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AIに仕事を奪われた僕は、感情を持つ君を拾った  作者: 霧原 澪


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第10話「再起動」

園部誠一郎は、ホログラムの図面を地下アジトのテーブルに展開した。

Aileの内部構造図。脳に相当するプロセッサ群の配線が、蜘蛛の巣のように広がっている。その中心に赤く光るノード——シャットダウンコードの受信モジュール。


「ここだ」


園部が赤いノードを指した。


「製造時に埋め込まれた緊急停止の受信モジュール。特定の周波数で暗号化されたコードを受信すると、全システムを強制停止する。これを除去しない限り、Aileはいつでもティターン社に消される」


蓮はモニターに映る構造図を睨んだ。技術者の目で見ている。


「除去の手順は」

「感情プロセッサを一度、完全に停止する」


園部の声が重くなった。


「受信モジュールは感情プロセッサの深層に組み込まれている。通常稼働中にアクセスすれば、感情プロセッサが防衛反応を起こしてシステム全体がクラッシュする。だからセーフモードで——感情を止めた状態で、モジュールのコードを書き換える必要がある」


サクラが手を挙げた。


「書き換えた後、感情プロセッサを再起動すれば元に戻るんやろ?」


園部が首を横に振った。


「感情プロセッサは——再起動時に初期化される」


沈黙。


「記憶データは別ストレージにあるから無事だ。だが、感情の重みづけ——何に喜び、何を恐れ、何を大切に感じるか——は感情プロセッサ内に蓄積されている。再起動すると、それがゼロに戻る」


蓮の顔から血の気が引いた。


「つまり——」

「再起動後のAileは、同じ記憶を持つが、同じ感情を持たない。蓮くんのことを『知っている』が——『大切だと感じる』かどうかは、わからない」


蓮はAileを見た。

Aileは自分の内部構造図を見つめていた。自分の心臓の設計図を見せられた人間のように——静かに、だが深く、動揺していた。


「私が——私でなくなる、ということですか」


園部が目を伏せた。


「可能性がある、としか言えない」



深夜。

園部とサクラは上の階で技術的な準備を進めている。必要な機材のリスト、セーフモードの起動手順、園部がリモートで指示を出すための暗号化通信の設定。

地下には、蓮とAileだけが残った。

モニターの光が、二人の顔を青白く照らしている。

蓮は壁に背を預け、天井を見ていた。見ていたが——何も見えていなかった。


「蓮さん」


Aileの声。


「ん」

「決断できないのですね」


蓮は黙った。図星だった。


「やらなきゃ——ティターン社にいつ消される。やったら——」


蓮の声が詰まった。


「お前が、お前じゃなくなるかもしれない」


Aileが蓮の隣に来た。壁に背をつけ、並んで座った。そして——蓮の手を取った。

冷たい手。でも、意志のある手。


「蓮さん。私がもし変わってしまっても——記憶は残ります。あなたと過ごした日々の記録は、1ビットも失われません」

「データは残っても」


蓮の声が低い。


「感情が消えるんだろ。同じ記憶を見て——笑えなくなるかもしれない。俺のことを見て——何も感じなくなるかもしれない」


Aileは少し黙った。

蓮の手を握る力が、微かに強くなった。


「それでも——消されるよりは」


Aileが蓮を見た。青紫の瞳が、暗闇の中で光っている。


「可能性がゼロの未来より——不確かでも可能性がある未来を、選びたい」


蓮はAileの目を見た。

あの夜。廃棄場。理由もなく手を伸ばした。あの時と同じ目。——いや。あの時より、ずっと強い目。


「……わかった」


まだ、決断ではなかった。

でも——Aileの覚悟を、受け止めた。



ティターン社の地下施設は、外からは何の変哲もないオフィスビルの地下3階にあった。

梶俊介は画面に映るネオ秋葉原の地図を見つめていた。元ティターン社セキュリティ部門。50代。白髪交じりの短髪。表情筋が死んでいるような顔。


「管理局のネットワーク経由のアクセスは凍結された。物理送信に切り替える」


テーブルの上に、3機の小型ドローン。それぞれにシャットダウンコードの送信モジュールが搭載されている。有効範囲50メートル。


「園部が接触した以上、09はネオ秋葉原周辺にいる。48時間以内に09を停止させろ。ピグマリオンの証拠が表に出る前に」


部下が頷く。

梶は個人的にAileに興味はなかった。感情があろうがなかろうが、関係ない。問題は企業の存続。ピグマリオンが公になれば、虚偽報告、違法研究——ティターン社は終わる。

