19 エピローグ 世界焦がす復讐鬼の追想譚〈メモリア〉、あるいは ■■■■■■■■×××
ヒギリからアマネへ託された、真っ赤な《想星石》。
それは三年前。全てが終わり、彼の復讐が始まる直前に、アザミからヒギリへ送られたもの。
ヒギリは何度も何度も、その中に込められたアザミの想いを繰り返し見返して、失われたアザミを強く想い続けていた。
だが、最後の戦いではそこに込められた想力すら使い果たし、その真っ赤な《想星石》も空っぽになっていた――――はずだった。
全ての記憶が消えていく中で、ヒギリは最後の想いを、空っぽになった《想星石》に込めていた。
◇
――なんて言ったらいいんだろうな……とにかく、すまねえ。ごめんな。わりい。……許せとは言わねえ。
……約束、なんにも果たせそうにない。
……俺は、ここまでだ。
アマネ――お前ともっと、話がしたかった。
お前の本当の父親の願いはわからないが、それでも、俺はどこかの『可能性の自分』にお前を託されたんだ。
俺はお前の父親じゃない。それでも……それでもだ。
お前を守ってやりたかった、
お前と一緒にいたかった。
お前の夢を、叶えてやりたかった。
俺やザフィーアは、もうこの世界には必要ない。
自分勝手に人を殺す復讐鬼も。
自分勝手な救済を押し付ける英雄も。
この世界からしたら、いい迷惑だろ?
でも、お前は違うよ、アマネ。
この先の世界で必要になるのは、きっとお前だ。
お前が英雄になったところを、見届けたかった。
お前と一緒に、世界を守りたかった。
お前を……愛して、やりたかったよ……。
俺は、お前の在り方が好きだった。
これは別に、お前が娘だからって訳じゃない。それを知る前から思っていたことだ。
お前の考えは気に食わねえ。
お花畑の理想論を語られるのも、博愛主義にもうんざりしてた。俺の復讐は、そんなこと考えてたらどうやったって成し遂げられないからな。
でも……お前が、お前自身の在り方を貫こうとするのは、絶対に自身が信じた道を譲らずに突き進む姿は……どこか、俺がそう在りたいと願う姿に似ていた。
だから、お前とどれだけ相容れなくても、俺はお前の在り方が気に入ってたんだ。
別世界での娘だからでもない。
妹に似ているからでもない。
勿論、お前に異性としての魅力なんて感じないし……ああ、これ別に娘だからとか関係なくな? ノーチェのが胸でけーしな、悪いな。一言も行ってなかったが、俺はそっちのがタイプなんだよ。お前みたいなちんちくりんはごめんだ。
――――でも、やっぱり俺は、お前が好きだったよ。
兄妹でもない。親子でもない。恋人でも、友人でもないよな……。仲間でもなかっただろうし……なんだったんだろうな、俺たちは。
俺達の関係に、きっと名前はないが……でも、そんな関係を、俺は気に入ってた。
……こうは言ったが、それでもお前を娘として愛してやりたい気持ちもあるけどな。
ノーチェならそこは反対しないだろう。お前はどうかな……俺らみたいな……いいや、俺みたいなろくでなしが親じゃ嫌かな。……まあ、もう言ってもしょうがねえか。
長々と悪いな。
最後に、これだけは言わせてくれ。
――――お前ならきっと英雄になれる。
ザフィーアみたいな極端なやり方じゃなく、少しずつ、心を蔑ろにせず、世界をよく出来ると信じられる。
誰しもが、心のままに。
でも、他者を傷つけるような勝手な振る舞いを野放しにする訳でもなく。
ザフィーアでも、俺でもない、お前だから作れる世界があるはずだ。
だからさ。
そう確信していたから、俺は心のままに復讐を貫けたんだ。
俺が復讐を貫けたのは。
俺が、俺の心のままに、魂の叫びを貫けたのは――――お前のおかげだよ、アマネ。
…………アザミ。
気づいてやれなくて、悪かった。
俺はダメな兄だ。
もっと早く、俺が気づいてやれば、お前を苦しめなかった。
再会した時のお前を見て、気づいたよ。
お前が抱えてたもの。
俺がかつての暮らしで、まったく気づいてやれなかったこと。
でも……お前の想いには、答えてやれない。
俺はノーチェが好きだ。
俺が、女として愛したのは、ノーチェだけなんだ。
…………まあ、初恋はリウビアなんだけどな。
お前は妹で……アマネは、どう表していいかわからない……妹のような、娘のような、そのどれとも違うような、大切な存在だ。
