第13話「影が結晶になる夜」
それは、月のない夜に起きた。
空には、雲が厚く垂れこめ、星すらも見えない。
完全な闇。
まるで、世界が黒い布で覆われたような――深い、深い闇。
二人は、街道沿いの森の奥で野宿していた。
宿場町まで、あと半日の距離。けれど、日が暮れてしまったから。
夜の森に入るよりは、ここで休む方が安全だと判断した。
焚き火が、小さく燃えている。
パチパチ、パチパチと、薪が弾ける音が静寂の中で響く。
オレンジ色の炎が、まるで生き物のように揺れる。周囲の木々に不規則な影を落とし、それがユラユラと踊る。
炎の暖かさ。けれど、その向こうに広がる闇は――冷たく、重い。
ヒナは、ソウの隣で眠っている。
スゥ、スゥと穏やかな寝息。手は、ソウとしっかり繋いだまま。
その小さな手は、少し冷たい。けれど、確かにそこにある。
寝顔は、安らかだ。疲れきった顔をしているけれど――安心して眠っている。
ソウは、焚き火をじっと見つめていた。
見張り――というほどではない。
ただ、なんとなく眠れなかった。胸の奥に、微かな不安が渦巻いている。
嫌な予感。理由のない、けれど消えない予感。
森は、深く静かだ。
リィーン、リィーンと虫の声。風に揺れる木々のざわめき。遠くで、フクロウか何かが、ホゥ、ホゥと鳴いている。
自然の音。
平和な、夜の音。
けれど――。
その静けさが、突然――ピタリと途切れた。
虫の声が、止まった。
風のざわめきが、消えた。
まるで、森全体が息を潜めたように。
足音。
ザッ、ザッ、ザッ。
複数。規則正しく訓練された歩調。
まるで軍隊のように。
ソウは、ハッと体を起こした。
心臓が、ドクンと大きく跳ねる。
焚き火の向こう、木々の間の暗闇から――白い影が現れた。
三人。
白い外套が、炎の光を反射している。胸には、十字の紋章。
教会の騎士だ。
ソウの背筋を、氷水が流れ落ちるように冷たいものが走った。
呼吸が、止まりそうになる。
「……見つけた」
先頭の騎士が、冷たく低い声で呟いた。
「"祝福の子"と、転生者」
シャキン――という金属音。
彼は、剣を抜いた。
月明かりがないから、刀身は見えない。
けれど、その気配だけで――冷たい殺意が空気を通して伝わってくる。
まるで、首筋に刃を当てられたような感覚。
「ヒナ、起きろ!」
ソウは、ヒナを激しく揺すった。
彼女が、はっと目を覚ます。
「……ソウ? どうし――」
言いかけて、焚き火の向こうの白い影を見て――血の気が引いた。
「教会……!」
その声が、恐怖で震える。
「逃げるぞ」
ソウは、ヒナの手を強く引いた。
二人は、立ち上がり走り出す。
背後から、重い足音。騎士たちが追ってくる。
「待て!」
怒号が、森に響く。
けれど、振り返らない。
振り返ったら、終わりだ。
森の中を、息を切らして全力で走る。
枝が頬を鋭く掠める。根に足を取られかけて、よろめく。
けれど、止まれない。止まったら、捕まる。
ヒナの手を、強く握りしめる。
絶対に、離さない。
三十歩以内。その距離を守りながら、必死に逃げる。
呼吸が、荒い。心臓が、バクバクと激しく鳴る。
けれど――。
前方の暗闇から、また白い影。
騎士が、二人。
松明を持って、立ち塞がっている。
挟まれた。
「……くそ」
ソウは、息を呑んで立ち止まった。
背後から、三人の足音が近づいてくる。
前方には、二人が剣を構えている。
合計、五人の騎士。
逃げ道が、ない。完全に包囲されている。
「観念しろ」
先頭の騎士が、剣を構えた。
その刃が、松明の光を受けて鈍く光る。
「大人しく来れば、命は取らん」
冷たい声。
「……嘘だ」
ソウは、ヒナを背に庇った。
腕を広げて、完全に彼女を隠す。
