No.3「雨の夜」
転校してからというもの、人外対策局についてや個人的な質問が絶えない。公募なんて大胆な事をしたりメディアへの露出が多くなった分、自然と注目を集めていた。もとより、その火付け役は仮編成右京隊である。
「なあ、夜斗君はどういう経緯で対策局に入ったの?」
「そこは守秘義務があるから」
「他の五人とは仲良いの?」
「あー……まあ、多分」
「他の五人ってどんな人達なの?」
「どんなってなぁ。俺もまだよく知らねぇよ」
仲が良いかと訊かれても、これと言って深い仲という訳ではない。ただ一緒にいろと言われているからいるだけで、他の五人の事もよく知らない。憶測で適当な事を言うのもよくないので、下手に言及はせずに夜斗は黙っていた。
「ティアちゃんって見てるだけで癒されるよな」
「あぁっ! あの背の小さい子だろ」
「おーなんだ、お前あの子狙いか」
「よせよ! そ、そんなんじゃ……」
突然クラスメイトの恋愛話が始まる。興味がないのでよそでやれと内心思うが、それが顔にも出ている。しかし転校初日に無闇に邪険にしては今までと変わらない。「うるさいから黙れ」などと言ってしまっては、前の学校と同じで友達ができなくなってしまう。愛花に勝つためにはここは辛抱をしなくてはならない。
「私はあの一番背の高い人気になる〜!」
「アル君だっけ。あの人ハーフ? それともガチガチの外国人さん?」
「ハーフ」
「私あの頼りなさそうな男子が気になる! なんかおどおどしてる感じがかわいいよね!」
「ちょ〜わかる!」
「佐久兎は学年一つ下」
何故解説をしているのかと自分で自分に問うが、これでは堂々巡りだ。クラスのほとんどの生徒が夜斗の机を中心に集まっている。夏だというに暑苦しいという感想が心の大半を占めた。
「ていうか夜斗君モテるでしょ?」
「全然」
「えぇ、うっそ〜!」
甲高い同い年の女子の笑い声が耳障りで、舌打ちをしそうになる。我慢しなければと奥歯を強く噛み合わせるが、次の話題で苛立ちは強くなる一方だった。
「ていうかさぁ、なんだっけ愛花ちゃん? ってちょっと怖いよねぇ。つり目だしいっつも怖い顔してるしさ」
「本当それ〜。ティアちゃんは人気あるけど可愛いからって調子乗ってるんじゃないの〜? 男子達がわーわー言ってるの意味わかんなぁい」
――良い人面をするつもりはないが、特に知りもしないくせに、嫉妬心から事実とは異なる悪口を吹聴しているのが気に入らない。よっぽどこいつらの方が性格が悪くて醜い。だから人って苦手なんだ。周りに合わせて流される奴多いし。流されない奴の方が変人扱いされて浮くなんてよくある事だ。
「可愛い子って絶対性格悪いよね〜! 良い子ぶってんじゃねーよってね」
夜斗は、この女子達をまるで従順な犬のようだと思った。周りの見えない圧力と無言に秘められた空気からの『暗黙のルール』。空気の伝染はまるで伝言ゲームのようだった。
それが場を丸く収めるための協調性ならまだ良い。しかし社会を縮小した学校という場では、負の感情の連鎖に巻き込んだり巻き込まれたりしているだけの、足の引っ張り合いだ。
自ら善し悪しを判断する事をしない、正解は周りの空気に従う事だと信じて疑わない人達を、夜斗は心の底から嫌悪していた。
――こんな奴らと友達でいたくなんかない。全員がこんな奴らなら、俺は友達なんかいらない。……あーもう、ダルい。友達作りとか、もういいや。
そう決心してから口にするまでは早かった。
「よくそんな悪口言えるよな。顔も悪けりゃ中身も悪いってか。救いようねーなぁ。少なくともお前らよりも近くで見てて、ティアは人の悪口を言うような奴じゃない」
見切りをつけた瞬間に、勝手に口をついて出る。気を抜いた瞬間に、つい口の悪さが出てしまった。前の学校ではよくトラブルの元になったものだ。しかしもう止まらない。言いたい事を全て吐き出した。
