38話 そしてゲームが始まる
降り積もった雪が暖かい陽射しに溶けて、大地からは緑の芽吹きが顔を出す。風が暖かくなり、段々と春が近づいていた。空には雲が少しだけ見えるが、雨が降りそうには思えない。今日は晴れだろう。
フワァと大きく欠伸をして、王都の街門を守る門番は眠気を耐えて、検問をしていた。冬は寒く、雪が積もり凍死するかと思えるほどに門番をするのは辛い。だが雪の中ではさすがに外で門番をせよとは無理を上司も言わず、門脇にある駐屯所で、暖炉の前で暖まっていた。雪の中で通勤するのは大変だったが、訪れる者などほとんどいないし、仕事自体は同僚とお喋りをして過ごすので楽なものだった。
そのため春となって、まだ風も少し冷たい中で働くのが一番大変だった。雪解けが終わり、肌寒い中で、検問を開始しなくてはならないからだ。春になって待ってましたと、多くの人々が行き来する。成人したからと、村から追い出された次男や三男、冬の間稼ぎがなかった冒険者たち、商人たちは大量の荷を運び、農民たちが外へと出掛ける。
その中で、アカデミーに入学するために学生たちがやってくるのが、春の風物詩とも言えた。一番面倒くさい相手とも言えよう。なにせ学生たちのほとんどは貴族であり、まだ年若いために貴族の権力を振り回し、偉ぶるのが正しいと思う奴らばかりだからだ。
その中でも、この貴族は面倒くさかった。
「あ〜、アキ・アスクレピオス侯爵子息様でいらっしゃいますか?」
「あいっ、あ~ちゃんはアキ・あしゅあしゃこーしゃくししょくでしゅ!」
とても面倒くさかった。違う意味で面倒くさかった。
ひよこのような可愛らしい鳴き声に似た声が馬車から聞こえてくる。窓からそっと覗くと、アキ・アスクレピオス侯爵子息と名乗る何かが椅子に座っていた。なぜ何かだと言えば、毛布をすっぽり被って姿が見えないからだ。そして、毛布を被ってはいるが、その大きさはとてもではないが、アカデミーに入学する予定の子息の大きさには見えなかった。というか、声が幼い少女のものだ。
どうすれば良いのかと、助けを求めて対面に座る侍女に目を向けると、そっぽを向かれて私知りませんと拒絶された。どうやら助けはないらしい。
「しかしながら……その、アキ侯爵子息様? なぜ毛布を被っているのでしょうか?」
「んと、ふつかよい! ふつかよい、きもちわるいの、うげーって、なりゅの! シィーがふつかよいはきもちわるくなりますって、いってたんだよ」
どこかの悪い大人の影響を受けた模様。護衛たちに目を向けると清純そうな司祭服を着た女性が咳をし始めたが、まさかあの女性ではないだろう。
「貴様、この方が気持ち悪いと仰っているのだ。さっさと門を通すが良い。早くお休みいただかなくてはならぬ」
剣の柄に手をかけて、これまた王都でもそうそう見たことのないほどの美女が凄んでくる。このままでは無礼討ちとかにされそうな予感がして、恐怖で背筋が冷たくなる。
ここは援軍を求めねばならぬだろう━━━。
「まぁまぁ、久しぶりだな、門番さん。俺だよ俺俺。人魚の時のさ。まだ風も少し冷たいよな、酒でも飲んで暖まらないと風邪を引いちまうんじゃないか」
やけに馴れ馴れしく二枚目の騎士が肩を回してきて、ポケットにチャリチャリと音がする。ポケットからちらりと音源を見てみると黄金の輝きが何枚もあった。
うん、援軍はいらないだろう。つまらない仕事で仲間を呼ぶ必要なんかない。すぐに己のミスを反省する門番だ。
「おぉ、あんたか。覚えているよ、随分出世したんだな。そんなに立派になって見違えたぞ」
人魚を連れて、金貨をくれた男のことは覚えている。1年くらい前だが、金貨をくれる人はその男だけだったし、なによりも人魚を連れてきたのだ。記憶に残らないわけかない。以前はヒゲモジャで、毛皮を着たみすぼらしい姿だったが、どうやら成功したらしい。
「だろ? いやぁ~幸運だったんだよ。今度一緒に飲みたいな、ほら、俺も王都は疎いしな」
「いつでも呼んでくれ。成り上がった友人は大歓迎だよ」
「ははっ、俺も情報通の友人ができてうれしいよ。それじゃ俺たちはいくよ。じゃあな」
「あぁ、またな〜。良い酒場を教えてやるよ」
ガラガラと馬車が進んでいくのを笑顔で見送り、そろそろ春が来たかもなと、門番はポケットに春の訪れを感じるのであった。なので、窓から覗いている幼女の姿は目に入らないことにした。
黄金の光は、上司へ報告するよりも大事なのだ。
◇
「あ~………そうか、管理する人がいなかったよなぁ………。これ、どうするんだ?」
「掃除するしかないんじゃないでしょうか、え、これもしかして私の仕事? えー、これ何日かかるんですか?」
魔法騎士団を辞めて、アキ・アスクレピオス侯爵子息の護衛となったタイチはうんざりしたような表情で、アスクレピオス侯爵家の屋敷を眺めて、同じくアキ・アスクレピオス侯爵子息の専属侍女兼メイドのケイ・メイジャもどんよりとした顔で、肩を落としていた。
