私たちの下らないエスカレータートーク
「上映スクリーンは十二階だってさー」
「遠いっすね〜」
五月上旬。
大学の講義が午前中で終わった私たちは、夜のバイトまで暇だったので映画を観に来ていた。
私たちが観るのは『パディントン』シリーズの最新作だ。
わざわざ大学から電車で三十分近くかけて日本一大きなスクリーンのある映画館に来ている。
『パディントン』はもうすぐ公開される『ミッション:インポッシブル』最新作のようなエンタメ超大作というわけではないが、批評家の評価も、世間の評判も、とても良い。
そういう映画は必ずできる限り良い映画館で鑑賞するというのがマイルールだ。
「ここは四階だから……八階分エスカレーター乗らなきゃいけないのか」
「エレベーターあるっすけど」
「エレベーター使ったらなんか負けって感じしない?」
「何にっすか?」
「さあ?」
「先輩そういうとこあるっすよね……」
後輩の彩香が呆れた笑みを浮かべながら、特に抗議することなく私についてくる。
私たちは一つ目のエスカレーターに乗った。
一人乗り用の幅だから、私が上の段に、彩香が下の段に立っている。
「そういや先輩、ポップコーン派じゃなくてフライドポテト派なんすね」
「……ああ、これ。普段はポップコーン派なんだけどね。なんか、映画館のポテトって食べたことないなーっと思って」
「確かに、フライドポテトってあんま頼まないっすよね。ポップコーンとナチョスが定番な気がするっす」
「まあ、だからこそ気になったというか。バイト始めて金銭的に余裕出てから映画観に行きまくってるし、ポップコーン飽きてきてたんだよね。別にお腹空いてるわけじゃないときに味が想像できるもの食べても嬉しくないでしょ」
「そういうもんっすかね」
「そういうもんなのよ」
私が適当な返事をすると、しばらく沈黙が続いた。
エスカレーターはまだ五階に到着したばかりで、私たちは六階に続くエスカレーターへと足を進めた。
「そういや、フライドポテトってイギリスだとチップスって言うらしいよ。チップって感じしないのに、不思議だよね」
「へ〜、そうなんすね。じゃあ日本で言うところのポテトチップスはなんて呼んでるんすかね」
「……今ググってみたけど、クリスプス、らしい」
「クリスピーな食感だからっすかね〜」
「じゃないかねー……」
エスカレーターはまだ六階に到着していない。
「——イギリスといえば、『パディントン』の舞台ってロンドンなんだよね」
「そういや先輩、去年の夏休みにイギリス旅行したって言ってたっすね」
「そうそう。そんときちょうど街中でデカい広告出てたりプロモーションやっててさ。日本帰ったら観に行こうと思ってたんだけど、まさか半年遅れて公開されるとは……」
「洋画の日本公開ってそういうとこあるっすよね〜」
「でも、来週の『ミッション:インポッシブル』は日本が世界最速だそうよ」
「へ〜」
エスカレーターが六階に到着し、私たちは回れ左して七階に続くエスカレーターに乗った。
「——イギリスといえばさ、私イギリス訛りの英語好きなんだよね。アメリカ英語よりも落ち着いてる感じがするっていうかさ」
「あー、なんか分かるっす。わたしもYouTubeで海外のASMR動画とか見るとき、イギリス人の動画検索することあるっす」
「パディントンのASMRとかあるのかな。『イギリス英語ASMR 〜トラブルメーカーの英国紳士が寝かせてくれない〜』みたいな」
「どんなシチュエーションドラマっすかそれ……」
「需要あるよ、きっと」
……七階にはまだ到着しない。
ゴールの十二階はずっと先だ。
「……長いね」
「っすね……」
私たちはまたしばらく黙って、次のエスカレーターに乗るときは無言だった。
「……去年のイギリス旅行の話なんだけどさ」
「はい」
「私、イギリスの伝統料理とか一つも食べなかったんだよね」
「え、なんでっすか。もったいない」
「なんか、イギリス行ったのに現地の料理食べずに、日本食レストランだけ行くのって面白いかな、というか……Twitterでつぶやいたら笑えるだろうなと思って……」
「そんな惨めな……」
「結局バズりのバの字もなく、仲良いフォロワーが二人くらいいいねしてくれただけで終わった」
「哀れっすね……」
「哀れとか言うなし」
「がはは」
「……彩香って笑い方独特だよね」
「そっすかね?」
「そうだよ」
「そっすか」
……再び沈黙。
次に私たちが口を開いたのは、十階から十一階に続くエスカレーターに乗っているときだった。
「四階から何分くらい経った?」
「えっとー……五分っすね」
「え、そんだけしか経ってない?」
「なんか十分くらいエスカレーター乗ってる気がするっす」
「だよね」
「まあ、でも、もうすぐっすから」
「長かったねー」
「長かったすね〜。でも、着いたら着いたで、次は上映開始まで予告見ながら待つ時間があるっすよ」
「彩香は予告見るの苦痛な方?」
「わたしは別に平気っす。先輩は?」
「私も特に気にならないかなー。むしろ、自分じゃ見つけられない面白そうな映画に出会えるから、好き、かな」
「そっすよね〜! 予告も含めての映画鑑賞って感じがするっす!」
「でも、最近Twitterで『高い金払ってんのに広告流れるのなんなん』みたいな意見がバズってるの見たなー。確かに、映画とは無関係な自動車学校のCMとか流れると萎えるけど、そうじゃなければ楽しむ余地はあると思うんだけどー……」
「まあ、否定派の言い分も分からないことはないっすけどね〜……」
十一階に到着し、最後のエスカレーターに乗り換える。
「——この映画館の日本一デカいスクリーンでローカル系CMとか流れたら、それはそれで面白いかもね」
「確かに、横二十六メートル、縦十九メートルのスクリーンで、地元の歯医者さんのCMとか流れたら笑っちゃうかもしれないっす」
「あはは」
「がはは」
目的地はもう目前にある。
「……いや〜、ワクワクしてきたっすね」
「だね。いよいよだ」
「予告が映画鑑賞の一部であるように、エスカレーターも体験の一部なのかもしれないっすね」
「良い感じに締めてくれたね」
「ポジティブが取り柄っすから」
「彩香と観に来てよかった」
「まだ入場すらしてないっすけどね」
そうして十二階に辿り着いた私たちは、ここまで来るのにかかった時間の分だけ期待に胸を膨らませながら、入場ゲートを通っていった。
そして、私たちは日本一デカいスクリーンの前でフライドポテトを食べながら予告を見るという、大層贅沢な時間を過ごすのだった。
——ちなみに、映画の出来はどうだったのかというと、帰りのエスカレーターの体感時間がほんの十秒程度に感じられるくらい面白かった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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※作中の映画館は「グランドシネマサンシャイン池袋」をイメージしていますが、本劇場で『パディントン』最新作のIMAX上映は無かったと思います。なんなら本作は日本全国どこの映画館でもラージフォーマット上映は実施していない気がします。