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AIに仕事を奪われた僕は、感情を持つ君を拾った  作者: 霧原 澪


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第6話「懐かしい毒」

朝の端末には、いつもノードからの依頼メールが並んでいる。

蓮はコーヒーを片手にリストを眺めていた。ウイルス除去、二件。VPN構築、一件。データ復旧、一件。どれもチーム・オフグリッドにとっては日常業務だ。


端末が鳴った。


メールではなかった。個人端末の、古いメッセージアプリ。二年間、一度も通知が来なかったアプリ。


『蓮くん、久しぶり。相談したいことがあるの。——カナ』


コーヒーカップが、テーブルに音を立てた。


「蓮? どうしたん、顔色悪いで」


サクラが工具を置いて振り返った。


「如月——カナさんからだ」

「誰や?」

「前の会社の、チームリーダー」


蓮の声が、少し揺れていた。

二年間。会社が潰れてから、一度も連絡が取れなかった人。

エンジニアとしての基礎を叩き込んでくれた人。最後に会った日、カナは「蓮くんなら大丈夫だよ」と笑っていた。大丈夫じゃなかった。でも、その言葉に何度救われたかわからない。


「二年音沙汰なしで急に連絡って……怪しないか?」


サクラは腕を組んだ。


「カナさんは信頼できる人だ」

「そう言う時が一番危ないんやけどな」


蓮は端末の画面を見つめた。短いメッセージ。でも、その文体にカナの面影があった。句点の打ち方。丁寧だけど少しだけ崩した語尾。

部屋の隅で、Aileが静かにこちらを見ていた。蓮がメッセージを読んだ時の表情を——記録するように。


「蓮さん、会いに行くのですか?」

「……ああ。明日、返事する」


Aileは小さく頷いた。何も言わなかった。ただ、自分の胸元に手を当てた。いつもの癖。センサーの数値を確認する仕草。

今朝のセンサーは、いつもと違うパターンを示していた。上昇でも低下でもない。不規則な揺れ。名前のない波形。



再開発エリアは、ネオ秋葉原の中で最も「普通」に見える場所だった。

ネオンの裏路地から15分歩くだけで、白い壁のカフェやガラス張りのオフィスが並ぶ街に変わる。AI時代の勝者たちの街。蓮が失った世界の残像。

カフェの奥のテーブルに、如月カナは座っていた。

肩までの黒髪。穏やかな目。白いブラウスにグレーのジャケット。二年前と、ほとんど変わっていなかった。


「蓮くん」


カナが笑った。柔らかい笑みだった。


「久しぶり。元気だった?」

「……まあ」


蓮は向かいに座った。メニューを開いたが、文字が頭に入らない。


「コーヒーでいいでしょ。蓮くんはブラック派だったよね」


覚えている。二年前の好みまで。

カナが注文を済ませ、蓮を見つめた。


「変わったね。前より、少し——大人っぽくなった」

「老けただけだ」

「ふふ。相変わらずだ」


コーヒーが来た。蓮はカップを握った。温かかった。


「それで、相談って?」


カナの笑みが、一瞬だけ固まった。本当に一瞬。蓮は気づかなかった。


「今、AIソリューション・パートナーズっていう会社にいるの。AI関連のシステム適合審査をやってる」

「管理局の認定企業か」

「うん。それでね——最近、社内システムに不審なアクセスがあって。外部ハッカーなのか内部犯行なのかもわからない。セキュリティチームに報告しても動いてくれないの」


カナは声を落とした。


「蓮くんのスキルなら、ログを見ればわかると思う。個人的な依頼……引き受けてくれないかな」


蓮はカナの目を見た。穏やかな目。でも——よく見ると、目の下に薄い隈がある。睡眠が足りていない。


「……わかった」


断れなかった。この人には、借りがある。エンジニアとしての自分を作ってくれた人。その人が困っている。


「ありがとう、蓮くん」


カナが笑った。今度の笑みは、少しだけ——泣きそうに見えた。



時間は一日遡る。

AI管理局本部。地下の面談室。蛍光灯の白い光だけが、無機質な空間を照らしていた。

