No.32「実子隊の思い出、あゆみの思い」
「うるっせぇんだよ! 映画見て号泣すんのは勝手だけどな、大声出して泣かれちゃかなわねぇんだよ。こっちゃ勉強中なんだぞ?!」
「どぅあっでぇえっ。教会で犬と男の子が天使に連れられて、うっううぅ、パトラッ……ブー?! んなっ、なんで殴るんだよ!」
「いいか、今度少しでも音を立ててみろ。……お前の頭ぶち抜くからな」
任務終わりの実子隊が右京隊の部屋の扉の前を通り過ぎる時、夜斗と信太が喧嘩している声が聞こえてきた。最後の一言には呪詛のような禍々しさが込められていた気がする。銃口を突きつけられている姿が容易に想像できてしまうのは、いかがなものなのだろうか。
「昼間から騒がしい人達だね」
「そうかな。勉強の邪魔をされたら、あれくらい怒っても普通じゃない?」
「うわあ、新が勉強中の時は静かにしよう……」
新の横で直樹は顔を引きつらせた。興味なさげな銀も、心中では直樹と同じ誓いをたてる。
「騒がしい人達って、ティアの事も一緒くたにするのはやめてくれ」
「あんたのティア推しはなんなのよぉ。やめときなさい、ティアは追われると逃げるタイプだと思うわよ〜」
朱里が冷めた視線を送る中、バルはスマホの画面を凝視している。何を見ているのかと横目で確認すると、ティアファンクラブによる画像投稿サイトが映っていた。心底軽蔑し侮蔑の視線を送るが、それに気づかないくらいに没頭し見入っている。
バルの向こう側であゆみは前だけを向いて歩いている。何とも言えないこの気持ちを分かち合える人は、この場には誰もいなかった。
――バル、ただの変態だ。
朱里は肺の中の淀んだ空気を精一杯吐き出し、身体、もしくは心の穢れを体外に排出しようとした。
「な、に……?! ティアと夜斗が昨日子供服売り場にいただと? 誰の子供だ?!」
わなわなと震えるバルの元に、先に歩いていた新と直樹も戻って来た。彼らもそういう話題に興味のある年頃だ。
「誰のって、昨日の任務で引き取った天邪鬼でしょ。うわ、バッチリ撮られてるじゃん」
「盗撮可哀想だね。でも需要あるからなぁ。ほらバルみたいな人に」
「ストーカーと変わらないでしょ……」
「朱里、静かに! 気づかなければ自分の中ではそうじゃないんだから」
「だからこそたちが悪いと思うんだけど……」
「聞こえてるぞ直樹、新」
「事実なんだから言われてもしょうがないだろう。警察に捕まらない程度にしておけと忠告しておくぞ、俺は」
銀も話しに加わり五人が立ち止まっている間にも、あゆみはそれに構う事なく先に部屋に入っていった。それに朱里は舌打ちをするが、新が笑ってまあまあとなだめた。
「気に入らないのよねぇ、あのスカした感じ」
「仲間なんだから仲良くしないと」
「あゆみには朱里達なんて仲間だって思われてないっつーの」
肩に置かれた新の手を払い、ズカズカと朱里も一人で先に部屋に入っていってしまう。顔を見合わせる男四人は難しい顔をした。
「確かにあゆみって俺達から距離とってるよね〜。何でだろう」
「元からああいう人間もいるだろう」
「……違う」
真剣な表情のバルが、新と銀の会話に口を挟む。直樹も彼の次の言葉を待つが、なかなかまとまらない答えは、バルの中で複雑に絡まっていく。
「なんていうか……とにかく違うんだよ。本当はもっと輪の中に入りたいって思いをしっかり持ってる。でも何かの目的のために、それをしようとしないんだ。その何かは読み取れないけどね。朱里はティアと愛花のような関係を本当は彼女に求めているけれど、それができなくて地団駄を踏んでいるんだ。どちらも素直じゃないよね。誕生日占い的には相性がいいのに」
「へえ、誕生日占いなんてものがあるんだ。いつなの?」
興味深そうに新が問う。
「朱里は十月三日。あゆみは七月五日だよ」
「……ん? あゆみの誕生日は明日じゃん。これはいい機会じゃない? こっそりケーキ買ってきて、サプライズしちゃうってのはどうかな!」
乗り気な新に渋る三人。銀が最もな事を口にする。
「何かしらのリアクションが得られるとは思わないが。そのケーキを顔面にくらう覚悟くらいもってやらないと、痛い目を見るのは目に見えている」
