召喚がされるまで、あるいは召喚をするまで。
はじめまして。
気が向いたときにゆっくりとやっていくので、ある程度貯まったころに読んでもらったほうがいいかもしれません。
その日も、その時も、その場所も、至って平凡だった。
いつものように大学に向かう、いつもの朝。いつも通りの、数えるほどの顔ぶれが、近代化されきっていないホームで電車を待っていた。私立小学校の制服を着た4人の子供たちがふざけていて、うるさそうにそちらをチラチラ見るサラリーマンの背中はくたびれていて、対照的に子供たちを可愛がる2人の女子高生達は元気で、そんなふうにあたりを見回す鈴音コウもまた、いつものように彼女たちの後ろに並んでいる。
電磁快速列車の通過がアナウンスされる。最新式のリニアモーターカーはこんな田舎駅には止まらないが、通過はする。線路を新しく作る敷地を取れなかったからなのか、在来線の線路に併設する形で浮上磁気レールが設置されているのだ。とんでもない速度で走り去っていく為、利用者の多い通過駅には既にホームドアが設置されているのだが、ここにはそんなモノは無い。
だから、いつかは起こり得る事でもあったのだ。
子供の一人が操作している大型超軽量情報端末。それでゲームに夢中にでもなっているのか、子供たちがだんだんとホームの端に寄って行ってしまっている事にコウは気付いた。
小学生とはいえ、私立に通える頭があるのだから、自分たちで気付いて戻ってくれるだろうとは思うものの、万が一を考えてそれとなく近づいておく。人は少ないから列を離れても抜かされる事はない。
コウの挙動をいぶかしんだのか、子どもたちは一度こちらに顔を向けると、すぐに足元を見て自分たちの位置を把握した。一人が「戻ろう」と言い、他の子も同意した事を見届け、コウは踵を返す。赤いマフラーを巻いた女子高生の一方と目が合った。微笑まれたので、軽く会釈をしてうつむいたまま歩き出した。
その時、突風が起きる。
良くあることなのだ。大きな建物も少ないこの駅では。
だから、背後から小さな悲鳴が聞こえた事には驚いた。
悲鳴の主は、端末を広げていた子供だった。なまじ大きくて軽い分、風に大きく煽られたのだろう。子供たちの中でも一番端に居たのも災いした。その子供は転落していた。
「まずい!」
コウが再び踵を返すのと、さっき微笑んでくれた女子高生が彼を追い抜き、落ちた子供の元に駆けるのは同時だった。
彼女は迷わずホームから飛び降り、子供を抱き上げる。
否。
抱き上げようとして、失敗した。少女の細腕には、荷が勝ちすぎたのだろうか。それでも、なんとか子供を立たせて、線路の外まで出すことには成功した。
逆に言えば、そこまでだった。タイムリミットだ。既にリニアモーターカーの先端が見えている。減速しようとはしているのだろうが、浮遊式である以上摩擦に頼る事も出来ず、むしろ無理に止めようとすれば即脱線に至る以上、躯体にかける事の出来る抵抗は、この咄嗟では無意味に等しい。
だから、コウは駆けだした足を止めず、女子高生と同じルートを辿って彼女に全速で突進した。平均程度とはいえ、体格で勝るコウがぶつかれば、女子高生の一人を突き飛ばして自分も飛び出す程度の事はできる。
そのはずだった。
(っ、重い……ッ!?)