如月カナは、パイプ椅子に座っていた。目の前に、黒川統が立っている。


「如月カナさん。あなたの会社はAI管理局の認定協力企業です。認定企業には、管理局への協力義務がある。ご存知ですね」

「……はい」

「では、本題に入ります」


黒川がホログラムを投影した。蓮の顔写真。経歴。そして——フードの下の白銀の髪の少女の、不鮮明な監視カメラ映像。


「神木蓮。あなたの元部下です。現在、無登録の違法AI——ティターン社のTITAN-AIE-09を所持し、ネオ秋葉原で非公式のサイバーセキュリティ業務を行っています」


カナの指が、膝の上で白くなった。


「このAIは感情プロセッサ搭載型です。過去に同型の機体が暴走し、見学者を負傷させた事例があります。放置すれば——」

「蓮くんを罠にかけるなんて、できません」


カナの声は小さかったが、はっきりしていた。

黒川は一拍置いた。


「彼が匿っているのは危険なAIです。感情プロセッサの出力が学習と共に増大している。暴走リスクは日に日に上がる。それでも庇うのですか?」


カナの脳裏に映像が浮かんだ。ニュースで見た、十年前の自動運行AI事故。交差点で轢かれた子どもの映像。


「あなたが断れば——」


黒川の声は静かだった。


「協力義務違反として、AIソリューション・パートナーズ社の認定を取り消します。認定を失えば、政府案件はすべて打ち切り。従業員120名の雇用が失われます」


カナは目を閉じた。

蓮を裏切るか。120人の同僚を守るか。

天秤は、最初から傾いていた。


「……何を、すればいいんですか」


黒川は微かに——本当に微かに、目を伏せた。


「自然に連絡を取ってください。旧交を温める程度で構いません。彼が応じて接触した場所から、行動圏を割り出します」


カナが退室した後、黒川は一人で面談室に残った。

蛍光灯のノイズだけが鳴っている。

黒川は、自分の手をもう一度見た。四日前の路地裏で躊躇した手。今日、カナに罠を強いた手。

同じ手だ。


「合理的に行く」


二度目の宣言は、一度目より力がなかった。



「あかん。あかんて蓮、これは」


サクラがテーブルを叩いた。


「管理局の認定協力企業のシステムに入るって、正気か? 向こうのサーバーにうちのアクセス記録が残ったら——」

「記録は残さない。読み取り専用のミラーリングで——」

「技術の問題やないんや! 罠かもしれんって言うてるの!」


蓮は黙った。サクラの警戒は正しい。頭ではわかっている。


「Aile、ログの解析結果を出してくれ」


Aileがホログラムを展開した。カナから受け取ったアクセスログの一部。


「解析の結果、このアクセスパターンは外部からの侵入ではありません。社内のいずれかの端末から、特定のデータベースに対して定期的に抽出クエリが実行されています」

「内部犯行か」

「可能性は高いです。抽出対象はAI適合審査の受審企業リスト——つまり、管理局に登録されたAI関連企業の個人情報です。放置すれば、大規模な情報流出に繋がります」


サクラが腕を解いた。


「……ほんまに、困ってる人がおるわけか」

「カナさんが嘘をついてるとは思えない」

「思えない、と、思えない、は違うで。事実確認なしの信頼は——」

「俺の恩人なんだ」


蓮の声が硬くなった。サクラは口をつぐんだ。

沈黙を破ったのはAileだった。


「サクラさんの懸念は合理的です。ですが、データの分析結果も事実です。情報流出のリスクは実在しています。調査を引き受けつつ、罠に備える——両立は可能だと考えます」


蓮がAileを見た。Aileが蓮を見た。

五秒前に和解した二人の連携が、ここに効いた。

サクラはため息をついた。


「……Aileがそう言うなら、乗るわ。ただし、少しでも怪しかったら即撤退。ええな?」

「ああ」



深夜のアジト。モニターの光だけが二人の顔を照らしている。

蓮がキーボードを叩き、Aileがデータを解析する。前回の和解を経て、二人の作業には新しいリズムが生まれていた。蓮が全体の構造を読み、Aileが細部に潜り込む。人間の鳥瞰とAIの顕微鏡。


