第14話「賞金首:光の少女と、半魂の男」
街の名は、エルドラといった。
オルディアよりずっと大きく、高い城壁に囲まれている。
灰色の石壁が、まるで要塞のように空を遮る。
門には衛兵が四人――槍を手に、出入りする者を一人ずつチェックしている。
ソウとヒナは、荷馬車を引く商人たちの列に紛れて、ゆっくりと門へ近づいた。
胸が、ドクドクと脈打つ。
手のひらに、じわりと汗が滲む。
ヒナの手を握る力が、自然と強くなった。
「名前は?」
衛兵が、無愛想に尋ねる。
鋭い目が、ソウの顔を値踏みするように見る。
「ソウです。妹のヒナと一緒に」
声が、震えないように。
視線を、逸らさないように。
「商売は?」
「雑貨の行商を」
ソウは、淀みなく答えた。
嘘だ。けれど、もう慣れた。
何度も繰り返してきた、偽りの設定。
口から自然に出る言葉。まるで、本当の自分であるかのように。
衛兵は、二人をじっと見つめた。
数秒――まるで永遠のように長い沈黙。
それから、無表情のまま手を振った。
「通れ」
ソウの肩から、力が抜ける。
息を、ゆっくりと吐き出す。
二人は、重い鉄の門をくぐり――街の中へ入った。
石畳の道が、靴の下でコツコツと音を立てる。
高い建物が立ち並び、賑やかな市場の声が四方から響いてくる。
焼きたてのパンの香ばしい匂い。
香辛料の刺激的な香り。
果物を並べる商人の威勢のいい声。
オルディアと似ているけれど、もっと活気がある。
人の波が、途切れることなく流れている。
「……とりあえず、宿を探そう」
ソウが、ヒナの耳元で小声で囁く。
周りに聞こえないように。
「うん」
ヒナは、小さく頷いた。
顔を伏せ気味に、目立たないように。
二人は、市場の脇をそっと歩いた。
人々が行き交う。商人が大声で客を呼ぶ。子供たちが笑いながら走り回る。
平和な、日常。
穏やかで、温かい日常。
けれど――その日常の中に、違和感があった。
人々の視線。
何度か、こちらをチラリと見る者がいる。
じっと見つめて、それから――何かを確認するように、また目を逸らす。
背筋が、ゾクリと冷たくなる。
「……ソウ」
ヒナが、不安そうに小さく呟く。
握った手が、わずかに震えている。
「見られてる」
「ああ……気づいた」
ソウは、周りを警戒しながら歩き続けた。
何かが、おかしい。
空気が――重い。
その答えは――すぐに見つかった。
広場の掲示板。
古い木の板に、何枚もの紙が貼られている。
街の告知。商人の広告。尋ね人。
そして――その中に、一枚の白い紙。
ソウの足が、止まった。
心臓が、一瞬、止まったような感覚。
手配書だ。
そこには、二人の顔が――木炭で描かれている。
少女と、青年。
短い髪の少女。鋭い目をした青年。
絵は粗いけれど――間違いなく、特徴を捉えている。
まるで鏡を見ているように、自分たちの顔がそこにある。
そして、その下に――黒々とした文字。
【指名手配】
光の少女と、半魂の男。
教会に危険視される契約者。
発見次第、通報せよ。
報奨金:銀貨五十枚。
ソウの全身から、血の気が引いた。
頭が、真っ白になる。
手足が、氷のように冷たくなる。
「……嘘だろ」
呟く。
声が、かすれている。
ヒナも、手配書を見て――唇から色が消えた。
彼女の手が、ギュッとソウの手を握りしめる。
爪が、手のひらに食い込むほど。
「報奨金……」
その声が、震える。
まるで、悪夢を見ているような――現実感のない声。
「私たち、賞金首に――」
ソウは、咄嗟にヒナの手を引いた。
「行くぞ。早く」
足が、勝手に動く。
考えるより先に、身体が逃げようとする。
二人は、広場から素早く離れようとした。
けれど――もう遅かった。
周りの視線が、明らかに変わっている。
さっきまでの無関心な、どこか遠い目ではない。
値踏みするような――いや、獲物を見つけた猟犬のような――鋭い目だ。
「あれ、手配書の……」
誰かが、ヒソヒソと囁いた。
「本当だ。光の少女って――あの子じゃないか?」
