もうひとつ、言いたくて言えなくて
恋は死ぬほどつらいと言ったら、嘘になる。
現に恋をしているわたしは、死んでいないから。
けれど、恋は楽しいものだと言ったら、きっと嘘になる。
「真帆先輩、バレンタインなので、チョコ作ってきました!」
「うわあ、ありがと夏美ちゃん! 美味しそー!」
「えへへ、今年初めて作ったんで、不味いかもしれないですが」
「そんなことないよー! 初めてにしては上出来な方だよ、これ」
にこにこと嬉しそうに笑う真帆先輩を見て、わたしも顔が綻んだ。
同じダンス部で、ふたつ上の真帆先輩。垂れ目ですごく癒し系なひと。わたしの憧れでもある。
「あのう……これ、」
わたしが差し出した、真帆先輩のとはまた違うチョコレート。
『松永亮様』なんて、かしこまった手紙まで入っていて、なんだかひどく可笑しかった。
まあ、一度も話したことさえないのだから、かしこまって当然なのだけど。
「ああ、あいつに渡しとけばいいのね」
「は、はいっ。お願いします!」
「夏美ちゃんも物好きだよねー、あんなのがいいなんて」
真帆先輩がくっと顎で示した先には、わたしの想い人である松永先輩がいた。
松永亮先輩。サッカー部、体育委員の委員長、真帆先輩と同じクラス。周囲を明るくさせるような陽気な性格。先月付き合っていた彼女と別れてしまった。
それだけしかわたしは、松永先輩のことを知らなかった。
けれど、それだけでもあのひとのことを、好きになれた。
かれこれ六ヶ月、片思い中。
面識、なし。
途中“彼女”という存在を知って挫折したけど、やっぱりわたしは、先輩が好きだった。
やっばりわたし、松永先輩が好き、なんだ。
「夏美ちゃん、名前言っといた方がいい?」
「そ、そんな! 『後輩から』ですよ、当然!」
「あははは、夏美ちゃんったら照れちゃって、可愛いなあ」
「照れてない、ですよっ」
「ふーん?」
ただ。
ただ、知っておいてくれるだけでよかった。
返事なんてとても怖くて求めることはできないから。
ただ、自分のことが好きな後輩がいる、そんな程度に知っておいてくれるだけで。
自分を囲む取り巻きのなかで、チョコをくれた子がいる、そう覚えてくれるだけで。
それだけで、わたしは満足できるから。
一瞬でも、先輩の記憶に残るのが、嬉しくて。
それだけで――、
「じゃ、渡してくるねっ」
「あ、ちょっ、まだ心の準備がっ、」
たた、と松永先輩の方へ走っていく真帆先輩。
なにを話してるかは分からない。
真帆先輩がチョコレートを手渡すのが、まるでスローモーションのようにゆっくり感じて。
本能的に、はやく立ち去ろう、と感じ取った。
――ほんとうは。
ほんとうは、ちゃんと返事が返ってくることを期待していた。
イエスかノーかなんて、そんなのノーに決まってるだろうけど、ちゃんと言ってほしかった。
ほんとうは、わたしの名前を、存在を知ってほしかった。
一瞬じゃなくて、松永先輩とたくさんの記憶を、共有したいって思った。
ほんとうは――わたしのしあわせは二の次なんて、思っちゃいなかった。
先輩と「好き」って言い合う仲に、なりたかった。
わたしが走り去ってしまう前に、一瞬だけ松永先輩と、目が合った気がした。
「……Happy Valentine Day,」
and,…………
まあ色々すり替えて、実話です。