これだけは信じてくれ。
俺は、お前がどんな罪を犯しても。
それでも、お前のことが、誰よりも大切だ。
アザミ。お前は、なにがあっても、どんなことをしたとしても、俺の大切な妹だ。
ノーチェはきっと……お前のこと、許すんだろうな。
俺もそうだ。だから……どうか、どうか幸せになってくれ。
お前を守れなくて、お前を幸せにしてやれなくて、ごめん。
……アマネを頼むな。
お前の姪だ。俺の忘れ形見だ。
――――じゃあな、ふたりとも。
――――俺の魂の全てを賭けて、愛している。
◇
ヒギリの《想星石》に込められていたメッセージを聞いて、アマネとアザミは、ずっと泣き続けた。
偽りの星が降る夜の下で、泣いて泣いて、ずっと泣き続けた。
泣き続けて、先に立ち上がったのは、アマネだった。
それからの日々は、とても大変だった。
それこそ、ヒギリと共に歩んだ、復讐の旅と同じくらいに。
――――さあ、ここからは、彼女の英雄譚の幕開けだ。
◇
この世界に残された問題。
魔物に脅かされ、悲劇に満ちた世界。
まずアマネが成し遂げたこと。
雨の降り止まない町、レーゲングスに置き去りにした親友、セーラのこと。
アマネは彼女を救う方法を探した。私情のみでそうしている訳ではない。
異形化。
この世界の人々を苦しめるその現象に対抗するには、まず巨大種について調べるのが有効だと思ったのだ。
そして、見つけた。
――――巨大種を、人に戻す方法が見つかったのだ。
ヒントになったのは、ヒギリとアザミだ。
彼らは、異形化しても自我を失っていない。
異形化をコントロールしている。
彼は異形化を抑えていた。
ヒギリは異形化した腕を鋼鉄の義肢へ置き換え、さらに異形化した部分を使い捨てるという荒業で、異形化を抑えていた。
アザミに至っては、ヒギリよりもコントロールの練度では上だろう。彼女は義肢を使わずに、進行を抑えていたのだ。
彼ら二人の共通点。
シラヌイの血族という部分もあるが――しかし、アザミのことを調べていく内に判明した。
異形化のコントロールに必要なのは、強い感情――つまりは、意志だ。
後に発見された、ノーチェの遺していた資料の中でも指摘されていた。
異形化の進行速度には個人差がある。
その差を、ノーチェは未練の強さだと推測していた。
ヒギリやアザミに当てはめて考えてみても一致する。
ヒギリが抱えたザフィーアへの憎悪。
アザミが抱えたヒギリへの狂愛。
なるほど確かにこんな強い意志は簡単には消えないだろう。アマネはそう思いつつ、異形化の研究を進める。
鍵となるのは、《想星石》だ。
誰しもがヒギリのように強固な意志を持つ訳ではない。
だが、意志を補強する方法がある。
まず、異形化をコントロールする方法。
異形化した者に、強い意志を抱かせる。アマネはこのことを世界中に伝え、誰しもが《想星石》を身につけることを推奨した。特に異形化の危険性が高くなる、魔物と戦う星騎士や、《不浄》が溜まりやすい場所に向かう者達にとっては、やがてそれが常識となっていく。
異形化したとしても、身につけた《想星石》によって、自身の記憶を強く強く想起する。それにより、異形化の進行を抑えられる。
さらに研究が進んだ。
そしてついに、巨大種を人に戻す方法が発見される。
巨大種へ、人間だった頃の記憶を込めた想力を叩き込み続ける。
成功するかどうかは賭けだったし、危険も伴った。
それでも、アマネはかつての親友であった巨大な竜と向き合い、それを成した。
セーラが巨大種になってから日が浅かったのもあるのだろう。
彼女は自我を取り戻し、やがて竜の内部に格となっていた彼女の体を取り出すことに成功した。
だが――彼女の母は、手遅れだった。
セーラが人に戻ってから最初にしたことは、竜と化した母を殺すこと。
「――お母さん……ずっと、私を守ってくれて……ありがとう……」
その小さな竜は、異形と化して、自我を失った後も、ずっと娘を守っていた。
巨竜と化している間のセーラの記憶はぼんやりとしているが、それでも、ずっと母の温もりを感じていたような気がしていた。
雨に打たれ続け、冷え切っているはずなのに、そんな温もりを感じていた気がしたのだ。
セーラは泣き続けた。
アマネも、一緒に涙を流した。
――――それが、最後の悲劇だった。
レーゲングスの雨は降り止んだ。