「銀貨五十枚……」
ゴクリ、と誰かが唾を飲む音。
ざわめきが、波紋のように広がっていく。
まるで、水面に石を投げたように――静かに、しかし確実に。
ソウは、歩く速度を上げた。
心臓が、バクバクと激しく鳴る。
耳が、周りの音を敏感に拾う。
「ヒナ、走るぞ」
「うん」
二人は、走り出した。
石畳を蹴る足音が、ダダダダッと響く。
人々が、驚いて道を開ける。
背後から、大きな声が上がる。
「待て!」
「衛兵を呼べ!」
ドドドドッ――複数の足音。
人々が、追ってくる気配。
銀貨五十枚。
その金額が、人々を動かす。
ソウは、狭い路地に飛び込んだ。
建物と建物の間の、薄暗い道。
洗濯物が干してあり、上から水滴がポタポタと落ちてくる。
人気がない。
けれど――背後から、追手の足音がザッザッザッと迫ってくる。
まるで、獣が獲物を追うような、執拗な足音。
「こっちだ!」
ソウは、ヒナの手を強く引いて曲がり角を曲がった。
また別の路地。
さらに狭く、暗い。
カビ臭い空気。積まれた木箱。
前方を見る――。
行き止まりだ。
「……っ」
高い石の壁が、行く手を完全に塞いでいる。
よじ登れるような凹凸もない。
背後から、ザッザッザッと迫る足音。
ソウは振り返った。
追い詰められた。
ソウは、咄嗟に影の力を使おうとした。
胸の刻印が、熱を持つ。
けれど――。
「待って、ソウ」
ヒナが、ソウの腕を掴んで止めた。
「ここで戦ったら、もっと騒ぎになる」
その声は、冷静だ。恐怖に震えながらも――冷静に判断している。
「でも――」
「私に、任せて」
ヒナは、両手を壁に向けた。
そして――手のひらに光を集め始める。
淡い金色の輝き。
まるで小さな星のように、彼女の手のひらで生まれる。
それを、壁に向けて放った。
シュゥゥゥ――。
光が、筋となって壁を照らす。
そして――壁に落ちた影が、みるみる濃くなった。
薄かった影が、まるで墨汁を垂らしたように――濃く、深く、黒く。
「ソウ、影を使って。壁を登れる?」
ヒナが、必死な目でソウを見る。
「……やってみる」
ソウは、意識を集中した。
自分の影を――壁の影へ向けて伸ばす。
スゥゥゥ――。
影が、地面を這うように伸びる。
そして、壁の濃い影に触れた瞬間――。
パキ、パキパキッ。
結晶化した。
ヒナの光が作った濃い影と、ソウの影が混ざり――階段の形に固まる。
黒い、段差。
まるで石段のように、しっかりとした形。
「行くぞ」
ソウは、ヒナの手を引いて影の階段を駆け上がった。
タン、タン、タンッ――。
足が、確かに影を踏みしめる。
硬い。まるで本物の階段のように。
ヒナも、必死に続く。
息を切らして、壁を駆け上がる。
数秒後――。
二人は、壁を越えて屋根の上に飛び移った。
ドサッ、と瓦の上に着地する。
影の階段は、すぐに煙のように消えた。
下の路地に、ドドドドッと追手が辿り着く音。
「……いない?」
「どこに消えた?」
困惑した声が、下から聞こえてくる。
ソウとヒナは、屋根の上で身を低くして息を殺した。
心臓が、バクバクと激しく鳴る。
呼吸を、必死に抑える。
音を立てないように。見つからないように。
下で、足音がウロウロと動いている。
探している。
けれど――見つからない。
しばらくして、諦めたように足音が遠ざかっていった。
ザッ、ザッ、ザッ――。
完全に静かになった。
「……助かった」
ソウは、ようやく小さく息を吐いた。
全身が、汗でびっしょりだ。
ヒナも、肩で激しく息をしている。
手が、まだ震えている。
「でも、どうしよう……」
彼女は、瓦の隙間から街を見下ろした。
眼下に広がる、エルドラの街並み。
賑やかな市場。行き交う人々。平和な日常。
けれど、その中に――自分たちの居場所はない。
「手配書が、出てる」
ヒナの声が、小さく震える。
「ああ」
ソウも、重く頷いた。
「もう、この街にはいられない」
「……すぐ、出る?」
「そうするしかない」
