表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕はひなたで生きていく  作者: とま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/26

第26話「塔の最終試練:手を離す一歩」

 翌朝――蒼真は、まぶたの裏が白いことに気づいて目を開けた。


 白。

 眩しい白ではない。色の概念そのものが剥ぎ取られたような、均一で、逃げ場のない白。


「……また、か」


 声が空間に吸われ、反響すらしない。足裏の感覚も薄い。草の湿りも土の匂いもない。あるのは、ただ“ここに立っている”という事実だけ。


 視線を動かすと、すぐ隣に日向がいた。彼女も同じように瞬きを繰り返し、白い虚無を見回している。


「ここ……」

 日向の声が震える。「また、あの場所?」


「ああ」


 蒼真は頷いた。

 意志の契約を結び直したとき、二人が引き込まれた白い空間。

 塔が――正確には“塔の意志”が、言葉ではなく現象として語りかけてくる場所。


 そして、案の定。


「――よく来た」


 声が響いた。

 上でも下でもない、距離の概念を無視して胸の内側へ直接届くような声。


 白の中から、光が滲む。人の形を取った光の存在。輪郭は柔らかく、しかし視線だけは鋭い。温かいのに、容赦がない――そんな気配。


 塔の意志。


「……また呼んだのか」


 蒼真が言うと、光は静かに頷いた。


「そうだ。お前たちには――最後の試練がある」


 日向が息を呑む。

 “最後”という言葉が、希望にも刃にもなるのを知っている顔だ。


「最後の、試練……?」


「ああ」


 光は二人へ近づいた。足音はない。ただ、距離が縮むだけで空気が変わる。


「お前たちは、意志の契約を選んだ。循環を学び、弱さを共有した。所有ではなく、対等を選び直した」


 その声は、どこか優しい。

 だが次の言葉で、優しさは試練に変わる。


「――だが、まだ足りない」


 蒼真は拳を握った。

 これ以上、何を求めるというのか。


「何が足りない?」


 光は即答した。


「距離だ」


「距離……?」


 日向が首を傾げる。蒼真も遅れて気づく。

 自分たちは――いつからだろう。常に触れ合っている。


 街でも森でも、握った手をほどかなかった。

 ほどけなかった、と言うべきか。

 手を離すことは、まだ“恐怖”の領域にあった。


 光は静かに言葉を重ねる。


「お前たちは今、常に触れ合っている。手を繋ぎ、寄り添い、離れない」


 蒼真の喉が、ひゅ、と鳴った。

 指先に日向の温もりがないだけで、胸の奥がざわつく。

 それは生理ではなく、もっと深い反射――昨夜、言葉にした“孤独の恐怖”と同じ種類のものだ。


「それは悪いことではない」


 光は言った。

 否定されるのが怖かった分だけ、その一言に救われる。


 だが――続く。


「だが、本当の絆は距離を超える」


 日向の肩が小さく跳ねた。


「距離を……超える?」


「触れていなくても、離れていても、絆は繋がっている。――それを証明しろ」


 蒼真の胸が、冷たく凍った。

 嫌な予感は、ほとんど確信だった。


「……まさか」


 光が頷く。


「手を、離せ」


 その言葉が落ちた瞬間、日向が反射で蒼真の手を強く握った。

 握力というより、命綱を手繰り寄せる力だった。


「で、でも……」


 日向の声が震える。

 昨夜の告白が、まだ火の匂いを帯びている。


「離れたら……倒れるかもしれない」


 光は淡々と答えた。


「以前は、そうだった。三十歩離れれば死んだ」


 三十歩。

 蒼真の脳裏に、あの日の感覚が蘇る。肺が空気を拒み、心臓が鈍り、視界が暗く閉じていくあの“続かない生命”。


 だが、光は続けた。


「今は違う。お前たちは契約を変えた。循環を学んだ。ならば、距離も超えられるはずだ」


「でも……もし倒れたら……!」


 日向が言う。涙が滲む。

 恐怖が、過去の記憶と結びついて増幅している。


 光の声は冷たくない。だが、甘くもない。