雨の原因は、巨大種であるセーラだ。彼女が人に戻った以上、魔力により生み出されていた雨雲も晴れていく。
雲の隙間から差し込む陽光を目にして、アマネはまた泣いた。
「……レイン様……これが、ずっと……貴方が見たかったものですよね……」
アマネはそう小さく呟いた。
彼女にそれを見せることはできなかった。
それでも。
あの復讐の旅で降り積もった悲劇があったからこそ、こうしてアマネは、世界から悲劇を晴らしていくことができるのだ。
誰も救えないと思っていた。
英雄になんてなれないと思っていた。
正義はどこにもないと思っていた。
――――何もかも取りこぼすと思っていた手で、誰かを救うことができた。
◇
異形化のコントロールが可能になったことで、人々は、これまでよりも魔物に怯える必要はなくなった。
異形化したとしても、自我は消えない、人を襲うことはない。
それは、あまりにも革命的な発見で、人々の希望となった。
――――ザフィーアを失った世界は、絶望に包まれてしまうはずだった。
しかし、そうはならなかった。
新たな英雄――アマネセル・リュミエールがいたから。
アマネは、世界に嘘をついた。
身を引き裂かれるような、嘘だった。
世界を救うはずの救世主、ザフィーア・グラキエスを殺した男。
――ヒギリ・シラヌイは、新たな英雄アマネセルによって討たれた。
世界は、新たなる英雄を歓迎した。
英雄は希望となり、人々の心を支え、負の想念を打ち払う。
何度も本当のことを叫びたくなった。
ヒギリ・シラヌイという男の真実を、世界中に告げたかった。
だが、それはできない。
彼を受け入れることができるのは、彼の間近で、その魂を見届けた者だけだとわかっていたから。
ヒギリのしたことは、その表層だけを見れば、英雄であるザフィーアを殺したという、悍ましい行為。
ヴォルカ、フルグル、リウビア、ヴァン……世界を守る四星剣達を殺した。
それが失われた最愛への想いの証明だとしても、彼がどれだけ優しかったとしても、自身の在り方を貫いた結果だとしても。
そんな想いを、彼のしたことを後から聞かされた人間が汲み取れる訳がない。
彼と共に旅をしたアマネだけが、彼の想いを知っている人間になった。
世界中で、アマネだけが、ヒギリを英雄だと知っている。
アマネだけが、彼を英雄だと信じられる。
アマネが嘘を突き通した。
綺麗事だけでは、世界は変えられない。
彼女は自分の信念を貫くために、誰よりも大切な人を汚した。
――――世界を騙して、最愛の人に泥を塗ったまま、真実を胸にしまった。
◇
十三歳という若さで、世界を救った英雄となった少女。
彼女はその後も、あらゆる最年少記録を塗り替えて、英雄の道を駆け上がっていった。
星導騎士団の団長。
かつてのザフィーアの地位に至り、様々なことに着手した。
彼女には、その地位が本来持つ以上の権限を与えられたが、それを悪用することなく世界のために使い続けた。
先史時代兵器の規制、封印。
あまりにも危険すぎる兵器は、今の人の身には余る。新たに先史文明の探索をすることも厳しく規制していく。
ただ、そうなると、魔物の脅威に対抗できる手段が限られてしまう。
だから、同時に別の対抗策も実行していく。
彼女が選んだ対抗策は――魔術学校の設立。
騎士学校以外にも、魔術を学べる学園を世界中に作った。
誰か一人の英雄が、世界を救う必要などない。
誰しもが魔術を学び、周りの誰かを守っていけば、魔物に怯える必要はない。
星騎士の数が増えていくのに連れて、先史時代の規制を強めていく。
そうやって適切なバランスを考え、少しずつ世界を良くしていく。
ザフィーアのような極端なやり方には頼らない。
ヒギリがかつて考えていた通りだ。
アマネは、ヒギリやザフィーアを見てきたからこそ、彼らのどちらにもできないやり方で、彼らのような極端な方法を選ばずに、少しずつ世界を変えていける。
◇
アマネセル、19歳。
あれから六年。
あの旅の時のヒギリと同じ年齢になっていた。
彼女の功績は、あまりにも大きい。
教科書に載っている自分に関する記述を読んで、アマネは照れくさそうに、どこか後ろめたそうに、困ったように笑った。
「ほらね? 言ったでしょ? 私は最初から信じてたよ」
――――きっとアマネなら、なれるよ! 誰よりもすごい、英雄に!