ソウは、遠くに見える門の方を見た。
そびえ立つ城壁。
その下で、槍を持った衛兵たちが出入りをチェックしている。
手配書を見ていれば、確実に捕まる。
あの門は、もう使えない。
「どうやって、出るか……」
考える。
頭を必死に働かせる。
正面から行けば、捕まる。
壁を越える? けれど、城壁は高すぎる。影の力でも、あの高さは無理だ。
隠れて潜伏する? 銀貨五十枚の賞金がかかっている今、それも危険すぎる。
どうする。
どうすればいい。
そのとき――。
「困ってるみたいだね」
声が、背後から聞こえた。
男の声。低く、落ち着いている。
ソウは、ハッと振り返った。
影の力を、いつでも使えるように意識を集中させる。
屋根の上に、一人の男が立っていた。
年は三十前後。黒い髪に、鋭い目つき。
日に焼けた肌。傷だらけの手。
服は黒い革製で、動きやすそうだ。腰には短剣がいくつも下がっている。
いつから、そこにいたのか。
全く気配を感じなかった。
「……誰だ」
ソウは、ヒナを背に庇いながら警戒した。
男が、敵か味方か――分からない。
「敵じゃない」
男は、ゆっくりと両手を上げた。
武器を持っていないことを示すように。
「むしろ、助けに来た」
「助け……?」
ソウの声が、疑いに満ちている。
「ああ」
男は、にやりと――不敵に笑った。
その笑みには、悪意はない。けれど、油断ならない何かがある。
「あんたら、賞金首だろ? 手配書の」
ソウの全身が、緊張で固まった。
心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
影を、いつでも使えるように意識を研ぎ澄ます。
ヒナが、ソウの服をギュッと握りしめる。
「安心しろ。売る気はない」
ガレンは、手を下ろして首を振った。
「俺は、ガレン。まあ――盗賊みたいなもんだ」
「盗賊……」
ソウが、低く繰り返す。
「そう。盗賊、ゴロツキ、ならず者――好きに呼んでくれ」
ガレンは、肩をすくめた。
「だから、教会は大っ嫌いでね」
その目に、一瞬――鋭い憎悪の光が走る。
「あいつら、俺たちみたいな"はみ出し者"をゴミのように扱う。目の敵にする」
彼は、ソウとヒナを真っ直ぐ見た。
「あんたらも、教会に追われてるんだろ? 手配書に"光の少女と半魂の男"って書いてあった」
間。
「なら、敵の敵は味方だ」
ソウは、まだ警戒を解かなかった。
この男が本当のことを言っているのか。
罠なのか。
信用していいのか。
「……信用できない」
「当然だ」
ガレンは、あっさりと笑った。
「俺が逆の立場でも、絶対に信用しない」
彼は、屋根の縁にドカッと腰を下ろした。
そして、足を投げ出して――リラックスした様子で言う。
「でも、事実として――あんたらは、今、完全に詰んでる」
「……」
「街から出られない。門には衛兵がいて手配書を持ってる。街中にも手配書が出回ってる」
ガレンは、指を一本ずつ折りながら言った。
「銀貨五十枚の賞金。人々の目は、獲物を見る目に変わってる」
もう一本、指を折る。
「時間が経てば経つほど、包囲網は狭まる。逃げ場は、なくなる」
その言葉は――残酷なほど、事実だった。
「俺たちなら、あんたらを街から出せる」
ガレンは、遊びのない真剣な目で言った。
笑いが消え、鋭い瞳がソウを見据える。
「裏道を使って、衛兵の目をかいくぐる。俺たちは――この街の闇を知ってる」
「……なんで、助けるんだ」
ソウが、疑念を込めて尋ねる。
「見返りは? 金か? それとも――」
「ない」
ガレンは、即答した。
迷いも、嘘も感じさせない即答。
「強いて言うなら――教会への嫌がらせだ」
彼は、また不敵に笑った。
けれど、その笑いの奥に――深い憎しみが見える。
「あいつらが追ってる奴を逃がす。それだけで、気分がいい。痛快だ」
風が、屋根の上を吹き抜ける。
ソウは、ヒナの方を見た。
彼女も、不安そうな目でこちらを見返す。
どうする?
信用するか?