「お前たちの目的は、俺たちを消すことだろ」
騎士は、何も言わなかった。
その沈黙が――雄弁な肯定だった。
「ヒナ――」
ソウは、小声で、必死に言った。
「俺が時間を稼ぐ。その隙に、逃げろ」
「無理だよ!」
ヒナは、涙声で首を振った。
「ソウが死んだら、私も死ぬ。契約が――」
「でも――」
「一緒だよ。ずっと」
ヒナは、ソウの服を後ろから強く握りしめた。
「逃げるなら、一緒。死ぬなら、一緒」
その目が、涙に濡れながらも――真っ直ぐだった。
ソウは、歯を強く食いしばった。
どうする。
どうすればいい。
何か、何か方法は――。
騎士たちが、ジリ、ジリと近づいてくる。
包囲の輪が、確実に狭まる。
もう、逃げられない。
完全に詰んでいる。
ならば――。
戦うしかない。
けれど、武器がない。
素手だ。
騎士たちは、剣を持っている。
勝ち目が、ない。
それでも――。
ソウは、両手を拳に握りしめた。
爪が手のひらに食い込む。
ヒナを、守る。
それだけは、絶対に譲れない。
「来るなら、来い」
ソウは、騎士たちを鋭く睨んだ。
「でも、ヒナには――絶対に触れさせない」
その声が、震えながらも強い。
先頭の騎士が、一歩重く踏み出した。
剣が、ゆっくりと振り上げられる。
――来る。
ソウは、体を前に出した。
ヒナを、完全に背後に隠す。
剣が、月のない闇の中で振り下ろされる。
風を切る音。
その瞬間――。
ソウの影が、動いた。
地面に落ちた、松明の光に照らされた影が――。
まるで生き物のように、うねった。
焚き火の光に照らされた、地面の影。
それが――平面から浮き上がり、立ち上がった。
「……っ!?」
騎士が、驚愕の声を上げる。
ソウの足元から、黒い何かが――まるで水が湧き出るように伸びる。
影。けれど、ただの影じゃない。
それは――三次元の形を持とうとしている。
触手のように、ゆっくりとうねる。
けれど、実体がない。黒い煙のように、ユラユラと揺らいでいる。
「何だ、これは――」
騎士が、恐る恐る剣を影に当てた。
シュッ――。
刀身が、抵抗なく影を通り抜ける。
まるで、水の中に剣を入れたように。
けれど――何も起きない。
影は、形を保てない。すぐに崩れる。
ソウ自身も、驚いていた。
何が、起きている?
これは、何だ?
自分の影が、動いている。
自分の意思に反応して、まるで意志を持ったように。
けれど、それだけだ。
影は、すぐに崩れる。形を保てない。武器にならない。
「……くそ」
騎士が、舌打ちして再び剣を振り上げた。
今度は、ソウの体を直接狙う。
影が、それを阻もうと必死に動く。
けれど、やはり――簡単に通り抜けられる。
刃が、ソウの肩に迫る。
冷たい殺気。
――その瞬間。
「ソウ!」
ヒナが、悲痛な叫び声を上げた。
魂を震わせるような、絶叫。
彼女の両手から――光が溢れ出た。
金色の、眩い光。
まるで小さな太陽が、彼女の掌の中で生まれたように。
暗闇を裂く、圧倒的な輝き。
その光が、一瞬で空気を満たし――ソウの影に触れた。
瞬間――。
時が、止まった。
いや、世界が――変わった。
空気が、ビリビリと震える。
まるで雷が落ちる直前のような、張り詰めた緊張。
ソウの影が――変質した。
煙のように揺らいでいた影が、ヒナの光に触れた瞬間――。
パキ、パキ、パキパキパキッ――!
まるで湖が一瞬で凍りつくように、影が固まり始める。
形を持つ。質量を持つ。硬度を持つ。
液体が固体へと変わるように、ソウの影が――結晶化していく。
黒い、刃。
黒曜石のように漆黒で、美しく、鋭い刃。
月光を反射して――いや、月のない夜なのに――それ自体が暗い輝きを放っている。
影が、一本の剣の形になった。
そして――。
カキィィィィンッ!
