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No.46「人間らしい人間、彼女らしい彼女」

「じゃあ、全部脱いで」


 針裏の言葉通りに、躊躇いながらも自分のブラウスのボタンに手をかけた。ほのかに紅潮した頬には一筋の汗が伝う。一つ目を外し、二つ目のボタンも外すが、下着が見えそうになる位置でその手は止まった。うつむいた彼女の顔を、空色の髪が隠してしまう。


「あ、あの、私はもう大丈夫なので……」


「それは手伝ってほしいって事?」


「ちっ、違います! 私はっ……」


 それ以上何も言わせないよう男は左手で彼女の口を塞ぎ、そして身動きを取れないよう背後から己の体で包み込むようにして押さえつけた。正座に近い形で診察台に座っていた彼女の背後をとった針裏は、右手で器用に三つ目のボタンを外す。


 くぐもった声が彼の指の間から漏れ、抵抗する彼女の体は針裏の中でもがいていた。チラリと見えた下着の色はパステルパープルで、可愛らしい白のレースで装飾されていた。


「ちょっと、暴れちゃだめっスよ。それでまた何かあったら、僕ちゃんの首飛んじゃうかもしれないしー」


 一つずつボタンを外す事が面倒になった針裏は、彼女の口から手を離し左手もブラウスに手をかけて乱暴に両側に引っ張った。ボタンが一つ弾け飛び、壁に当たって床に落ちた。


「し、針裏さんっ! 離してください……!」


 必死に懇願する彼女に、針裏は意地の悪い笑みを浮かべた。


「検査結果を上に報告しろって言われてるんスよ。観念しなよ」


「――――あんたが観念しろぉおお!」


 針裏が突然何者かによって顔面に蛍光灯のフルスイングを食らう。彼は壁に激突し、ひっくり返ったままで上下逆の世界を見ながらひきつった笑顔を浮かべていた。


「……もう痛いなぁ。上司に暴力振るうなんて、一体全体どういう了見なんスかね」


「いたいけな少女を暴行しようとしている風にしか見えなかったので!」


「そんな物騒なぁ〜。この組織にとって大切な大切な彼女を、この際全て体の不調等がないか検査しろって、局長からの命令という大義名分の元での行動なんスよ」


「だいぶ手荒です。訴えられれば確実に負けるくらいにその行動はいけない事です!」


「鼻血出しながら言われても説得力ないなぁ」


「え? ……ええええぇぇっ?!」


 ポタポタと鼻から落ちる雫は、純白のワイシャツに赤い点を作っていく。


「ちっ、違います! こ、これは……」


「何が違うの? 内心見れてラッキーとか思ってるくせにぃ」


「あんたのような下衆野郎と一緒にしないでください!」


 必死に弁解する黒縁メガネをかけた彼は、自分の白衣を脱ぎ彼女の肩にかけた。


「あ、ありがとうございます……」


 不安そうな表情で覗き込まれ、彼には潤んだ瞳に上目遣いでお礼を言われたように映った。実際立ち位置的には自然にそうなるのだが、彼の目にはキラキラという謎の輝きを散りばめたフィルターがかかっている。脳内ではズキュンというこれまた謎の音声も流れた。


「い、いや、たいした事は……! あ、あと初めましてだよね。僕は人外対策局研究所の副所長、島村(しまむら)健太(けんた)。よろしく!」


「よろしくお願いします。私は……」


「大丈夫、知ってるよ。それよりも今は服を着よう。僕のを貸すよ」


 目のやり場に困り、彼女への配慮として目を逸らし続ける。健太は針裏とは真反対の、純粋で実直な人だった。正義感があり曲がった事が大嫌いな人柄から、能力はあるのに人格破綻気味な針裏を尊敬しきれずにいる。


「大丈夫ですよ、外れたボタンは一つだけなので誤魔化せます。ありがとうございます」


「そんな、お礼には及ばないよ! でもダメだ。残念ながらサイズはだいぶ大きくなってしまうけど、僕のワイシャツは腐る程あるから着ていって。……またああいう変なのに絡まれるといけないからね」


 針裏を眼鏡の奥から鋭い眼光で睨み、ワイシャツを取りに退出した。


「わ〜、睨まれちった」


「でも針裏さんの事は、研究者としては尊敬しているようですね。人としてはしていないようですが……」


「あれれ、君はこんな酷い事されて怒らないんスか?」


「怒ったってどうにもならないじゃないですか。感情は人を動かしますよ。けれど感情で問題は解決しません」


「まあそれは正しい。けど君は極端なんスよねぇ。まるで自分の事が一番他人だとでも言うみたいに。そんなんだと、また狙われるっスよ?」


「一体何にですか」


 再度背後に回った針裏の息が耳にかかる。身を硬くし目を瞑ると、彼はそんな彼女の太ももに指を這わせた。嫌悪感と羞恥心とがせめぎ合い、彼女の顔は感情に満たされる。


「ひっ……」


 針裏の指が肌をなぞると、小さく悲鳴を漏らした。抱えられた腕から逃れようともがき、脱したところで針裏を睨む。


「うーん、これからは動けなくなったところから検査始めようかな?」


 逃げた彼女にキスをしようとしたが、あえなく平手打ちを食らう。衝撃で横に流れた顔を再び彼女の方へ戻した時には、彼の口元は楽しそうに歪んでいた。


「ヒュー、上司に手を上げちゃうとかびっくり〜。自ら脅し文句をくれるとは思ってなかったよ」


「……そうやって、口に含んでる薬を私の口にねじ込む気だったんですよね」


 蔑んだ目を針裏に向けると、彼は「ばれちった」と言いながら舌を出した。その舌先には白と青のカプセルがある。カプセルに入れていれば、中の薬がすぐに溶け出す事もない。口に含んでいても安全なのだ。


