第19話「黒衣の司教、契約の所有権」
街道を三日歩いた。
カツ、カツ、カツ。
足音が、乾いた土を踏む。
ソウとヒナは、次の街を目指していた。
真実を広めるために。水晶球を人々に見せるために。
けれど、その日は来なかった。
森の中を歩いているとき、ヒナがピタリと立ち止まった。
「ソウ」
その声が、ピンと張り詰めている。
「どうした?」
「誰かが、いる」
ヒナは、キョロキョロと周りを見回した。
顔が、蒼白になっている。
「たくさん。囲まれてる」
ソウは、ゾクリと背筋を震わせ、影の力を準備した。
ヒナの言う通り、気配がある。
木々の陰に、じっと潜む人影。
数は、十人以上。
騎士たちだ。
白い外套。胸には教会の紋章。
剣を帯び、弓を構えている。
けれど、その中に一人だけ、明らかに違う者がいた。
黒い衣を纏った老人。
背は低く、痩せこけている。骨と皮だけのような体。
けれど、その目が、異様に鋭い。
まるで獲物を見定める鷹のような、冷たく光る目。
老人が、ゆっくりと前に出た。
ザッ、ザッ、ザッ。
杖を突きながら、一歩ずつ。
騎士たちが、サッと道を開ける。
「ようやく見つけたぞ」
老人の声は、低く、恐ろしく冷たい。
まるで冬の氷のような声。
「光の少女と、半魂の男」
ソウは、ギュッと拳を握り、身構えた。
「誰だ、お前は」
「私は司教ヴィクトール」
老人、ヴィクトールは、コツンと杖を地面に突いた。
「中央教会の管理者だ」
その肩書きに、ゾクッとソウの背筋が冷えた。
中央教会。
つまり、教会の中枢。本丸。
「お前たちを回収しに来た」
ヴィクトールは、感情を込めず淡々と言った。
「大人しく来れば、痛い思いはさせん」
「断る」
ソウは、間髪入れず即答した。
「俺たちは、誰のものでもない」
ヴィクトールは、ピクリとも眉を動かさなかった。
「そうか」
彼は、ドンッと杖を地面に突いた。
「では、力ずくで」
騎士たちが、ザザザッと一斉に動いた。
シャキンッ!
剣を抜き、ジリジリと包囲を狭める。
ソウは、グッと力を込め、影を展開した。
ゴォォォ。
足元から、黒い影が勢いよく立ち上がる。
ヒナの光が、パッとそれに触れる。
パキパキパキッ!
影が、結晶化する。
黒い刃が、キラリと光り、騎士たちを牽制する。
「ほう」
ヴィクトールは、興味深そうに呟いた。
「噂通り、影と光の力を使うか」
彼は、じっとソウの胸を見た。
服の上から透ける、金色の刻印を。
「魂を完全にしたな。均衡の塔で」
ソウは、ゴクリと息を呑んだ。
知っている。
塔のことも、魂のことも、全部。
「驚くことはない」
ヴィクトールは、フッと冷たく笑った。
「均衡の塔は、我々が作ったものだ」
「何だと?」
ソウの目が、見開かれる。
「古代の賢者たち。その末裔が、我々だ」
ヴィクトールは、ビシッと杖を掲げた。
「塔は、制御装置から逃れようとする者を選別するための場所」
その言葉に、スッとソウの血の気が引いた。
全身が、冷たくなる。
「選別だと?」
「そうだ」
ヴィクトールは、コクリと頷いた。
「塔に辿り着き、試練を越える者は稀だ」
彼は、冷酷に続ける。
まるで実験結果を報告するように。
「ほとんどの半魂は、途中で諦める。塔に近づくことすらできない」
ソウは、拳を握りしめる。
「だが、お前たちは越えた」
ヴィクトールの目が、細く細くなる。
まるでヘビのような目。
「それは、危険だ」
「危険だと?」
「そうだ」
ヴィクトールは、ビシッと杖を向けた。
「制御装置を越えた者は、教会の管理下に置けない」
彼は、断言した。
「だから、処分する」
ギリッ。
ソウの拳が、震えた。
「処分だと」
「そうだ」
ヴィクトールは、何の感情も込めず、機械的に言った。
「お前の魂を分解し、再び半魂に戻す」
彼は、ヒナを見た。
品定めするように。
「そして、光の少女を、別の半魂と契約させる」
ヒナが、タタタッと後ずさった。
「そんな」
声が、震えている。
「それが、秩序だ」
ヴィクトールは、冷たく言い放った。
「半魂と光持ちの契約は、教会の資産だ」
その言葉が、グサリとソウの胸に突き刺さった。
「資産だと?」
信じられない、という顔で。
「そうだ」
ヴィクトールは、当然のように言った。
まるで一足す一は二だと説明するように。
「光持ちは、生まれたときから教会のものだ」
彼は、ビシッとヒナを指した。
「お前の光は、お前のものではない」
ヒナの顔が、サッと青ざめる。
唇が、震える。
「それは、器として半魂を制御するためのもの」
ヴィクトールは、ドンッと杖を突いた。
「だから、お前は教会に戻る」
彼の目が、冷酷に光る。
「そして、新しい半魂と、契約する」
ドクンッ!
