No.35「ティアと綾花」
「新入生代表、御祈祷ティア」
「はい!」
桜が舞う季節、中学校の入学式には透き通るようで芯のある声が講堂内に響く。その声と、なかなか日本にはいない名前に顔を上げると、やはり頭に浮かんだ姿が壇上に上がって行った。
「な、なんであいつ……」
周りでは彼女の容姿を見て大絶賛する声と、新入生代表の式辞を読むのは入試トップだという頭の良さに対する羨望の眼差しがあったりした。
――御祈祷? ……御祈祷って呼ばれたか?
名乗られた時、彼女の姓はルルーシェだったはずだ。連続殺人が一ヶ月も落ち着いている間に、家庭では複雑な事情が繰り広げられていたのだろうか。そんな勘繰りをしてしまう。
同じ学年に御祈祷という名字の男子生徒がいた気がするが、しかし進学校であるこの学校では数少ない問題児だという噂もある。不良と悪名高き御祈祷魁は、金髪のサボリ魔だという覚えがあった。
――まさか、ね。あんな奴と家族なわけが無い……よねぇ?
珍しい名字だけに、家族ではない可能性の方が圧倒的に低いという事実には目を瞑りたい。しかし喜んだのは、彼女と既に顔見知りである事だった。密かに優越感を覚えつつ、彼女の背中をぼうっと眺めた。
*
新一年生の入学式から早一週間。彼女の名前を聞かない日はなく、息苦しい学校生活では癒しの天使同然。彼女が歩けば人が振り返り、彼女を視界に捉えただけで男女関係なく誰もが天使に浮かれている。
誰が告白をしただの、直接話しをしただの、手を振り返してくれただの、図書室で本を読んでいただの、彼女の行動や言動はいちいち噂になる。当の本人は疲弊しているに違いない。
しかしあれから一週間も経っている。今更「久しぶり。まさかこの学校に入学してたなんてね」なんて言おうものなら、白々しいにも程がある。あのティアの事だ。全てを見抜かれそうだった。
――何を心配しているんだろ。別に見抜かれても困る事なんてないじゃん。いつから俺はこんなに繊細になったんだよ。
「……よし」
意を決し、昼休みに三年生の教室のある四階から、一年生の教室のある二階へ階段を下って行く。
――そういえばクラス知らないな。でもまあ同じ一年生に訊けば、あんなに有名なんだから誰でも知ってるか。
「あ、ねぇそこの人」
「はい?」
適当に一番近くにいた人に声をかける。黒髪ストレートで、少々つり目がち。どこにでもいるような、量産系の地味な印象の女子だった。顔は整っているのに、伸びきった前髪が残念だった。
「ティアのクラス、どこか知ってる?」
「えっと……ティアちゃんなら同じクラスの一組です」
「あ、そう。ありがとう」
常に返事が素っ気ない零は、言われた通りに一組へと向かう。その後ろをさっきの女子もついてくる。
「……ロールプレイングゲームをしているわけでも、ましてや『仲間になりました!』とかいう表示も出てないんだから、俺についてくる事はないんだけど?」
やや不機嫌気味にそう返すと、女子は顔の前で必死に手を振った。否定をしているのだろう。
「ちっ、違います! うちも教室に帰るところだから……」
「ああそっか。同じクラスなんだっけ」
「は、はい」
零が怖いのか上級生だから萎縮しているのか、あるいは二つの要因により引きつった顔で返事をする。そんな反応を見て、時たま怖いと言われるので特に気にはしないが、そんなにも怖いものかと窓に薄く反射する自分の顔を凝視する。
――うん、怖い。
つり上がっている眉に人を見下しているような嫌味のあるたれ目は、人を馬鹿にしているようにしか見えない。への字に歪み、口角が上がっている口元は、笑っているというよりもやはり嘲笑じみている。元からこんな顔なのだ。笑っても裏がありそうに見える、腹に一物を抱えているようだとよく言われてきた。
これを見ると、兄の前での無垢な弟の姿こそが、仮の世を忍ぶ姿かもしれないと自分でも思ってしまう。しかしそれは、兄以外の人間が基本的に嫌いなのだから仕方がなかった。
教室に着くと、ズカズカとティアの机へ一直線に向かう。ネクタイの色で何年生かが一目で分かるため、青色のネクタイ、つまり三年生の突然の登場に教室はざわついた。しかしティアの周りには人集りができており、女子と楽しそうに話をしているせいで気づいてはいないようだ。
「おい、ティア」