騎士の剣を、真正面から弾き返した。
激しい金属音が、森全体に響き渡る。
青白い火花が、まるで花火のように夜闇に散る。その光が、一瞬だけ周囲を照らし出す。
騎士が、驚愕と恐怖の表情で――バッと後退する。
彼の剣を持つ手が、激しく震えている。
「な、に――」
驚愕と恐怖の混じった声。
ソウも、驚いて自分の手を見た。
いや、違う。
手には、何も握っていない。
けれど、足元の影から――黒い刃が天に向かって伸びている。
それは、ソウの意思に反応して、まるで自分の手足のように動く。
「……これ」
信じられない、という声で呟く。
ヒナの光が、まだ両手から溢れ続けている。
その金色の光が、ソウの影に触れ続けている。
そして――影は、固い形を保っている。
「ソウの、影……?」
ヒナが、驚きと畏怖の混じった声を出す。
「私の光が、触れたら――」
彼女は、自分の手と、ソウの影を交互に見て――理解した。
「形になった……結晶化した……」
ソウも、気づいた。
自分の力は、影。
けれど、それ単独では――煙のように揺らぐだけで、形を持たない。
ヒナの光が触れて、初めて――結晶化して、武器になる。
「……そういうこと、か」
ソウは、黒く輝く影の刃を見つめた。
これが、自分の力。
けれど、ヒナの光がなければ――何もできない。
二人で、一つ。
それが、契約の本当の意味。
「下がってろ、ヒナ」
ソウは、決意を込めて前に出た。
「光を、出し続けてくれ」
「う、うん」
ヒナは、震える両手から光を放ち続けた。
その光が、ソウの影を照らす。
影が、さらに濃く、黒く、深くなる。
そして――刃が、増える。
二本、三本、四本。
影の刃が、ソウの周りにフワリと浮かぶ。
まるで意思を持った蛇のように、ゆらゆらと揺れている。
騎士たちが、明らかに警戒した顔になる。
一歩、後ずさる。
「……何だ、その力は」
騎士の声が、わずかに震えている。
「知らない」
ソウは、正直に答えた。
「でも――」
影の刃を、全て騎士たちに向ける。
「お前たちを、止めるには十分だ」
先頭の騎士が、剣を震える手で構え直した。
「……光と影の力、か」
彼は、仲間たちを見た。
「噂通りだ。半魂と光持ちの契約は――異常な力を生む」
「異常、か」
ソウは、苦く笑った。
「そうかもな」
ソウは、意識を集中した。
影の刃を、一本――射出した。
シュゥゥゥッ――!
それは、矢のようにまっすぐ、いや――弾丸のように速く、騎士へ飛ぶ。
空気を裂き、風を切り、暗闇の中を黒い閃光となって突き進む。
騎士が、慌てて剣を構える。
必死に、両手で剣を握りしめて――受け止めようとする。
刃と刃が、激しくぶつかった。
ガギィィィィ――――ン!!
耳をつんざくような、金属の悲鳴。
そして――。
パキン、パキン、パキパキパキパキッ――!
騎士の剣に、亀裂が走る。
刀身の中心から、蜘蛛の巣のように無数のひびが広がる。
次の瞬間――。
ガシャァァァァンッ!
騎士の剣が――完全にバラバラに砕け散った。
無数の破片が、キラキラと夜闇に舞う。
まるで、ガラスの雨が降るように。
「……っ!?」
騎士が、信じられないという顔で――いや、恐怖に歪んだ顔で驚愕する。
両手には、柄だけが残っている。刃は、もうない。
影の刃は、止まらない。
そのまま騎士の鎧に――ガキィィィンッ!と激突した。
甲高い音を立てて、鎧の胸部に深い傷跡が刻まれる。
まるでナイフでバターを切るように、硬い鉄の鎧が――裂けた。
騎士の胸から、血が滲む。
「退け!」
先頭の騎士が、慌てて後退を命じた。
「この力は――想定以上だ!」
五人の騎士が、恐怖に駆られて一斉に後退する。
ソウは、追わなかった。
追えば、ヒナから離れる。
三十歩以上は、絶対に離れられない。
「……逃げるのか?」
ソウが、息を荒げながら問う。
「今日のところは、な」
先頭の騎士が、悔しそうに答えた。
「だが、次は――もっと人数を増やす。光を封じる方法を見つける」
彼は、後ずさりながら木々の影に消えた。
他の騎士も、慌てて続く。
やがて――。
森に、静寂が戻った。
虫の声だけが、静かに響いている。
ソウは、意識して影の刃を消した。
スゥゥゥ――。
黒い刃が、まるで悪夢が朝日に溶けるように、煙となって霧散していく。
形を失い、ただの影に戻る。
ヒナの光も、ゆっくりと――花が閉じるように収まっていく。
金色の輝きが薄れ、彼女の手のひらから消えていく。