この男を。この、素性も分からない男を。
けれど――。
選択肢が、ない。
このまま屋根の上にいても、いずれ見つかる。
街を出る方法もない。
時間が経てば、包囲網は狭まる。
賭けるしかない。
「……分かった」
ソウは、深く息を吐いて――頷いた。
「助けてくれ。頼む」
「賢い選択だ」
ガレンは、満足そうに立ち上がった。
屋根の瓦を踏む音が、カツン、カツンと響く。
「じゃあ、来い。仲間が待ってる」
彼は、屋根の端に向かって歩き出す。
背中を向けて――全く無防備に。
その背中が、不思議と――信頼できるように見えた。
* * *
ガレンに連れられて、二人は街の裏路地へ降りた。
人通りのない、薄暗い道。
古い建物の影。積まれた木箱。捨てられた樽。
カビと湿気の匂い。
誰の目にも触れない、街の裏側。
そこに、四人の人物が待っていた。
一人は、弓を背負った若い女性。赤い髪を後ろで束ね、鋭い目をしている。
一人は、大柄な男。体格は熊のように大きく、背中に巨大な斧を担いでいる。
一人は、痩せた老人。白髪で、長い髭。手には古びた杖。
一人は、フードを深く被った小柄な人物。顔も姿も隠れていて、性別も年齢も分からない。
全員が、ガレンと同じ――はみ出し者の空気を纏っている。
「紹介するぜ」
ガレンが、片手で仲間たちを順に指差した。
「弓使いのリーナ。斧のバルト。魔術師のオルム。そして、斥候のミト」
四人が、それぞれ小さく頷いた。
リーナは、値踏みするような目でソウたちを見る。
バルトは、腕を組んで仁王立ち。
オルムは、杖にもたれて静かに観察している。
ミトは――フードの奥から、こちらを見ているのか見ていないのかも分からない。
「こっちは、ソウとヒナ。例の――賞金首だ」
ガレンが、ソウたちを紹介する。
リーナが、二人をじっくり見て――口笛を吹いた。
ピュゥゥゥ、という軽快な音。
「ほんとに、手配書そっくりだ。特に、この子」
彼女は、ヒナを指差す。
「短い髪、大きな目――間違いない」
「銀貨五十枚……美味しい獲物だよね」
その言葉に、ソウは咄嗟に身構えた。
影を、いつでも使えるように。
ヒナを、後ろに庇う。
リーナが、ソウの動きを見て――クスリと笑った。
「冗談だよ。そんなに警戒しないで」
彼女は、両手を軽く上げる。
「私たち、教会の犬じゃないから。あんな連中に協力する気はない」
バルトが、ガハハと大きな声で笑った。
その声が、路地に響く。
「そうそう。教会なんか、くそくらえだ!」
オルムが、コツン、コツンと杖を地面に突いた。
「さて、時間がない。早く街を出よう」
その声は、老人らしく静かだが――有無を言わせぬ重みがある。
「どうやって?」
ソウが、尋ねる。
「裏門だ」
ガレンが、短く答えた。
「普通は使われてない、古い門。もう何年も開かずの門だ。だから、衛兵もいない」
「でも、鍵がかかってるんじゃ――」
「それは、ミトが何とかする」
ガレンは、フードを被った小柄な人物を見た。
ミトが、音もなく――ゆっくりと頷いた。
その動きは、まるで幽霊のように静かだ。
「じゃあ、行くぞ」
一行は、薄暗い裏路地を――音を立てずに進み始めた。
ソウとヒナは、その中に紛れる。
ガレンたちに囲まれて、視線を遮られる形で。
目立たないように。
自然に。
ただの旅人の一行のように。
やがて、表通りに出る。
再び、賑やかな街の雑踏。
人々の声。商人の呼び込み。
街の人々は、大勢で歩く一行を見ても――特に気に留めない。
よくある旅人たち。
傭兵の一団。
ただの通行人。
そう見える。
「うまく、馴染んでるな」
ガレンが、横を歩きながら小声で言った。
「兄妹、って設定か?」
「……ああ」
ソウは、小さく頷いた。
「なるほどね。似てるもんな、雰囲気が」
ガレンは、皮肉めいて笑った。
「まあ、俺たちは何も聞かないよ。事情は、人それぞれだ。俺たちも――聞かれたくないことは山ほどある」
彼は、前を向いた。
歩きながら、周りを警戒している。
「ただ、一つだけ忠告しておく」
「何だ?」
「教会は、本気だ」
ガレンの声が、一段と低く、重くなる。
「手配書の内容を見たか? ちゃんと」
「……見た」
「"保護"じゃなくて、"回収"って書いてあっただろ」
ソウの喉が、ゴクリと鳴った。