歩きながら声をかけると、やっと気づいて振り返った。他人行儀に「はい?」と返事をし首を傾げる姿に若干のショックを受けながらも、「彼女は元からほぼ敬語で話していたではないか。それに、上級生に敬語を使うのは至極当然の事だろう」と自分を慰める。
「ちょっと用があるんだけど」
立てた親指を顔の横で廊下側にさすと、その行動の意味を理解し彼女は立ち上がる。
「ちょっとごめんね!」
ティアは今まで話していた友達に断りを入れた。優しい笑顔は女子をも惹きつける。彼女の元気な声に、同じく元気な声を返すクラスメイト。
「ねぇねぇ、もしかしてまた告白かな?」
――違うって。
「え〜、今日もう七人目じゃない?!」
――マジかよ、すごいな。いや待て、だから違うってば。勝手にカウントするなよ。
ヒソヒソ話す声にいちいち突っ込む。さっき廊下で会った地味な女子とティアとではポジションが違いすぎるし、友達ではないだろうなと零は頭の片隅でそう思った。
「……あははっ」
そう勝手に決めつけた零だったが、その女子を通り過ぎたあたりで突然口に手を当て笑い出すティア。
「零先輩、後輩を怖がらせちゃダメじゃないですか。綾花ちゃん……だよね?」
そして笑顔で彼女に話しかける。入学後、初のホームルームで自己紹介をした時以来だというのに、覚えていてくれた事に驚く綾花の言葉はつっかえた。
「そ、そそ、そうです……!」
「その先輩を説教するなんていい度胸だよね」
「え、えっと……そうですね!」
「ん? どっちに同意してんの?」
「えっと……どっちも……?」
綾花と零のやり取りに、ついにはお腹を抱えて笑い出した。そして先輩という響きを新鮮に感じる零と、テンポの悪い綾花。彼女の最後の言葉に更に笑うティア。
「……ほら、とりあえず早く。昼休み終わっちゃう」
子供をなだめるような特徴的な口調で零がそう言い終えると、間が悪くもそこで昼休み終了を告げる鐘が鳴る。
「……あーあ、言わんこっちゃない。じゃあ放課後、校門で待ってるから」
「はい、分かりました」
*
放課後、中学に入ってから初めて一人で学校を出る。校門にはその門に身を預けもたれかかり、腕組みをしながら空を見上げている人がいた。
未成年にはなかなか出せない哀愁を醸し出し、物憂いげに思考していそうな気難しい顔は、この世の全てはつまらないといった目をしている。見上げている空すらも本当に目に映っているのかが危うい。
「…………あ、おい」
しかしこちらに向かって手を振ってくるのは、待ち合わせをしていた零ではない。だからこそ反応に戸惑う。もちろん他にも理由は多々ある。既にできあがったギャラリーを目の当たりにし、ティアは引いてしまったのだ。
「あの制服、有名な進学校の高校の制服だよね?」
「本当だぁ。高校生が何の用だろう?」
「なんだろうね。でもちょっとかっこよくない?」
「大人の色気ってやつかな」
「ちょっとやだ、何言ってんの〜!」
「だっ、だって本当じゃん!」
周りでは女子の噂話が始まっており、数十人単位の人集りができてしまっている。知り合いだと知られれば、変な噂がたちかねない。彼女が苦悩する中、ティアの背後からは少し遅れて気怠そうな足音が聞こえてきた。
「どーも、待たせてごめん」
「あ、零先輩。私もちょうど今来たところです」
「ほう、まるでカップルみたいな会話だな」
「そういえば、お話ってなんですか?」
「いや、話っていう話はないんだけどさ」
「なんだ、その告白する前の前振りみたいなセリフは」
「じゃあ何を?」
「ないわけじゃないけど……なんていうかな」
「なんだ、ハッキリ言え。女々しいな」
先ほどから水をさされまくりの零はついに痺れを切らした。普段からつり上がっている眉を更に片方だけつり上げ、不快感を前面に出す。
「あのさ、さっきからいちいちうるさいんだけど。なんで神無がここにいるんだよ」
「お前らに会うために決まってるだろ。とりあえずカフェに行くぞ。待っていて疲れた。座りたい」
ガシガシと頭を掻き、面倒くさそうな目を向ける相変わらずの態度に、ティアも零も溜息をついた。
学校から五分程度の距離にあるカフェ『レヴェ』に着いてすぐ、質疑応答が始まる。一ヶ月ほど前と同じようなシチュエーションだった。
「ティア、お前昨日どこにいた? 零もだ。どこにいやがった」
「学校から帰ってからはずっと家にいました」
「俺もだけど」
二人の答えを聞き、神無は安心したのか当てが外れて残念がっているのか、どちらともつかないような息を吐き出した。
