24話 重苦しい空気を破る空気を読まない人はいる
ピスケス公爵家には重苦しい空気が流れていた。それはマノミが攫われたからではない。マノミがポセイドン王国から帰ってきて次の日となっているからだ。
当初は心配でピスケス公爵家は全力でマノミを探していたのだが、マノミが傷一つない状態で帰還してきて喜びに包まれた。
━━━マノミが興奮しながら海底神殿での冒険談を話すまでは。
「━━━それは本当なのかマノミ? ポセイドン王国が復活して、その王国の王女に助けられたと? そして………攫われた理由はマノミであったというのか………」
長く続く公爵家に相応しく、豪奢でありながら上品で落ち着く執務室にて、マノミの父親ピスケス公爵は頭を抱えて、苦難が訪れたと顔を歪める。マノミが助かったのは喜ばしい。そこに他の感情は入らない。が、それとこれとは別であった。まさか海底王国の王女を巻き込んだとは、想像の埒外にも程があった。木登りをしたら天界に登っていたと言われるのと同様だ。
「これは国際問題に発展してしまう。王女の護衛に助けてもらったまでは礼を言えば良いが、誘拐に巻き込んだのでは、礼どころか謝罪しても許されぬ。大変なことになるぞ」
ピスケス公爵家は名門だ。そして名門であればあるほど、騒ぎが大きくなることをピスケス公爵は経験から知っていた。今は王家と貴族の勢力間の均衡が危うい状態にある。そこに火種を放り込んだらどうなるか考えたくなかった。
「あなた、落ち着いてください。ポセイドン王国は昨日復活したばかりとの話ではありませんか。まるで御伽話のような話ですが、それならば他国の王女を巻き込んだと騒がれることもないでしょう。これから誠意を見せれば良いと思いますよ、ね、そうでしょうマノミ?」
テトラ公爵夫人は優雅にカップを持ち上げてゆっくりと紅茶を飲む。最近のお気に入りである張りのある手の甲をわざと見せて若々しさをアピールするような所作だが、上品で公爵夫人にふさわしい。
「は、はい。ですけれども、付き合いは無理かと思います。ポセイドン王国は海中深くにありますし、再建は始まったばかりなのです。外に目を向ける余裕はないですし、地上の国のようにお金や資材での支援は難しいかと存じます」
なんとなく圧力を感じて、マノミは少し焦りながら答える。と、テトラ公爵夫人の手がピタリと止まる。
「………まさか交易はなさらないつもりなのかしら? いえ、しばらくは交易をしないつもりだとでも? 『水霊の祝福水』は? まさか手に入らないなどということはありませんわよね?」
テトラ公爵夫人にとっては、なにより大切なことである『水霊の祝福水』。それが手に入らないなどと考えられないと凄みを増して、その瞳に恐ろしき光を灯らせて、マノミに詰問する。その姿にピスケス公爵は震えて肩を縮こませ、マノミもソファに背中を押し付けて後退るが、それでも預かっていた手紙を取り出す。
「それは?」
「これはロデー王女に貰いまして、実は━━━━」
そうして、マノミはロデーから貰った手紙の内容を話し、テトラ公爵夫人は迷わずに了承するのであった。
◇
━━━時間はアキとマノミが王都に戻ってきた時に戻る。
アスクレピオス侯爵家の王都の屋敷はその貧乏な暮らしに比べて、かなりの広さを持つ。在りし日の栄華を残すように、本来の侯爵家に相応しい庭と屋敷を持っている。これは王国法で定められていて、高位貴族は王都での屋敷は必ず指定された場所になければならないという細かい法律のためである。
昔、真偽のほどは不明だが、金持ちでもない男爵家が公爵家並みの広さを持つ屋敷を持っていたが、蓋を開けてみれば、隣国のスパイで、その屋敷はスパイたちの拠点及び武器の集積所になっていたからだと言われている。男爵家レベルだと無数に存在し、王国では把握しきれないのが弱点となっていたのだ。
その時に王国法を制定した者は、まさか侯爵家が没落し、爵位を残したまま困窮して暮らすことにはなるとは思いもしなかったのであろう。
そして、その例外がアスクレピオス侯爵家である。悪さをしていないため、貧乏だから爵位を返還しろとは王からは言いにくいことから、侯爵家は無駄に広い侯爵家の土地を持て余していた。
噴水は泥で詰まり、単なる泥の山に見えるし、庭の草木はぼうぼうで、時折うさぎが顔を覗かせる。屋敷もほとんどの部屋が木窓により閉鎖されており、使っている部屋以外は掃除もしないため、蜘蛛の巣は張ってるし埃だらけだ。廃墟も同然だが、魔法付与されているため、屋敷自体は崩壊せずにいるのがまた悲惨さを増していた。
「うひゃー、ユーレー屋敷かな?」
「お嬢………門番がいないから中に入ることができないんですが………。え、これ蔦が雁字搦めになってて、外れませんぜ?」
広い侯爵家が放置されているとこうなるという見本のような幽霊屋敷状態にドン引きのアキ。そして、門を開けようとして、タイチがふんぬーと気合を入れても蔦だらけで開けられない。騎士級で開けられないって、どうなってるの?
