No.66「灰の月委員会」
「さあティアちゃん、行きましょう!」
「うん! 武男さん、ありがとうございました!」
「……む」
目覚めてから一日後、すぐに下山する事になった。しっかりと病院で治療を受けるべきだという意見を押し切り、基地にも医者がいるという理由で直接そこへ向かう事になった。
雪子が空中へ雪で作った道の上をソリで進んで行く。雪女の能力は雪と付くだけあり、それに関して右に出るものが誰もいない。
「もうすぐ見えてきますよ。私は人外なので基地には入れません。だから、近くで降ろすね。本当はしっかり近くまで送りたいんだけど……」
「んーん、大丈夫。ありがとう!」
「だけど傷が開いたりしたら……。今は傷口を凍らせていますが、解凍後はすぐに傷を塞ぐ必要があるからね? 絶対に無理をしないでください」
「うん、了解!」
「ところで……制服忘れてきちゃいましたね。破れていたので直して送ります!」
「ああ私も忘れてた! ありがとう」
白装束に身を包んでいる今、病んでいる体には冷たさがダイレクトに伝わってくる。刺すような冷たさに凍るまつ毛や前髪。パリパリとしたそれを手でほぐし、風で視界にチラチラと入る切りそろえられた前髪を掌でおさえた。
「では、ここで」
やがて受ける風が柔らかくなり、地上に足をつけた時、雪の冷たさに身震いした。
「すみません、私の履物でもあったらよかったんですけどいつも裸足なので……」
「んーん! 本当にありがとう。二人がいなかったら雪山で野たれ死ぬところだったよ」
「いえいえ、その……凍らせてしまったお詫びというか……」
「あははっ、気にしないで! それより、あの氷には過去を思い出させる効果とかあるの?」
「え? そういうのはないと思いますけど……」
「うーん、そっかぁ。変な事訊いてごめんね!」
「いえいえ、何かあったんですか?」
「それが――――」
ティアが『忘れていた過去の記憶』を思い出した事を伝えようとすると、遠くで爆発音がした。街中の空が赤く染まっている。雪子は耳の後ろに手を当て、精神と聴覚を研ぎ澄ませた。
「雪が言うには、本日二度目の爆発だそうです。消防、警察、人外対策局も今動いているようですよ」
「じゃあ皆も……」
「ダメですよ。安静にしないといけないって言ったはずです」
「……うん。皆はきっと大丈夫。強いもの。私が動くにはまず制御装置がないといけないしね」
「もう。絶対無茶しそうじゃないですか。……だと思って、これ、持ってきました」
呆れた顔の横に掲げたのは、彼女の先祖の形見だった。
*
『人外の反応が全て消えたわ。一旦本部に戻ってきてください』
「それが……芝崎隊とは合流したのですが、名無隊とは完全にはぐれました。電波が安定しないのか応答もなく、完全に彼らは孤立してます」
『天候のせいもあるわね……。では丹野隊は彼らの捜索に、芝崎隊はもしもの時の為に車両内にて待機。芝崎隊には通信情報専門部がこちらに到着するまでの間、本部との連絡役を頼みます』
「了解。そちらには三分弱で着く予定です」
『分かりました。気をつけて』
通話が切れてから、芝崎は得意顔を丹野隊の三人へ向けた。
「じゃあ丹野、お前達はお荷物四人の世話焼きに勤しめ」
「うっわ〜、そんなだから友達できないんだよ。キツイキツイ。マジ引く」
「ちょっと丹野隊長! 芝崎隊長のお友達はちゃんといます! それが人の形をしているのか否かは些細な問題です!」
「それに私は隊長の友達です!」
「勉……博美……!」
「いや、何に感動してるの? それでいいのか芝崎は」
つまりほとんどの友達は人ではないと隊員である勉に暴露され、博美には庇われ、あまり面目が立っていない気がするのだがどうやら芝崎はそれでいいようだ。男泣きを見せる彼は案外感動しいで、丹野は理解ができないと肩を竦めた。
「丹野隊長、早くしないと置いてきますよ。もしくは蹴りあげますよ」
「任務中なのにその馬鹿達に付き合ってたら完璧に氷漬けになります」
そして丹野とはおよそ正反対な冷めた口調の隊員、美咲と真司が隊長を急かしていた。
「……そうだね。なんだか嫌な予感がぷんぷんするよ」
「ぷんぷんするのは美少女の残り香だけでいいです。その表現はやめてください」