しかも硬い。タックルした左肩がずきずき痛む。
その甲斐はあったと言うべきだろう、女子高生は、解けたマフラーを残して線路の外に倒れていた。
だが、今度はコウが線路の中に取り残されてしまった。
突き飛ばされた女子高生が顔を上げて線路の方を振り返る。コウの身体が先頭車両の先端に分解され、呑み込まれていく光景が、彼女の眼に焼付いた。
負傷者二名、行方不明者一名。これが、鈴音コウの地球での一生を締めくくる事故の顛末だった。
~~
その日も、その時も、その場所も異常だった。
クリティカは周囲を急峻な山々に囲まれた天然の要塞であり、さらに都市ごと城壁に囲まれた城塞都市であった。その防備は他の国々に対する為というよりは、自然の脅威、魔獣に対してのモノではあったが、鍛錬された兵士や魔導士も多く擁する、大きな軍事力を持つ国家であった。
そう、少なくとも、一昼夜にして滅びるような国ではないと、魔導士ルルイエは思っていた。
「ルルイエ、まだか!」
「今やってます!」
だから、こんな剣戟と悲鳴と怒号が鳴り響く城内で大規模魔法を仕上げないとならないなんて予想だにしていなかった。
凶兆はあった。ある日、空に第三の月が浮かんだのだ。
昔からあった《旧い月》、《新しい月》に比べ、異常に大きなその月。《禍月》と名づけられたその月から降ってきたのが、城内を制圧しかけている賊だ。
賊は、一括りで言えば『動く鎧』とでも言うべき姿をしていた。外も中身も鋼鉄の肉体。剣や槍や風の魔法では傷つかず、土の魔法は打ち砕かれ、炎の魔法も雷の魔法も水の魔法も氷の魔法も中身までは届かない。弓矢に至っては、なぜか届く前に矢が落ちてしまう。今のところ倒せているのは、襲撃してきた7体の鎧のうち2体だけだ。
そう、7体。
たったの7体に、城塞都市クリティカはここまで甚大な被害を受けた、いや、今も被害は広がり続けている。
天からの襲来だったが、賊が降り立ったのは城壁の外。倒せた2体のうち一方は、兵士300人がかりで足止めをし、壁に設置された投石器を用いてようやく潰すことができた。
そしてもう一方は……
「ええい……ッ!」
この騎士団長ベルーニが、門を突破してきたところを、魔剣グラムで兜ごと心臓の位置に埋め込まれていた水晶を突き刺して停止させた。
そして今、彼はたった一人で一体の鎧からルルイエを守っている。正確には、ルルイエの構築している魔法を守っている。
勇者召喚魔法。
空の向こうの異世界のニンゲンを情報単位まで分解し、様々な能力を情報体に書き加えながらこの世界に送り、強力な力を持った【勇者】として再構築する魔法である。
召喚された勇者は国家間のバランスを崩しかねない戦力である為、本来であれば使用には国際的な承認を要する。だが、この襲撃が、もはや国が滅びるかどうかの瀬戸際だと判断したベルーニが、独断でルルイエに発動を指示したのだ。
(滅びるかどうか、というのならば、すでに国は滅んだようなものだがな……)
ベルーニがルルイエを選んだのは、彼女が優秀な魔導士であり、召喚魔法を単独で行使し得る事、戦闘に不慣れである為、連れ出しても戦力を削りはしない事、そして個人的な感情という三点からだった。直接一騎と戦闘を行ったベルーニは、防衛は不可能であると判断していた。事実、賊は既に城内に入り込んでいる。
つまり、城下はとうに制圧されているという事だ。そこに生きていた民も、もう。
(ッ、感傷に浸っている暇は無い……か)
先に打ち倒した暗緑色の鎧は斧の使い手であったが、今相手をしている赤紫の鎧は、歴戦のベルーニをしても見た事の無い武器を操っていた。片手で扱える弓矢、と言ったところか。弓弦も無ければ矢をつがえる事もしていないが、轟音鳴らす筒が向いている壁に穴を穿たれれば、そういうモノだとして受け止めるしかない。ベルーニが今日まで生き延びてこれたのは、たゆまぬ鍛錬による剣の腕もさることながら、こうした適応力も大きい。
雑念を払い、目の前の敵に集中する。
弓矢と言うのならば、矢の数には限りがある……などと言う希望的観測はとうに捨てていた。
たとえ制限があるとしても単騎で相手をする分には無尽蔵と言って良いストックがあるのだろう。そうでなければ、ここにたどり着くまでに使い尽くしている。
狙いを付けようとする度に魔剣で筒を打ち払う。何度も繰り返しているが、斬れる様子はない。
一応、傷は付いているし、むしろそれを厭うように刃との接触に際して衝撃を逃がすように動いている節がある。代わりに……
ガキィンッ!
「障壁……グラムで斬り裂けないという事は、魔法ではないな」
身を引いた鎧に追撃をかける為突きを放つも、小さな光の壁が現れて剣先を受け止める。だが剣を引きはしない。この壁は向こうからも抜けられないのか、壁を出しながら撃ってくる事は一度も無かった。ならばこの壁を出し続けさせる事が、時間を稼ぐには最も賢明な手段であると言える。
時間。そう、時間である。
ルルイエが勇者召喚に成功すれば、少なくとも今この城に攻め入っている五体の鎧を駆逐し、生き延びる事が出来る。むしろ、今迂闊に攻め気を出してルルイエに万が一の事があれば完全に詰みとなる。形勢がこちらに傾けば、他の四体を増援に呼ばれてしまうかもしれない。
それに、ベルーニは撃ち合ってみて、どうにも敵の動きに違和感を覚えていた。
隷属魔法を受けた兵士に近い、操り人形のような感触。
不気味には感じるものの、敵が弱いのに越した事はない。
鎧は十分に距離を取ったからか、光の障壁が消える。筒の先端は既にこちらに向けられて――咄嗟にグラムで頭を庇った瞬間、轟音。
「ぐぅ……ッ!」
「騎士団長!」
飛び散った鮮血に、ルルイエが悲鳴を上げる。
「構うな、急げッ!」
ベルーニは左の肩を撃ち抜かれていた。
(まずいな……)
左腕に力が入らない。両手で振るわなくては、鋼鉄の肉体を斬り裂く事ができない。
こうなってしまっては、時間稼ぎなどとは言っていられない。噴き出す血が体力を奪って行く。
(狙うは……あの厄介な武器ッ!)