隣の親友は、得意げに笑う。
セーラは今も、アマネのもとで力になってくれている。
――――「いつかアマネが英雄になったら、私もそれを支える四星剣の一人くらいにはなれるように、頑張らなくちゃなあ」
遠い昔日で語った通り、セーラは現在四星剣になっていた。
現在の四星剣のメンバーは……。
「アマネ様っ! 例の魔物の討伐、完了しました!」
人懐っこい笑顔で駆け寄ってくる少年。
銀色に輝く義足。そこから繰り出される強烈な蹴撃により、数多の魔物を倒してきた。
彼の名は、アグノス。
――――「僕、アグノスって言います……。いつか、ここを出られたら……おねえさんにお礼がしたいな。でも、無理かなあ……」
《監獄迷宮アンフェル》での戦い。
フルグルとヒギリの戦いに巻き込まれ、足を撃ち抜かれた少年は、一度はもう二度と歩くことはできないと言われた。
しかし、それでも彼は諦めなかった。
「もう~、アグノス? 無茶はやめてよね」
セーラが呆れたように言う。
「いいじゃないですかっ、勝てたんですから!」
「そういう問題じゃないよ。あなたが怪我したら私が嫌なの」
アマネはセーラとアグノスをやり取りを見て微笑む。
二人は今度、結婚することになっている。セーラが心配するのは無理もないだろう。
「アマネ様。こっちも楽勝だったスよ」
「わうんっ!」
気だるげな態度で、団服を着崩した少年。
その横には、灰色の毛並みの犬が付きそう。
彼の名はリベルタ。犬の方はアッシェ。
《デゼルト》で捨てられていた、あの赤子と子犬だ。
アマネも彼と再会した時は驚いた。自身が救った小さな命が、まさかここまで立派に育つとは。今では彼にも何度も助けられている。
無駄ではなかった。
あの旅の中で、自分が信じた正義は、間違っていなかった。
なにも救えないと思っていた。
なにも守れないと思っていた。
正義は無力で、世界には悲劇しかなくて、自分の信念にはなんの意味もないと折れそうになった夜は、何度もあった。
それでも今――あの日救った彼らに、アマネは救われ続けている。
セーラ、アグノス、リベルタ……そして、最後の四星剣は。
「……アマネ。確認されてた巨大種についての調査、終わったよ。あれくらいなら私一人で問題ないかな」
「……ダメですからね? また無謀なことするんですから、私も行きますよ」
アマネが拳を突き出すと、彼女は仕方ないとばかりに小さく笑ってから、拳をぶつけてくる。
――――四星剣最強の騎士、アザミ・シラヌイ。
アマネとアザミ。
一度は本気で殺し合った。
アザミは、アマネのことを世界の誰よりも憎んでいた。
…………それでも、彼女達はヒギリの想いを受け取った二人だ。
アザミは、今ではアマネにとって最高の相棒になっていた。
◇
そして。
彼女が英雄となって、世界を救い続けて。
それから、さらに長い時が経って…………。
◇
「ねえねえ、おばあさま! またあのお話聞かせてよ!」
「……またかい? あのお話が好きだねえ……」
しわだらけの老婆。
かつてはさぞ美しかったであろう赤色の髪も、今は瑞々しさを失っている。
それでも、彼女の笑顔は、とても可愛らしくて。
笑う度、幼い頃の姿を想像させられて。
いいや、そんなことは関係なく、彼女の笑顔は、見る者を幸せにした。
王国内にある孤児院。
窓際で揺り椅子に座り、いつも本を読んでいる老婆。彼
女が語る、とある英雄のお話は、子供達にとても人気があった。
その英雄は――彼は、とても荒々しく、一見とても恐ろしい。
しかしその胸の内には温かい優しさが灯っている。
