聖女の願い
「ど、どうして貴方が指輪を!?」
僕の手にある指輪を驚愕した表情で見つめながら、聖女は叫ぶように声をあげる。
「いや~、聖女さんが、歓迎するって握手してきたときからぼんやりとしか記憶がないんすけど、なるほど。自分、その指輪で洗脳されてたってことっすか」
「はぁ、初対面の相手を少しは疑えと何度言ったらわかる?まして、相手は転生者だぞ?」
そうルインに説教をくれてやっていると、聖女が焦った表情で詰め寄ってきた。
「いきなり現れたと思ったら、勝手に私の部下の洗脳を解除して、世界を救うとか、いったいどういうつもり!?」
「ルインは僕の部下だが。それと、世界を救うというのは、君の暴走を止めるということだ」
聖女の目に鋭い光が宿る。彼女の表情は、怒りから警戒へと変わっていた。
「私の暴走?貴方、一体何を知っているの?」
僕は落ち着いた声で答える。
「君は転生者だろう?そして、君は『信仰』を欲している。それは、君がかつて信じていたものが裏切られたからだ。」
《鑑定》の権能を使い、聖女の過去は把握済みだ。
しかし、正直かなり同情してしまうところはある。どうやら彼女は前世で、両親共々カルト宗教によって自殺に追い込まれたようだ。彼女の心の奥には、深い憎しみと悲しみが渦巻いている。
そんな彼女が、曰く付きの指輪を手に入れる。その指輪は、手に入れたら最後、心が壊れてしまうことから《心壊の指輪》と呼ばれていた。精神面への強い耐性から、指輪を制御できると知った彼女は、憎むべき教会を乗っ取り、自身を信仰の対象とさせた。
この世界の住人は皆、聖女に握手という形で洗礼を受ける必要がある。それをうまく利用して、人々を洗脳したのだ。
「この《心壊の指輪》とやらによる洗脳は、それを解決した。人の心を意のままに操り、自分だけを崇拝させる。そうすれば、もう二度と裏切られることはない、とでも思ったのか?」
僕の言葉に、聖女は絶句する。彼女の表情は、もはや怒りでも警戒でもなく、恐怖に染まっていた。彼女の過去、誰にも知られるはずのない秘密を、初対面の相手に言い当てられたのだから無理もない。
その隙を見逃す手はない。聖女の核心を突く。
「断言しよう。君は、偽りの信仰なんかでは救われない」
僕は聖堂の前に整列している兵隊を指差し、続ける。
「見ろ。あれは、確かに君が操っているのだろう。一言も話さず黙して立っている。今この世界は、君を除き、全員がそうしているんだろうな」
聖女の目を真っ直ぐ見据えて、さらに続ける。
「この世界の人を操りきって、君の心は満たされたか?誰もが君の思い通り。それは一見素晴らしいが、すぐに虚しさに気づく。君は、その事実から目を逸らしているんじゃないか?」
「....ッ!!貴方になにが!?」
「わかるさ。僕には、君の心がわかるんだ。当ててあげよう。君は、無条件で心から信じられる人が欲しい。そうだろ?」
聖女が反論しようと口を開けるが、反論の言葉は出てこない。どうやら、間違ってはいないようだった。
「だが、こうして世界中の人々を洗脳した今、無条件という概念はなくなった。君は苦悩しただろうな。誰もが君に従うのに、君は誰も信じられない。可哀想なことだ」
「....ッ!」
「さすが先輩、容赦ないっすね....、人の心とかないんすか?」
ルインが少し引くように僕を見る。....うるさいな。そもそも僕はお前の尻拭いで来ているんだぞ、まったく。
だが、これでやれることはやった。彼女の本心は表層に浮上しただろう。
「それは....それはッ!!だって仕方ないでしょうッ!?それしか方法がなかったんですもの!!!!私は誰も信じられない。だから操るしかない。至極当然でなくて!?」
聖女が叫ぶ。....そろそろか。
「....私だって、この世界がこんなにつまらないものだとは思いませんでしたわ。でも、もうどうしようもありません。どちらにせよ、洗脳を解けば私は死刑になるでしょう。....今更引き返すことなんてできないのですよ」
よし、ようやく本心を引き出せた。ここからは、もう消化試合だ。
「つまり、引き返せればいいわけだな?そう、例えば、この世界への転生直後に」
「!?....なにを言っているかわかりませんが、無理ですよ。そもそもその指輪は壊れません。『決して壊れず、幾人もの心を壊した』、その曰く通り、どんな物質でも傷一つつけることはできませんわ」
確かに、この指輪は相当な硬度だ。おそらく、下界のものでは壊せないほどに。
「指輪のことはあとでいい。それより、もし過去に戻れるなら、君はどうする?もう一度、はじめからやり直してみないか?」
「....ええ、できることなら、ですが」
「そうか....じゃあ、行って来い」
本人がやり直しを望んだことで、条件が整った。
《再創造》を発動させると、聖女の体が光に包まれる。
「....!?」
「心配要らない。君の過去、『転生直後、露天で怪しげな指輪を買う』という事実を消した。君からしたら、その時点に戻るというだけだ」
消えゆく聖女の目を見つめ、最後に一言。
「友達の一人でも作ってみろ。そしたら、世界の見方も変わってくるさ」
世界がまばゆい光に包まれ、聖堂には僕とルインを除き誰もいなくなった。
窓から外を見てみれば、大勢の人が往来している。うまくいった証拠と見ていいだろう。
僕がアネラに確認を取っていると、ルインが安堵したように胸を撫で下ろし、僕に近づいてきた。
「いや~先輩、毎度あざやかな手腕、惚れ惚れしちゃいますね!!いや、今回は私もかなりヤバめだったんですが、ホントありがとうございましたっす!!」
「そうか、僕も、大切な部下であるお前が無事で良かったよ」
「先輩....!!っエ゙!?」
振り向きざま、ルインの鳩尾に裏拳を入れる。倒れ伏したバカの背中を踏みつけ、仏の笑みを浮かべた。
「あの聖女じゃないが、僕は人が信じられなくなりそうだ。主にお前のおかげで」
「あー、これ、もしかしてお説教コースですかね....?」
「安心しろ。説教じゃない。....体罰だ」
ルインがなにか言おうとするが、僕は踏みつける力を強める。瞬間、ルインは地中深くまで埋没した。
さて、アホはしばらくこのままにしておくとして、この指輪のことについてだ。ひとまず、アネラに相談することにしよう。
*天界では、労基は適用されません。