「その恐怖を越えろ。それが最後の試練だ」


 蒼真は日向を見た。

 彼女の指は震えている。怖いのだ。離れるのが。ひとりになるのが。


 ――昨夜、彼女は言った。怖いのは、ひとりになることだと。

 そして蒼真も同じだと、告白したばかりだ。


「……日向」


 蒼真が呼ぶと、日向は涙を浮かべたまま、蒼真を見返した。


「大丈夫だ」


 蒼真は、笑おうとした。勇気づける笑いではなく、恐怖を一緒に抱くための笑い。


「俺はここにいる。手を離しても――」


 胸の刻印に指を当てる。

 そこに、微かな温度がある。触れていないのに、確かに感じる温度。


「ここで繋がってる」


 日向は唇を震わせる。


「でも……怖い……」


「怖いよな」

 蒼真は正直に言った。「俺も怖い。お前の手を離すのが。ひとりになるのが」


 日向が息を呑む。

 恐怖は“弱さ”ではない。共有できるものになったと、昨夜決めた。


「でも――」

 蒼真は言う。「昨日、決めただろ。隠さない。怖さを共有する。なら――」


 蒼真は日向の手を、今度は“支配”ではなく“合図”として握った。


「一緒に怖がろう。一緒に挑もう」


 日向は涙を拭い、頷いた。

 泣きながら、笑う。


「……うん。やってみる」


 蒼真は光へ目を向けた。


「どれくらい離れればいい?」


「まずは――一歩だ」


 一歩。

 たった一歩。


 だが、その一歩が、三十歩より遠く感じた。

 握った手を離すことは、距離の問題ではない。心の癖を剥がす行為だ。


「……行くぞ」


「うん」


 二人は、ゆっくり指をほどいた。

 掌が離れ、温もりが消える。

 その喪失感が、いきなり胸の内側を叩いた。


 蒼真は一歩、後ろへ下がった。


 その瞬間――胸が締め付けられる。


「――っ!」


 心臓が痛む。呼吸が浅くなる。視界が白く霞む。

 身体が「戻れ」と叫ぶ。


 だが――倒れない。


 足は震え、膝は笑っているのに、立っている。

 日向も胸を押さえ、苦しそうに息を吐く。


「熱い……胸が、熱い……」


 光が溢れそうに肌の内側で脈打つ。

 しかし、暴走には至らない。


 “循環”が、どこかで回っている。

 触れていないのに、回っている。


「……できてる」


 蒼真が掠れた声で呟く。


「一歩、離れた……でも――繋がってる」


 日向の頬を涙が伝う。


「うん……苦しいけど……倒れない……」


 光が言った。


「よくやった。次は――もう一歩」


 蒼真の喉が鳴る。

 二歩。距離が倍になる。恐怖も倍になる。


「もう、一歩……?」


「ああ。恐怖を越えろ」


 蒼真は日向を見る。

 日向もこちらを見る。

 泣いているのに、目が頷いていた。


「……行くぞ」


 蒼真はもう一歩、後ろへ下がった。


 二歩。


 たった二歩のはずが、崖を一段降りたみたいに体が重くなる。

 痛みが増す。胸の奥が裂けそうだ。


「――っ!」


 蒼真は膝をついた。息が詰まり、視界が白くなる。

 日向もよろめき、倒れそうになる。


「蒼真……!」


 日向の声が遠い。

 光が、溢れている。押さえきれない。熱が尖る。


 蒼真は歯を食いしばり、叫んだ。


「日向……! 循環だ……! 意志で……流せ……!」


 日向は震えながら、目を閉じた。

 意志する。

 光を、送る。蒼真へ。


 蒼真も、同時に意志した。

 影を、送る。日向へ。


 見えない。

 触れていない。

 なのに――確かに“流れ”が生まれる。


 胸の中を、熱が通り抜ける。

 呼吸が戻る。

 心臓が、もう一度“次”を打つ。


 日向の肩の震えも、少しずつ収まっていく。


「……できた」


 日向が呟く。息が戻った声だった。


「二歩……離れた……」


 蒼真はゆっくり立ち上がった。まだ脚は震える。だが、立てる。

 笑いが漏れた。痛みの中の笑いだ。


「……すごいな」


 日向も泣きながら笑う。


「うん……苦しいけど……倒れない」


 光が言う。


「さらに――もう一歩」


 蒼真は思わず顔をしかめた。


