表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕はひなたで生きていく  作者: とま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/26

第25話「ひなたの告白:怖いのは、ひとりになること」

 街を離れると、音が一枚ずつ剥がれていった。

 露店の呼び込み、馬車の軋み、笑い声――それらが背後へ薄れて、代わりに森の静けさが近づいてくる。


 夜の森は、深い。

 枝葉が風に擦れる音が、遠い波のように続く。虫が低く鳴き、どこかでフクロウが一声だけ落とした。暗闇は黒ではなく、濃い藍色で、火を入れない限り輪郭を許さない。


 蒼真と日向は、街道から外れた小さな窪地に腰を下ろした。根が盛り上がった古木の陰。背後は岩肌。逃げ道を確保しつつ、風を避けられる場所だ。


 蒼真が枯れ枝に火を移すと、焚き火が小さく咲いた。

 炎が立ち上がり、ぱちぱちと薪を弾く。火の匂いが湿った土を押し返し、二人の顔に色を戻した。


 日向は膝を抱え、火を見つめていた。炎に映る瞳は金色のはずなのに、今夜はどこか翳って見える。蒼真も同じように火を見つめ、胸の中のざらつきを鎮めようとしていた。


「……疲れたね」


 日向が、息を吐くように言った。

 その声はいつもより低い。街で見せた笑顔の残り香が、かろうじて形を保っているだけだった。


「ああ」


 蒼真は頷いた。

 真実を見せた。

 広めてくれると言ってくれる者もいた。

 けれど、騎士は現れ、また逃げた。


 前へ進んでいるのに、同じ場所を走り続けているような感覚がある。足場は揺れ、背中に追跡の気配が貼りついたままだ。


「でも――」


 日向は火の中へ視線を落とし、指先で小枝の端をいじった。炎の熱で先が黒くなっていく。


「少しだけ、進めたね」


「……ああ。最初の一歩だ」


 蒼真も火を見た。

 あの酒場の主の震える声。

 十年前に死んだという息子の話。

 “罰だ”と信じ込まされていた年月。


 真実の破片が、あの男の中で何かを壊した。

 壊したのは信仰だけではない。

 押し込めていた怒りと悲しみを、ようやく呼吸させたのだ。


 沈黙が降りる。

 薪が爆ぜる音だけが近くで鳴り、森の闇が呼吸する音が遠くで続く。


 日向は――笑っていた。

 口元だけで、柔らかく。いつものように。


 蒼真は、その笑顔の“薄さ”に気づいてしまった。


 笑顔が、仮面みたいだった。

 火の光が揺れるたび、仮面の縁が一瞬だけ浮き上がる。


「……日向」


「ん?」


 日向は顔を上げる。ぱっと咲く笑み。

 でも、その速度が早すぎる。反射だ。癖だ。身につけた防具だ。


「お前――無理してないか」


 言った瞬間、日向の笑顔が固まった。

 目が一瞬だけ泳ぎ、唇が軽く開いて、閉じる。


「え……?」


「ずっと、笑ってる」


 蒼真は落ち着いた声で言葉を積む。責めない。追い詰めない。ただ、確かめる。


「怖いはずだ。追われてる。捕まれば……終わる。なのに、お前はずっと笑ってる」


 日向は視線を逸らした。火に向けた目が、揺れる炎の中に逃げ込む。


「……大丈夫だよ」


 小さな声。軽い言い方。

 けれど、指先が膝を強く掴んでいる。白くなるほど。


「蒼真が、守ってくれるから」


「守る」


 蒼真は頷く。

 それは嘘じゃない。ここまで来た理由でもある。


「でも、それは俺の気持ちだ」

 蒼真は続けた。「お前の気持ちは? お前は、どう思ってる」


 日向の肩が小さく震えた。


「気持ち……?」


「ああ。怖くないのか。つらくないのか」


 日向は何も言わない。

 火を見つめたまま、黙っている。横顔が、泣きそうに歪んでいた。


 蒼真は一度だけ息を吸い、もう一度呼んだ。


「……日向。正直に言ってくれ」


 その呼びかけが、最後の留め具を外した。


 日向は――笑顔を崩した。

 初めて、蒼真の前で。


 目に溜まった涙が、火の光を受けてきらりと揺れる。頬を伝い始めるまで、時間はかからなかった。


「……怖いよ」


 声が震える。喉の奥がつまる音がする。


「すごく、怖い」