そして――。
二人は、同時に――膝から崩れ落ちた。
ドサッ、と地面に座り込む。
全身の力が、一気に抜ける。
「……助かった」
ソウが、荒い呼吸の合間に、かすれた声で呟く。
肩で息をしている。全身が、汗でびっしょりだ。
「うん……」
ヒナも、全身が震えている。
手が、足が、肩が――制御できないほど震えている。
「怖かった……死ぬかと思った……」
その声が、今にも泣き出しそうに震える。
涙が、目の端に浮かんでいる。
「ごめん」
ソウは、震える腕でヒナを強く抱きしめた。
彼女の小さな体が、自分の胸に収まる。
「大丈夫だ。もう、行った。大丈夫だから」
何度も、何度も繰り返す。
ヒナにではなく――自分自身に言い聞かせるように。
ヒナは、ソウの服を両手でギュッと握りしめて、しがみついた。
力いっぱい、離さないように。
温もりが、伝わってくる。
お互いの心臓の鼓動が、胸を通して伝わってくる。
バクバク、バクバクと――激しく、早く。
しばらく、そのままでいた。
言葉もなく。
ただ、抱き合って。
二人とも、心臓が激しく鳴っている。
命が助かった、という実感が――じわじわと、確かに湧いてくる。
生きている。
まだ、生きている。
二人とも。
やがて、ヒナがゆっくりと顔を上げた。
「……ソウ」
「ん?」
ソウが、優しく返事をする。
「さっきの、力――」
彼女は、ソウの足元の影を見た。
「影だったね。ソウの影が、武器になった」
「ああ」
ソウも、自分の影を見つめた。
今は、普通の影だ。
ただ地面に張り付いているだけ。動かない。
「お前の光が、触れたら――形になった」
「うん。私も、感じた」
ヒナは、自分の両手をじっと見つめた。
「私の光が、ソウの影に流れ込んで――まるで、水が氷になるみたいに」
彼女は、少し考えて――。
「結晶化した、みたいに」
「結晶化……」
ソウは、その言葉を何度も心の中で反芻した。
「そうか。お前の光が、俺の影を固めたんだ」
「うん」
ヒナは、真剣な顔で頷いた。
「私の光だけじゃ、形にならない。ソウの影だけでも、形にならない」
彼女は、ソウの目をまっすぐ見た。
「でも、二つが重なったら――」
「刃になる」
ソウは、深く頷いた。
二人の力が、単独では不完全。
けれど、重なった時だけ――完成する。
武器になる。戦える。
「……これが」
ソウは、震える手で胸の刻印に触れた。
「循環の、本当の意味か」
ヒナも、自分の胸の刻印にそっと触れた。
服の上から、温かさを感じる。
「私の光が、ソウを満たす。ソウの影が、私の光を形にする」
彼女は、涙の跡が残った顔で微笑んだ。
「本当に、二人で一つなんだね」
ソウは、ヒナの手をギュッと握った。
「……ああ」
胸の刻印が、服の下で淡く、温かく光る。
金色の光の糸が、二人の胸を繋いでいる。
目には見えないけれど、確かに感じる。
それは、もう見慣れた感覚だ。
けれど、今は――その意味が、痛いほどよく分かる。
光と影。
二つで、一つ。
それが、自分たちだ。
「でも――」
ヒナが、不安そうに、小さな声で言った。
「騎士、また来るって」
「……ああ」
ソウは、重く頷いた。
「次は、もっと人数を増やす。光を封じる方法も考えてくるだろう」
「どうしよう……」
その声が、震えている。
「逃げ続けるしかない」
ソウは、ゆっくりと立ち上がった。
足が、まだ少し震えている。
「今夜は、もう移動する。ここは危険だ」
「うん」
ヒナも、ソウの手を借りて立ち上がる。
二人は、まだ燃えている焚き火を土をかけて消した。
ジュウ、という音とともに、炎が消える。
暗闇が、どっと森を包む。
けれど――もう、怖くない。
ヒナがいる。
そして、自分にも――力がある。
影の力。
単独では煙のように無力だけど、ヒナの光と重なれば――強い。戦える。
「行こう、ヒナ」
「うん」
二人は、手をしっかりと繋いで歩き出した。
月のない夜。
足元が見えにくい。根に足を取られそうになる。
けれど、ヒナが小さな光を手のひらに灯す。
金色の柔らかな光。
それが、足元を優しく照らす。
ソウの影が、その光に照らされて地面に伸びる。
光と影。
それが、今の自分たちだ。
* * *
夜明け前、二人は森を抜けて街道に出た。
東の空が、わずかに白み始めている。
宿場町が、遠くに小さく見える。
けれど、もう泊まれない。
教会の騎士が、きっとそこにもいる。