 薬の成分が何かは分からなかったが、それを問うよりもこの部屋から早く出なければと思った。しかし上に着ているのは白衣。異様な姿だし、扉の向こうには研究所で働く人達もいる。出たいのに出れず、地団駄を踏みながら健太の帰りを待ちわびた。


「ちぇー、君って手強い。まあだからこそあんな作戦が思いついたんだろうけどさ。まさかキメラを造り出した首謀者に、キメラで対抗するなんて思わなかったよ」


「相手を殺したと思っている人の心には、少なからず隙が生まれます。些細な変化に気づけるほど、彼が冷静ではない事は一目瞭然でした」


「敵を騙すには味方からって言うし、あの場でその幻術を他の人にも見せたのは納得できるんスけどね。その後ネタバレしに行かないのはなんでかなー……なんて、疑問に思ったりしてるんスよ」


「どっかの研究所所長が彼女の行方を届け出しないまま治療していたおかげで、死んだ事になっているんじゃないですか!」


 やっと帰って来た健太の手には白いワイシャツが握られている。彼はそれを渡し、少女はお礼を言ってから受け取って着た。かなりサイズが大きく、まるでワンピースのようだった。下にスカートなんて履いていないように見える。そして薄いワイシャツ一枚では、下着が透けて見えてしまうのだ。


「あっ、ちょ、ちょっと……」


「はい?」


 健太はどうしようかと思考しながら凝視してしまっていた。慌てて目を逸らすが、耳まで真っ赤になっている。


「こ、これ、これも使って!」


 先ほど返してもらった白衣をまた渡した。素直にその好意を受け取り、上着のように着る。くるぶしくらいまである裾は引きずりそうなくらい長かったが、その格好は見かけ的にワイシャツに白衣オンリーのとてもマニアックなものだった。


「へぇ、健太ってこういうのが好きなの? 理系男子ってこんなもんスか?」


「ちっ、違いますから! 元はと言えば所長がブラウスを壊したせいです」


「それでスカート履いてなくて、診察台で正座崩しててくれれば最高とか思ってるんしょ? 上目遣いで健太先輩……って呼ばれたいんでしょ?」


「思ってません!」


 まくしたてる針裏の言葉を素直に想像しかけて鼻の下を伸ばすが、大慌てで否定する。少女は白衣で自分の身を包み込みガードし、警戒心と不信感から余所余所しく研究所を出て行こうとする。


「あ、ありがとうございました。私はこの後用事があるので失礼します……」


「ああ、右京隊は自分のドッペルゲンガーを追ってるんだっけ〜」


「……私は右京隊とは別で任務に当たっています。今は八雲隊に身を寄せていますが、私はあくまで無所属です。右京隊に属していたのは、もう過去の事ですから」


 針裏の問いにそう答え、彼女は自身の太ももにホルスターを着ける。そして刀を持ち、研究所の出口に向かっていく。その背中はどこか寂しくて、すぐにでも押しつぶされてしまいそうなくらいに小さかった。


「……強いですね。僕だったらあんなにきっぱりと、過去は過去だと切り捨てる事ができません。仮にも同じ隊の仲間だったんですよ? なんだか寂しいです」


「だからこそ彼女は苦悩している。優しすぎる事って、自分にとってはとても良くない事なんスよ。仲間を思うあまりに距離をとるなんて、仲間からしたら理解できないだろうけどね〜。彼女は強いんじゃない。極端に弱いんだ。弱者はね、何かを切り捨てて強くなるしかないんだ。きっと彼女にとっては、仲間っていうものがネックになっているんだよ。大切すぎて失うのが怖い。だから保険をかけているんスよ。……距離っていう保険をね。健太は、彼女が寂しいだけの人間に見える?」


 針裏の言葉に、健太は控えめに笑みを浮かべる。何に対してのものなのかは分からないが、黙って答えを聞く事にした。


「……いいえ。大切な人とあえて距離をとったり、無理をしすぎたり、他人に優しすぎる事も、彼女の全てがよく解らないと思っていました。しかし違いましたね。彼女はとてもシンプルです。とても人間らしい人間で。とても彼女らしい彼女で。……人間はとても美しい。だから人間らしい彼女はとても……美しいんです」


 針裏は満足気に笑った。


「人間が醜いっていうのは、見る側の人間が醜いからなんだろうね。対にいる人の事は、誰でも理解し難いものだよ」


「そうですね。冷たく優しい彼女には、どちらの人間の事も理解できるんでしょうね」


 彼女を見送っていたがその姿が見えなくなり、健太に残ったのは謎解き後の達成感のようなものだった。


「さて、制御装置(リミッター)の修理をしなくちゃ。健太には手伝いをお願いするっスよ〜」


「はい、任せてください!」


「……一人でやってくれても構わないよ?」


「給料分は働いてください。給料泥棒って呼びますよ」


「泥棒猫の方がいいかな」


「……なんか違いますよ」

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