「美咲ちゃんこそその表現はどうなんだろうなぁ。決めゼリフ的なシリアスさが一気に打ち砕かれたよ!」
「ぷんぷんでシリアス? 笑わせないでください。それと、私の主食は美少女です。参考までに」
「なんの参考にすればいいんだろう、それ」
無表情な彼女からは本気とも冗談とも読み取れないが、美少女ネタはいつもの事だと流す事にした。
「隊長も美咲も何やってるんですか。冷凍されたいんですか? 雪だるまになりたいんですか? それともスケートリンクの中で標本にされる事を希望してるんですか? それなら知り合いにスケート場を経営している人がいるので……」
「行きます。今すぐ行きます! 向かわせてください真司君!」
「誰が隊長か分んないわね」
軽口を叩きながら美咲も二人を追う。しかし案外すぐに立ち止まる事になってしまった。
複数の足跡を追い入り組んだビル街の一角に着くと、そこには複数の人影があった。
丹野が怪訝な面持ちを少しずつ強張らせながら、この状況の説明を求める。
「名無隊と、貴方は右京隊長……? どうして対峙してるの?」
「丹野隊長……早く名無隊の皆を連れて行ってください。俺は今、爆弾を抱えています!」
あくまでも冷静にそう告げた右京は、人外対策局の戦闘時の制服の上にジャケットを着ており、その上には更に着物用の羽織を着用している。両手でそれを広げると、ベルトで固定された爆弾が露わになった。
「どうしてそんな事になってるの?!」
「呼び出されたんです、このビルに来るようにと。そんなこんなで巻き込まれてまんまとこんなんです! ……あはははは〜。ベルト外してもドッカーンらしいです」
「右京隊長、それ全ッ然笑えないかな!」
「あ、やっぱり?」
「うんそう! やっぱりそうだと思うよ!?」
慌てているのは自爆させられそうになっている彼自身ではなく、周りの人間だった。
「でもこれ、多分偽物だと思うんですよ。」
「……なんでそう思うの?」
「退魔師の勘です! でも危ないんで離れててほしいんです」
もしも本物ならば、切ってはいけない動線まで切った場合に爆発する。右京は理解していながらもにこやかにそう言い切ると、止める間も無く持っていた刀で全ての線を切断した。
情けない悲鳴を漏らす人と、身構えた姿勢のまま停止する人、そして瞬時に頭を抱え伏せた人。七人は様々な反応を示したが、爆弾はうんともすんとも言わずに沈黙を貫いた。
「…………ああ良かった。本当に偽物だったみたいだ」
その場にいる誰もが『微妙な確信で切るなんて』と各々の心の中で唱え、安堵も束の間に信太が力のこもった声を溜息と共に吐き出した。
「一体、誰に呼び出されたんですか?」
右京の神妙な面持ちが物語るのは、顔見知りの犯行だという事実。
彼の声が形作るのは、耳を疑いたくなるような現実だった。
「……アルフレッド・ウィリアムズ」
「そ……んな、ま、まさか、アルが……?」
懐疑的というよりも、認めたくないと細い悲鳴を上げるような弱々しく揺れる信太の声音に、右京が曖昧に頷いた。
*
これで横たわるのは二度目の医務室のベッドから起き上がり、周りに人がいない事を確認してからその部屋を出る。寮へと向かうための道は一つしかない。出てすぐの曲がり角も、壁に身を寄せて人がいないかを確認してから進む。
それから順調に連絡廊下まで着き、渡って一階へと非常階段で下る。基地からではなく寮から外へ出て、北海道支部の敷地内から脱出しようと走り出した時だった。
「――――アル、どこへ行くの?」
そう誰かに問いかけられた。振り返れば、そこには数日間行方不明だった彼女が腹部をおさえながら立っている。
「ティア……無事だったんだね!? もーう、ティアなら絶対生きてるだろうなとは思ってたけど、気が気じゃなかったんだから! 怪我はどう?」
「お陰様でまあまあだよ! 皆はどこ?」
「街中の爆発の事件で任務に行ってるよ。ボクはまた倒れかけちゃって、基地で皆の帰りを待っていたんだ」
「じゃあ今からどこへ?」
「休んだしそろそろ大丈夫かなと思って、今出てきたところ〜! 皆と合流する気だよ」
「そっか……。ところで――――」