ソウの心臓が、激しく跳ねた。
耳鳴りがする。
「ヒナを、奪うのか」
「奪う?」
ヴィクトールは、首を傾げた。
「違う。回収するのだ」
彼は、まるで落とし物を拾うように、物を扱うように言った。
「光の器は、教会の所有物だ」
プツンッ。
ソウの中で、何かが切れた。
「ふざけるな!」
叫んだ。
ゴゴゴゴッ!
影が、激しく渦巻く。足元から壁のように立ち上がる。
「ヒナは、物じゃない!」
ヴィクトールは、ピクリとも動じなかった。
「感情的になるな」
彼は、まるで氷のように淡々と続ける。
「お前もまた、教会の実験体だ」
「……実験体?」
「そうだ」
ヴィクトールは、ソウを見た。
「半魂は、我々が作っている」
彼は、冷たく笑った。
「転生者の魂を切断し、不完全にする」
その言葉が――真実だった。
塔で見た映像と、同じ。
「そして、光持ちと結ばせる」
ヴィクトールは、杖を振った。
「それが、制御装置だ」
彼は、ソウとヒナを見た。
「お前たちは、我々の実験の――成果だ」
ソウは、吐き気がした。
実験。
成果。
自分たちは――そう呼ばれている。
「だが、お前たちは制御を越えた」
ヴィクトールの声が、厳しくなる。
「それは、失敗作だ」
彼は、手を振った。
「だから、処分する」
騎士たちが、ザザザッと一斉に動いた。
シャキンッ、シャキンッ!
剣が、次々と振り上げられる。
ソウは、グッと力を込め、影の刃を展開した。
シュゴォォッ!
黒い刃が、渦を巻く。
ヒナの光が、パァッとそれに触れ、強化する。
ガキンッ!ガキンッ!ガキンッ!
刃と刃が、激しくぶつかる。
バチバチバチッ!
火花が、夜空に散る。
ソウは、必死に戦った。
息を切らしながら、影の刃を振るう。
けれど、騎士の数が多すぎる。
一人倒しても、タタタッとまた次が来る。
ジリジリと、包囲が狭まる。追い詰められていく。
「ソウ!」
ヒナが、悲鳴に近い声で叫んだ。
彼女も、光で騎士たちを牽制している。
けれど、ハァハァと息が荒い。限界が近い。
ヴィクトールは、微動だにしない。
ただ、じっと見ている。
冷たい目で、実験動物を観察するように。
「無駄だ」
彼は、静かに呟いた。
「お前たち二人では、教会の全力に勝てない」
その言葉が、残酷な事実だった。
ソウの体力が、限界に近づく。
脚が、ガクガクと震える。
影の力も、フラフラと弱まってきた。
そのとき。
ザッ!
騎士の一人が、素早くヒナに迫った。
「ヒナ!」
ソウが、叫ぶ。
けれど、間に合わない。
ガシッ!
