エリューンの旅路
今僕たちはエリューンの王都ミロスに向かっている。馬車を手配してみたはいいものの、整備のされてしないデコボコの泥道を通ることを全く考慮していなかった。こんなことであれば、酔い止めを持ってくればよかった。持って来るべきだったのはジープだったかもしれない。
「ステラ大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。ユウの心だけを聞くようにしているから、平気」
ステラはあまり大丈夫じゃなさそうな声で僕のお腹に顔を埋めながらそう答えた。ここ、タナトスという街には道幅いっぱいに人がいる。人の心が聞こえてしまうステラにとってはとても過酷な環境なのだろう。東京で大学生活を送っていた僕ですら、気持ち悪くなるぐらいだ。
だから、ステラが受け取るストレスレベルは相当なものになるだろう。まるで初詣のピークタイム時にお参りしに言っているような気分だ。文明レベルが低くても都市部の中心というのは人口の過密化が起こってしまうものらしい。
「ここは世界で一番の大国って言われているの。だから自分の国に誇りをもっていて、間違っても今思ったことを口に出しちゃダメ」
「うん、分かってるよ。それともう一つ聞きたいことがあるんだけど、えっと、そのこっちの宗教と文化についてなんだけどさ」
そういうとステラは慌てて僕の口を塞ぎ込み、もう片方の手を唇に置きシッという仕草をした。これも口にしちゃいけないワードだった。それにしてもこの国は―異様だ。十字を持ち純白の修道服を纏った集団と全身の肌を真っ黒の服で隠しっ顔すら見せない集団がくっきりと分かれていて、オセロでもしているようだ。タナトスに来てから、急に宗教的な意味合いを持った建造物や人、行為を見かけるようになった。しかし僕はこの光景を知っている。
「ここ、タナトスにはメシア教の聖地があるの」
「なるほど、分かった。ありがとう、もうそれ以上は言わなくてもいい」
「え?本当にそれだけで分かったの?」
「うん、何となくだけどね」
その中でも宗派が大きく分けて3つあることだとか、それらが相容れない関係であることだとか。その相容れないものが3つの宗教を一つにしてエルサレムの真似事でもしてるつもりなのか?"先駆者"の爪痕はは仕業に間違いない。一つ言えることは、そいつがとんでもない狂人であるということだ。外交ではあまり密接な関係を構築しない方が良い気がする。
とはいえ、本来の目的はエルーンと友好的な関係を構築するためでもある。ステラに嫌な思いをさせてまで連れてきたのもその為だ。というのもエルーンは、ユーステラ王国ー僕たちの国を完全に囲い込むように領土を占めているようだ。つまり隣国というのもはエルーンしかなくて、他の国と外交や貿易をするには一度エルーンを通り抜けないといけない。イタリアの中にあるバチカンのような気分だ。というか、エルーンの中をくり抜くように建国したのは紛れもなく僕なのだけれど。バチカンは宗教的な意味で守られているが、僕らはそうではないから外交の失敗一つで国が傾き兼ねない。その絶妙な関係性を構築することが求められている。
タナトスを抜けるとすぐに首都ミロスにたどり着き、人の量もだいぶ落ち着いた。首都の方が人が少ないというのも如何なものなんだろうか。そして僕とステラは宮殿の入り口で立ち往生を喰らっている。ちゃんと正式な招待状を渡したのだが、門番をしている憲兵達はこの件を誰も知っておらず確認に向かっているみたいだ。これで追い返してしまったとしたら溜まったもんじゃない。何の成果もないにまた先の道を往復しなければならないなんて気が遠くなってしまう。
「仲良くなりすぎてもダメだなんて、変なの。仲良くなることの何がいけないの?」
「仲良くなる、ということはそれだけ利用しやすくなる、ということなんだ。相手はあたかも人助けでもしているかのような素振りで近づいてくるんだ。もちろんそれは建前で、それとは別の本音を隠し持ってるん。特に外交なんかではね」
「ユウが私に近づいて来たみたいに?」
ステラはフフッと冗談げに笑い、僕は苦笑いを浮かべた。この子は僕の心をどこまで聞いているのだろう。発言を慎むのは簡単だ、口を閉じるだけで済んでしまうからだ。"心の声"は常にどこかに存在していて、消すことはできない。それこそ意識を失っていてもそれは消えることはない。生きている限り常に自分の心がオープンチャンネルになってしまっている。だからステラの前では優れた人格者であり続けなければいけない。まぁ、僕は元から優れた人格者なのだから、問題は何もないのだけどね。あっ、そこ笑わない!
