6 心のままに、貴方様のために/■■■■■■■■■■■■
「…………大変遅れてしまい申し訳ございません。
貴方様が果たすべき復讐の奴隷――ノーチェ・トリウィア。
ここに貴方様をお迎えに参りました。
さあ、ヒギリ様――始めるとしましょう。
――――貴方様の、心のままに成される復讐を」
いつか遠くの、失われた穏やかな日々の中――そこで、ヒギリに救われ、それ以降ずっと想いを寄せながらも、物陰から彼を見つめていた少女。
――――ノーチェ・トリウィアが、地獄の底へと舞い降りた。
◇
――いつかこの日が来ると知っていた。そのいつかが、どれだけ先になるのかわからずとも地獄の底で、男はそれを信じていた。
――いつかこの日が来ると知っていた。そのいつかを、少しでも早くと、忠誠を誓った彼との再会を、復讐の再開を、彼女は待ち望み、そのために尽力していた。
三年前。あの悲劇の夜、ヒギリの最愛は奪われ、アステルの村は滅びた。
では、その後に何があったのか。
あの日、あの夜――全てを奪われたのは、ヒギリだけではなかった。
ノーチェは、生き残ってしまったのだ。
何も守れなかった――全てを捧げると誓った男が、全てを奪われる最中に、何も成すことができなかった。
だから、ノーチェの復讐はザフィーアにではなく、過去の弱い自分へ。
彼女はあの夜、地獄と化した村で、逃げ惑っていた。リウビアが死ぬところ、アザミが殺されるところも、見ていたのだ。ただ、見ていた。何も出来ず、恐怖に縛られ、助けねばという意識に追い立てられても、それでも踏み出せず……ただ、見ていた。
かつてヒギリに助けられた時から、己の命の使い方を決めていたはずなのに。
何一つ出来なかった。何一つ成長していなかった。
――――それでも。
なにもかもが手遅れになった後で、ノーチェはやっと飛び出して、意識を手放したヒギリを連れ去り、逃げて、逃げて……。
逃げ出した先、残されたのはたった二人。
リウビアは死んだ、アザミは死んだ。ヴァンがどうなったかはわからない。
ザフィーアは、これまでの全てが嘘だったように豹変し、凶行に走った。
世界が足元から崩れ去った、何もない暗い世界。
真っ暗な夜天の中にたった一人――星のように彼だけが残されていた。
何も変わらない。
世界が壊れる前も、世界が壊れた後も、ノーチェの魂が叫ぶ、成すべきことは一つ。
ヒギリのために。ただそれだけだ。
命が助かった後も、地獄は続いた。
異形と化したヒギリの四肢。異形化は侵攻し、ヒギリの体を蝕む。その度に、ヒギリは自ら四肢を引きちぎり、切り落とした。そうすれば、侵攻を停滞させることが出来た。
しかし切り落とす度に、異形の四肢は再生する。
切り落とす、再生、切り落とす、再生――繰り返す度、ヒギリは激痛に苛まれ、狂ったように吼えた。
その身を業火へ放り込んだような苦痛が、痛覚の全てを細い針で刺激するような、命を絶った方が遥かに楽というような苦しみが彼を襲う。
彼は耐えた、耐え続けた。獣のように咆哮し、暴れ狂う彼の手が、ノーチェの体を傷つけたこともあった。ノーチェの胸元には、今も深々とその時の爪痕が残っている。
◇
「……すまない、俺は、取り返しのつかないことを……ノーチェ……俺は、お前を……」
ノーチェを傷つけた異形の右手を、同じく異形の左手で握りつぶしながら、何度も何度も彼女へ謝罪を繰り返し続ける。
「……おやめくださいヒギリ様……。私は奴隷。この体、この心も……全ては貴方様のために。それがわたくしが心のままに望むこと。道具を傷つけたことを悔やむ必要など……」
どこか矛盾した言葉。
心のままにと言いながら、道具に徹すると、彼女は言う。
彼女の美しい体に、消えない傷をつけた。ヒギリはもう、自分が人間ではないことを痛感した。それでも、止まる気にはなれなかった。
ノーチェは昔から、自身のことを卑下してしまう。それは、彼女がかつて抱えていたある問題に起因するもので、ヒギリはなんとかしてそれを取り払うことを願っていたはずなのに。
今は、彼女のその部分を利用していた。
彼女は絶対に裏切らない。道具と言った。その言葉は、何よりも信頼できる。
動作不良など起こさない、完璧な道具だと信じられる。
彼女を傷つけたこと。
彼女を利用していること。
彼女を、人として道具として扱うこと。
終わらぬ自己嫌悪が湧き上がっても、全て無視した。
それら全ても、この憎悪に比べれば……。
◇
彼女は何度傷つけられても、彼に尽くした。
それが、彼女の存在意義だから。
だが、激痛を襲われ続け、正気の全てを狂気に塗りつぶされそうなヒギリを繋ぎ止めていたのは、ノーチェの献身ではなかった。
無論、それもあるが、それよりもずっと強く彼の意識を繋いでいたのは――ザフィーアへの憎悪。
今更痛みなど、アザミを奪われたことに比べればどうでもよかった。
ノーチェだってわかっていた。
どれだけ必死に彼に尽くしても、彼の世界にあるのは、アザミを奪われた絶望と、ザフィーアへの憎悪だけ。
それでも構わない。
彼が彼の成し遂げたいことのために前へ進んでいるのならば、それが自分の生きる意味になる。
ヒギリを苦しみから救うため、ノーチェが努力し続けた結果――やがて、異形化をコントロールする方法が見つかる。