「うーん、じゃあそういうプレイって事で……」
銀の放った手裏剣が新の耳スレスレを通る。細かく切れた髪はパラパラと宙を舞った。
「そんな趣味はない」
「まあ祝い事はして悪いって事はないし、やるのも悪くないんじゃないかな。ただし、ケーキをくらうのは新だという条件で。いつティアと遭遇するか分からないからね。完璧な自分でいるためにはそんな事で……」
銀の放ったクナイがバルの耳スレスレを通る。空を切り裂くその音に混ざり、ザクっという厭な音がした。
「わぁおっ?! かっ、髪が切られた……。何をするんだ銀。髪は女の命と言うだろうが!」
「貴様は男だろう。安心しろ、変態はすぐ伸びる」
「全く、三人共うるさいよ。廊下では静かにって学校で習わなかっ……」
銀の放った手裏剣とクナイが直樹の両耳スレスレを通り、足元には無意味にマキビシが大量に飛散した。
「小学生レベルの事を口にするな」
「うおおおおいっ?! 絶対忍び道具を乱用したいだけだろっ?!」
「何の事だ」
「いやいやいやいや、何を柄にもなくトボけた顔してるんだよ?! そんなおとぼけで許されるような行為じゃないから! 下手すればバルの髪がザックリいってる時点で傷害で捕まらない事もないから!」
「バル……? 誰だそれは。直樹が空想上の人物について語るなんてらしくないぞ」
「らしくないのは銀だからぁあ!」
張り合う銀と直樹を、新とバルは遠巻きから眺めていた。
「一部の髪が大ダメージを受けた上に、俺の存在を空想上のものにされてるんだけれど……」
「初登場時のシリアスな雰囲気のバルと、今のナルシスト気質な残念なバルを見比べたら、どちらかが偽物である方が納得いくよ」
「そうやって新も俺を消そうとするんだ」
「銀様の言う事は絶対だから……」
トラウマを植え付けられた新が遠い目をした。
*
次の日、昨日の作戦は実行された。
「誕生日おめでとう!」
五人の声が実子隊の部屋に響いた。クラッカーの音に驚き、あゆみが数秒間硬直する。しばらくケーキと五人の間を視線が往復し、その顔はどんどん怪訝な表情を濃くしていく。
「何よ、いきなり」
「え、あれ……? 今日誕生日だよね」
「そうだけど」
新が安心した顔をし、あゆみの座るソファのテーブルの前にケーキを置いた。
「さあさあ、ロウソク吹き消して!」
新が言い終わる前に、さっさと吹き消すあゆみ。おめでとうと拍手する五人に、照れたように顔を逸らした。
「……別に、祝ってなんて言ってないじゃない」
頬を膨らませて口を尖らせる。初めて見る彼女のそんな姿に、周りも自然と笑顔になった。
「素直じゃないわねぇ。いいから黙って食べときなさいよ!」
「……ふん。食べてあげなくもないけど、ケーキなんか好きじゃないから」
「嘘はよくない。俺の能力がショートケーキ好きだって教えてくれちゃってるんだからさ!」
「……変態」
「聞き捨てならないね。俺は変態ではない。紳士さ」
変態が決まって言う決めゼリフを吐くバルに、五人の冷めた視線が集中した。氷結ビーム光線を受けた彼の体は、次第に氷に包まれていった。
「さ、切り分けるわよぉ」
「じゃあ包丁持ってくるね」
「待て新。ここに太刀がある。これで……」
「それ、食べ物切るものじゃないから」
直樹が突っ込むものの、新はその正論を否定した。
「いや、これはケーキを切る時にも使われてるから。銀様の言う事は絶対だから」
声には表情がなく、昨日のトラウマに震えていた。
「朱里的に意味分かんないんだけどぉ。新に一体何があったの?」
「ジャパニーズニンジャはクレイジーだって事だよ」
バルの解説にも首を傾げるが、次の瞬間彼の耳元をかする何かが見えた。
「っああああっ! また俺の髪がぁああああ」
「ジーザス」
「こっちのセリフだよ、このクレイジー!」
バルと銀の喧嘩が始まり、皆がそれに集中している間にあゆみは指先でケーキを突き、クリームを舐めた。
「……ん、美味しい」
そう、小さく呟いた。しかし皆に聞こえてしまっていたようで、その声に反応し、勢いよく五人が振り返る。ギョッとしたあゆみは目線を逸らし、突如立ち上がり部屋に戻っていってしまった。
「えっ、あっ、ちょっと待ちなさいよ?!」
