11話 アスクレピオス領都
アスクレピオス領の領都と一応は名付けられている浜辺町。侯爵領都として、人口5000人の街として存在するが、これはかなり変な話らしい。普通の侯爵家の領都は十万人を超える人々が住んでいる大きな街だとか。
ケイはそんな大きな街に行ったことが無いので想像もつかないが、そんな大きな街があるなんて思えない。からかわれているんではないかと疑っている。元侯爵領都は十万人を超えている大都市らしいが行ったことはない。
父さんが領都を侯爵家が取り返すまでは行ってはならん! とか言って連れて行ってくれないのだ。不満だけど、どうせ貯金もないし、行くことはできないと分かっているので諦めていた。
王都に行ってみたいとは思うけど、どれだけ大きいか想像はつかない。夢ではあるが寝てみる夢に近い。たぶんアキ様の住んでいる大きな屋敷が3軒はあるんじゃないかと思ってる。
「お、ケイちゃんじゃないか。もう今日は仕事はおしまいかい?」
「まーだだよ〜。アキ様からのご指示で父さんの所に行くところ〜。新鮮なお魚食べたいんだって〜」
「そりゃ珍しい。良い魚が今日は捕れたから高値で買ってってくれ」
「おいおい、貧乏なんだから安くしてやるところだろ」
塩っ気のあるザラザラした土の道を歩き、ケイは知り合いのおじさんに声をかけられて、笑って手を返す。舟から帰ってきたおじさんたちは日焼けして強面の海の男だ。
もう仕事は終わりなんだろう、将棋をしてくつろいでいる。二人が団扇を仰いで涼みながら将棋をして、周りで他の人達がお湯を飲みながら観戦している。ここでお酒を飲めれば最高なんだろうけど、お酒は高いのでいつも飲むことはできないのだ。それはいつもの平和な光景だった。
アキがこの光景を見たらなんで将棋があるんだよと、むきゃーと騒ぐのだが、このゲームに関して小物周りは適当な運営は将棋やチェス、トランプにリバーシなどがある世界設定にしていた。時折あるミニゲームに使うためだとも、プレイヤーには言われていたが、もちろんそんなことはケイは知らないので、違和感を覚えない。
現代人のリバーシによるテンプレ金稼ぎ手段は封印されていることになる。さらには日本語に英語となんでもござれなのは、古代語だからとの設定をされていたので、後にアキは読み書きには困らないことに安堵することになるのだが、それは別の話。
たった5000人、されど5000人の浜辺町は数軒のお店がある。潮風のためろくに取れない作物は高く、商人も1年に一度くらいしか訪れないので品揃えは悪い。
それでも何人かのおばさんが買い物に来ており、暇なのか井戸端会議をしておしゃべりを楽しんでいる。今日のご飯はいつもの焼き魚なのよとか、お酒を夫が隠していたから全部飲んでやったわとか、買い物よりもおしゃべりをすることが目的だ。店主も売る意欲などなく、おしゃべりに加わっているから、今月の生活費は船に乗って稼ぐことになるだろう。
少しなだらかな道をトットと小走りになりながら歩き浜辺に入ると、子供たちが網を直している横を通り過ぎる。
「お、ケイだべ。どしたん? またアキとかに無茶言われたんか? あんまひどいねら、俺がガツンといってやるよ」
干物作りのために魚を捌いている人たちの中で、ケイと変わらない年の男子がケイを見つけて近寄ってくる。多少顔が赤く、漁師をやって鍛えられた自身の力をアピールするためか、いつもその言動は荒っぽい。そして、ケイを見つけるといつも絡んできて少しウザいので苦手な相手だ。
「あんた、アキ様に会ったことないでしょ。別に無茶なことは言われてません」
アキは屋敷に引きこもり、小さな街であるのに見たことのある人は少ない。ただ、小太りで乱暴な少年だとの噂が広がっていた。………まぁ、一昨日までは本当のことではあったが。