彼女の妻は、その温もりに触れて心を得て、彼に尽くし続けると誓った素敵な女性だ。
二人の娘は、二人の愛を受けて、幸せに育った。
やがて、英雄は死んでしまう。彼の妻も一緒に。
だが――二人の娘は、英雄に憧れた少女は、二人の遺志を受け継いで、また、やがて英雄となる。
とても悲しく、とても優しく、とても美しい……そんな物語。
「…………ねー、この英雄になる女の子って、おばあさまのことって、本当ー?」
「さてねえ……どうだろうねえ?」
「え~~~!? おしえてよー!」
ぴょんぴょんと跳ねながら、揺り椅子を揺らす少女。
「ふふ……それは秘密だけど……あなただって、きっと英雄になれるわ」
「えー、ほんとかなあ?」
「もちろんよ。だってこんなしわだらけの私だって、そうだったかもしれないのでしょう?」
「……そっか! じゃあ頑張る! えーゆーになるっ! …………、あーっ!」
言葉の途中で、少女は他のことに気を取られていた。
誰かがやってきた。
少女の興味が、そちらへ移る。
少女が老婆のもとを離れると、来訪者のもとへ駆けていく。
来訪者もまた、少女。
赤色の髪の少女だった。
来訪者は、駆け寄ってきた少女の頭を撫で、何かを告げる。
少女はどこかへ駆けていった。
来訪者は老婆に話があるから、外で遊んでおいでと、そのようなことを言ったのだろう。
「…………久しぶり、元気にしてた? ――アマネ」
「……久しぶりね、元気にしてたわ。――アザミ」
アマネは年老いて老婆に。
アザミは、十三の頃から少しも変わらないままだ。
異形化が進んでいたアザミは、もう歳を取ることはない。
異形化を治す方法を、現在の世界では見つかっているが、発見された頃にはアザミは治療不可能なところまで進行していた。
それに、彼女は治すつもりがない。
これが、彼女の償いの形。
終わらぬ生。
己には、死すら生温い。
贖えぬ罪を、永劫に贖うために。
「…………もう、いくの?」
「……ええ、充分生きたわ」
アマネは自身の死期を悟っていた。
そして、アザミはそれを伝えられていた。
何十年も、戦い続けた。
アマネが戦えなくなってからも、アザミは何度もアマネのもとへ足を運んでいた。
「……アマネ」
「なにかしら」
――――ずっと、言っていなかったことがある。
何十年もの間、何度も何度も考えていたことがある。
怖くて、確かめていなかったことがある。
どれだけ共に戦っても、死線を共に潜り抜けても、聞けなかったことがある。
アザミは――――それは、彼女へ告げた。
「本当に……ごめんなさい……あの時のこと……。私のせいで、貴方の母は……それに、貴方の父は……お兄ちゃんだって、私さえ、いなければ…………。私さえいなければ、今だって、みんな生きていたかもしれないのに……馬鹿な私のせいで……みんな……みんな……」
アザミは泣きじゃくり出した。
中身は老婆と同じだけの年齢を重ねているというのに、この話をする度に見た目と同じ頃に戻ってしまう。
「もう、何度も言っているでしょう。気にしていないって。……でも、これからのことはお願いね。私がいなくても、この世界は大丈夫。でも、少し不安なの……貴方が見守ってくれるなら、私は安心していけるわ」
老婆が赤毛の少女の髪を撫でる。
まるで本当に少女かのように泣いてしまうアザミを、優しい声音で、優しい手つきで撫でていく老婆。
アザミは涙を拭うと、揺り椅子の上で、穏やかに眠る老婆に告げる。
「……ありがとう…………。さようなら、アマネセル……。出会った頃は、心の底からあなたが憎かったけれど……それでも、その後の人生では、あなたを……愛していました」
