木曜日「髪が茶髪の人」
「つら………くない。」
病は気からとよく言うではないか。
現在は木曜日の第5限目。科目は古文…。
寝起きから凄まじい寒気を感じていたが、まさかこの時間まで続くとは。
昨日とは比べものにならないくらい、今日は寒い。雨が降っており、窓から隙間風の通る音が聞こえるほど風も強い。
私の席は廊下側なので、教室の中でも特に気温の低い場所にいる。暖房はついてはいるものの、資金が乏しい田舎の公立高校では、大型のストーブ一台くらいしかない。
寒すぎる…昨日外で寝たからか…。
だるくて授業どころではなかったので、机に突っ伏し、寝ることにした。
ったく、今まで風邪なんか引いたことなかったのに…。
「……さん、真木さん。授業中だよ、起きたら。」
眠りにつく瞬間にひそひそ声に起こされた。
おそらく隣の男子だ。真面目で誠実。顔立ちスタイルも中の中と言われている、素朴な生徒。
仕方がないので、むっくりと顔を起こし、多少睨みを効かせた。
「さっ…真木さん、そんな潤んだ目で見つめて…ど、どうしたの?」
赤面し、慌てふためいた様子で言う。
「目…潤んでる…?」
「う、うん。顔も赤いし…。あ、もしかして、体調悪い?」
最悪…。風邪の症状だ。
「少しつらいかも。」
「ほんと?なら早退した方がいいよ。」
その男子生徒は、私の体調が悪いのを先生に伝え、さらには帰宅の準備まで手伝ってくれた。
何だか申し訳なかったが、ここは病人として、甘えてみることに決めた。
「38度3分…熱なんて幼稚園以来だ。」
布団に潜り込んだ私はすぐさま眠りにつく。
が、その前に、あいつの事を考える。というか、布団に入ると無意識に考えてしまう。
アーテル…今日は来ないだろうな…。
少し寂しい気持ちもあったが、移してしまっては申し訳ないので、ちゃっちゃと寝ることにした。
頭に冷んやりした感覚…。ゆっくりとまぶたを開くと、部屋は淡い橙色に染まり、心配そうに私を見つめる人がいた。
ぼんやりした視界が次第に鮮明になると、いつの日かのように心臓がひっくり返りそうなった。
何故かそこには優しい表情をしたアーテルが膝をついて座っていたのだ。ど、どうやって入ってきたんだろうか。
「何でいるの。」
「蒼さん、インターフォン押しても出ないし、いつもならいるはずだと思って、ドアを開けようとしたらロックされてなくて開いたんですよ。」
やれやれ、と呆れた顔で私の頭に乗せた濡れタオルの交換をし始める。そういえば、アーテルの髪の色がまたもや変わっている。今度は茶髪だ。
「まさかと思って上がってみたら、蒼さん、ただの熱だなんて…。鍵を掛け忘れたんですか。無用心な人だ。」
そう言いつつも、アーテルは新しく絞った濡れタオルを渡してくれた。まるでお母さんだ。
なんだか申し訳なくなって、起き上がってそれを受け取る。
「でもなんで看病なんか…。」
「好きでやってるんです。」
どうやら機嫌が悪そうだ。何故アーテルは怒ってるんだろうか。
「アーテル、ごめんね。なんか、迷惑掛けちゃったみたいだし、うつすといけないし、もう帰ってもらっても…。」
言いかけたところで、背中からぐいっと引き寄せられた。
アーテルの頭が肩にある。今までで一番近い気がする。心臓の鼓動が一気に早まる。
「えっ、ちょっ、アーテル…?」
「まだあなたから…」
しょげた言い方だ。まるで子どもみたいに拗ねている。
「あなたから、言ってもらってません。"ありがとう"って。さっきから謝ってばっかり。」
「そ、そうだっけ…?」
記憶を振り返ろうとするも、緊張して頭が回らない。それにしてもなぜ唐突に!抱き寄せて言うことか!?
「あ、ありがとう。アーテル。」
「蒼さん…態度で示してくださいよ。」
は、はあっ!?態度って、どうすれば…。
アーテルの無茶振りに戸惑いあたふたしている私を、より一層、強く抱きしめて…。
「こんな風に心配させるのはもう、よしてください。あなたは僕にとって…」
私からすこし体を放して、顔を覗き込むように見つめる。あの綺麗な瞳が、右目だけ見えた。
「大切な…存在なんです。」
熱は収まったと思ったのに、心も身体も芯から温まってきた。こんなの、言われる方が恥ずかしい。
「ありがとう、アーテル。私も、そうだよ。」
身体が勝手にアーテルを抱き寄せ、その言葉も自然に出た。
しばらくしてから、アーテルは身体を引き離して、私に額をくっつけた。
顔が近い…。何も考えられなくなる。
「アーテル…。」
「蒼さん…。」
すると、ぱっと額が離されて、アーテルは満面の笑みで
「よかった、蒼さん。熱、下がったみたいですね!」
「ほえっ!?」
今の、熱を測ってたのか?予想外だった…。
「何とろけた顔してるんですか。お母さんが帰宅したみたいなので僕はもう帰りますから。」
そう言うなり、アーテルは部屋の窓から出て行こうとする。
「ちょっと、ここ2階…」
言い切る前に、アーテルは飛び降りた。
息を呑んだが、急いで窓に駆け寄り、下を覗くと、そこに人影は見当たらなかった。
意外とすごい身体能力…。
ふと西の方を見ると、今にも堕ちそうな赤い夕日が街を朱く染めていた。