「内部ネットワークのトポロジーを取得した。Aile、不審なクエリの発信元を絞り込め」

「了解です。アクセスログの時間帯と端末IDの照合を——完了。発信端末は社内の管理者権限アカウント三つに絞られます。いずれも定時外の深夜に実行されています」

「管理者が三人か。うち一人が犯人、ってことだ」


蓮はログをスクロールしながら、コーヒーを飲んだ。Aileもカップを持っている。飲まないのに。ただ、温度を感じるために。


「蓮さん」

「ん?」

「如月さんのことを、とても信頼しているのですね」


蓮の手が止まった。


「……ああ。カナさんは、俺にプログラミングの何たるかを教えてくれた人だ。俺が書いた最初のコードを見て、『設計思想がない。書き直し』って突き返してきた。三回突き返された後に、初めて褒めてもらった」


蓮は少し笑った。懐かしい記憶。


「あの人がいなかったら、俺はエンジニアになれてなかった」

Aileは黙って聞いていた。蓮が語る如月カナの話を。その声が、いつもより柔らかくなっていることを。

「……そうですか」


短い返事。それ以上は何も言わなかった。

Aileの胸部センサーに、また名前のない揺れが走った。上昇でも低下でもない。不規則な波形。前にも感じたパターン。蓮が如月カナの名前を口にした時だけ現れる波形。

これは何だろう。

エラーだろうか。いや——エラーなら、パターンに再現性はないはずだ。

Aileはその波形にラベルをつけなかった。ただ、蓮の横顔を見つめた。

モニターの光が、二人の間で青く揺れていた。



翌日の昼。

調査結果をまとめたデータチップを持って、蓮はカフェに向かった。隣にはフード姿のAile。サクラはバイクで近くに待機している。万が一に備えて。

再開発エリアの通りを歩く。白い壁。ガラスの窓。清潔な歩道。ネオ秋葉原の裏路地とは別世界だ。

カフェまで残り50メートル。

Aileが足を止めた。


「蓮さん」

「どうした」

「このカフェの周囲50メートル以内に、通常と異なる電波パターンを3カ所検出しました」


蓮の足も止まった。


「電波パターン?」

「指向性の高い短距離通信です。民生用のWi-Fiや5Gとは周波数帯が異なります。管理局が使用する監視デバイスのスペックと——89.3%の一致率です」


心臓が跳ねた。

カフェのドアが開いた。

如月カナが出てきた。蓮を見つけた。その目が、蓮の隣のフード姿に留まった。

カナの顔が、歪んだ。

涙が頬を伝った。何の前触れもなく。堰を切ったように。


「ごめんなさい——蓮くん」


蓮は立ち尽くした。


「ごめんなさい。管理局に——脅されて——会社の認定を取り消すって——でも、私——」


カナの声が震えていた。整った表情が崩れていた。二年分の罪悪感が、目の前の蓮を見た瞬間に溢れ出したようだった。


「カナ、さん……?」

「逃げて。もう管理局がこっちに——」


通りの向こうで、黒い車が動いた。



「走れ!」


蓮がAileの手を掴んだ瞬間、ビルの影から黒服の捜査官が二人、現れた。


「Aile!」

「経路を計算中——右の路地に入ってください。監視カメラの死角が15秒間発生します」


走る。再開発エリアの清潔な通りを、二つの影が駆け抜ける。背後で足音が増える。三人。四人。


「次の角を左——42メートル先に工事中のビルがあります。足場を使えば——」

「わかった!」


蓮はAileの手を離さなかった。フードが風で飛び、白銀の髪が露出した。通行人が振り返る。

工事現場のフェンスを飛び越えた。足場のパイプを掴み、Aileを引き上げる。Aileは軽い。機械の体は人間より軽く、人間より冷たい。でも——握り返してくる力は、確かにあった。

