5 相容れぬ二人/■■■■■■■
鉄格子からやって来るのは、大抵が人間からは程遠い異形だが、どうやら今回はそうでないらしい。珍しく人間がやって来たかと思えば――異形の方が遥かに良かったと言いたくなる相手だった。もしくは、異形よりもなお、異形というべきか。
――フルグル・モルス。
憎むべき仇に忠誠を誓っている男であり、幽閉されたヒギリに魔物をけしかけている張本人でもあった。
実験だとか、魂の輝きがどうだとか、訳のわからないことを喚いていたが、そんなことはどうでもいい。
戦いを強制されることもどうだっていい。だが、ザフィーアに与するというのなら、それでこちらの邪魔をするのなら、殺す理由はそれで充分。
彼は、ヒギリがいずれ殺すことになると確信している者の一人だった。
そして、見知った顔の男とは別に、もう一人。
この場に似つかわしくない、小さな少女だった。
物々しい仮面をつけ、佇まいだけは歴戦といった風格だが、逆にそれが彼女の見た目と振る舞いの乖離を強調している。
必死に背伸びをしている少女。それが最初の印象だった。
だが、そんな思考は彼女が仮面を外した瞬間に消し飛ばされる。
真紅の髪。小さな背丈。それだけでもどこか彼女を思い起こさせていた。
だが、彼女はもういない。
そんなことは痛い程にわかっているはずなのに――、
「――――アザミ……?」
彼女の顔は、失われたはずの最愛である妹のアザミにそっくりなのだ。
「……誰かに似ていましたか? それとも、私は過去にアナタと会ったことが?」
「死死、なんと、これはこれは……」
あり得ないと思った。
不快な男が、不快に笑っていたが、今はそんなことはどうでもいい。
それよりも、この少女のことだ。
アザミは死んだ。
確かに死んだのだ。
あの日のことはこの目に、この胸に焼き付いている、忘れたことなどない。
ならばこの少女はアザミであるはずがない。
「……ああ、悪いな。知り合いに似ていたが、人違いだ」
「……その話、詳しくお聞かせもらえますか? ああ、申し遅れました、私はアマネセル・リュミエール。順序が前後しましたが、今日はアナタにお願いがありまして」
「……お前達には今更かもしれないが、ヒギリ・シラヌイだ。見てわかるだろう、俺が叶えてやれる願いなんてそうないと思うが?」
やはりアザミとは似ても似つかない。
アザミの活発な少女らしい口調とは真逆の、少女らしさを奥へ押し込めたような畏まった口調。風貌だけが同じで、中身がまるで別というのは違和感があった。
「いえ、簡単なものですので……私の問いに答えて頂ければいいだけです。私には記憶がなく……過去がありません。ですから、過去の手がかりを探しているのです。……そのお知り合いというのは今はどちらに?」
「……死んだよ」
「……それは……。失礼しました。では、何か私について知っていることは……」
「ないな」
「……重ねて失礼なのですが、似ている方というのは?」
「……妹だ。だがやはり他人の空似だろう。お前と妹はまるで違う。それに……妹は死んだんだ、俺の目の前でな。死んだ人間は、絶対に生き返らない」
「そう、ですか……」
ヒギリはそう口にしたが、内心でまでは同じことを思っていない。
これが他人の空似で片付けられることだろうか?
可能性はいくつも考えられる。
わざわざ似ている人物を探して、こちらへ寄越した?
顔を魔術か何かで作り変えて、アザミに似せた?
それとも、魔術を使って、この少女を作り出したのか?
――あるいは、これは考えたくない可能性であるが、妹を蘇らせたのだろうか?
なんのために。そもそも、そんなことができるのだろうか。
死者を蘇らせることは、魔術だろうが不可能とされている。しかしあの男なら、不可能を覆す方法を見つけていてもおかしくはない。
仮に妹の体だけを蘇らせたとしよう。
だが、それは本当にアザミだと言えるのだろうか?
目の前の少女は、記憶がないという。だとすれば、それはただの肉の器。アザミの魂が宿っていないなら、アザミではない。他人の空似と同じこと。
もしもそうならば、許せない冒涜だ。
殺すのみならず、死後もなお最愛を貶めるなど、どこまで憎悪を重ねさせれば気が済むというのか――。
全ては可能性。今はどれも仮定の領域を出ない。
しかし、もしもヒギリの推測の内どれかが当たっていたのなら……。
それに、推測は他にもある。
例えば、この少女はアザミを蘇らせたもので、記憶は失われているだけで、いずれ取り戻せるとしたら?
遠いあの日失われた彼女は元に戻り、また再び彼女との日々を過ごせるとしたら?
