プロローグ
――――魔物と戦う軍が、この現代社会に存在するらしい。
日本国東京都某所には、国の管轄下にある行政機関が建ち並んでいる。
それ故、秘密結社や秘密組織の本部があるのではないかとまことしやかに囁かれていた。しかしそのほとんどが、陰謀論やオカルト好きの人間達が創り上げた虚構のものである。だが、実際に存在するものも勿論あった。
例えばそう、その一つがここ。
人外対策局――通称AMSだ。
繊細かつ大胆な装飾を施された重厚感ある扉の前には、三人の若者が横一列に並んでいた。扉を中央の青年がノックする。すると、一拍おいて扉の向こうから渋みがあり威厳のある声が返ってきた。
「入れ」
「失礼します」
扉を開けば、そこには楕円型の真ん中に穴が空いているテーブルを中心に空間が広がっている。それにも高級そうな装飾がしてあり、ふと見上げればシャンデリアが燦然と輝いている。金や銀、原色が多い空間では色の洪水が起こり目が眩む。
入室した三人から見た奥の席には、先程の声の主が腕を組み豪華な椅子に座っていた。他にも様々な国籍や制服の二十代から六十代の男女約五十名が着席し、沈黙を貫いているこの重く厳格な雰囲気に緊張が増した。
横目で何と無しに顔ぶれや制服で出身国や役職を確認しつつ、一番奥に構える人物へと歩みを進める。そして三歩前で立ち止まった。
「御祈祷八雲、実盛右京、高山実子以上三名、帰還しました」
そう告げる青年と両脇の二人にこの部屋にいる誰もが視線を集中させた。三人ともその威圧感に怖気ずく素振りも見せずに、ただ堂々と正面を見据え次の言葉を待つ。
「ご苦労。今日は特別な会議があって各国の局長も招いているからこんな人数だが、君達にとって全く無関係というわけではない。……ここに呼んだ理由は分かっているな?」
その問いかけに三人は眉をひそめた。この時初めて緊張の色を表面に浮かべ目を伏せた。
「君達の隊長である零崎優と契約をした人外は自我の喪失による暴走をし、退魔師数十名を襲い殺害した件についてだ。あの人外の管理責任については君達の隊にある。ここまで被害を出しては不問とはいかないだろう」
「お言葉ですが一局長……!」
「右京、やめるんだ」
三人の中央にいる青年が右隣の青年を手で制す。彼は制止に素直に従うが、不服そうな顔で局長を睨めつけた。
「ふん、右京は度々反抗的な態度を見せるな。そんなにこの組織に不満があるのか?」
「……いいえ、ありません」
「そうか」
態度から建前だけの虚言であるのは明らかだが、局長は言葉だけでも従順な右京をこれ以上追い詰めるような事はしなかった。
「本日をもって、君達の所属する零崎隊を解体する」
その言葉を覚悟していた三人だったが、確定した事でそれぞれが反応を示した。特に右京は今にも噛みつきそうな程顔を強張らせ、実子は諦めたように表情を崩さない。局長の隣に座る男性がそれを見兼ね、口を挟む。
「……局長。副局長の俺から意見させてもらえるんだったら、解隊する事はないでしょうよ。優がその事件で死んだって、その三人の中から隊長を新たに選出すればいいだけの話だ。人数が足りないってんなら、精鋭隊予備軍の退魔師を追加すりゃ解決なんだしさ。それに将来有望な精鋭をバラけさせてまで、そっちに回す必要はあるんですかね。もっと適任がいるでしょうよ」
「馬鹿を言うな龍崎。副局長として私からも意見させてもらえるのなら、この険悪になってしまった三人で隊を機能させるのは無謀だと思うぞ。だったら散り散りになって、他で上手くやった方が出世にもいいんじゃないのか? 本部に居場所が与えられたのだから、支部に左遷させられるよりはよっぽどマシだろうさ」
「ハッ、出世にもいいって? それは白砂、お前の体験談か何かか?」
局長の両隣にいる三十代半ばの龍崎と呼ばれた男と、白砂と呼ばれた女の両副局長の会話はその場の空気を一瞬にして凍りつかせた。
当の三人はといえば、龍崎の「そっち」発言の意味を図りかね置いてけぼりをくらっていた。
「副局長同士が仲が悪いんじゃあ、零崎隊をどうこう言えないと思うんスけどねぇ〜! あはははは」
そんな中、およそ三十代前半の男が場に不釣り合いな砕けた口調で煽った。白衣に身を包んでいるが、その衣服の白さとは対象的に、だらしのない寝乱れ髪のままで髭も数日は手入れをしていない様子がうかがえる。
各国から局長クラスが召集されるほどの会議に参加するというのに、それをだらしないととるのか、研究熱心で時間が無いととるのかは人それぞれだった。どちらにしろ、格好に無頓着で肝が据わっている事には変わりがない。
「なんだと……? 研究所所長の針裏は目上の者に随分な事を言うじゃないか」
「その地位に就けたのは誰のおかげだったっスかねぇ?」
「貴様……」
目で人を殺せそうな殺気を出す白砂を特に気にした風もなく、針裏は何かを言いたげに笑顔を浮かべ口だけを歪ませた。含みのある笑みは腹に一物を抱えていそうで信用しきれない雰囲気を醸し出す。
「各国の局長の面前で見苦しい事をするな」
更に事態が悪化する前に局長が一喝する。それで場が収まるのだから、人外対策局日本本部局長の存在は絶対だった。