騎士の手が、ヒナの腕を掴んだ。
「離して!」
ヒナが、必死に抵抗する。
けれど、騎士はグイグイと力ずくで引っ張る。
「ヒナっ!」
ソウは、シュバッと影の刃を放った。
けれど、別の騎士がガキンッと防ぐ。
ヒナが、グイグイと引き離される。
ソウから、どんどん離れていく。
「ソウ!」
ヒナが、必死に手を伸ばす。
ソウも、手を伸ばす。
けれど、届かない。
距離が、メキメキと開いていく。
そのとき。
ズキンッ!
ソウの胸に、激痛が走った。
ジリジリジリッ!
刻印が、焼けるように熱い。
いや、熱いだけじゃない。痛い。
ビリビリビリッ!
引き裂かれるような、痛み。
ヒナも、同じだ。
彼女の顔が、グシャッと苦痛に歪む。
「あっ」
小さく、声が漏れる。
二人の絆が、グググッと引っ張られている。
魂の繋がりが、バリバリと無理やり伸ばされている。
ヴィクトールは、それを見て――満足そうに頷いた。
「ああ、そうだ」
彼は、冷たく笑った。
「契約は、まだ機能している」
彼は、ヒナを見た。
「お前を回収すれば――」
そして、ソウを見た。
「こいつの魂も、自動的に引きずり出せる」
ソウの目が、見開かれた。
「……何?」
「契約は、双方向だ」
ヴィクトールは、杖を突いた。
「光持ちを回収すれば、半魂も――魂ごと、回収できる」
彼は、手を振った。
「そして、分解する」
ソウの血の気が、引いた。
ヒナが奪われれば――。
自分の魂も、引きずり出される。
そして――分解される。
再び、半魂に。
いや、それだけじゃない。
ヒナは――別の半魂と、契約させられる。
自分じゃない、誰かと。
そして、自分は――。
処分される。
消される。
ヒナのいない世界で――。
いや、違う。
自分は、もう存在しない。
魂を分解されて――。
消える。
そして、ヒナは――。
別の誰かと、生きる。
自分のことを、忘れて。
契約を、新しく結んで。
――それが、未来。
奪われる、未来。
ソウの体が、震えた。
恐怖が、全身を支配する。
「……やめろ」
声が、震える。
「ヒナを、離せ」
ヴィクトールは、首を振った。
「断る」
彼は、冷たく言った。
「これは、教会の権利だ」
ソウは、影を展開しようとした。
けれど――騎士たちが、阻む。
剣が、首筋に当てられる。
「動くな」
騎士の声。
ソウは、動けなくなった。
ヒナが――遠ざかっていく。
騎士たちに、囲まれて。
「ソウ……!」
ヒナが、涙を流している。
「離して、お願い!」
けれど、騎士たちは無表情だ。
命令に従うだけの、駒。
ヴィクトールは、満足そうに頷いた。
「よし。光の器を、確保した」
彼は、ソウを見た。
「お前は――ここで処分する」
騎士が、剣を振り上げた。
ソウの首を、落とすために。
――死ぬ。
そう思った。
けれど――。
死ぬことより、怖いことがある。
ヒナが、奪われること。
ヒナが、別の誰かと結ばれること。
自分のことを、忘れること。
それが――何より、怖い。
「やめろ!」
ソウは、絞り出すように叫んだ。
「ヒナを、返せ!」
ドガァァァァンッ!
影が、爆発的に広がった。
今までにない、凄まじい力。
恐怖が、怒りが、絶望が、全てが影になる。
バゴォォォンッ!
騎士たちが、吹き飛ばされる。
ガランガランッ!
剣が、弾かれて地面に転がる。
ソウは、走った。
ダダダダッ!
ヒナの方へ、全力で。
ザシュッ、ザシュッ!
影が、道を作る。
ドガッ、ドガッ!
騎士たちを、薙ぎ払う。
「ヒナ!」
叫ぶ。
ヒナも、必死に手を伸ばす。
「ソウ!」
パシッ!
二人の手が、触れた。
その瞬間。
ゴォォォォォォンッ!
光と影が、激しく混ざり合った。
金色と黒が、グルグルと渦を巻く。
ドゴォォォォンッ!
爆発的な力が、周囲を吹き飛ばす。
ドタドタドタッ!