右手一つにグラムを構え直し、ひたすらに籠手を狙うベルーニ。肉を断てないまでも、衝撃であの厄介な武器を落としてくれればまだ勝機は見えてくる……だが再び進路を阻む光の壁。片腕では衝撃を抑えきれず、弾かれる。今度は一瞬で障壁が消え、がら空きになったわき腹にもう一発もらってしまう。
意識を失いかけ、片膝を付く。諦めかけた彼の耳に、愛しい女の声が響く。
「ベルーニ!」
すると、どうしたことか、体に力が湧きあがってくる。傷も癒え始める。愛の奇跡、なんてモノではもちろんない。彼女が魔法を行使したのだ。だが、ここまでの変化を起こす魔法など、召喚魔法と並列して片手間に作れるものではないはずである。
「ルルイエ、これは……」
「……召喚される勇者に付与する予定だった加護を、貴方に渡しました」
「――ッ!」
ベルーニは一瞬怒鳴りそうになって、すぐに留めた。
本来であれば情報体に書き込む事で十全の力を発揮する加護は、今世界にある肉体に刻み込むとその効果は一割も発揮されないという。だからこそ、わざわざ別の世界から召喚するという手間を取るというのに、その無駄をルルイエにさせてしまったのは、不甲斐ない自分である。彼女を責める事などできない。
「……勇者のほうは」
「召喚は既に成っています。到着までに、加護をもう一度作り直します。……だから、時間を稼いでください」
「そんな事が、出来るのか」
「無理で蹴っ飛ばしてやります。それまで守ってくださいね。信じてますから」
「承知した!」
ベルーニは再度グラムを振るい、鎧の右手を狙う。焼き直しの様に現れる光の壁。だが今度は両手だ。そして……
「うおおおおおおッ!」
たったの一割満たずと言えども加護が加わったベルーニのグラムは、障壁を斬り裂き、鎧の右腕を半ばで断ち切る事に成功した。あの厄介な筒状の武器が右手ごとその場に落ち、切り口から銀色の血が噴き出し、すぐに凝固する。
返す太刀でトドメを狙うも、鎧が伸ばした左腕が阻んだ。
その動きに、ベルーニは違和感を覚える。いや、違和感と言うよりは、さっきまで感じていた違和感が晴れたような、操り人形のようだった感触の消失に気付いた。
「◆◆!!! ◆◆◆◆◆◆◆!!!」
ベルーニの感覚を裏打ちするように、今まで一言も発しなかった鎧が突如何かを喋り出す。知らない言語だが、意味をなさない言葉ではないだろう。鎧の奥の輝く眼は理性を持っているように見える。
「◆◆◆……◆◆、◆◆◆◆◆」
そう、その眼が、ベルーニの後ろ……新しく勇者に与える加護を魔法に描きなおしている最中のルルイエを捉えた。
「ッ! させるか!」
すぐにグラムを構え直し、進路を阻むように横に一閃するベルーニだが、鎧は身を屈め、光の壁を斜めに出し、刃の軌道をすくい上げるようにしてくぐり抜け、彼女の元に駆ける。
「◆◆◆◆!!」
「しまった、ルルイエ!!!」
鎧を目で追う。その先を見る。ルルイエは全くこちらを見ていなかった。
『守ってくださいね』
ベルーニならば彼女を絶対に守り通すと信じて、神経の全てを魔法の完成に注いでいたのだ。
その信頼を――
「ルルイエエエエエエエエエエッ!!!」
彼女の肉体ごと、鎧の剛腕の一振りが折り砕いた。
「あ…………」
漏れた声は、果たしてどちらのものだったのか。
「◆◆◆、◆◆、◆◆◆」
鎧がこちらに振り返る。ベルーニにはその動きが酷く緩慢で、傲慢で、誘っているようにさえ見えた。
見えた、と思った瞬間には既に、その手のグラムを鎧の背に叩きつけていた。
そして鎧もまた、その左腕をベルーニの心臓に突き立てていた。
~~
しばらく経ってから。
ルルイエの遺した魔法陣に、リニアモーターカーの先頭車両に呑み込まれたはずの鈴音コウが現れた。
「は、え……? なんだここ……?」
これが、コウの、この星でのはじまりである。