 涙が落ち、焚き火の前の土に黒い点を作る。


「教会に追われて……いつ捕まるか分からなくて……蒼真が傷つくかもしれなくて……」


 言葉が途中で切れる。

 呼吸が浅くなり、唇が震えた。


「怖くて、たまらない」


 蒼真は黙って頷き、その“怖さ”を受け止める場所になる。


 日向は涙を拭うでもなく続けた。

 まるで、胸の奥に溜めていた水を、今夜で全部こぼしてしまわなければ溺れるみたいに。


「でも――それより、もっと怖いことがある」


「……それより?」


 蒼真が聞き返すと、日向はほんのわずか、息を整えた。


「うん」

 彼女は震える指で頬を拭き、呟くように言った。

「ひとりに、なること」


 蒼真の胸が、ずん、と鈍く鳴った。


 日向は膝を抱え直し、身体を小さくする。焚き火の光が、彼女の肩の線を細く縁取った。


「私――ずっと、ひとりだった」


 彼女の声は、炎の音に溶けそうなほど小さい。


「村にいたとき、“祝福の子”って呼ばれてた。……でも、みんな……私を怖がってた」


 髪に触れる。金色の髪が指の間をすり抜ける。


「金色の髪。光の力。普通じゃないって……」


 彼女は笑う――いや、笑おうとして、失敗した。

 唇が引きつり、涙がまた落ちる。


「子どもたちは近づかなかった。大人は敬ってるふりをして、距離を取った。優しくされるほど、余計に孤独だった」


 蒼真は言葉を失った。

 “祝福”という名は、近づくための言葉じゃない。遠ざけるための言葉になることがある。


 日向は続ける。


「教会に行っても、同じだった」

 拳を握る。爪が掌に食い込む。

「他の光持ちもいたよ。でも、みんな怯えてた。半魂と契約させられることを」


 日向の視線が火から外れ、宙を見る。過去の廊下を見ている目だった。


「知らない人と一生縛られる。相手がどんな人かも分からない。笑う人か、怒る人か、怖い人か――」

 息を呑む。

「それが……すごく怖かった」


 蒼真は、日向の手をそっと取った。

 彼女の指は冷たかった。火の前にいるのに、芯が冷えている。


 日向が顔を上げる。涙で濡れた目が、蒼真を正面から見た。


「でも――蒼真と出会った」


 その言葉には、少しだけ光が戻る。


「最初は怖かった。契約も嫌だった。……だって、蒼真は“半魂”だったから。私がいないと生きられないって、言われたから」


 彼女は苦笑するように言う。


「ね、重すぎるよね。いきなり“君がいないと死ぬ”って」


 蒼真は何も言わず、指先に力を込めた。

 “重い”のは確かだ。だが、それだけではない。


 日向は、泣きながら笑った。


「でも蒼真は、優しかった」


 火の光が涙を金色に変える。


「私を道具として見なかった。祝福だとか、器だとか、そんなのじゃなくて……ちゃんと、人として見てくれた」


 握った手が、少し強くなる。


「初めて……ひとりじゃないって思えた」


 そして、言葉が震える。


「だから――蒼真がいなくなるのが怖い」


 日向の唇が、かすかに歪む。


「また、ひとりになるのが……怖くて、たまらない……」


 最後は声にならず、日向は泣き崩れた。


 蒼真は、迷わず抱き寄せた。

 肩を包み、背中を撫でる。焚き火の熱と、彼女の震えが胸に伝わる。


「……ごめん」


 蒼真の声は小さかった。だが、確かだった。


「気づかなかった。お前が……そんなに、ひとりを怖がってたこと」


 日向は蒼真の胸で泣いた。嗚咽が、息に混じる。


「ごめんね……」

 掠れた声で言う。「ずっと隠してた。笑顔でごまかしてた。蒼真に心配かけたくなくて……」


「隠さなくていい」


 蒼真は髪を撫で、優しく言った。


「弱いところ、見せてくれ。俺も――弱い」


 日向が顔を上げる。涙で濡れた睫毛が火を反射する。


「蒼真も……?」


「ああ」


 蒼真は頷いた。

 そして、胸の奥に溜めていた言葉を、今夜の火にくべるように吐いた。


「俺は依存してる。お前に」


 一拍、日向の呼吸が止まる。


「半魂だからじゃない。……それもある。でも、それだけじゃない」

 蒼真は日向を見る。逃げずに。

「お前がいないと、俺もひとりになる」