「ええ、ありがとう――――私もよ。私も貴方を愛していたわ、アザミ」
アザミは、アマネの胸元に花を添えた。
ここに至るまでの長い人生。
いつかの遠い日――二人は、こんな会話をした。
◇
「ねえ、アザミ……花言葉、というものを知っていますか?」
「……なにそれ?」
「先史時代の資料を調べている時に見つけたのですが、昔の人は花に意味を持たせていたそうです。素敵ですよね」
「へえ……。じゃあ、お兄ちゃんの名前になった花にも、なにか意味があったのかな?」
「そうですね……きっとあると思います。今度調べてみますよ」
◇
花言葉については知らなかったが、シラヌイの一族は名前を花の名前からつけるということはアザミも知っていた。
アザミ。ヒギリ。どちらも花の名前だ。
その花が、とても美しいことも知っている。
長い眠りについたアマネの胸元に添えられた花。
その真っ赤な花の名は――ヒギリ。
花言葉は――――『幸せになりなさい』。
一見すると、彼のイメージとはあまり合わない。
幸せに背を向けて、復讐に突き進んだ彼。
……しかし、最期に彼は、残された者達の幸せを願っていた。
英雄になりたいと願った空っぽの少女はやがて誰よりも偉大な英雄となった。
誰よりも偉大な英雄であった老婆は、とても幸せそうな顔で眠っていた。
ヒギリの願った通り、アマネの人生は、どこまでも幸せなものだった。
そして――アザミの花言葉は、『復讐』。
アザミはそれを知った時、皮肉だなと思った。
ヒギリの復讐のきっかけになった存在。
そして、自分自身も、アマネに八つ当たりのような復讐をしようとしていた。
愛した兄とすれ違い、世界すら焼く狂愛と復讐に身を落した少女は。
復讐とは正反対の、贖罪と救済のための、永劫の旅路に出る。
◇
復讐鬼はその想いを貫いて、散った。
英雄を目指した空っぽの少女は、その夢を叶えて、満足して生涯を終えた。
悲劇に満ちた世界から、少しだけ悲劇が取り除かれた。
魔物の脅威は大きく減り、誰しもが魔術を学べるようになった。
それでも、人間の争いは消えない。
だが、アマネはそれでいいと思った。なにもかもがすぐに良くなることなどないのだから。少しずつ良くしていくしかないのだ。
ザフィーアのようなやり方に頼ることはない。
きっと、自分がいなくとも、自分と同じような誰かが……いいや、きっとこれからの世界では、誰もが英雄を目指せるようになっているはずだから。
それに、アザミだっている。
少しだけ不安ではある。
彼女はこの先、どうなるのだろう。
いつか、彼女が自身のことを少しだけ許してあげられますように。
彼女が幸せであれますように。
そう願って。
英雄は――アマネは、その人生を満足して終えた。
◇
今だって、世界は完璧ではない。
人は愚かなままで、争いは終わらない。
でも、だからこそ。
今だって、人は空を見上げ、星の輝きに心を奪われ、花を愛で、歌を歌って、誰かを愛して、《想星石》に大切な想いを込めて、心のままに生きている。
ザフィーアの目指した、悲劇の消えた、心の消えた世界ではこうはいかないだろう。
――――美しいと想った在り方があった。
誰よりも苛烈な、炎のような生き方に憧れた。
誰よりも優しい、太陽のような在り方に憧れた。
彼がいたから。
ヒギリ・シラヌイがいたから――アマネは英雄になれた。
彼女がいたから。
アマネがいたから――ヒギリは復讐を果たせた。
二人の関係に名前はない。
だが――――二人は、互いの在り方を、なによりも美しいと思っていた。
世界焦がす復讐鬼の追想譚、あるいは世界照らす少女の英雄譚 fin