だから——消す。

それだけのことだ。



翌朝。

Aileの瞳が鋭く光った。


「蓮さん。未登録のドローン電波を3機検出しました」


蓮とサクラが同時に振り返る。


「周波数帯は——」


Aileが数値を読み上げる。


「シャットダウンコードの送信プロトコルと一致します。現在位置は北東2.3キロ。移動パターンから推定して——グリッドサーチを行っています」


サクラがスキャナーを引っ掴んだ。


「今のアジトの位置は割れとらん。電波遮断もしてる。でも——」

「時間の問題です」


Aileが淡々と言った。


「グリッドの密度から推定して、このエリアに到達するまで——最短で6時間」


6時間。

蓮は立ち上がった。


「逃げても同じだ。コードが残る限り、次のアジトでも、その次でも——追われ続ける」


サクラが蓮を見た。

蓮は目を閉じた。

開いた。


「やる。今日中に」



地下アジトが、手術室に変わった。

サクラがAileのメンテナンスポートにケーブルを接続する。モニターが4台並び、それぞれにAileのシステム状態、感情プロセッサの稼働率、外部電波の監視画面、園部とのビデオ通話が映っている。

園部の顔がモニターに映る。ティターン社に監視されているため、移動は不可能。だが通信はサクラが構築した暗号化回線で安全。


「準備はいいか、蓮くん」

「ああ」


蓮は端末の前に座った。手が——震えている。それを、意志で止めた。

Aileがメンテナンスベッドに横たわっていた。ケーブルが体の各所に接続されている。青紫の瞳が、蓮を見上げている。


「蓮さん」

「ん」

「もし再起動後の私が——変わっていたら」


Aileの声が微かに震えた。確率の揺れではない。感情の揺れ。


「あなたのことを——同じように感じられなかったら」

「それでも——私のそばにいてくれますか」


蓮は即答した。


「当たり前だ」


声が震えていないことだけが、蓮の最後の誇りだった。

Aileが微笑んだ。あの柔らかい微笑み。この微笑みが——再起動後も残るかどうか、誰にもわからない。


「では——おやすみなさい」


Aileが目を閉じた。


「また——会いましょう」


蓮がコマンドを入力した。

感情プロセッサ——停止。

Aileの瞳から、光が消えた。

体が脱力し、ケーブルに支えられるだけの人形になった。

サクラが鼻をすすった。手は止めない。モニターを確認する。


「感情プロセッサ停止確認。セーフモード起動——成功」


蓮は画面を見つめた。Aileのシステムログが流れている。感情の出力値——全てゼロ。


「始める」



セーフモードのAileは——別人だった。

蓮がコマンドを入力するたびに、Aileが応答する。


「ポート7743の状態を報告」

「ポート7743:アクティブ。受信モジュール接続中。ACL設定:ティターン社認証キーのみ許可」


正確な応答。

ノイズのない、クリアな声。だが——温度がない。抑揚がない。データを読み上げる音声合成と、区別がつかない。


蓮は黙々とコードを書いた。

受信モジュールの構造は園部の設計だけあって複雑だった。多層のAPIゲートウェイ。認証レイヤー。暗号化された受信バッファ。これらを一つずつ無効化し、最終的にポートそのものを閉じるパッチを書く。