質問を投げかけようとした瞬間にアルが突然斬りかかってくる。なんとかティアが手に持つ刀で受け止めるが、腹部に激しい痛みが走った。激痛に耐える顔は歪み、白い布には血が滲んだ。
「あれ? ティアの制御装置はどっかに落ちてたんじゃなかったっけ。どうして刀を持ってるの?」
「アルこそ、いきなり斬りかかってくるなんてどういう事……?」
踏ん張る足には力が入らない。刀は接しあっているのに、足元は雪で滑り足場が悪く戦いづらかった。
そして、彼女の下にある雪は純白から紅色へと次第に大きく染まっていく。傷口が開いてしまったのだ。
「あ、ははっ……!」
「なんで血が出てるのに笑ってるの?」
「笑えてきちゃうほどの痛さだから、だよ」
刹那に銃声が鳴り響く。続けざまに心臓の次は肺へと撃ち込まれた。
その後の一瞬の沈黙の後、喀血しながらアルがその場に倒れ込む。彼の体が落ちていく風圧で舞い上がった白の欠片は柔らかく宙を舞った。胸から染み出すてらてらと鈍く光る血は、雪を溶かして穢れさせていく。
ティアは無言のまま拳銃をおろし、動かなくなったアルを呆然と眺めていた。
「やあー見事見事! 裏切り者の始末ご苦労様。そしてお帰りなさい、ティアちゃん」
まるでこれを見計らったかのように、一人の男が姿を現した。
「ただいま帰りました、氷室支部長。これで良かったんですよね?」
敷地内で倒れているアルを通り過ぎ、敷地外で刀を使い体を支えているティアの元へ悠然と歩み寄る。優越感に満ちたその顔で、腹部をおさえたままの彼女へ手を差し伸べた。
「ああ、これで良かったんだよ」
しかし、そんな彼の背後に人影が伸びる。
「そーそーこれで良かったんだよ! ティアってばすごいね! ぶっつけ本番説明無しでも察してくれると思ったよ!」
「もうちょっとだけ手加減してくれると助かったんだけどなぁ……。笑っちゃいけないのに、途中から痛すぎて本当に笑いが止まらなかったよ……あはは」
彼女は真っ青な顔をしながら、大粒の脂汗を全身に張り付かせている。痛みと寒さで体も震え、息はかなり乱れていた。
「本っ当にごめん! 本気っぽくやらないと信じてくれないかなと思ってさ……まあ、そのおかげで罠には引っかかってくれたんだけど」
アルは死んだと信じ込んでいた支部長――氷室が驚愕の表情を浮かべ、次第に怒りを露わにした。
「図ったな……?」
呪詛めいた声音だった。けれども次に発する言葉には毒素はあまり感じられない。代わりに冷たいものが詰め込まれていて、アルもティアも固唾を呑む。
「どうして会話もなしにその連携が取れたんだい?」
「ボク達なら、目配せくらいで解るもんですよ」
氷室の「お手上げだよ」と告げる口が妙に歪む。それきり特にモーションもなく、アルは口を開いた。
「誰が裏切り者……というよりも、誰かが偽物である可能性を考慮して、名無隊の隊員達がはけてから食堂で蒼占さんに助言を求めた。そしてこの作戦を実行に移し、見事成功したってわけです」
「作戦……?」
「まず、ボクはあえて任務に行かずに基地にいた。だから貴方はパソコンでボクの制御装置から送られてきたように操作し、右京さんへメールを送って裏切り者をボクだと思わせようとした。そして報告を受けた局員達にボクは取り押さえられ、見事に犯人でっち上げの冤罪って心算だったんでしょ?」
次の言葉を紡ぐ前に、アルは不敵な笑みを湛えた。
「だけど残念だったね? ティアがこのタイミングで戻ってくる事は、貴方も、そしてボクも誤算だった。ボクとしては吉の目が出た訳だけど、氷室支部長はまんまとこの凶の目の餌食になった」
肯定も否定もしないのは、言い逃れする隙をうかがっているからだろうか。狡猾な氷室の前で、構わずに続けた。
「邪魔になる人達を自滅させていくように仕向けたのは貴方ですね? 一応訊いておきます。米花ちゃんに針裏さんのホログラムを使わせてティアを殺させようとしたのも、ボクの制御装置にアクセスして右京さんへ連絡をとったのも、思惑にはめられた右京さんの事を爆破犯のように思わせようとしたのだって、全部貴方が指示していた。違いますか?」
「……違うと言ったら?」
確信のあるアルに対し、氷室は余裕の笑みを浮かべながら挑発して見せた。