騎士たちが、慌てて後退する。
ヴィクトールさえも、グラッとよろめき、杖で体を支える。
「何だ、この力は」
彼の声に、初めて動揺が滲んだ。
ソウとヒナは、ギュッと抱き合っていた。
ゴゴゴゴゴ。
光と影が、二人を包んでいる。
その力は、どちらのものでもない。
二人で一つ。
光と影が、完全に調和した力。
「離さない」
ソウが、呟いた。
「絶対に、離さない」
ヒナも、ソウにしがみつく。
「私も。ソウを、離さない」
ボワッ!
二人の刻印が、強く光った。
その光は、ヴィクトールを照らす。
彼は、ハッと目を細めた。
「まさか」
その声が、ガタガタと震えている。
「完全な調和だと?」
彼は、タタタッと後ずさった。
「そんなはずは」
ソウは、ギロリとヴィクトールを睨んだ。
「俺たちは、お前たちの所有物じゃない」
ゴゴゴゴゴ。
影と光が、さらに強くなる。
「ヒナも俺も、自分のものだ」
ヒナも、コクリと頷いた。
「私たちは、自分で選んだ」
彼女の声が、力強い。
「誰にも、奪わせない」
ヴィクトールは、ギリッと杖を握りしめた。
「退け」
彼は、震える声で騎士たちに命じた。
「一旦、退く」
ザザザッ。
騎士たちが、後退する。
ヴィクトールは、ギリリとソウとヒナを睨んだ。
「今日のところは、見逃す」
彼は、クルリと背を向けた。
「だが、次はもっと大勢で来る」
彼の声が、ゆっくりと遠ざかる。
「お前たちを、必ず回収する」
ザッ、ザッ、ザッ。
そして、姿を消した。
騎士たちも、ザッザッザッと続く。
シーン。
森に、静寂が戻った。
ソウとヒナは、ドサッとその場に座り込んだ。
全身が、ブルブルと震えている。
「怖かった」
ヒナが、涙声で呟いた。
「私、連れて行かれるかと思った」
ソウは、ギュッとヒナを抱きしめた。
「ごめん」
声が、震える。
「守れなかった」
「ううん」
ヒナは、ブンブンと首を振った。
「ソウが、来てくれた」
彼女は、ポロポロと涙を拭った。
「だから、大丈夫だった」
ソウは、そっと胸の刻印に手を当てた。
まだジンジンと熱い。
ヒナとの繋がりが、ドクドクと強く脈打っている。
「ヒナ」
「ん?」
「俺、今、本当に怖かった」
ソウは、正直に言った。
「お前が、奪われること」
ギュッと拳を握る。
「お前が、別の誰かと結ばれること」
ジワリと涙が、滲んだ。
「それが、何より怖かった」
ヒナは、そっとソウの頬に触れた。
「私も」
彼女の声も、震えている。
「ソウがいなくなること」
ポロポロと涙が、頬を伝う。
「それが、一番怖かった」
二人は、ギュッとまた抱き合った。
しばらく、そのままでいた。
やがて、ソウがヨロヨロと立ち上がった。
「行こう」
「どこに?」
「街へ」
ソウは、ゴソゴソと水晶球を取り出した。
「真実を、広める」
彼は、スッと前を向いた。
「ヴィクトールは、また来る」
ヒナは、コクリと頷いた。
「うん」
「次は、もっと大勢で」
ソウは、ギュッと拳を握った。
「だから、それまでに真実を広めないと」
ヒナは、フラフラと立ち上がった。
「じゃあ、急ごう」
二人は、歩き出した。
カツ、カツ、カツ。
手を繋いで。
光と影の力を、確かめながら。
奪われる未来を想像した。
それは、何より恐ろしかった。
だから、戦う。
教会と。
真実を武器に。
ヒナを守るために。
自分たちの未来を、守るために。
ソウは、ギュッと握った手を強くした。
ヒナも、同じようにギュッと握り返してくれた。
二人の影が、地面に重なる。
一つの影。
それが、今の絆。
誰にも、奪わせない。
その決意を胸に。
二人は、カツ、カツ、カツと前へ進んだ。




