かが襲われたということはなくとも、街か人が消えていく。
話を聞いて、アマネの胸中に暗い不安が浮かぶ。
この街には、師であるレイン以外に師についてきているはずのかつての仲間がいるのだ。その仲間達が犠牲になっていないだろうか。嫌な想像ばかりが脳裏を掠めていく。
◇
――――ほら、あの子よ……英雄になりたいって。
――――身の程知らずね。どこの生まれとも知れない分際で英雄? そもそも、英雄というのはザフィーア様のためにある言葉でしょう。まさか、ザフィーア様に成り代わろうという反逆の宣言かしら。
騎士学校時代。
アマネはその優秀さ故に周囲の嫉妬を買っていた。
生まれのこともある。彼女の大きな夢を恥じることなく語る性格も原因なのだろう。
陰口を叩かれることなど日常茶飯事で、しかしそんなことは気にしていなかった。
彼女は飛び切り優秀で、特別措置の飛び級を繰り返したので在学期間も短い。
小さな空間で燻っているよりは、早く優秀な星騎士となって人々を救うことで――そうして、記憶の残滓にいる憧憬に追いつくことで頭がいっぱいだった。
…………それでも、気にしてないといっても、やはりまったく傷つかないという訳ではなかったが。
しかし――
――――きっとアマネなら、なれるよ! 誰よりもすごい、英雄に!
そんな彼女にいつも親身になってくれる友がいた。
アマネは雨の中、足早に目的へ向かう。
向かう先は、『星導騎士団・レーゲングス管区兵舎』。
そこにアマネが騎士学校時代に寝食を共にし、共に厳しい訓練を耐え、夢を語った友がいる。
「こちらにセーラ・ラルムはいらっしゃいますか?」
セーラ――それが友の名だ。
彼女はこのレーゲングスの街が故郷で、ここに《星騎士》として配属されることを喜んでいた。
幼くして父を亡くし、母を大切に想う優しい少女だった。
父を亡くしたセーラと、両親を知らないアマネ。二人は抱えた孤独の部分で共感しあっていたと思う。
兵舎にいた誰に聞いても、同じ答えが返ってくる。
表情は皆一様に暗い。
返ってくる答えはこうだ。
――――セーラは、行方不明になっている。
――――きっと『血雨の亡霊』の仕業だ。彼女がいなくなる前に、亡霊がこの辺りで目撃されたんだ。
アマネは兵舎を後にする。
その足取りは、重たいものだった。
雨は、激しさを増している気がした。