「まだ、やるのか……」


「限界まで試せ。どこまで離れられるか」


 日向が蒼真を見る。

 その目に、迷いと覚悟が同居している。


「……やる?」


「ああ」


 蒼真は頷いた。

 逃げない、と決めたからではない。

 “離れても繋がれる”と知った今、逃げる理由がない。


 三歩目――蒼真が下がる。

 痛みが来る前に、意志で流す。

 光と影を、互いに押し付けるのではなく、通す。


 四歩目――視界が揺れる。

 日向の頬が青白くなる。

 蒼真の背中に汗が滲む。


 五歩目――。


「もう……無理……!」


 日向が膝をつく。

 同時に蒼真も、息を吸うことさえ苦しい。胸がきしむ。視界が薄れる。


「……俺も……」


 そのとき、光が言った。


「待て。もう十分だ」


 言葉が落ちた瞬間、空間の圧がほどける。

 蒼真と日向は、その場に座り込んだ。汗が頬を伝い、呼吸が荒い。痛みは残っているが――生きている。


 五歩、離れても。

 倒れなかった。


「……よくやった」


 光の声は優しかった。試験官ではなく、見届ける者の声。


「お前たちは証明した。絆は距離を超える。手を離しても繋がっている」


 蒼真は、日向を見る。

 五歩離れた場所に、彼女がいる。

 遠いのに、近い。


 胸の刻印が、淡く灯っている。

 循環が続いている。

 見えない糸が、確かに張っている。


「……日向。聞こえるか?」


「うん」


 日向が笑う。涙が乾ききらないまま。


「聞こえる。離れてるのに……近くに感じる」


「ああ」


 蒼真は胸に手を当てた。


「お前が、ここにいる」


 日向も胸に手を当てる。


「蒼真も、ここにいる」


 光が告げる。


「これが意志の契約。所有ではない。支配ではない。距離を超えて繋がる絆だ」


 白い空間が、ゆっくり溶けていく。

 輪郭が戻り、匂いが戻り、風が戻る。


* * *


 森の朝。

 焚き火の灰の匂い。湿った土。木々の間から差し込む斜光。


 蒼真と日向は――少し離れて座っていた。

 意識して、五歩。

 さっきの試練の距離。


 苦しい。

 けれど、倒れない。

 触れていないのに、温もりがある。存在がある。


「……本当に、できたね」


 日向が言った。声はまだ弱いが、芯がある。


「ああ」


 蒼真は自分の手を見る。空っぽの手。

 なのに、掌の中心に、日向の温度の“記憶”が残っている。


「怖かった」


 日向は正直に言った。


「手を離すの。ひとりになるみたいで」


 蒼真も頷く。


「俺も怖かった。でも――ひとりじゃなかった」


 日向が涙を浮かべ、笑う。


「うん。蒼真が、いた」


 蒼真は立ち上がった。

 そして、日向の方へ歩き出す。


 五歩。

 四歩。

 三歩。

 二歩。

 一歩。


 手を差し出す。


「……戻ろう」


 日向は、その手を取った。


「うん」


 指が触れた瞬間、痛みがほどける。呼吸が深くなる。

 楽になる。温もりが戻る。


「……やっぱり」

 日向が笑う。「手を繋いでる方が、楽だね」


「ああ」


 蒼真も笑った。


「離れられる。けれど――」


 蒼真は、日向の手をしっかり握った。

 今のそれは、必要に迫られた握りではない。


「一緒にいる方が、いい」


 日向も握り返す。


「うん」


 二人の刻印が、穏やかに灯る。循環がより滑らかになったのが、肌で分かった。


 離れられる。

 でも、離れない。


 それは依存ではない。

 選択だ。


 蒼真と日向は森を出た。手を繋いで。

 けれど今の二人は知っている。


 繋がなければいけないのではない。

 繋ぎたいから、繋ぐのだと。


 最後の試練は終わった。

 手を離す一歩を越えた。

 距離を超えて繋がる強さを手に入れた。


 そして、二人は歩き続ける。

 真実を広めるために。世界を変えるために。

 そして――自分たちの絆を、何度でも“意志”で選び直すために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