「おいおい反応無しか? つーか聞こえてますかぁ? 自信あるみたいだけど実際見かけもブッサイクなのに、中身までブッサイクだと救いようねーなって言ってんの。はっきり言って聞いてるだけで不快。迷惑だから近寄んないでくれるか?」
そう言い終え馬鹿にしたように笑うと、みるみる女子達の顔が怒りで頭に血が上り赤くなってくる。やってしまったと内心自分自身に呆れた。これでは前の学校の二の前だ。
「はあ?! あんただって性格ブッサイクじゃん! 転校生で有名人だからって調子に乗んなっつーの!」
「マジ意味分からないんですけど」
「なんなのこいつ……ちょームカつくッ」
――んなもん、自覚済みだっつーの。自覚してるからいいってもんでもねぇけどよ。
そう言い残し教室を出てったところで女子三人組が何かに驚いているが、何に驚いているのかを確かめる前にクラスメイトの男子達に囲まれる。
「夜斗君かっけぇな!」
「俺達も悪口言ってるあいつらに嫌気がさしてたんだよ!」
たったこんな事で、よくわからない人望を夜斗は獲得したのだった。この話はしばらく学校中の噂になり、賞賛の声を浴びるという面倒な事態になった事は言うまでもない。
*
「転校初日、流石に皆ぐったりしてるな!」
「そうだね〜」
信太の言葉の通り、返事をしたティアも、無言の愛花、夜斗、佐久兎もリビングのソファーで項垂れていた。
ホテルを丸々買い取った人外対策局の寮は、玄関からすぐにベッドルームがあるわけではなくまずこのリビングがある。お風呂とトイレは別で洗面台やキッチンもあり、他に四方向に別れた部屋がある。その部屋一つ一つにベッドが二つずつあり、彼らはそこに寝ていた。
つまり、今は二人組を三つ作って部屋を使っている。ティアと愛花、アルと夜斗、佐久兎と信太の組み合わせだ。女子は必然的に決まり、男子の分け方は自然と決まった事でこれといった理由はない。強いて理由を求められるのならば、歳が近い事くらいだろう。
生活を共にする彼等は、段々と自分以外の五人の事が分かってくる。
「そういや聞いたよ〜夜斗、転校そうそう同じクラスの女子とトラブったんだって?」
「知らねぇな。デマじゃねーの?」
「そうそう、その時あたしちょうど通りがかって聞いてたのよね」
アルの言葉を否定したばかりなのに、追い打ちをかけてくるように愛花が事実だと肯定する。あの女子三人組が教室を出た時に驚いていたのは、愛花の悪口を言っていた時に本人に聞かれたかもしれないと怯えたからだろう。
「ティアの事庇ってたわよ」
「私?! あ、あれか……今流行り? の悪口りか! これはこれは、大変ご迷惑をおかけしまして」
「別に。個人的に気に入らなかっただけだから」
「へぇ、んじゃ本当なんだ! 案外優しいところがあるのね夜斗ちゃん。お父さん、口の悪い夜斗ちゃんを心配してたのよ……友達もできたみたいでよかったわ!」
「どぅわぁるぇがお父さんだ! 口調が女だけどオネェなのか? 俺の親父はオネェなのか?!」
照れ隠しかいつも以上に突っ込んでいる夜斗。普段なら「知らん」と吐き捨てそうなものだったが、必要以上に噛み付いている。
「ほえー、夜斗って優しい奴だったんだな?」
信太が疑問符を頭上に浮かべた。信じられないとでも言いたげなのがひしひしと伝わってくる。
「うーん、夜斗は優しさしかないと思うけど……」
思いがけないティアからのフォローに驚くが、それよりも驚いたのは夜斗の優しさを見抜いていた事だ。今までそんな面は見せた事がなく、笑顔すら決して見せた事はなかった。それなのに、彼女は彼を優しいと言う。
「どこがだよ! こいつ口は悪いし目つきも悪いし、その話を聞くまで優しさのカケラも感じなかったんだけど?!」
