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その夜のはじまり

 ――こんな状況。

 大いに盛り上がった飲み会がお開きになったのは、終電の時間が迫ってきたからだった。Uターン組の多くは駅前にホテルを取っていたが、相沢さんはカジさんの家に泊まるという。カジさんは実家でご家族と暮らしているけれど、相沢さんは学生の頃からよく入り浸っていたから、自然な流れだった。

 うちのマンションは飲んでいた店からたったの一駅で、その気になれば歩いてだって帰れる。酔い覚ましにそうしようか、と考えていた時だった。


「まずい」


 スマフォを操作しながら杵島君が呟いた。


「終電行った……」


 そういえば彼は、学生当時片道九十分かけて実家から通学していた。乗り換えもあったはずだ。今もそうなのだとしたら、確かに終電には間に合わない。


「まいったな。久々に楽しくて、時間忘れてた」


 もし相沢さんがホテルを取っていたら、二人で泊まれただろうに。もしかしたら彼はそのつもりだったのかもしれない。カジさんのところに泊まることを知らなかった、とか。さすがにご家族のいるところに、こんな時間にもう一人転がり込むわけにもいかないだろうし、どうするのかな。

 アルコールが回った頭はぼんやりとそんなことを考えていた。だって他人事だ。まあ、最悪、カラオケもネットカフェもある。土曜の夜、駅前、という条件で、運よく空きがあればだけど。


「紗月さん、家近かったよね。泊めてもらえない?」


 だしぬけに言われて思わず相沢さんを見たのは、すっかり二人が結婚を前提に付き合っていると思っていたからで、さすがに「彼女」ならいい気はしないだろうと慮ったからだ。

 だけど、予想に反して相沢さんは笑っていた。


「そっか、紗月ちゃん昔と同じところに住んでるんだ」

「引っ越しが面倒で、会社にも通いやすかったから……」

「杵島君ももう年だし、完徹はつらいでしょ。迷惑じゃなければ泊めてあげれば?」

「同じ年だし。ああ、自分のこと――っ」


 年寄扱いをまぜっかえそうとした杵島君は、パンプスの尖った爪先で向う脛を蹴られて悶絶していた。なんだか気の毒になってきた。彼女が気にしないというのならいいか、と私は二つ返事で彼の宿泊を承知した。


 意見が一致したので、マンションまでは歩くことにした。空梅雨で水不足が心配とか、仕事の愚痴とか、最近行った店とか、いつか行きたい旅行のこととか、とりとめのない話をしながらだらだら歩く。途中に寄ったコンビニでペットボトルの水を買った。学生時代ほどの代謝がよくはないので、明日のためにも水分は大切だ。飲みながら歩く。すうっと酔いが醒めていく感覚が、なんだか寂しかった。

 マンションのエントランスで、杵島君は「なつかしいな」と目を細めた。

 もっと学校に近いところに住んでいる人が何人かいたので、友人を泊める機会があったのは五、六回だった。だが、ただ流されているように見えるほど付き合いのいい杵島君は、そのうちの三回以上はいたはずだ。


「あまり変わってないね」


 布団を取り払ったこたつテーブルの前に座り、彼は部屋を見回した。模様替えはしていないし、物もあまり増えていない。


「漫画が増えたくらいかな。あと、パソコンがノートからデスクトップになった」


 喉が渇いていた。五百ミリの水では足りなかったようだ。冷蔵庫から冷えたお茶を出してコップに注ぐ。杵島君もほしいと言うので、普段は使わないコップを棚の奥から引っ張り出した。


「あ、そういえばこれラッパ飲みしたわ」

「今更気にしないよ」


 いい年をして行儀が悪いことを白状。まあ、一人暮らしなんてこんなものだ。彼はあっさり笑い飛ばす。同じ鍋をつついた仲間だし、酒なら気兼ねなく回し飲みする。確かに今更だと思う。


 日付はとっくに変わっていた。明日は図書館に本を返しに行くぐらいしか用事がない。あとは一週間分の食料の買い出し。昼から用意しても十分間に合う。テレビの深夜番組を眺めながら、ぽつぽつと話をしていたけれど、一時間もすると欠伸が出てきた。


 どちらともなくそろそろ休もうか、と言い出して、支度にかかった。杵島君がグラスを洗ってくれると言うので、お言葉に甘えて、その間にバスルームで寝間着代わりのTシャツとハーフパンツに着替える。自分だけシャワーを浴びるというのも気が引けたので我慢した。たとえ同性であろうとも、人の部屋の風呂は借りないというのが学生時代の暗黙のルールだった。そうしないと際限なく居座れてしまうからだ。もっとも、朝方帰宅して風呂と着替えを済ませ、夜はまた人の部屋、という日が続くことも珍しくはなかったけれど。

 シーツとタオルケットは明日洗濯するつもりだったし、汚れは気にしないことにした。杵島君には先週仕舞った肌布団のカバーを渡す。タオルケットは一枚しかない。バスタオルとどちらがましか考えた末だったのだけど、彼は頓着せずに受け取った。六月とはいえ日中の最高気温が三十度を超える日々だ。その辺に適当に転がっていたところで、風邪をひくことはないだろう。

 杵島君がこたつテーブルと壁の間のスペースに収まるのを見届けて、おやすみと言って電気を消した。酔いは醒めたつもりだったけど、アルコールのおかげか、睡魔はすぐにやってきた。


 一人暮らしの部屋に男を泊める。


 一般的にはその意味は一つしかないのかもしれないけれど、今回に関してはその意味すらないと思っていた。


 それがどうして。


 私は完全に寝入っていたのだけど、不意に体が沈む感覚に、目が覚めた。薄目を開けるとベッドの淵に座っている人影が見えた。一瞬ぎょっとしたけれど、すぐに杵島君の存在を思い出す。

 驚いたおかげで目が冴えてしまったし、眠れないなら付き合おうと、ベッドの上で体を起こした。けれど、立ち上がろうとする私を押し戻すように彼はベッドに身を乗り出し、私の肩をつかんだ。


 ――ベッドで寝たい、とか――?


 思考回路が迷路になった。そんなわけがないことはわかっていた。だけど、他にどんな反応をしていいのかわからなくて。


「どうしたの」


 そうして私は間抜けなまま押し倒された。


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