呼び止める声も虚しく、扉は静かに閉まる。あゆみのために買ってきたケーキが、ぽつりと寂しそうにテーブルの上で佇んでいた。
「まあ、成功って言ったら成功だよね。食べてくれたし」
「いつも食べてる時無言だしねぇ。美味しいって言わせたなら、こっちの勝ちよ」
新と朱里が頷き合いながら、でかしたと讃え合う。その間にちゃっかりケーキを六頭分に切り分けていたバルが皿に移し、それぞれの前に置いた。
「さあ食べようか。……ああ、俺とした事が、フォークを持ってくるのを忘れていたよ」
「クナイで食べるか?」
「は? どうやって」
銀の忍び道具推しに、他の四人の声が重なる。見本を示そうとする忍者の末裔を危ないからと新が止めるが、ならばと銀は手でケーキを掴んだ。
「日本男児たるものこんなものは一口で……」
「はしたない真似はよしてくれ……!」
再びもめ始める銀とバルに、残された三人はいつもの事だとフォークを持ってきて食べ始める。
「やっぱあゆみって距離あるよね」
「それねぇ〜……つらっ!」
直樹の言葉に返事をした後、乱暴に息を吐き出し朱里は口を尖らせた。新は朱里の口の前で蛍を手で包み込むような仕草をした。
「溜息つくと幸せが逃げるんだよ。ほら笑って笑って〜。笑う門には福来たるって言うでしょ?」
「そんなん迷信に決まってんじゃん」
否定したのは直樹だった。
「直樹ってなーんか夢ないわよねぇ。流れ星に願い事しても叶わないって思ってるタイプ?」
「そうだよ。でも朱里だってそういうのを馬鹿にするタイプにしか見えないけど」
「いつか白馬の王子様が迎えてに来てくれるとは信じてるわよぉ?」
「脳内メルヘンかよ。似合わねぇー……」
直樹のなんとも言えぬ表情に、朱里は舌打ちをする。
「何よ、別にいいでしょ。夢見るだけタダなんだから」
「一生独身タイプだなって思ったんだよ」
「よっけいなお世話よ! あんたこそ彼女いた事ないくせに」
「それは関係ないだろ?! 好きだと思えるようなレベルの女子がいないんだよ!」
「鏡で自分の顔を見てから言いなさいよ!」
「そんなに悪くないと思うんだけど?!」
「右京隊と並ぶだけ損するレベルよ!」
「もうやだ泣きたい!」
二人で傷口に塩を塗り込み落ち込む。そんなカオスを両側で展開されている新は、右往左往するでもなくただ傍観を貫く。ケーキを食べ終え、あゆみの分のケーキにラップをかける。メモ用紙に「あゆみの分です」と書き、自室に戻る事にした。
――元気だなぁ、若者は。
あまり変わらない年齢の彼らに、孫でも見るような目を向けた。部屋の扉を閉めると、瞳を静かに閉じ、ベッドへダイブする。隣のベッドは銀のものだが、今だけこの部屋は新だけの空間だった。
――本当は、あゆみもあの場にいたいはずなのになぁ。
離れたところから自分達を見る彼女の羨む視線を思い出し、いつもどうして輪の中に入らないのかと疑問に思っていた。輪の中に入れようとするが、いつも今日のように逃げて行ってしまう。良い策はないかと頭を悩ませた。
*
横のベッドでは静かな寝息をたて朱里が眠っている。もう午前二時。主役不在の誕生日パーティーの顛末は知らない。何故なら彼女が主役だったからだ。
リビングの明かりは既に消えていた。テレビの前のテーブルには、あゆみに宛てたメモ用紙とケーキがある。
「この字は……新ね」
今更一人でケーキを食べるのも気恥ずかしく、本当に誰もいない事を確認してからラップをとった。上に乗っている苺をフォークで刺すと、訳も分からない破壊衝動に襲われた。
「なんだか、新に見透かされているみたい……」
――私は仲間となんか馴れ合う気はないのに。馴れ合っている暇なんてない。私には目的がある。復讐……そのためだけに、人外対策局に所属したんだから。情なんか持ってはいけない。本来敵同士で、目的を果たしたらここも辞めるつもりなんだし。
心の中ではそう言い聞かせても、胸が酷く締めつけられる。息が苦しくなり、視界がうっすらと滲んだ。喉には何かが詰まった感覚があり、息苦しさは増すばかりだった。
「私だって、本当は……」
言いかけて硬く口を結ぶ。下唇を噛み締め、痛みで感情を抑えつけようとした。自分を律するためにケーキをゴミ箱に投げ捨て、歩み寄りかけた彼らとの距離や、湧きかけた情も一緒に全て破棄した。