確かに――そう書いてあった。
"発見次第、回収せよ"と。
「保護なら、まだ温情がある。生かして連れて行く、ってことだ」
ガレンは、肩越しにソウを見た。
その目は――哀れみを含んでいる。
「でも、回収は違う。物として扱うってことだ」
「……」
言葉が出ない。
「あんたらは、もう人間じゃない。教会にとっては――」
彼は、わずかに言葉を濁した。
けれど、はっきりと言う。
「資源、ってことだ。利用価値のある、物」
胸が、ギュッと冷たく締め付けられる。
回収。
資源。
物。
まるで、壊れた道具を取り戻すような――そんな言い方。
「だから、気をつけろ」
ガレンは、再び前を向いた。
その背中が、少し怒っているように見える。
「教会の騎士だけじゃない。賞金目当ての奴らも、いくらでも狙ってくる」
横を歩くヒナの体が、小さく震えた。
ソウは、そっと彼女の手を握りしめた。
震える、冷たい手。
「大丈夫」
小声で、囁く。
自分自身に言い聞かせるように。
「俺が、守る。絶対に」
ヒナは、震えながらも――小さく、頷いた。
* * *
街の外れ。
人通りのない、静かな場所。
古い城壁の一角に、忘れ去られたような小さな門があった。
錆びた鉄の扉。
全体が赤茶色に錆び、ところどころ剥がれている。
蔦が絡まり、下には枯れ葉が積もっている。
明らかに、長い間――何年も使われていない様子。
「ここだ」
ガレンが、その門の前で立ち止まった。
ミトが、音もなく前に出る。
フードの下から、細く白い指が伸びる。
その手には、いくつもの細い金属の棒。
鍵開けの道具だ。
鍵穴に、繊細な動きで何かを差し込む。
カチャカチャ、カチャ――。
金属が擦れる、小さな音。
まるで時計職人が細工をしているような、正確な動き。
ソウとヒナは、息を殺して見守る。
周りを、ガレンたちが警戒している。
誰かが来ないか。
衛兵が通りかからないか。
数秒後――。
カチッ。
小さな、けれど確かな音。
そして――。
ガチャリ。
鍵が、開いた。
「さすがだな、ミト」
ガレンが、満足そうに笑った。
ミトは、何も言わずに――両手で重い扉を押し開けた。
ギィィィィ――。
長い間動いていなかった蝶番が、きしむ音を立てる。
錆が擦れる、耳障りな音。
けれど、確実に――扉は開く。
その隙間から、外の光が差し込んでくる。
扉の向こうに、街の外が見える。
森。
街道。
青い空。
自由。
「さあ、行け」
ガレンが、二人を促した。
その声は、優しい。
「ありがとう……ございます」
ヒナが、涙声で――深く深く頭を下げた。
ソウも、同じように頭を下げる。
「本当に――ありがとうございました」
「礼には及ばん」
ガレンは、照れたように手を振った。
「ただ、一つだけ――」
彼は、笑いを消して真剣な顔になった。
そして、まっすぐソウの目を見て言う。
「生き延びろよ。二人とも」
その言葉が、温かかった。
心から、祈るような――そんな言葉。
「……ああ」
ソウは、力強く頷いた。
「必ず。約束する」
二人は、門をくぐった。
石の門をくぐり――外へ。
街の外。
風が、優しく吹いている。
振り返ると、門の向こうでガレンたちが手を振っている。
リーナも。バルトも。オルムも。そして、ミトも。
ソウとヒナも、何度も何度も手を振り返した。
ありがとう、と。
本当にありがとう、と。
やがて――。
扉が、ゆっくりと閉まり始める。
ギィィィィ――。
再び、きしむ音。
視界が、狭まる。
最後に、ガレンの笑顔が見えた。
そして――。
ガチャリ。
鍵がかかる音。
扉は、完全に閉まった。
二人は――また、逃亡者に戻った。
けれど、今は――少しだけ、希望がある。
世界全てが敵ではない。
助けてくれる人もいる。
そう、思えた。
* * *
森の中を、歩く。
街道は使えない。
目立つから。人目につくから。
木々の間を、足音を殺して静かに進む。
踏みしめる土の感触。
木の葉が擦れる音。
遠くで鳥が鳴いている。
森の匂い。土と木々の匂い。
静かで――けれど、安全ではない。
「……ソウ」
ヒナが、か細い声で呟いた。
「私たち、賞金首になっちゃった」
その声には、まだ現実感がない。
まるで、悪い夢を見ているような――そんな響き。
「……ああ」
ソウは、重く頷いた。