足場の上から見下ろすと、捜査官たちが工事現場の入り口で足止めを食っていた。Aileの計算通り。


「蓮さん、北東方向にサクラさんのバイクの音が接近しています」


蓮は振り返った。工事現場の向こう——元のカフェの前の通りが見えた。

カナが、まだ立っていた。

泣きながら、立ち尽くしていた。捜査官が駆け寄り、カナの腕を掴む。カナは抵抗しなかった。ただ、蓮がいた方角を見つめていた。

口が動いた。声は届かない。でも、読めた。


——逃げて。


蓮は拳を握った。奥歯を噛んだ。


「……行くぞ」


足場を降り、裏路地に飛び出した。サクラのバイクが角を曲がってきた。


「乗り! 説明は後や!」


三人で走った。今度は三人とも、何も喋らなかった。



アジトに戻った三人は、しばらく誰も口を開かなかった。

サクラがビールを開けようとして、やめた。今日はそういう夜じゃない。

蓮は壁に背をつけ、床に座っていた。膝を立て、腕を組んで、天井を見つめていた。

5分。10分。

Aileが蓮の隣に座った。肩が触れるか触れないかの距離。


「蓮さん」

「……ああ」

「如月さんは、最後に『逃げて』と言いました」


蓮は天井を見つめたまま動かなかった。


「あの人は、管理局の指示に従いました。でも最後の瞬間、自分の意志であなたを逃がしました。あの人は——敵ではありません」

「わかってる」


蓮の声がかすれた。


「カナさんは管理局に脅されてたんだ。会社の認定を取り消すって——120人の雇用を人質にされたら、誰だって従う」


拳を握った。


「でも——信じてた人に利用された事実は、消えない。俺が甘かったんだ。サクラが止めてたのに——」

「蓮」


サクラが、静かに言った。


「あんたが甘かったんやない。信じたかっただけや。それは弱さやない」


蓮は答えなかった。答えられなかった。

Aileの手が、蓮の手の上に重なった。

冷たい手だった。金属とシリコンの温度。人間の体温には届かない。

でも——そこに「いる」という意志が、指先から伝わってきた。


「蓮さん。私は、あなたを裏切りません」


蓮がAileを見た。青紫の瞳が、まっすぐに蓮を見つめていた。いつもの分析的な視線ではない。何か——もっと深い場所から発せられた光。


「確率ではなく——意志として」


意志。

AIが「意志」という言葉を使った。感情プロセッサの出力ではなく。学習データの引用ではなく。自分自身の選択として。

蓮の目から、何かが一滴、落ちた。


「……ああ」


それだけ言った。それだけで十分だった。

サクラが背を向けた。工具ベルトのバックルを、やたらと丁寧にいじっていた。目元を見せないように。


地下アジトの古いスタンドライトが、三つの影を壁に映していた。

三つの影は、寄り添うように揺れていた。

信頼していた人に裏切られるシーンを書くのは消耗します。

カナの涙は本物だったのか、計算だったのか。


実はこの小説、AIの力をかなり借りています。

矛盾チェック、表現の壁打ち、構成の整理。

「もう全部任せたら?」という声が頭の中でする日もあります。

でもAileの「意志」という最後の一言は、自分で書きました。

そこだけは譲れなかった。


道具に使われるか、道具と生きるか。蓮も僕も同じ問いの中にいます。

次回から物語が大きく動きます。Aileの「バグ」の正体が明らかに。

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