「目つきが悪くて口も悪いから皆誤解してるだけだよ。ふっ、ふふっ……!」
「お前ら、褒めてんのか貶してんのかどっちだ?」
信太の言葉に対する夜斗へのフォローかと思いきや、そのまま笑いが堪えきれずに吹き出す始末だった。しかし、その後すぐに隣の愛花を覗き込む。
「大丈夫……? 震えてるよ」
「ちょっと疲れてるだけ! なんか少し、寒いしね」
ティアは無言で今まで羽織っていたカーディガンを脱ぎ、愛花の肩にかけた。
「ティア……ありがとう」
笑顔で首を横に振る。どういたしましてと言う代わりに、たいした事はしていないとその行動で伝えた。
「やっぱ夜斗とは対照的に、ティアって気遣いできるし優しいよな」
素直で真っ直ぐな信太の言葉に、ティアは先程よりも更に勢いをつけて首と手を横に振った。夜斗は悪かったなと鼻を鳴らす。その時、愛花の顔が曇る。微かな陰りを、アルは見逃さなかった。
「……じゃあ、あたしは早いけどもう寝るね。おやすみ」
皆が口々におやすみと返す。その愛花の後ろ姿に、寂しそうな視線をティアは向けていた。それでも笑顔を浮かべている。これに気づいたのもアルだけだった。
「うーん、難しいなぁ……」
ソファの背にもたれかかる彼が小さく呟くが、それは隣に座る者にしか届かなかった。怪訝な表情を浮かべる夜斗に、アルは眉をハの字にしてみせた。
誰もいないベッドルームに着くとうつ伏せに寝る。すぐに足元の布団を被ったが、夏だというのに震えはなかなか収まらない。
「…………寒い」
まだ午後七時だ。それなのに愛花はベッドの上にいる。本当に少しだけ体調が悪いというのもあるが、何よりティアが人を思う気持ちと人から思われる彼女を見て、何もない空虚な自分自身があの場所にいるのがいたたまれなくなったのだ。
「彼女は、沢山の人から愛されて育ってきたんだ」と思うと、なんだか腹立たしかった。
父は小さい頃に亡くなって、自分には母しかいなかったのに、その母は酒癖と男癖が悪かった。愛する夫を亡くし、ぽっかりと空いてしまった心の穴をその二つで塞ごうとしていたのだと理解するのに、十年以上はかかった。
殴られたりなどの身体的虐待こそなかったものの、酒に男にとだらしない生活を送っていた母はほとんど家にはいなかった。ネグレクトとだと言われても仕方がなかったし、愛花にとって母親というものが本来どうあるべきなのかも見失わせていった。
家に帰って来る時は男を連れか、男にボロボロにされて帰ってくるかしかなかった。
働いていない母のどこからお金が湧いてくるのか当時は分からなかったが、そんな事を気にせる程大人でもなく、お金を生活費だけに回した。食べ物も買いに行けばあったし、身の回りで必要な物も母に代わって買いに行っていた。
彼女の知っている母は、泣いているか、女の顔をして男にベタベタしているかだけだ。しかし横顔や後ろ姿しか見た事がないのだと気づいたのは、中学を卒業するくらいの事だった。
――あたしの事なんか、一度も見てくれた事なんて無い。
そう思うと、悲しさを通り過ぎて怒りや情けなさを覚えた。それからどうする事もなく高校生になり、一人暮らしをする事を選んだ。頭は悪くなかったが、アルバイトをして生活費やらを稼ぐ為に、勉強をしなくても楽に試験をパスできるような、いわゆる底辺高校に進学した。
おかげで最初にいた友達はつきあいが悪いだの、頭が良いからって見下してるだの勝手な事を言い出し、気づけば周りには誰もいなくなってしまった。
母だってそうだ。一人暮らしをしてから初めて迎える母の誕生日に、ケーキを持って母のところへ帰った。しかし今まで私が生活空間としてなりたたせていたマンションの一室にはもう既に違う人が住んでいて、母とは連絡がつかなくなっていた状態だった。
――ああ、ついに捨てられたんだ。