肩で息をしていると、前方で影が揺らいだ気がした。誰かの気配に顔を上げると、そこは鉄格子の中だった。
「……ティア」
目の前には、自分が理不尽に復讐しようとしていた彼女の姿があった。
「犯人が誰であれ、復讐はさせない。貴方に協力してほしい事は、誰かが危なくなった時に助けてほしいって事。キメラと戦うのは、私達右京隊になるはずだから……。勝手なお願いだって解ってる。それでも私はこんなだし、あゆみちゃんの力が必要なの」
「っふざけないでよ。あんただって両親亡くしてるじゃない。この気持ちが解らないわけじゃないでしょ?! 憎んで、今まであった幸せな日々を願って、どんだけ大切な人の存在を願ったか!!」
「……うん、解る。痛いほどに解るよ。けれど、だからこそ言える。過去への執着を捨てない限り、誰も幸せにはなれない」
責めるような目でも、慰めるような目でもなかった。ただその紫色の瞳はあゆみだけを見据え、光のみを示そうとしてくれていた。
「……ここから出たとして、私が復讐の道に進むかもしれないのに、それでも釈放しようっていうの?」
「あゆみちゃんはもう道を間違えないよ。私はそう信じてる。それに、あゆみちゃんにも大切な仲間はいるでしょ?」
ティアにも見透かされているようだった。本当は実子隊の隊員達との間に望む関係を。本当は、心から笑い合えるような環境を欲しがっていた事も。
「仲間なんかじゃない。隊の人達と距離を置いて壁を作っているのは、ティアだって一緒でしょ。それで仲間だなんて呼べるの?」
「その壁を無くす事を望んでいるのも、私達は一緒だよね。孤高でいられる程、私達は強くないから」
「群れて傷ついて傷つけられて、それを愚かだとは思わないの?」
「……だってそれが、人間なんだもん」
「――――っ!」
見慣れない天井が目に飛び込んできた。辺りを見回している内に、自分が今どこにいるのかを思い出す。心電図の音や点滴が落ちる音。寿命の近づいたキメラの末路を、ただ必然と辿っている自分。体を起こした拍子に、白い何かが視界に入る。変わり果てた自分の白髪が、酷く現実味を醸し出していた。
「今までの全部……夢、か」
随分と懐かしい夢を見た。次元の歪で天と出会ってからすぐの、誕生日の事。ティアへの復讐に失敗し捕まってしまい、ある日そこに彼女が来て自分を助けてくれた時の事。今ではもう、懐かしい夏の思い出だった。
結局、本当に復讐するべき相手だった呼斗には復讐をしなかった。代わりに、皆を助けてほしいと頼んできた病み上がりのティアが無理をしすぎ、殺される直前であゆみが能力を使って助けたのだ。その間には様々な葛藤があった。今なら呼斗を殺せるという場面でもその衝動をなんとか抑え、人として正しい行動を選択した。
人としていられるギリギリのラインで踏みとどまれた。それはきっと彼女のおかげで、そして本当に仲間になりたいと思える人達のおかげだった。
――それでも私は独りを選ぶ。孤独で死んでいくのがせめてもの私の罪滅ぼし。沢山のごめんなさいを抱えながら、もう誰にも迷惑はかけない。誰かと心から笑い合える日々なんて、もうないの。
目を瞑れば、弟の笑顔がまぶたの裏側に浮かんだ。実子隊の日常風景や、あの日結局食べる事なく捨ててしまったケーキも思い出された。それを見た皆は何を思い、どんな顔をしたのだろうか。想像をして、厚意を無下にした自分が許せなくなる。
今更沢山の後悔が涙として溢れるが、あまり自由のきかなくなった体には、もう遅いのだと痛感させられる。
――群れて傷つき傷つけられる。そんな愚かな生き物が、彼女の言う通り人間なのだというのであれば。
「……日々を笑い合って過ごしたかった。本当は仲間として皆といたかった。本当は、本当はっ……孤独なんてもう嫌だ。嫌だよ……! 新、朱里、銀、バル、直樹……今まで裏切ったり、突き放したりしてごめん。……でも許されるのなら、皆と笑い合って、本当の仲間になりたかった……」
彼女の素直なその言葉は、決して人前では見せなかった弱さと、心から願う本心だった。
あゆみの思いを聞き届ける事のできる者は、たった一人いたかもしれない。