そこまで考えて、ヒギリは頭を振った。
下らない。あり得ない。心が擦り切れ、甘い幻想に縋ろうとしているだけだ。
仮にそうだとしても、アザミを一度殺した事実は変わらない。
少女の正体がなんであろうが、あの男を殺すということだけは確定事項。
憎悪は少しも萎えることがない。
もしも他人の空似でなく、このことにザフィーアが関わっているとすれば、またぞろこちらの心を抉る悪趣味な趣向だろう。
兄が見ている目の前で妹を殺し、その様を見せつけるような男だ。今更何をしようが不思議はない。
「……どうかしましたか?」
ヒギリがいきなり思索に沈んでしまったのが怪訝だったのだろう。少女が僅かに首を傾げている。
「……いや、どうもしない」
「では、もう一つ問いを」
「……まだあるのか」
不満げに顔を顰めたヒギリだったが、次の少女の言葉で、表情はさらに険しさを増す。
「ええ、これで最後の問いです――あなたは、この世界のために戦おうとは思わないのですか?」
「――……なにを言っている?」
……許せない、言葉だった。
聞き流すことはできない。
しかし言葉を咀嚼している間に、少女が口を開く。想いが溢れるように、言葉を続ける。
「ですから……なぜあなたは、力を持っていながら、それを正しいことに使わないのですか。あなたがどうしてヴォルカ様を殺めたのかはわかりません……あなたは許されないことをしました。しかし、だからこそ共にザフィーア様の理想のために戦い、その罪を償うべきでは?」
アマネセルだって、馬鹿なことを言っている自覚はある。
この男は大罪人、ザフィーアに反逆した狂人。彼の中に正義などないだろう。しかし、それでも諦めて切り捨てることはできない。彼は力を持っている、もしも彼が世界のために力を振るえば、一体どれ程の人が救われるだろうか。
その可能性を、諦められない。
「く、クク……ははは……ハハハハハハハハハハッッ!」
鎖に繋がれた男が、壊れたように笑いだした。鎖が軋む、背を反らせ、地の底から天に轟かせんばかりに、全てが可笑しいとばかり笑う。笑う。笑う。嗤う。嗤い続ける。
「……なにが、なにがおかしいのですかッ!?」
「なにが……? ああ、そうだな……いくつもあるが、まずなにより第一に、俺がザフィーアの理想のために戦うというどうしようもない戯言だな」
「なぜですか……彼の理想を知れば、誰だって……」
「ああ、世界を救うというやつか?」
「それを知っていながら……ッ!」
「――どうでもいい、ヤツが世界を救おうが、俺はヤツを殺す」
燃え盛るような熱い憎悪を秘めながら発した、凍りつくような冷たい声で断言した。
「……あなたには、一体なにが……?」
アマネセルには理解ができなかった。
フルグルのような狂った男でさえ、ザフィーアの理想を心酔しているというのに、この男は欠片も理解を示そうとしない。
どころか、あまつさえ――殺すなどと言ってのける。
――――ザフィーア・グラキエス。
《救世主》、《星導の英雄》、《不壊の氷刃》……様々な呼び名があるが、ただ《英雄》とのみ呼ばれることが一般的だ。
なぜなら、今のこの世界において、英雄とは――彼を示す言葉だから。
三年前、とある村を丸々飲み込んだ大規模な魔物化。その災厄を、近隣に被害が広がる前に収めたのを皮切りに、彼は世界を絶望の魔の手から救い続けた。
巨大種と呼ばれる強力な魔物の討伐。
彼の戦いは瞬く間に世界中に伝えられ、英名は轟き、やがてこの世界の希望となっていく。
人が絶望に飲み込まれる程に、魔物へと近づいてしまうこの世界で、彼の存在は人々の支えであった。
ここ数年、魔物の被害は増加の一途を辿っていき、絶望は降り積もり、人々は希望を見失い、負の想念――《不浄》が溜まり、魔物が現れては、また絶望が重ねられる。
そんなどうしようもない行き詰まった世界に現れたのが、ザフィーアという英雄だった。
彼が現れてから、魔物の被害も、魔物化が起きる件数も減少している。
そして彼は民に約束していた――この世界から、悲劇を一掃すると。
アマネセルは憧れていた。
自身の曖昧な記憶から溢れる願いと同じくらい――鮮烈に輝く英雄譚に憧憬を抱き、己もまた彼のような英雄になると誓っていた。
しかし――、
「無意味だな。信じるとは思えないし、どんな理由があろうが、俺はヤツを殺す。これだけは決まっていることだ……俺とお前に、これ以上話すことなどない」
この男は――英雄を殺すという。
「そうして対話を拒んでしまえば、わかり合えることなどないでしょう。いいえ、わかり合えずとも構いません……わかり合うことなどそう簡単にはできないでしょう。それでも、歩み寄ることをやめてしまっては……!」
悲哀に満ちた瞳で、必死に訴えかけてくる少女へ、ヒギリは冷ややかな目を向ける。
鬱陶しい。
真実を知らぬくせに。
現実を知らぬくせに――いいや、現実を知っていてもなお、理想を語っているのだろうか、どちらにせよ、下らない理想や綺麗事に興味はない。