分かった時には、心が押し潰されそうになった。
「時既に遅しなんて言ったりするけど、きっとそれがこれなんだ」
誰かに諭されずとも、それくらい自覚できた。誰かに頼りたかったのかもしれない。しかし、周りには誰もいない。愛なんて知らないけど、愛を求めていた。人の温もりを得たかった。誰かの温もりで安心したかった。
そして、必要とされたかった。
「寒い……寒いよ……」
そんなどん底の時に突然、ドアをノックする音が聞こえた。訪ねてくる人なんているはずがないのに。
恐る恐る出てみると、そこにはスーツに身を包んだ一人の男性がいて、
「君が必要だ」
たったそれだけ。いつもなら不審感を覚えるような、しかし彼女の心を読んだかのような言葉をかけてきた。
悪魔の甘言。望む言葉。
自暴自棄になっていた愛花は、特に深く考えもせずについていった。
そして、ティア達に出会った。
人の汚さばかり見てきたから、とにかく粗探しばかりをしていた。しかしそれは女性に限った事で、最低な母親も自分を独りにした友達もたまたま性別が女だったからだ。
そんな自分自身を汚いと思い、大嫌いになった。それなのにティアからは嫌いな人の汚さを感じない。
あの時までは、きっと両親からも愛されて、友達からも愛されている人なのだと思っていた。彼女の両親が亡くなっている事を知って、酷く衝撃を受けた。
どうしてこんな優しさを持っているのだろう。
どうしてこんなにも人を気遣えるのだろう。
どうしていつも笑顔でいられるのだろう。
ティアに対する疑問が膨らんでいった。それと同時に、愛花はどうしてこんなにも自分と彼女とでは違うのかと思い悩んだ。
――育ちの違い? それとも、あたしにも分からないくらい完璧に黒い部分を隠しているの……?
謎は深まるばかりで、自分との違いをなかなか受け入れられずにいた。ただティアを妬んでるだけだと自覚しながらも、やはり汚い自分を認めたくなくて、でもその事について彼女は聡いからきっと感じとっていた。
それでも分け隔てなく接してくれているのに、勝手に彼女を意識しすぎてギクシャクしだしていたのだ。
「……なんで、何が違うんだろう。寒いよ、誰か、助けてよ」
――「誰か」としか言えなくて、呼べる名前は一つもなかった。
*
雨が降った日だった。夜中にティアがうなされていて愛花が目を覚ます。声をかけるべきか迷っていると、しだいに息が荒くなっていき、起こそうと手を伸ばした時だ。
「――――っ!」
何かに怯えているように目を見開き、呼吸を整えようと天井を見つめたまま、目を細めた。
「……あはは、またかぁ」
自嘲気味な笑い声をもらし、手の甲を額に押し付けた。消え入りそうなその声に、愛花は躊躇いながらも声をかけた。
「……大丈夫?」
「ありゃ、ごめん。起こしちゃったね」
「いいのよそんなの。それよりそんなにうなされて大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。ただちょっと、雨の日って苦手なんだよね」
そう困ったように笑い、ふらふらと寝室を出ていってしまう。
「あんなん大丈夫なわけないじゃん。ティアにしては……見え透いた嘘」
そんな愛花の拍子抜けした言葉は誰にも届かなかった。
ティアがまだ息の荒いままおぼつかない足取りでリビングまで行くと、誰もいないから迷惑をかけないだろうという安心感からか、膝から崩れ落ちる。
手を床について支えているものの、その腕すらガクガクと震えていた。額から汗がしたたり落ちる。
「…………ティア?」
その声にハッと顔を上げると、そこには夜斗が立っていた。人の気配に敏感なティアが気づかないというのは、それほどの事が起きているという事だった。
「おい、大丈夫か?」