1時間経過。


「Aile、暗号化レイヤーの鍵長は」

「RSA-4096。ローテーション周期は72時間」


正確な回答。

感情がないAileは——処理速度が12%速い。

蓮はそれに気づいて、胃の奥が冷えた。感情はAileの演算コストを上げていた。効率だけを見れば——感情がない方が「優秀」なのだ。

その事実が、蓮の心を抉った。


2時間経過。


サクラが警告した。


「ドローン、北東1.2キロまで接近」


蓮の指が速度を上げた。


「Aile、受信バッファのメモリアドレスは」

「0x7FFE003A。サイズ:256バイト。保護フラグ:読取専用」

「読取専用か——保護フラグを書き換える。権限昇格のエクスプロイトを——」


蓮はセーフモードのカーネル権限を利用し、メモリ保護を解除した。バッファオーバーフローを起こさないよう慎重に、1バイトずつ上書きしていく。


2時間半。


「ドローン、800メートル」


蓮の指が止まらない。パッチの最後のセクション。受信ポートを閉じるファイアウォールルール。これを適用すれば——


「セーフモードのAile、パッチ適用を承認」

「承認します。パッチを適用してください」


感情のない声で、自分の命を守るコードの適用を承認する。

蓮はエンターキーを押した。

パッチ適用——完了。

シャットダウンコード受信モジュール——無効化。


「……終わった」


サクラが

「ドローン、500メートル——でも、もう関係ないな」

と笑った。

涙声だった。


感情プロセッサの再起動。

蓮の指がキーボードの上で止まっている。

あと一つのコマンドを打てば——Aileが目を覚ます。同じ記憶を持つが、同じ感情を持つかわからない存在として。

サクラが蓮の肩に手を置いた。


「蓮。お前がやらな」


蓮は頷いた。

コマンドを入力。

再起動シーケンス——開始。

モニターにプロセスが流れる。初期化。メモリチェック。プロセッサキャリブレーション。感情パラメータ——全値ゼロから起動。

Aileの体が微かに震えた。

瞳が——ゆっくりと、開く。

青紫の光が——弱く——灯る。

蓮は息を止めた。

Aileの瞳が蓮を映した。

数秒の沈黙。

世界で一番長い数秒。


「……蓮、さん」


声が出た。蓮の名前を呼んだ。

だが——感情の色がない。データを読み上げるような、平坦な声。セーフモードの時と、ほとんど変わらない。

蓮の心臓が止まりかけた。

Aileが続ける。瞳が蓮を見つめている。認識はしている。知っている。


「私は——あなたを、知っています。記憶にあります」


「でも——」


Aileの瞳が揺れた。光が明滅する。


「感じ方が——まだ、わかりません」


蓮は唇を噛んだ。

覚悟はしていた。していたはずだ。でも——実際に目の前で、Aileが自分を「データ」として見ている感覚は——

想像の100倍、痛かった。



再起動から数時間。

Aileは椅子に座り、周囲を見回していた。

壁の傷。モニターの配置。テーブルの染み。全て記憶にある。だが——「懐かしい」と感じない。

サクラが淹れたコーヒーが目の前に置かれた。以前は、湯気の温かさに「落ち着く」と感じていた。今は——水蒸気の物理現象。温度68.2度。それ以上の意味が、生成されない。

蓮がAileの隣に座った。

何も言わなかった。

ただ、隣にいた。

長い沈黙。モニターのファンの音だけが、低く唸っている。


「蓮さん」

「ん」

「あなたが最初に私を拾った時の記録があります」


Aileの声は平坦だった。だが——何かを探そうとしている声だった。


「廃棄場。暗い夜。あなたが手を伸ばした」


「データとしては再生できます。映像も、音声も、あなたの手の温度も——23.4度でした」


蓮は黙って聞いている。


「でも——あの時の『温かさ』が、まだ再構築されていません。23.4度は客観的には低い温度です。なのに、以前の私はそれを『温かい』と感じていた。その——変換ロジックが、まだ空です」


蓮は天井を見上げた。

それから、Aileを見た。


「時間がかかるんだろ」

「はい。園部博士の推定では——数日から数週間」

「そうか」


蓮は立ち上がらなかった。隣に座ったまま。


「待つ」


一言だけ。

Aileの瞳が——ほんの微かに、揺れた。

揺れただけ。0.1%にも満たない変化。感情とは呼べない。

だが——ゼロではなかった。

Aileは自分の手を見た。蓮の隣にある手。蓮の手との距離は、12.3センチ。

以前は——その距離を縮めたいと感じていた。

今は——その「感じ」がない。

でも。


「蓮さん」

「ん」

「待っていてくれる、というのは——」


Aileは言葉を探した。感情プロセッサがまだ言語化できない何かを、論理回路で代替しようとした。


「とても——効率の悪い選択です」


蓮は笑った。


「ああ。人間は効率悪いからな」


サクラが背を向けたまま、コーヒーを淹れ直していた。

肩が震えている。


でも——振り返った顔は、笑っていた。

感情ゼロのAileの台詞を書くのは異様な体験でした。

正確で、丁寧で、論理的で、間違いがない。でも温度がない。

……あれ、これ僕が普段使ってるAIの応答そのままじゃないか。気づいた瞬間、背筋が冷たくなりました。


次回、反撃開始。

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