「シィ、念の為に浄化の魔法を」
「いえ、アキ様。この門は飾りでございます。本命はこちら、この通用口を使って中に入るのです」
早くもイベントかな、幽霊屋敷クエストかなとワクワクする幼女に、中年男性が声をかける。
「おぉ、ありがとう、ジェイ」
その男の名はジェイ。元はアスクレピオス侯爵家の執事で、今は網元をしている男だった。ポータルテレポートのスクロールで連れてきたのである。
使い切りのポータルテレポートのスクロールは百人まで魔力ゼロで運べる魔法だ。ただし行ったことのある街や村、ダンジョンに限るけど。道端や森林内とかは無理だけど、便利な魔法だ。
ふふふ、ポータルテレポートが欲しくて、出やすいノーマルガチャをさらに一万ポイント追加してガチャをしたのだ。お陰で8枚もスクロールがある。日頃の行いだね、ちくせう。残りのガチャの結果? 米や醤油には半年は困らなくなったよ。
たしかに通用口は通れた。一応掃除されていたのだ。道は獣道だけどね。
「あの……アキ様。私は憧れの王都、しかも貴族街の侯爵家のお屋敷に来てるんですよね? どこかの寂れた幽霊屋敷を探索に来たんじゃ、アダッ」
あたりを見回して、ドン引きするメイドにジェイが鉄拳制裁。頭をゴチンと殴るとじろりと睨む。実の娘なのに容赦がない。いや、実の娘だからだろうか。
「主家のお屋敷に対してなんという失礼な発言をするのだ。ケイよ、お前は少し教育が必要のようですね?」
「え? えーと、なんて素敵なお庭でしょう。独創的で毒草も生えていそう。このツタは侵入者を捕まえる人食いツタかしら? あそこには街中なのにうさぎが巣を作っていますわ。王都でこんなに素敵なお庭は初めて拝見いたしましたわ」
アホなメイドはあれで褒めているつもりなのだろう。でも、否定はしないよ。だって、王都の貴族街だよ? 洗練極まりない街中に、自然あふれる屋敷があるのだ。これ、アキの両親も大変だろう。馬鹿にされて蔑まれるのは当たり前、虐めにあっていてもおかしくない。
正直うつ病になっていてもおかしくない。まだ会ったことのない両親だが早くも暗雲が漂い、心配になってきたアキ。
『あ~、ちょーちょだよ、ちょーちょ、あ~ちゃんにかわって! こーたいして!』
自然あふれる庭の草木に、ヒラヒラと綺麗な翅の蝶々が飛んでいて、あ~ちゃんは大興奮だ。そういえば、浜辺の街には蝶々は潮風が嫌がられるのか見なかったし、王都に来るまで爆走特急ヒャッハー便で走ってきたので外を見る余裕はなかった。なので、あ~ちゃんは珍しいのだろう、珍しく我儘を言う。
「ちょーちょ、ちょーちょ、おててにのって〜」
可愛らしい幼女の頼みだ。交代すると、ふんふんと鼻息荒くあ~ちゃんは駆け出して、雑草が鬱蒼と生えた草むらに突撃しようとする。あぁっ、服が汚れてしまいます! と洗濯するのがめんどくさいメイドが悲しげな悲鳴をあげるが、暴走幼女は気にせずに草むらに手を伸ばして、ひょいと抱っこされてしまう。
「あらあら、こんな所に子供が。ここになにしにきたのかしら、いたずらっ子ちゃん?」
ちょーちょが行っちゃうと、手をブンブン振る幼女を抱きかかえて、優しく頭を撫でてくるのは、老齢のお婆さんだった。だが背筋はピンと伸ばしており、老いを感じさせない女性だ。古びたメイド服がやけに似合っている優しそうな人だ。
「これは珍しい客だ。ジェイにケイではないか」
もう一人、草むらから野菜の入った籠を持って、作業服を着たお爺さんが出てくる。やはり背筋を伸ばし、年齢を感じさせないどころか、目つきは鋭く何やら気迫みたいなオーラを纏わせてもいる。
「これは父上、母上、お久しぶりでございます」
「えっと、お爺さん、お婆さん。お久しぶりでございます」
穏やかに笑みを浮かべて礼をするジェイと、緊張し、カチンコチンになって頭を下げるケイ。その言葉から、老齢の夫婦がジェイの両親であり、ケイの祖父母だとわかった。
「お嬢様、二人は私の両親であり、当主様に使える執事と侍女となります」
「鍛えているから、護衛もできるんだよ。拳骨がとても痛いの。私は怒られる時は鉄兜をかぶると決めてアダッ」
小声で余計なことを口にするメイドは学習能力がないようで、ゴチンと再びジェイに拳骨を落とされる。懲りない少女である。
「ええ、そのとおりでございます。私はアルクト・メイジャと言います、お嬢ちゃん。妻の名前はスゥ・メイジャ。よろしくね」
「あ~ちゃんです! んと、じゅーよんしゃい?」
自己紹介できたよねと得意気な顔のアキを見て、優しくアキの頭を撫でてくれて柔和な笑みになるアルクト。頭を撫でられて嬉しくなったあ~ちゃんが自己紹介をしてしまう。だが、意味がわかるまいと、オッサーンは幼女の奥に住み着いてあくびをしていたが、見事にフラグを建設した。
「スゥ? どうかしたのか?」
いつもなら礼儀正しく挨拶をする妻が黙りこくっているので、アルクトが心配になり声をかけると、スゥは大きく目を見開き、動揺で声が掠れる。
「まさか………そんな………わからないの、あなた? この子は、この子はアキ様ね! 呪いが解けたのね、ジェイ。だから王都に連れてきたんでしょう? 間違いないわ、私が産婆をして子供を取り上げたんですから」
一発でアキの正体を見抜くスゥに、言葉を失う面々。そしてスゥはアキを抱えてその隙に離脱すると、屋敷へと走り出す。
「奥様! 大変なことが起きましたよ!」
そうしてスゥはアキを抱えたまま、猛然と駆け出していくのであった。