王都のアスクレピオス侯爵家の屋敷に到着したのは良いが、ナツたちが領都に向かい、アルクトたちもついて行ったため、管理する人間のいなくなった屋敷は以前も荒れ果てていたのに、放置されたため、廃墟と言われてもおかしくない状態に変わっていた。
「まさか、ロデー姫をこのような廃墟に住まわせる予定ではないでしょうね?」
剣の柄に手を添えて、針のように鋭い目つきで睨んでくる美女の名前はシーウィード。以前、アキが助けた人魚の王国ポセイドンのロデー王女近衛隊長だ。後ろの四人の美女たちも剣呑な空気を醸し出しており、切りかかってきてもおかしくなかった。彼女たちはアキを滅んだ王国を救いし救世主として崇めており、護衛としてポセイドン王国からやってきた者たちだ。その崇めっぷりは狂信者レベルである。
とはいえ、普通の人でも怒るのは間違いない。錆びた金属製の門は蔦が絡んで開けるのも一苦労だし、庭はジャングルといっても良いかもならないほど草木が繁茂しており、ウサギが走り抜けていく。屋敷は木窓が閉まっており、原形を保っているが、雑草がヒビの入った壁から生えて、崩れ落ちてもおかしくなそうだ。とすると、屋敷内部も推して知るべし。とんでもなく汚れているだろう。
「皆さん、神は言っています。ここは一つお酒を飲んで一休みをしましょうと」
革袋に入れたワインをぐびりと飲んで、お淑やかな外見の美女が穏やかに微笑む。ワインを飲んでいる時点で駄目なシスターのシィだ。
「貴様らそこへなおれ。斬り伏せてからロデー姫は王国に帰って頂く」
「落ち着けって。大丈夫、大丈夫だから。な、お嬢。なんとかできますよね?」
額に青筋をたてて、切れそうな人魚をタイチが止めつつ、助けを求める。もはや一触即発である。この最近の付き合いで、この人魚はアキが絡むと極めて沸点が低いことは判明していたので、焦るタイチ。そして我関せずと酒を飲むシィ。今更ながらに、選んだメンバーを後悔するタイチであった。
だが、この事態をなんとかできる救世主の存在をタイチは知っていた。救世主は幼女の姿をしているのだ。
「わかりまちた! あ~ちゃんにおまかせくだしゃい。うさちゃんとあそんできましゅ!」
平坦なる胸をポンと叩くと、軽く踏み込むと羽でも生えたかのように、ふわりと空高く飛翔して、門を飛び越えて中に入るアキ。どこらへんが任せられるのか不明だが、あ~ちゃんは自信満々だ。
蜂蜜色の滑らかなふわふわの髪に、小顔にくりくりした小動物を思わせる瞳。抱きしめたら折れてしまいそうなか弱い体つき。背丈はというと、小学生低学年レベルの小ささの幼女。その名はアキ・アスクレピオス。この世界『地上に瞬く星座たち』の悪役令息だ。幼女なのはルックスYを選んだので仕方ない。本当に仕方ないかは不明だが、悪役令息だ。幼女だけど。
「うさちゃん、ぴょんぴょん! まって〜。うさちゃんぴょんぴょん」
幼女にはあり得ない身体能力を持ち、トテトテと走り始めるアキ。その視線の先には草を食べているウサギの姿があった。幼女はウサギと戯れたいのだ。なのでとてちたと全力で駆けていく。
「なんと華麗な動きでしょう。さすがはロデー姫。ですが少しお待ちを。危険があるかもしれません。我らもお供いたします! お前ら、ロデー姫に続け!」
頬を赤くしてアキを褒め称えるとシーウィードは扉を越える。やはり高い身体能力を持っており、軽く踏み込むだけで三メートルは高さがある扉をひとっ飛びだ。
「はっ! お待ち下さいロデー姫!」
そして同じく人魚近衛隊があとに続き、扉を越えていくので、タイチは頭を抱えてしまう。雑草が吹き飛び、木が倒れ、小鳥やウサギたちが逃げ出す混沌な様子に庭が変わっていくのだ。ウンディーネが近衛隊により召喚され、魔法が飛び交いウサギを捕まえようとする。
「あ~、お嬢はいつ覚醒するんだよ。そろそろ起きてくれ〜。この状況をなんとかできるのはお嬢だけだから!」
面白いことは好きだが、こんな混沌は求めていないと、困り果てて絶叫するタイチだった。
そう、アキ・アスクレピオスにはもう一人の人格があり、その人格は眠りについてから1年、未だ目覚めていないのだった。
今の目覚めている人格は通称『あ~ちゃん』と呼ばれている。幼女らしく善意の塊で無邪気で可愛らしい。
そして、もう一人の人格、通称『アキ』は別の世界『地球』から転生してきた。この世界をゲームの世界と認識し、悪役令息として悪逆非道を行っている存在だ。いなくてもよいのではと、紳士諸君はいうかもしれない存在だ。
転生してから僅か数日で山賊団を倒し、海の王国を救い、裏切り者たちを死という形で断罪した恐るべき者。狡猾にして、せっかちで、このゲームのストーリーを知っているからこそ、アカデミー入学まで1年間の時間が空いていたので眠りについたのだが………。
なぜか、目覚めていなかった。
ちなみにアカデミーの入学試験は明日である。