「回収、って――」
ヒナの声が、震える。
「物、扱いなんだね。私たち」
その言葉が、痛い。
ソウは、立ち止まった。
そして、振り返って――ヒナを強く抱きしめた。
小さな体が、自分の腕の中に収まる。
震えている。
「大丈夫」
「でも――」
「お前は、物じゃない」
ソウは、その耳元で――強く、はっきりと言った。
「人間だ。ヒナ、お前は一人の人間だ」
言い聞かせるように。
自分にも、彼女にも。
ヒナは、ソウの服を両手でギュッと掴んで、しがみついた。
「……怖い」
小さな、震える声。
「怖いよ、ソウ。賞金がかかって、みんなが私たちを狙って――」
彼女の肩が、小刻みに震える。
「俺も、怖い」
ソウは、正直に答えた。
嘘は、つかない。
「怖いし、不安だ。どうなるか、分からない」
彼は、ヒナの頭をそっと撫でた。
「でも――逃げる」
その手が、優しく髪を撫でる。
「どこまでも、逃げる。捕まらない。絶対に」
ヒナは、涙を堪えて――震えながら頷いた。
「……うん」
しばらく、そのまま抱きしめていた。
森の静けさの中で。
やがて――。
二人は、また歩き出した。
手を繋いで。
しっかりと、離さないように。
三十歩以内。
それが、生きるための距離。
賞金首として。
光の少女と、半魂の男。
その烙印を背負って。
けれど――。
ソウは、歩きながら思った。
ガレンたちのような人もいる。
教会に反発する者。
はみ出し者を助ける者。
見返りを求めず、ただ「生き延びろ」と言ってくれる者。
世界全てが、敵ではない。
まだ、希望はある。
その希望を、胸に抱いて――歩く。
ソウは、歩きながら胸の刻印に手を当てた。
服の上から、温かさを感じる。
金色の紋様。
その中心に、小さな太陽が輝いている。
そして、周りに滲む黒い影。
光と影。
二人で、一つ。
それが、自分たちの力だ。
自分たちの、存在の証。
「ヒナ」
「ん?」
ヒナが、顔を上げる。
「俺たち、強くなったな」
ソウは、少しだけ――笑った。
「影の力も、使えるようになった。お前の光と合わせれば――」
「うん」
ヒナも、涙の跡が残る顔で――小さく笑った。
「私たち、光と影の二人組」
「ああ」
ソウは、力強く頷いた。
「賞金首だろうが、回収対象だろうが――」
彼は、前を向いた。
森の奥へと続く道を。
「簡単には、捕まらない」
ヒナは、ソウの手をギュッと握り直した。
その手が、少し温かくなっている。
「うん。一緒に、逃げよう。どこまでも」
「ああ」
二人は、森の奥へ――歩き続けた。
手配書が出回り、賞金がかけられた。
もう、安全な場所はない。
どこへ行っても、狙われる。
街にも入れない。
けれど――。
二人でいれば、怖くない。
いや――怖い。
けれど、一人じゃない。
光と影が、重なれば――強い。
戦える。守れる。
ソウは、木々の隙間から空を見上げた。
青い空が、見える。
雲が、ゆっくりと流れている。
まだ、昼だ。
まだ、明るい。
太陽の光が、木の葉を通して地面に斑模様を作っている。
夜が来るまで、できるだけ遠くへ。
そして、夜が来たら――。
影の力で、戦う。
それが、今の自分たちだ。
賞金首。
光の少女と、半魂の男。
教会に"回収"される存在。
けれど――。
ただの賞金首じゃない。
ただの逃亡者じゃない。
光と影の力を持つ、契約者だ。
ソウは、ヒナの手を強く握りしめた。
彼女も、同じように――同じ強さで握り返してくれた。
足元を見る。
二人の影が、地面に落ちている。
木漏れ日に照らされて、濃く。
重なって、寄り添って――一つの影。
それが、今の自分たちの姿だった。
逃亡は、続く。
終わりが見えない逃亡。
けれど、もう――無力じゃない。
戦える。
守れる。
二人で。
それが、唯一の――けれど確かな希望だった。
森の奥へ。
光の届かない場所へ。
けれど、二人でいれば――光がある。
ヒナの光が、道を照らす。
ソウの影が、道を守る。
それが、循環。
それが、契約。
賞金首として。
けれど、二人で――。
生き延びる。
必ず、生き延びる。
ガレンとの約束。
そして、自分たちとの約束。
その決意を胸に――。
ソウは、ヒナと手を繋いで、歩き続けた。
森の奥へ。
まだ見ぬ明日へ。
光と影の、二人組として。