「とにかく零崎隊は解体だ。そして八雲、右京、実子の三人を新たに隊長に任命する。その中で右京と実子には訓練生を育てる仮編成隊の隊長になってもらう事になった。異存はないな?」
実子も右京も疑問符を脳内に浮かべ、返答を忘れ咄嗟に黙ってしまう。しかし先に口を開いたのは右京だった。
「まっ、待ってください。仮編成隊が二隊も増えるという事は、新たに十人前後がこの組織に加わるという事ですか?」
「その通りだ。先の零崎隊の不始末で退魔師を多く失った。常に人員不足であるのに、早急に対応しない訳にはいかないだろう。日本国の退魔師が千人にも満たないのでは、国民の安全を確保するには頼りない人数だ」
「ですが一年に五人所属させるのも困難なのに、どうやってこんな短期間で一度に十人も集めたんですか。非公開の組織が表立って募集でもしたって言うんですか?」
「それはもう少し先だ。そう遠くはない未来ではあり得る事だがな」
「もう少し先? 局長は一体何を……」
「もうすぐ我々の存在を全世界に公表する。その為には人外対策局の顔が必要なんだよ」
「公表する……今、そうおっしゃいましたか?」
予想だにしなかった言葉に絶句した。秘密組織がその存在を認めれば、秘密組織ではなくなってしまう。公式的な警察組織と同等になるのだ。
「そうだ。それについて今日は話し合っていた。しかし人外が見えもしない一般人が信じると思うか? 今まで存在が否定されてきた霊や妖怪、悪魔が本当にいますと言ったところで鵜呑みにすると思うか?」
「まさか顔って、新しく引き入れようとしている人達を利用しようとしているんですか?!」
「客寄せパンダみたいな、今流行りのゆるキャラみたいなのが必要って事っスね〜!」
右京と局長との会話に割って入り、悪びれもなく言葉を付け足す針裏。少々言葉が適切ではない気もするが、効率的に名を売り信頼と注目を得るという意味ではあながち間違ってはいないとも言える。
「針裏、言葉を選べ。……訓練生の事だが、今回の調査で十二名の適性者が現れた。研究所と諜報部との合同の調査では能力もまずまず申し分無いとの事だ。これをみすみす逃がすわけにはいかん。どんな手を使ってでも所属させる。さあ右京、実子、この十二名を受け持つ事になるんだ。名前だけでも聞いておくか?」
局長席の後ろに広がる大画面に、顔写真が並んでいた。盗撮を疑われるものや、本人が友達と写っている写真をSNSサイトに投稿したであろうものばかりだった。
「それでは私、日本本部通信情報専門部部長の織原から発表させていただきます!」
快活そうな女性が立ち上がる。すっかり他国の局長達は空気になっていた。そんな彼らが各々の目の前の画面を見つめているのは、そこにリアルタイムで会話内容が瞬時に翻訳され表示されているからだ。
「皆様、前方のスクリーンをご覧ください。氏名と顔写真の一覧を用意しました。まずは仮編成実子隊から年齢順で左端の方から順に右へ読み上げます。
佐渡新。
岩波あゆみ。
雪村銀。
榊原朱里
バルドゥイーン・フォンシラー。
黒崎直樹。
以上六名が仮編成実子隊所属訓練生です。次に仮編成右京隊です。
アルフレッド・ウィリアムズ。
蔦森夜斗。
桃井愛花。
御祈祷ティア。
高園佐久兎。
月見里信太。
以上六名が仮編成右京隊所属訓練生です。合計十二名が今回日本全国より選出されました」
「んん、御祈祷? 御祈祷って珍しい名字だよね。その名字の人はそんなに多くないと思っていたんだけれど、実際は多いものなの? ……ねぇ、御祈祷八雲君」
微動だにせず少女の顔写真に見入っている八雲を、右京が肘で突いた。ようやく意識をこの場に引き戻すと、彼と出会ってから八年間で見た事がない程に眉間にシワを寄せ、険しい表情をしている。怒気を孕んだ口調が、更に彼の複雑な胸の内の感情を浮き彫りにした。
「御祈祷ティアは、僕の妹です……」
「へぇ〜、君のお父上さんも叔父さんも従弟も退魔師だよね? なんかすごいなぁ〜! 天才の血筋ってやつっスね」
大袈裟に驚いて見せる針裏を冷ややかな目で八雲は見た。しかしやはり彼は意に介した様子もなく、厭な笑みを浮かべている。
「……でもさぁ、皮肉だよねぇ? 親殺しの罪を背負ってまで妹を守って、更に妹を苦しませないようにって距離をとったのに。君が逃げ込んだ人外対策局によってまた引き合わされるなんて……ね?」
針裏は食えない奴だった。人が嫌がる事、言われて嫌な事を的確に見抜く。しかもそれを良心の欠片も感じない程に、しかし悪びれもなくオブラートに包む事を知らないといった風に口にする。八雲が引きつった表情で眉をひそめた。握る拳は微かに震え、静かに侮蔑の念を込めた視線を送り続ける。
「そんなにお持ちの情報が豊富なら、CISか諜報部にでも移動したらどうですか」
何故本人しか知り得ない情報を知っているのか。この男に問うのはナンセンスだという事を八雲は分かっていた。以上を踏まえ、皮肉を言うに止めたのだ。
「あはは嫌だなぁ、怖い怖い! 冗談だよ」
言葉とは裏腹に特に臆する様子は微塵もない。それどころか楽しそうに笑って見せた。
「さあ、物語の中心になるのはどちらの隊だろうね〜? ……しばらくは、楽しく傍観でもしよっか」