 日向の瞳が揺れた。

 蒼真は続ける。


「前世で、俺はひとりだった。家族も友達もいた。でも……本当の自分を見せられなかった」


 焚き火が揺れ、影が二人の背後で踊る。


「強い自分。できる自分。完璧な自分。……そういうのを演じてた。弱さを見せたら終わる気がして」


 笑う。自嘲の笑い。


「でも本当は、怖がりで、不安で、いっぱいいっぱいだった」


 言葉が遠くなる。過去が胸の内で形を結ぶ。


「無理して、無理して……最後は、ひとりで倒れた。過労で。誰にも“助けて”って言えないまま」


 日向が蒼真の手を握る。

 その温度が、今夜は鎖ではなく救いだった。


「この世界に来て、お前に出会った」

 蒼真は小さく笑う。今度は温かい笑みだ。

「半魂で、不完全で、お前に頼らないと生きられない。……それを恥じてた。情けないと思ってた」


 目を伏せる。


「だから、俺はお前を“解放”しようとした。……たぶん、罪悪感を消したかったんだ。自分が依存してることを、なかったことにしたかった」


 日向が首を振る。涙が散る。


「違う。蒼真は、私のことを思ってくれてた」


「……いや」


 蒼真は遮らず、正直に言った。


「両方だ。お前のためでもあった。でも、自分のためでもあった」


 言い切ると、胸の奥の重石が少しだけ動いた。


「でも、もうやめる」

 蒼真は日向を見る。

「お前の選択を、俺の罪悪感で塗り潰さない」


 日向の涙が、静かに止まっていく。

 焚き火の前で、二人は互いの弱さを差し出し合っている。逃げ場のない夜の森で、逃げないまま。


 日向が、震える声で言った。


「私も……蒼真に頼ってる」


 彼女は涙を拭き、笑う。今度は仮面じゃない笑いだ。


「光持ちは強くあるべきだって。祝福の子なんだからって。弱音を吐いちゃいけないって……ずっと思ってた」


 日向は胸に手を当て、ゆっくり息を吸う。


「でも違った。怖くてもいい。弱くてもいい。蒼真に……頼っていい」


 二人は、見つめ合った。

 火が揺れ、影が踊る。光と影の輪郭が、互いに溶け合う。


「……俺たち、似てるな」


 蒼真が呟くと、日向は小さく笑った。


「うん。ずっと強がってた。笑顔でごまかしてた」


 蒼真も笑う。


「でも、もういい」

 彼は言う。「弱さを共有できる。お前となら」


 日向は頷いた。


「うん。それが……強さだね」


「ああ」


 蒼真は日向の頭を撫で、肩を抱く。日向はその腕に寄りかかった。

 焚き火の光が二人を照らし、刻印が淡く呼吸するように灯る。


 金色の太陽と、黒い影が――ただ隣り合うのではなく、手を取り合っている。


「……ありがとう」


 日向が囁いた。


「何が?」


「弱さを、見せてくれて」


 蒼真は小さく息を吐き、頷いた。


「お前もだ。怖いって言ってくれて。ひとりが嫌だって教えてくれて」


 日向は蒼真の胸に額を預ける。


「……もう、隠さない」


 その声は、決意を帯びていた。


「怖いときは、怖いって言う。つらいときは、つらいって言う。蒼真に……全部見せる」


「ああ」

 蒼真も誓う。「俺も隠さない。弱いときは弱いって言う。頼りたいときは頼る。……全部見せる」


 二人の刻印が、同時に淡く光った。

 循環するのは、光と影だけじゃない。

 恐れも、弱さも、言葉も、行き来する。


 支配ではなく、共有。

 所有ではなく、意志。


 焚き火が小さくなってきた。蒼真が薪を足すと、炎がまた息を吹き返す。小さくなっても、消えずに燃え続ける。


 日向が蒼真の隣に座り、肩を寄せた。


「……明日からも、大変だね」


「ああ」


 蒼真は頷き、夜空を見上げた。星が無数に散っている。一つ一つは弱い。けれど集まれば、闇の輪郭を描ける。


「でも――お前がいる」


 日向は笑った。


「私も、蒼真がいる」


 焚き火の炎が揺れ、二人の影が並ぶ。

 その影は、もう薄くない。

 その光は、もう暴走しない。


 怖くても、弱くても。

 ひとりじゃない。


 蒼真と日向は、同じ夜を生きることを、意志で選び直した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