トリウィア家は、海運業で財を成した一族で、あの夜に亡くなった両親の遺産は、ノーチェの元にあった。この時代、海運業を営む者達がある事業に手を伸ばして成功するということが多々あった。
――《先史文明の遺産》。
どれ程の過去かもわからない、製造方法も、詳しい仕組みもわからない。
現代では再現不可能な技術で生み出されたと思しき不思議な道具の数々。
それらは莫大な富を生んだ。トリウィア家も《遺産》を回収する事業に手を出しており、ノーチェの父も《レガシー》には執心していたという。
父は、《レーゲングス》という街に工房を残していた。ノーチェはそこで《レガシー》を目の当たりにし、確信した。この力は、必ずヒギリの復讐の役に立つと。
――《魔導工学》。
先史時代の人類は、肉体を鋼鉄へ置き換え、肉の体のままでは至らぬ領域を目指した。
ノーチェはそれらを学び、同様の施術をヒギリへ行う。
鋼鉄の腕も、異形化してしまうのか。
答えは否。
そしてヒギリは右腕と両足を、鋼鉄へ作り変えた。
最初は、四肢全てを置き換えた。だが、そこで問題が発生する。
人体でない部分は、異形化が起こらないが、元々異形化していた部分全てを切り落とし、人体以外に置き換えても、異形化は収まらず、四肢以外へ広がっていくのだ。
ノーチェは頭を悩ませた。何度も検証を繰り返した。
実験はヒギリの体で行うのだ。試した数だけ、長引かせた分だけ、ヒギリを苦しませてしまう。焦燥に駆られながら、ノーチェは必死に答えを探し続け、やがて辿り着く。
四肢の一つでも異形化をさせておけば、四肢以外への侵食は起こらない。
どうやっても侵食を止められないのなら、『止める』という方法とは別の対処をすればいい。
そして出来上がったシステム、それは。
まず左腕の上腕部に接合のための部品を取り付け、その先に鋼鉄のものではない、『生身の腕』を取り付ける。魔力による神経接続により、その腕は己の肉体のように動かせる。『生身の腕』の調達は、死体置場から新鮮なものを。
これにより、生体の左腕だけが異形化し、残りの右腕、両脚は鋼鉄の義肢に。これで四肢以外への異形化は起こらない。
だが、左腕の異形化が進めば、やがて全身に侵食は進む。
侵食が進めば、ヒギリの自我は変容してしまうはずだ。あの夜、村で自我の残滓に支配されて殺戮を繰り返していた鬼達のように。
そこで考えたのが、左腕を使い捨てるというもの。異形化が危険域に到達した時点で、左腕を切り捨て、また新たな生体腕を装着し、異形化させる。これを繰り返せば、異形化を左腕のみで留めておけることを、ノーチェは発見したのだ。
使い捨ての生体異形腕。
狂気じみた発想かもしれない。常に新鮮な腕が必要などというのは、化物の在り方かもしれない。だが、構わない。余人の感想など気に留める必要はない。
――かくして、ヒギリは《異形》を支配下に置いた。
あの夜――異形化が進んで、自我を失い、完全に化物となっていった村人達とヒギリ、何が違うのか。どうしてヒギリは、この対処のために膨大な時間を要したというのに、その間も意識を保っていられたのか?
仮説はあるが、正確なことはわからない。だが、どうだっていいのだ。ヒギリは克服した。自我を保ったまま、異形の力だけを扱えるようになった。
正体不明のわからない力。仇敵が振りまいた災禍。
不明点だらけの中で、確かなことがあるのなら――この力は、利用できるということだ。
復讐のためなら、忌むべき力すら利用する。
その後も、ノーチェは先史時代のこと、《魔導工学》のこと、異形化のこと、様々なことを調べ続けた。少しでも、ヒギリの役に立つために。
二人は、力をつけ、機を待ち、やがて行動を開始する。
《四星剣》が一人、ヴォルカとの対決。ザフィーアを討つための条件を整えるのに、彼を守護する《四星剣》の存在は邪魔だった。
一対一でザフィーアを倒せるかどうかもわからないというのに、彼に及ばないまでも強大な力を持つ星騎士が四人。四人が残ったまま、ザフィーアとの戦いに突入すれば、確実に敗北する。
では、どうするか――? 簡単だ、本命の前に、邪魔な四人をできる限り排除しておけばいい。それに、ザフィーアの居場所や行動予定などの情報も《四星剣》クラスの人物から引き出す必要があった。
◇
その女は言った。
「――キサマは、なぜザフィーア様に歯向かう?」
ヒギリは、世界の全てが信じられなくなっていた。あの男が、ヒギリから全てを奪った男が、どういう訳か今の世界では『英雄』とされている。
尊敬、崇拝、憧憬……そんなモノを向けるのか、あの男に。
だが、それはかつてのヒギリも同じ。だからこそ、度し難く、たまらなく不快で不気味であった。
その女の名は、ヴォルカ・パシオン。
彼女はフルグルのような、わかりやすい悪でも狂人でもなかった。むしろヒギリよりもずっと正しい者だったはずだ。
だが――絶対に相容れない者だった。
「ザフィーア様が、虐殺を……? 巫山戯るなよ、反逆者……そのような稚拙な虚言を、この私が信じるとでも思ったかッ!?」
彼女は、ヒギリの言葉を何一つ信じることはなかった。
ザフィーアを殺すこと躊躇することはないという確信があった。
では、他の者は?