「そうか。……昨日、また殺人事件が起きたんだ。今回は透明人間ではなく、しっかりと犯人は映っていたんだけどな」
「じゃあなんで俺達が疑われたんだよ」
「お前らは殺人現場によくいるようだからな。まあ映ってた奴は防犯カメラの映像が決め手で逮捕されたんだが、しかしその犯人は無実を主張している。別に珍しい話じゃない。だが嘘か真実かを見抜く事くらいは、俺にでもできる」
「何が言いたいのさ」
神無が野良猫のように鋭い眼光を二人に向けた。
「どうやら、犯人は犯人ではないらしい」
「はあ? どうしたらそんな矛盾が起こるのさ。防犯カメラには映っていたんでしょ。それが紛れもない証拠だよね? きっとあんたの目が腐ってんだよ。……元から腐ってそうだったけどさ」
「最後が余計だ。いや、最後以外にも余計なところはある。俺の目は生き血が絶え間無く通っていて新鮮だぞ」
「もぎたてフレッシュな感じには見えないけど」
「畑で収穫される事なく腐ってしまった野菜のようです」
散々な年下二人の言い様に、神無は不貞腐れて顔を背け、真顔であってはいけない事を言う。
「別に、お前達を重要参考人にしてもいいんだがな」
「うおおい?! 濡れ衣だよね?! こうやって冤罪が生み出されてくんだ。見たかティア、これが大人のやり口だぞ!」
「ええ。何かしらの理由で神無さんが逮捕されてしまえばいいのにと、密かに願う事にします」
「口にしたらもう密かではないぞ」
「なので、神無さんの胸の内にしまっておいてください」
「できない相談だな。あ、ジンジャエール」
通りすがりの店員に注文する神無に続き、ティアはレモンティー、零はココアを頼んだ。
「お前ら、相変わらず舌がお子ちゃまだな」
「なかなかあんたに言われるのは納得できないね。ブラックコーヒー飲めてなかったし」
「なんだ、二人は飲めるのか?」
「もちろん」
神無の疑問に応答する二人の言葉は、見事に重なった。飲めやしないだろうと高を括っていた神無は、以前ここでブラックコーヒーを飲んだ時のような苦い顔をする。そして数秒の沈黙の後、一つの咳払いを合図に再び口を開いた。
「……話題がずれたな 。質問を変えよう。お前達はこの事件について何か知っているか?」
「知らないさ。そんな事件があったのも今知ったんだから」
「ティアは?」
「今回は分からなかったです」
「分からなかった?」
「気配みたいなものですよ」
「人殺しのか?」
「そんなものです」
「……詳しく聞かせてくれ」
テンポ良く進んでいた会話は神無で途切れた。ティアは意味深で挑戦的な笑みを浮かべ、ミステリアスに頬杖をついた。
「真犯人に気づけたらいいですよ」
いつの間にやら届いていたレモンティーを口にするティア。つまらなさそうに、神無はジンジャエールを飲む。
「気づけたら苦労しない。……ふん、透明人間に偽物の犯人か。どこに真犯人が潜んでるんだかさっぱりだな」
「ゾッとしないね」
「あはは、いつか零先輩も犯人にしたてあげられたりして。わあ、怖いですね」
「本当に怖い事言うなよ。冗談じゃないって」
結局何の進展もないままお開きになった。久しぶりに集まった三人は、周りにはただの仲の良い友達のように見えていた。だが、会話が途切れた時のその表情は真剣そのもので、およそ中高生が抱えるべき物ではないものを抱えているようだった。
*
零との一件により、段々と話すようになったティアと綾花。朝、教室に着くなりティアがまっすぐ向かったのは、彼女の机だった。膝を床について、机に乗せた両腕の上に顔をちょこんと置く。上目遣いな彼女も、伏し目がちな彼女も、とにかく愛くるしい笑顔を浮かべている。
「どうして焦ってるの?」
「わ?! ティ、ティアちゃん……!」
「おはよう!」
「お、おはよ! えーっと、数学の課題が終わってなくて……。もう根っからの文系でさ、数学はさっぱりなんだよね」
綾花は苦笑するが、対象的にティアの顔はパァっと明るくなった。
「じゃあ国語は得意?!」
「ま、まあ……!」
「やった、国語教えて! 迷惑じゃなければ私が数学教えるから……お願いします!」
目を瞑り、両手を顔の前で合わせるティア。まさかあのティアに頼ってもらえるとは思っていなかった綾花は、とんでもないと慌てて返す。しかし考え直し、こう返事をした。
「う、うちで力になれるなら……!」
「ありがとう! でも、国語は明日までだから、先に数学終わらせちゃおう!」
その数分後、あっという間に解き終わる。開放感から綾花はシャープペンを投げ出し、伸びをする。