不快な戯言を、最愛と同じ顔で垂れ流されるのは、一言では言い表せない複雑な想いがあった。
様々な想いがあるが、想いの表層、その大部分を占めるのは。
「――――黙れ。お前の理想と、俺の目的は絶対に相容れない。無駄なことをしている暇があるのなら俺の前から失せろ、そして一匹でも魔物を狩って人を救え」
胸中で蠢く数多の感情を握りつぶして、端的に要求を伝える。
もうこの少女の顔を見ていることすら苦痛でしかたなかった。
もしも彼女が誰ともしれない顔をしていれば、馬鹿なことを抜かしているとせせら笑っていればよかった。この鎖がなければ、あまりの度し難さに殺していたかもしれない。
その顔で戯言を並べられるのは冒涜に等しい。
冒涜であるのに、最愛にそっくりな顔をしているのでは殺してやることもままならない。
この瞬間だけは、腕の戒めに感謝した。
彼女を殺せるかどうか。ヒギリはそれを試すことすら恐れてしまう。
憎悪に塗りつぶされ、障害は全て握りつぶして突き進むと決めているはずなのに。
自身の今の在り方は放たれた矢だと――戻ることなく、過たず、ただ目的へ疾走するだけと、そう定義していたはずなのに、揺らいでしまう。
その弱さが、許せなかった。
「……わかりました。もう会うこともないでしょう、あなたはザフィーア様を殺すなどと吐きますが、それこそ戯言でしょう。ここを抜け出した者など一人もいないのですから……」
捨て台詞にしてはどうにも弱々しい語調の言葉を口にしたきり、彼女は仮面をつけなおし、踵を返した。
「死死ッ、死死死死死ッ! 面白いものが見れましたねえ、いやあ可笑死ィ! アナタは悪で、ザフィーア様の理想を解さぬ愚者ではありますが、しかしやはり面白いのデス……それでは《凶手》殿、いずれまた……今後とも、お掃除の方はよろしくお願い死ますよ? ではではァ~~~!」
フルグルも長い手を大きく振りながら去っていく。
その時――――轟音が響いた。
ぱらり……と砂礫が舞い落ちる。石造りの部屋が揺れ、軋んだ。大型の魔物でも暴れているかのように。
こういったことは、以前にもあった。しかしその時とは揺れ方が異なるように思える。
ここは《不浄》の場所だ、人が魔物化する可能性もある。
魔物は他の人や魔物を殺し、強力になっていくが、魔物化後すぐに巨大になるということは、ヒギリが知る限りではあり得ない。
それよりも、監獄の周囲に放たれている大型の魔物という可能性が高い。結界を張っている魔導器が故障したのなら、それが監獄へ侵入していても不思議ではなかった。
「オヤオヤ、ヤレヤレ、余計な手間デス」
どうあれ、ここには《四星剣》が二人。強力な大型だろうが、大抵の魔物では相手にならない。すぐに事態を収集できるだろうと、フルグルがそう結論した――、
――――その瞬間。
何かが、天井で閃いた。
――かと思えば、天井がバラバラに斬り裂かれ、巨大な岩石が降ってくる。
「……一体なにがッ!?」驚愕に凍りつきながらも、腰の剣を引き抜くアマネセル。
「オヤオヤこれは……?」対してフルグルは動揺も少なく、冷静に落ちてくる岩石の軌道を見極めている。
そして――ヒギリは、立ち上がり、腕を振り上げ、岩石を殴り砕いていた。
切断されたのは、天井だけではなく――ヒギリを戒めていた鎖も含まれる
三者はそれぞれ、難なく崩落から逃れていた。
巻き起こる砂埃。
その向こうに一つの人影が。
影が歩み出てきて、その正体を顕にする。
腰までの長い黒髪、妖艶な印象の、憂いを帯びた黒い瞳。
光の薄い宵闇のような瞳だったが――しかしそこには、確かな熱が秘められている。
漆黒の給仕服に身を包んでいる彼女はどこか儚げで、流麗な雰囲気を纏っている。
しかし、纏う雰囲気とは対照的に、その腕は鋼で包まれていた。
鋼の手――その手の甲には何かを巻き取る機構が搭載されており、手元へ戻っていくのは――たった今、石で出来た天井と、ヒギリの鎖を斬り裂いた鋼線。
鋼線は、その女性の足元――影が伸びたものに包まれ、漆黒に染まっている。
闇属性の、影を操る術式だろう。
少女は、この煤けた地獄の底には見合わぬ優雅な仕草で、スカートの裾をつまみ、足を引き、綺麗に一礼。
「…………大変遅れてしまい申し訳ございません。
貴方様が果たすべき復讐の奴隷――ノーチェ・トリウィア。
ここに貴方様をお迎えに参りました。
さあ、ヒギリ様――始めるとしましょう。
――――貴方様の、心のままに成される復讐を」
いつか遠くの、失われた穏やかな日々の中――そこで、ヒギリに救われ、それ以降ずっと想いを寄せながらも、物陰から彼を見つめていた少女。
――――ノーチェ・トリウィアが、地獄の底へと舞い降りた。
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5 相容れぬ二人/■■■■■■■
5 相容れぬ二人/舞い降りる漆黒