己の境遇を呪い、屋敷に引きこもり、ケイに暴力を振るってきたし、最近は性に目覚めたのか、ケイの胸などを舐めるように見てきたし、少し身の危険を感じていた。鍛えてもいないひょろひょろパンチは痛くなかったが、殴る際にさりげなく胸を揉もうとするので、嫌がるふりをして裏拳を噛ますのが日課だった。身の危険を感じているのはどっちかというとコブターンの方だったかもしれないが、噂は少し合っていた。
「会ったことはないけど噂は聞いてるぜ? だいたい海の男になるんなら、俺たちと漁に出ねぇと駄目だろ! 色白のもやしっ子じゃ網元には認められねぇな! そんな奴より、その、なんだ、オラと所帯を………」
「ヒューヒュー、頑張れ〜、もう少しだぞ」
「聞いてるぜ、ケイはそろそろ落ちるべさ」
口ごもり赤くなる男子にため息しか出ない。冷やかしなのか、応援しているつもりなのか、周りの男達が囃し立てる。外堀を埋めるために男子がお願いしているかはわからないが、ケイに気があるのはたしかだった。だからこそ、これっぽっちも気がないケイにとっては困る。小さな街だ。ここで手酷く振ると後で何を言われるかわからない。
「いい加減にしろ。私の娘に求婚するのは百年早い」
ガンと男子の頭を殴る初老の人の乱入で、ケイの悩みは解消されるのだった。
「痛え、つつ、網元、だってこれからもケイはあの領主の息子にひっついていないといけないなんて可哀想じゃ、いで」
「アスクレピオス侯爵家に仕えるのは私たちの使命だ。失礼なことを口にするのではなく、さっさと壊れた網を直してきなさい」
「は、はひっ、わかりました!」
さらに余計なことを言って、強く殴られる。網元、というかケイの父親はいつもよりも怒っているようで、怒りを露わにしているのではなく、冷たい視線を向けているので、その怒りの深さを感じとった男子はコクリと頷くと這々の体で仲間の所に戻っていくのであった。
「どうしましたか、ケイ。まだ仕事の時間なはずですが?」
日焼けして、細身であるが鍛えられた体で、網元であるのに丁寧な物腰の男性。元アスクレピオス侯爵家に仕えていた元執事のジェイ・メイジャ。ケイの父親である。代々アスクレピオス侯爵家に仕えていた家門で、今も再興を信じてケイをアスクレピオス侯爵家に薄給で送り込んだ人でもある。
「父さん、アキ様からのご指示があって、魚を買いに来たんだ。ほら、これがお金だって。このお金があれば壊れそうな船も修理できる?」
「金貨!? このような大金をどうしたのですか? アスクレピオス様が仕送りなさったのでは?」
ケイがなんでもないふうに金貨を渡すと、その黄金色の輝きに度肝を抜かれたジェイは、こんな金貨がでてくること自体信じられずに、ケイの肩を掴んで険しい顔で問い詰める。それだけ金貨の価値は大きい。円にすると十万円といったところだろうか。
網元となったジェイの稼ぎは、小さな浜辺町で現金収入が少ないこともあり、月に銀貨三枚程度。円にすると三千円といったところか。少なくとも魚を買ってこいと気軽にポンと出せる金額ではない。
それならばなぜケイが平然としているかといえば、金貨の価値を知識上でしか持っておらずに、現実に見てもピンとこなかったからだ。普段使いは銅貨であり、時折大きな買い物をするために銀貨を使う程度。小学生が一万円札を自分の手の届かない大金だと羨んでも、百万円の札束だと、ふ~んといった感じでお金とすら認識しない感覚に近かった。まだまだケイは子供なのだ。
代官は金貨を扱う機会が多々あり、元アスクレピオス侯爵家の執事長であったジェイも過去には金貨を扱っていたこともあるので、その価値を知っていたのである。
「えっと………アキ様はお金を稼ぐようになったの。で、そのお金がこれなんだ」