「終わったぁ! そっか、わざわざこんな面倒な公式に当てはめなくても、解ける方法があったんだね」
「手間は省けるけど、省いた分間違い易くなるデメリットもあるけどね!」
「そうなんだぁ。でも、ティアちゃんがいつも一番に問題が解き終わってる理由に納得したよ!」
「なんだか最近眠気がさしてしょうがなくて……でも居眠りはいけないから、ちょっとでもぼーっとする時間が欲しくてね」
そう言うティアの顔は、少し疲れているようだった。人気者も大変なのだと、ここで初めて綾花は知る。憧れと羨望の眼差しを一矢に集める事を一度は体験してみたいものだが、それが長く続けば煩わしく感じられてくるだろう。
「じゃあさ、国語は学校外でやらない? うちに来……ああっ、ダメだったぁ! ごめん、今従兄弟が泊りに来てたんだった!」
「それなら私の家に来ない? たいしたおもてなしはできないけど……」
「本当?! 行く行く!」
図々しいだろうかとも思うが、ティアの住む家に興味が湧いてくる。そんな無邪気な綾花を見て、ティアは照れ気味に破顔した。そして「じゃあ、放課後ね」と言い自分の席へ戻って行く。すると、途端に人の群れが彼女の周りにできた。
「ティアちゃんって……本当にすごいなぁ」
今でもティアと友達になれた事をにわかに信じられずにいる。あの怖い先輩のおかげだと思うと、なんだか良い人なのではないかとも思えてもきた。
「ねぇ、レヴェって知ってる? カフェなんだけど、すっごくオシャレで美味しいの!」
「二回くらい行った事あるかな。確かに美味しいよね!」
「本当?! 今度一緒に行こうよ!」
「あ、ズルい。私も行く!」
「私だって行きたい!」
口々に私も私もと主張している。綾花にはなかなかできない事だった。もし断られてしまったら。空気が悪くなってしまったら。そう考えるだけで口に出す事を躊躇ってしまうのだ。
「あはは、じゃあ今度皆で行こ!」
――ティアちゃんには他の誰かもいて、うちはその中の一人でしかない。彼女にとって、うちは一番仲の良い友達なんかじゃない……。うちにはティアちゃんしかいないのに、ティアちゃんにとっては沢山の友達の中の一人でしか、ないんだ。
そう思うと悲しい気持ちになった。いつもそうだ。手を差し伸べてくれる人は今までに何人かいた。その誰もが、ティアのように誰にでも優しく平等に接してくれる人だった。しかし、だからこそ虚しさを感じる。いつも今回のように思ってしまう。輝いている彼女のような人と、自分ではポジションが違いすぎる。そう勝手に、劣等感も抱いていた。
誰かの一番になりたかった。
「じゃあ今日行こうよ!」
女子の内の一人がそう持ちかけた。綾花は内心焦る。心臓の鼓動が大きく打ち、脈が早まるのを実感した。
――うちなんかの約束より、そっちの約束を優先させちゃう……よね。
「あ、ごめん! 今日は綾花ちゃんとの用事があるの。皆で行ってきて!」
――……え?
綾花の心配は杞憂に終わった。今はかなり間抜けな顔をしているだろう。良い意味で予想を裏切られた綾花は、目頭が熱くなる。
「えー、ティア来ないの? つまらないじゃん」
「てか綾花ちゃんって誰?」
「あの子でしょ」
綾花は輪の中の一人に指をさされる。どうしたらいいのかとあたふたしていると、ティアが笑顔で手を振ってくれた。それに応えると、更に人懐っこい笑顔を向けてくれる。
「綾花ちゃんも一緒に話そうよ!」
手招きされ、慌てて立ち上がり向おうとすると、何もないところでつまづいてしまう。なんとか転ばずに済んだが、恥ずかしさで顔が熱くなる。鈍臭いと思われたのではないかと恐る恐る視線を上げるが、そこには悪意のない笑みを浮かべたクラスメイト達がいた。
「大丈夫?」
「もう、綾花ちゃん面白すぎだよ! ところで芸能人で誰好きー?」
「いやいや、最初に訊くのは好きな芸人でしょ!」
「いーや、好きな人のタイプっしょここは!」
どれから答えればよいものかと困っていると、ティアはただ心配そうに綾花を見上げている。大丈夫だという事を笑顔で伝えると、彼女は安心したように顔を綻ばせた。いつも笑顔のティアに安心感や信頼を寄せつつ、居心地の良さも感じていた。友達に恵まれた幸運に感謝する。
「ティアちゃん、ありがとう……!」
小動物のように小首をかしげる彼女は、不思議そうな顔をしてから、照れ隠しに勢い良く右手でピースサインを作った。