夜斗がしゃがもうとした時に、ティアがいつもの笑顔で慌てて立ち上がった。しかし顔色の悪さが薄暗い部屋でも分かる。
「うんうん、大丈夫!」
立ち上がったはいいものの、壁に手をついて支えるのが精一杯だ。キッチンに向かおうと一歩踏み出したところで、目眩に襲われ倒れかける。それを夜斗が支えた。
「……ごめん、ありがとう」
「全く、大丈夫じゃないだろ。お前の嘘だって判る嘘は、大丈夫って言葉くらいだな」
「あはは、本当に大丈夫だよ」
「……はあ」
「た、溜息?!」
そう笑い飛ばすが、コツンと頭を小突かれる。
「はいはい、ソファまで運んでやるから。何持ってくる気だったんだよ」
「いいよ、もう歩ける! 夜斗こそ明日も学校なんだし、寝ないときついよ?」
「また鈍臭く転ばれたら困るんだよ」
そう言いながら、ティアをお姫様だっこする。軽々と持ち上げられてしまったティアは、状況が飲み込めずにパニックを起こす。
「え、えっ?! 何して……」
「見たら分かんだろ。運んでんだよ」
「私は荷物ですか?!」
身長の差からこんな間近で顔を見た事がなかった。そのせいか夜斗は変に意識をしてしまう。みるみる顔が熱くなるのが自分でも分かった。
バレないかと冷や冷やしながらソファまで運び、静かにおろした。そのままキッチンに向かい、コップを持って帰ってくる。そこには水が注がれていた。
「ありがと。すごいね、何を取りに行こうとしたか分かるなんて」
「そりゃあこの状況でキッチンに向かうなら、水くらい飲むだろ」
「そうかな?」
さっきまでとは打って変わり、人がいると分かった瞬間ヘラヘラといつものように笑ってしまうティア。健気な姿に夜斗はまた困ったように溜息をつく。しかし彼女にはその意味は解らなかった。
「そういえば、どうして夜斗はこんな夜中に起きてるの?」
「雨の夜は寝ると悪夢見るんだ。だから寝たくないっていうか……な」
「そうなんだ。私もね、雨の日はダメなんだ」
その言葉だけで、二人だけの合言葉のように意思の疎通ができた。だから、あえてこんな雨の降る悪夢の夜に、詮索をしようとはしなかった。
けれど、それで生じる沈黙。雨の音だけが二人を包む。重くなる空気の中で話題を探すが、聞こえてくる雨から気が逸らせずに皮肉にもやはり話題は雨になる。
「でも俺さ、雨は嫌いじゃないんだ。雨の中傘をささずに雨に打たれていると、なんだかいろんなものを流してくれるんじゃないかと思って」
それはきっと、過去の罪。
「あはは、分かるなぁ。傘を持ってるのにわざとささなかったり」
「ははっ、あるある!」
この時が、夜斗の笑顔を初めて見た瞬間だった。
「……夜斗って、素直に笑うんだね」
いつもと変わらない笑顔で恥ずかしい事をティアに言われ、妙に語気が強くなる。
「当たり前だろ。ただ、いつもつまらないから笑わないだけで、俺は正直な人間なんだよ」
「信太みたいな正直すぎるところ、いいと思うよ。だからこそ、本当に信用に足る人達が夜斗の周りには残るんだよ」
「あいつと一緒にすんな。口悪いとかいろいろ言われて去っていかれる事の方が多いけどな。まず見かけが怖いって寄ってこねぇ」
「それは本当に大切にするべき人じゃなかったからだよ。それに、見かけで判断しない人達だからこそ、しっかり中身を見てくれて離れていかないっていうのもあるんじゃないかな。今いてくれる人達をその人達の分も大切にしないと、なんてね。……あはは、綺麗事かな?」
突然不安そうに聞いてくるものだから、どうだろうなと曖昧に頷く。彼女はそんな返事でも安心したように再び笑顔を浮かべる。
「ティアはいないのか? 大切な人」
「皆の事を大切だと思ってるよ?」
「そうじゃなくて……なんていうかな。まずは自分の事を大切にしろ」
ほんの一瞬、言葉を失った。
「突然、どうしたの」