「次の街まで、どのくらい?」
ソウが、疲れた声で尋ねる。
「……二日、くらい」
ヒナが、か細い声で答えた。
「野宿、になるね」
「仕方ない」
ソウは、諦めたように頷いた。
けれど、その目に――新しい光がある。
「でも、もう――ただ逃げるだけじゃない」
彼は、自分の手をじっと見た。
影の力。
それが、自分にもある。ヒナと一緒なら――。
「次、襲われたら――戦える」
ヒナは、少し不安そうな顔をした。
唇を噛んで、躊躇う。
「でも、危ないよ」
「分かってる」
ソウは、ヒナの手をギュッと握った。
「でも、ずっと逃げてばかりじゃ――いつか、捕まる」
彼は、真っ直ぐ前を見た。
「だから、戦う。お前を守るために」
ヒナは、少し黙っていた。
考えている。迷っている。
やがて――決意を込めて頷いた。
「……なら、私も戦う」
「え?」
ソウが、驚いて振り返る。
「私の光が、ソウの影を形にする」
ヒナは、自分の両手を見つめた。
「なら、私も――ソウの力になる。ソウだけに戦わせない」
その目が、強い。
涙の跡が残っているのに、強い。
「二人で、戦おう」
ソウの胸が、じんわりと熱くなった。
「……ありがとう」
「うん」
ヒナは、疲れた顔で――けれど本物の笑顔を見せた。
その時――。
朝日が、地平線から昇り始めた。
最初は、ほんの一筋の光。
地平線の端に、金色の線が引かれる。
それが、ゆっくりと――けれど確実に広がっていく。
空が、暗い紺色から――藍色へ、紫色へ。
そしてオレンジ色へ、金色へ、赤く、鮮やかに染まっていく。
まるで、世界が色を取り戻していくように。
闇が退き、光が満ちていく。
太陽が、その姿を完全に現す。
眩しい。
けれど、温かい。
その光を浴びて――二人の影が、地面にくっきりと刻まれた。
長く、長く伸びる影。
朝日に照らされて、濃く、はっきりと。
二つの影は――重なって、寄り添って、一つになっている。
それが、今の自分たちの姿だった。
ソウは、その影をじっと見つめた。
光があるから、影ができる。
影があるから、光が際立つ。
光が強ければ強いほど、影は濃くなる。
影が深ければ深いほど、光は輝く。
どちらが欠けても、成立しない。
どちらも、同じくらい大切。
どちらも、お互いを必要としている。
それが――循環の本当の意味。
契約の、本当の姿。
「ヒナ」
「ん?」
ヒナが、朝日を浴びて振り返る。
「俺たち、もう――ただの逃亡者じゃない」
ソウは、決意を込めて前を向いた。
「光と影の力を持った――」
言葉を探す。
何と呼べばいいのか。
「……何だろうな」
ヒナは、少し考えて――クスリと笑った。
「二人組、でいいよ」
「二人組?」
「うん。光と影の、二人組」
彼女は、繋いだソウの手を優しく揺らした。
「それで、十分。それが、私たち」
ソウは、その言葉に――心から笑った。
「……そうだな」
二人は、朝日を浴びて――歩き出した。
街道を。
次の街へ。
まだ見ぬ明日へ。
影が結晶になる力を得て。
光と影が、一つになる意味を知って。
足取りは、重い。疲れている。
けれど――止まらない。
これから――どんな困難が待っているか分からない。
教会は、もっと大勢で追ってくるだろう。
戦いは、避けられない。
血を流すことになるかもしれない。
痛みを、悲しみを、恐怖を――何度も味わうことになるかもしれない。
けれど――。
もう、ただ逃げるだけじゃない。
戦える。
守れる。
二人で。
ソウは、歩きながらゆっくりと胸の刻印に手を当てた。
服の上から、じんわりと温かさを感じる。
生きている証。繋がっている証。
金色の紋様。
その中心に、小さな太陽が輝いている。
そして――その周りに、黒い影が滲んでいる。
まるで太陽を守るように、包み込むように。
それが、自分の印。
自分の、存在の証。
光と影。
二つで、一つ。
それが、今の答えだった。
これからの答えでもある。
朝日が、二人を優しく――けれど力強く照らす。
影が、くっきりと地面に刻まれる。
二つの影が、寄り添い、重なり、一つになって。
その影を見ながら、ソウは歩き続けた。
手を繋いで。
一歩ずつ。
確かに、前へ。
ヒナと、共に。
光と影の、二人組として。
影が結晶になる夜を越えて――。
暗闇を越えて、恐怖を越えて、絶望を越えて――。
新しい夜明けが、今――始まった。
そして、新しい物語が――始まろうとしていた。