「だって、ユウが変なこと言うから、それも心の声で言わないでよ。私がおかしな人みたいに見られちゃうでしょ?」
「それ僕に言ってる?変な女の子に背中に顔を埋められながら歩いていた僕に言ってる?ほら今も通行人に変な目で見られているから!そろそろご勘弁を承りたいのですが」
「あっ今、変な女の子って言った。変な女の子って言った」
ねぇ、ねぇ聞いているの?とステラはそのままの体制で僕の肩を振り回す。
「あっこら、やめなさい。また変な目で見られるから!というか酷くなってるから!」
「いいもーんだ、どうせ変な女の子なんですもん。前にユウが私に話してくれたじゃない?一度バレてしまえば怖いもん無しの無敵の存在だって」
「こんなところで清々しく開き直っちゃダメだよ!ここ宮殿の前だよ!」
目の前の憲兵のおっちゃんは「ははは、仲がよろしいようで」と顎髭を触りながら苦笑いをしている。すみません、と愛想笑いを浮かべつつ心の声でも止めるようにステラに促したが、全く効果はなかった。永遠と肩を揺さぶられながら言われた通りに案内人を待っていると何やら奥からぞろぞろと軍の編隊一つがこちらに向かってきた。先頭に経つ男が右手を半分挙げ合図を送ると、連れの兵士達は均等に散って行き持ち場らしきところへと配置された。
「ユーステラ王国からの遣いか、後ろの者の顔を見せよ」
ほら、ステラと小声で囁きながら、肩に置かれた手に合図を送る。ステラはううん、と僕の背に強く押し付けたまま横に擦り付ける。まずい、これは非常にまずい。と思ったのは一瞬だけ、男爵髭の男が門で警備していた憲兵たちも追い払うと、僕の体に纏わりついていたステラはすっと離れて顔を見上げた。ステラが気を緩めている。知り合いか友達か、はたまたそれ以上のなにかなのか。
「待たせて悪かったな、ステラ。あの騒がしい街を歩くのはさぞ辛かったろう。さぁ、中へ。好物のカステラも用意してある」
目の前の男がそういうと、ステラは曇った表情を晴らして、その男の後ろにひょこっと付いて行った。今まで僕に対してしか見せていなかった笑顔だ。ふうむ、と考え事をしているとぽつりと僕だけが門で取り残されていた。えっと、どうしよう。と門の警備しに戻ってきたおっちゃんに横目にすると、俺に聞くなと言いたげな顔で首を横に小刻みに振っている。そういうことを聞きたい訳ではないのだが。
「ああ、忘れていた。お前も早く中に入れ、"あれ"のお友達なのだろう?」
さっきの男は少し先で振り向いて、僕を宮殿の中に入れた。この男がクラディオス4世か。本当に会いに来るとは、相当"あれ"にご執心―おおっとあまり強く思考しすぎると、ステラに聞こえてしまう。今は自分を抑える時だ、落ち着け自分。
僕は初対面にしていきなり一国を担っている王子と直接面会をするという異例の対応を受けている。何故か?それは"ステラ"が関わっているからだ。だからこうしてこの男はノコノコと姿を現した。この男はステラの実の兄なのだから―
ー今や僕とこの王子の間には"ステラ"という共通の引き出しがある。これを利用しない手はない。王子様にはお姫様の為に、精一杯尽くしてもらおうじゃないか。