「突然も何も、今までの事とかでよく分かったよ。ティアさ、なんかわざわざ危ない道選んでるだろ」
「うーん、そうかな? そんな事ないと思うけどな」
「なあ、ティアはさ」
笑って誤魔化そうとすると、真剣な眼差しを向けられた。探るような視線に、内心身構える。
「――死にたいって、思った事あるか?」
その言葉にティアの表情が凍りつく。しかしすぐにいつもの調子を戻して笑顔を作る。
「これまた突然物騒な! びっくりしたよ」
しかし夜斗は真剣な空気を解かない。ここで引いたら負けが決まる。そんな目をしていた。
「少なくとも、積極的に生きようって気がなさそうに見える。人外対策局にだって、危ないって分かっていながら真っ先に所属を決めたじゃねぇか」
「……そうだね」
くすっ、と笑う。今まで見てきた温かい笑みじゃない。冷え切った、まるで死人の体のように冷たい笑みだった。
「似てんだよ、俺の親友に。……自殺を完遂させた奴なんだ。そいつが目の前で飛び降りて死ぬまで気づかなかったけど、ずっとあいつは死にたいと思って日々を送ってきたんだよ。それに気づくまでは、ちょっとそいつの行動に違和感を覚えただけ。いつもいつも危なっかしい奴だった。……ただ、危なっかしいだけの奴だと思ってたんだ。それがまさか死にたいって気持ちの表れで、全ては計算されていた行動だったなんて馬鹿な俺は解らなかった」
ティアはうつむいたまま、雨音に混じる声にただただ耳を傾けた。
「俺はなんでこんな事になってしまったのかを知りたくて、良くないとは分かっていながらもそいつの死後も原因を突き止めようと周りを嗅ぎ回った。そしたら答えはすぐに出た。そいつの親父がDVしてたっぽくてさ。離婚して母親もいなくて、どこにも助けを求められないであいつは日々の辛さを抱えたまま、いつもの危なっかしい行動をしてついには俺の目の前で飛び降りて死んじまったんだ」
握る拳に力が入る。掌に爪が食い込むが、痛さをまるで感じない。
「そういえばいつからかあいつは夏場も長袖しか着ていなかった。そういえばいつも困ったように笑っていた。そういえばあいつはいつも人に度がすぎるくらい優しくて、危険な事を率先して誰かに代わってやるような奴だった。そういえばって事ばかりで、小学生の頃から一緒だったのに何も気づいてやれなかった。あいつは何かを言いかけたり、何かを言いたそうにしてたのに、それでも何も言わなかった。後から後からいろんなサインに気づいて、やるせなくなった。それから二年後、お前らと会ったんだ」
力強い視線。揺らぐ瞳。弱々しい眼光。
「その中に、あいつと少し似てるけど、あいつより強がりで、あいつよりも危なっかしくて、あいつよりも周りに気を使っていて。人の事は救うくせに自分は救われる事を望んでいない、自己犠牲の塊みたいな、でもその一言で片付けられないような複雑な奴と出会ったんだ。俺はもう後悔したくないんだ。だからティア、これは俺のエゴだ。だけど何か抱えてるんだったら……」
――力になりたいんだ。
その言葉はティアによって遮られる。
「私は皆が思ってるような人じゃないよ。それと! 私は大丈夫だよ。私のせいで辛い事を思い出させてしまっていたんだね。ごめん。でも、当たっているけど、違うんだよ」
ティアは持っていたコップを両手で握りしめる。そして気まずそうに、それでも笑った。
「ティア、待っ――」
ティアはそのままコップを持って自室に戻る。コップを持たない左手を夜斗は掴もうとするが、するりと抜けて掴む事は叶わなかった。
親友を救えなかった時と同じあの手が、差し伸べる事のできなかったこの手が、今も変わらず頼りなく見えた。
「強くなりてぇな……」
ソファに勢いよく座り、拳を握る。
「――――人外対策局、か」
今の六人を繋ぐものは、きっとそれだけだった。