この女は、ザフィーアを心酔しているが――アザミを殺したわけでもなければ、アステルの村を滅ぼしたことに加担していたわけでもない。
それでも、相容れなかった。
こちらのことを、微塵も信じる気がなかった。
殺せるのか。その迷いに答えが出るまで、相手は待ってはくれなかった。
――殺さなければ、こちらが殺されていた。
そして、激しい戦いの中……ヒギリの拳は、彼女を貫いていた。
「……ごめんなさい、■■■■…………私は…………ザフィーア様……理想を……」
彼女が最後に発した言葉を聞き取ることはできなかった。
迷いに答えは出なかった。だが、前提を変えればどうだろうか。話し合う余地がなかったが、しかしもしこれがザフィーアの目の前であったら? ならばヒギリは、ザフィーアを殺すための障害を排除することを迷わなかっただろう。
あの心酔ぶりだ、この女は間違いなく障害になった。
だから、こうするしかなかった。
彼女が悪でないとしても、それでも。
……この時ヒギリは、肉体だけでなく心までもが、もはや戻れぬ領域に足を踏み入れたことに気づいた。
自身の目的のために、悪を成した。
正しい者を、この手で殺した。
後悔するだろうか、絶望に涙するだろうか。
だが……なにも、なかった。
慟哭もなく、落涙もなく――彼の心には、ただ激しく燃える憎悪だけが残っていた。
◇
ヴォルカの殺害自体は成功した――しかし、そこまでだった。
激戦で傷ついたところへ現れた、二人の《四星剣》。
仮面をつけた謎の男――そして、もう一人がフルグル・モルスだ。
ヒギリの復讐は、一度はそこで終わった。
敗北し、囚えられ、二度と外の世界で出ることは敵わずに、晴らせぬ憎悪に身を焦がされたまま、地の底で力尽きる――はずだった。
ヒギリは信じていた。確信があった。地の底であろうと、共に復讐を果たすと誓った少女が、必ず来ると。
ノーチェは信じていた。確信があった。地の底であろうと、憎悪を燃やし続け、彼は自分を待ち続けているはずだと。
ヒギリは囚えられる前の最後の戦い、必死にノーチェを守り、彼女を逃した。それが次に繋がると信じて。
――――そして、現在。
地獄の底に、彼女は舞い降りた。
賭けには勝った。
――反逆の時は、今ここに。
この男は――フルグル・モルスは、ヴォルカ・パシオンとは違う。
ヒギリに無限の責め苦を与え、他者の命をなんとも思わぬ非道な男。
魔物をけしかけられたことは、こちらとしては好都合だった。
おかげで体が鈍らずに済んだ。復讐のための牙を研ぐのに役に立った。
――――だが。
「……さて、俺はやられたことにはたっぷりと利子をつけて返す性分だ。
あの男に仕えるイカれ野郎……フルグル・モルスだったか。
――テメェには随分と長いこと狭苦しい場所に閉じ込めてくれた礼を、たっぷりとしてやらないとな」
この男には借りがある。
この男は仇敵に与している。
この男も、己も、同様に救いようがない外道。
――――これだけ揃えば、この男を殺すことへの躊躇いなど、もはや微塵も存在しない。
「死死ッ、死死死死死死死死ッ!!
殺れるものなら殺ってみるといいのデスッ!
デスがァ、半端な輝きならば、一瞬でかき消しましょう!
アナタは愚者デスが、面白いッ! サア、サアサア、見せるのデス、アナタの輝きを!
アナタの命、その全て燃やし、ワタ死に死を与えんと向かってくるのデス!
命とは、死を前にした瞬間にこそ輝くものッ!
であれば、これこそ至高デス、これこそが死高デスッ!
始めま死ョウ! 命を賭死た――――輝きのための闘争をッッッッッ!!!」
復讐の障害を排除するのに躊躇いなどない赫怒の復讐鬼。
輝きなき命を摘み取ることに躊躇いなどない狂気の探求者。
二人の戦い、どちらが勝利するかは未知ではあるが、一つ確定していることがある。
相手を殺すことに躊躇などない二人が激突する以上は――――
――――どちらかが確実に死ぬ。
◇
6 心のままに、貴方様のために/■■■■■■■■■■■■
6 心のままに、貴方様のために/死が確定した戦いの幕開け