「容赦しませんよ。氷室支部長の皮を被っている貴方を」
「さっきから、アル君は何を言っているんだい? 私は氷室兵三だよ」
「じゃあ、さっき見つけられたこの人は誰でしょうね?」
おもむろにポケットからスマホを取り出し画面を見せた。そこにはコンクリートでできた部屋で弱々しい笑顔を浮かべる氷室が、針裏と共に映っている。二人の後ろには拘束具と見られる物もあった。床には少量の血痕やワイシャツの汚れもちらほらとあり、暴行を受けていた事は一目瞭然だ。
そして目の前にいる氷室も、動揺の色を浮かべた。
「……これは前に撮られた写真だよ」
「それは嘘です」
「どうしてそんな事が言えるんだい?」
反論しようとしたところに、その画像が動き出す。一秒毎にカウントアップする四列の数字。音声や動きもある映像。アルの呼びかけに反応する向こう側の二人。テレビ電話だ。
「こういう事ですよ」
そして針裏の隣に映っている本物の氷室が話し出す。
『君は誰なんだい。灰の月委員会の人間だという事は分かっている』
「そこまで分かっているのなら、俺から言う事は何もないですね。燃え尽きた月が再び星空に輝く日が来た。我々は空から滑稽で薄汚れたボロ雑巾の溜まり場を覗いている。それだけです」
『傍観していると? なんの冗談スかねぇ。こんなにも過干渉なのに』
組織内で散々暴れまわった連中だ。しかし氷室の姿をした何者かは首を傾げて薄く笑った。
傾げたのは疑問を抱いたからではない。
褒めてほしいと思っている子供が、控えめにそれを伝えようとするかのような甘える動作に近い。
この男に関しては、『認めてほしい』そんな思いが込められていた。
「怖い顔しないでよ、針裏。君は俺の親友だろ?」
その言葉が真かを知るべくアルとティアはスマホの中を覗き込む。しかし針裏は怪訝な面持ちで顎に手を当てているだけだ。
『何言ってるんスか? 僕に親友なんか……』
しかしその否定する声は尻すぼみに小さくなり、やがて声を発する事すら忘れて画面越しの光景に釘付けになり、目を奪われていた。
雪解けのように静かにホログラムが解けて現れたのは黒髪の男性だった。特に特徴のない顔だが、左腕の欠損は一目でわかる身体的な特徴だった。歳は針裏と同年代くらいだろうか。しかし寝癖やひげの剃り残しが目立つ針裏とは対照的で、清潔感のある印象だ。
「俺の顔を忘れたのかい? 仲良く高校生活を送った仲なのに」
『四ノ宮……? は、はははっ、幽霊がこんなにくっきりテレビ電話に映るなんて、ね』
「幽霊じゃないよ。酷いなぁ、俺はこんなにちゃんと生きてるのに」
『死んだはず、っスよ』
訝しむように鋭い眼光を四ノ宮に向ける。画面越しながら気迫が伝わってくる位に、針裏は殺気立っていた。同じ場にいたら手を出しているに違いない。
「信じてもらえてないんだ。悲しいなぁ。じゃあこれでどう?」
そう言いおもむろに取り出したのは高校の校章が刻まれた名札だった。そこには卜部針裏と記されている。
『は、ははっ……! 何言ってんだあんた。なんでそれ持ってるんスか? …………話してみろよ』
怒りのマグマを孕んだ針裏の絶対的な存在感が膨れ上がる。凶暴な化け物を目の前にし、逃げる事すら忘れてしまったかのように四ノ宮もまた小さな画面に釘付けだった。しかしその視線を自ら切り、自嘲気味に笑ってみせた。
「四ノ宮圭は、今、生きている。本当さ。信じてよ針裏」
『確かめたんスよ? 僕の目の前で四ノ宮は死んだ。じゃあ四ノ宮が本当に今生きていたとして、あの時確認した四ノ宮の死はなんだって説明するつもりなんスか?』
信じられない気持ちと、本来は喜ぶべき彼が生きていた事実。
そして彼が敵であるという紛れもない証拠。
半信半疑と疑心暗鬼。
そして希望と動揺。
『七年前、四ノ宮は人外との戦闘後に殉職した。司法解剖をしたのも僕だ。火葬場で焼かれてから骨だって拾った。家族の入っているお墓の中に骨壷を入れるところだってこの目で見た。それなのに……』
――それなのに、何故か彼は生きている。敵でも、人外だとしても、再会できた事に喜んでしまった事を許してほしい。だって彼は、僕の親友だったんだ。




