真昼の男と、真夜中の女
大抵、美しいものは真夜中に生まれる。絵も小説も、それに夜の街を綺麗に飾りつけをし、「この街どうよ。」と言わんばかりのイルミネーションも、皆、生まれるのは暗闇の中。どうしてだろうか。夜の街は美しい。ネオンが輝き、歩く人々も皆どこか楽しげで、お酒でも飲んでいるのだろうか、顔には笑顔が絶えない。夜にはパワーもあると思う。誰かが誰かに告げるそれも、そこから始まるロマンスも、終わっていくシニカルな物語も、どれもきっと夜、という力を借りてこそ起こることだろう。真夜中に生きる人々に対して憧れる。でも、僕にはその中で生み出すものも、美しさを纏う勇気も、その力によって縋りたい相手もいないのだ。
だから、僕は昼に生きている。夜に何もかもが起きてしまうのなら、昼、という時間には価値はないのか。そんなことを時々考える。僕は、昼の太陽の光が反射するビルが好きだ。そいつらは空に向かって堂々と聳えたち何かに怯える様子もなくて強さの象徴であり、栄光の象徴であった。あんなところで働く人たちは、どんなにオシャレなスーツを身に纏い、キラキラしているのだろう。でも、そんな人たちも僕にとっては夜の人。皆、夜の快楽に向かって生きていく。
僕は、といえば工場群の中の小さな事務所に勤めていて、朝は早く太陽が昇る前には近所のバス停でバスを待ち、職場に着き、パソコンでその日、その月、その年の収益や損失などのデータを打ち込んでいく。そうやって1日の半分を終えたとき会社のチャイムと同じタイミングで同期の小平良平が声をかけてきた。
「ミツヒロ。お昼いつものとこでいいよな。」いつものところと言うのは、職場の近くの定食屋でおばさんが1人でやってる小さな定食屋で、見た目はもう古くなってあまり初見の人が入りたくなるような見た目ではないが、それはおふくろの味のようなどこか懐かしさのある料理が僕らの心を掴んで離さない。
僕の"いつもの"は¥590の鯖味噌定食、ご飯は大盛り。そうして一息つくとまた会社に戻って、もう半分の時間をやり過ごすと、17時には退社。家族は遠く離れているし、恋人もいないから、そのまま帰宅。そうして毎日を終える25歳。外では切なそうにカエルが鳴いていた。
僕の想定していた大人はこんなではなかった。毎日が退屈であるとわかっていながら。その退屈に流され続けるイマなんぞ想像の中には全くなかったのだ。
それなのに、こうして数年が過ぎると、寂しいとか悔しいとかの痛みからはすっかり疎くなってしまっていて、なんだか籠の中で一生を過ごし、一度もトブことも知らないままに死んでいくあいつらのようだった。きっとあいつらはトブ楽しさを知らないまま生きて、楽しいことを全く知らないのに、「いい人生だった。」とエサに困ることもなく、外敵からの嫌がらせや、自分がエサにされる恐怖のなかった一生をそう思いながら死んでいくのだろう。きっと僕もそうなんだろう。仕事は今の所は安泰だし、恋のすったもんだとは全くの無縁。このまま死ねたらどんなに楽だろうか。もう死んでいるようなものかもしれないけれど。
いつ死ぬのかもわからないし、今日を楽しみたい気持ちがないわけじゃないが、どうしたらいいかも知らないし、それに痛みが伴うのなら、このままがいい。
生きることすら許されなけば、死ぬことすら許されないのなら明日もとりあえず、生きてみようか。夜は、怖い。
過去と未来の境界線をまたいで、今日もスクランブルに消えていく。
眠らない街。誰もが何かを求めて彷徨っている。
こんな世界に生きたかったわけではない。けど生きるしかなかった。
死ぬことが許されるのは、真夜中の特権だと思う。それは、物理的な死ではなくて、例えばそれは感情とか、身体とか…そういうもの。
私は、また今日も真夜中を歩き、真夜中を歩く人たちにすがって生きていくし、そうするしか自分を守れないし、ハイライトを吸うことで生を確かめるしかない。その心は、真夜中。
昼という時間は、美しいと思う。太陽が昇り、海をギラギラと輝かせたと思ったら、「あら、やだもうこんな時間。」とか言いながら朝ごはんを作り、旦那さんと子供を起こし、会社や学校に送り出し、午前中には掃除洗濯を済ませ、買い物に行き、ママ友との優雅なランチ。女なら誰もが一度は夢見ることだろう。でも、それは私にとっては夢のまた夢で、悪魔に取り憑かれた私はそいつらに夢を吸い込まれて現実を突きつけられる。だから呼吸するようにまた煙を吸って吐いて吸う。
ウイスキーで夢を一気に流し込んだ手元には吸殻でいっぱいの灰皿と虚無しか残っていなかった。”東京に殺された女 “ a.k.a “私”。
そうやって今日の男のくだらない話を聞き流し、適当に抱かれ、適当に朝を迎えていく。今日、終わり。おはよう。また明日も、流されて行く。
ちょっと今日は目覚めが悪かった。隣には、いびきをかきながら気持ち良さそうに寝ている男がいた。この気分の悪さは、きのう男が自慢げに語っていた酒のせいかもしれない。それは横浜生まれのカクテルで酔わせにきているのが見え見えなエロティックな飲み物だった。もちろん、そんなもので落ちるような気分でも男でもなかった。だから、私は寝る場所欲しさにそいつに身を委ねたフリをした。
身を削るくらいなんてことはない。死にたくないだけ。別に生きてたくもないけど。真夜中が私を離してくれないのだ。昼に生きる人たちのことが羨ましい気持ちがあろうと、昼は私に用はない。
それは私がどんだけ望んだところで、望まれない。
特にすることのない平日。ホテルからの帰り道、男が寝てる間にこっそり部屋を抜け出して細い路地を抜けスクランブルに向かう途中、なんだかいつもと違うことがしたくなって、いつもと違う改札を通ってみた。
「次は川崎。川崎です。その次は横浜に止まります。」
その声で、飛び降りた。危なかった。あの街にはもう行きたくない。なんとか電車を降りると商店街のある方へと足を伸ばした。起きたままの私、21歳。何もない。持っているものは、財布とスマホとくしゃくしゃのハイライト、それだけ。街は、もうすっかり浮かれた学生や旅行客でいっぱいで。ギラギラした太陽が私をまるで追い出したいかのように圧迫してくる