父の反応からまずいと思ったケイはどうやらものすごい大金なんだと気づいて慌てて言い繕う。それを聞いたジェイは感動しきりといった感じで目頭を押さえて口元に笑みが浮かぶ。
「なんと………あのアキ様が。成長なされたのですね。嬉しい限りですが、少しでも借金返済のためにそのお金は貯めておくように注進しなさい、それもまた家臣の務めです。注進ができなかったために今のアスクレピオス家はあるのですから」
ジェイはここまで借金が積み重なる前に先代当主を止めるべきであったと後悔していた。大身であるアスクレピオス侯爵家を食い潰すなど当時は思いもしなかったが、先代当主はたった一代で食い潰してしまった。どこかで止めることができればと今でも悔やまれる。ジェイの両親はその悔しさを最後まで口にして亡くなったものだ。
だからこそ、金貨1枚でも大切にしなくてはならない。アカデミーに入ったらなにかと金がかかる。融資をしてくれる貴族を探すためにも社交界に顔を出さねばならぬのだ。金はいくらあっても足りないだろう。
「え~と、その〜、アキ様は傭兵団を雇って昨日チュートリ山賊団を討伐したんだ。だから金貨はたくさんあるよ」
金貨を使うことを案じる父親に、フォローのつもりで爆弾を放り込むメイドである。その爆弾はもちろん大爆発を起こし、ジェイは目を剥いて詰問する。
「あの悪名高きチュートリ山賊団を討伐しただと!? 近隣の騎士団でも無理であり、悩みの種であったのに!」
「う、うん。アキ様が傭兵団を率いてあっという間に討伐したの。それでたくさんの金貨を手に入れたんだ。その金貨がこれ」
「な、なんということだ! 私もアキ様の初陣に加わりたかった……。ケイ、なぜ教えてくれなかったのです。アキ様は立派におなりなったのか………あの忌まわしい事件を克服して……」
高位貴族の執事として、万が一の護衛もできるようにジェイは戦士としても戦える。なので、戦いに加われなかったことを激しく悔やんだ。
まさか、幼女になって、速攻で外に出て山賊団を討伐しにいきましたとはいえないので、ケイはアハハとから笑いで返す。
「うん、身体はシュッと痩せたかな」
ちっこくなってイカっ腹になりました。
「目つきも変わったし、性格も変わったよ」
ぱっちりおめめになり、性格は苛烈になった。
「人が変わったんだ。それはもう間違えたよ。いや、見違えたよ」
可愛らしい幼女になりました。
嘘はいってないよねと、ケイは冷や汗をかき、アスクレピオス家に弱いジェイは泣いて感動した。
「そこまでご立派に………」
ジェイはアキ様が活躍したシーンを思い描く。たった一人で傭兵団の拠点に入り込んで、報酬は山賊団を倒した際の財宝でと、命をかけた交渉を行い、傭兵団がこいつ年若い少年なのになんて肝っ玉だと感心し、雇われるのだ。その数は百人。そうして勇敢にも先頭に立ちを討伐する。まさに英雄譚である。
実際はガチャで出たからと、テテテと街を飛び出て、たった十二人で山賊団を討伐したのだが、ジェイにそれを想像しろとは無理であろう。
「うん、だからさ、美味しいお魚を持っていこうよ、ほら、あの魚とか美味しそう」
話をごまかすためにも、ケイが海辺を差すと、パシャパシャと水面に魚が跳ねる。
「ふふ、そうですね。あの魚を獲ってもいいかもしれません」
ジェイが嬉しげに海辺を眺めながら呟く。立派になった次代当主のことを誇らしげに思っているのだ。
パシャパシャと魚が跳ねて、銀色の鱗が陽射しを照り返す。
「うん、あの魚なんか良いと思うよ。たくさん持っていこうよ」
うまく誤魔化せてたかなと、父の隣で海辺を眺める。たっぷりと脂の乗った魚をお皿に乗せて食べてもらうのだ。
パシャパシャと跳ねる魚たちを見て、ケイも優しい心になる。
あれはアジだろうか、今のはシマダイかな、初めて見るけどあれは幼女人魚かな。
幼女人魚?
青い髪に目にはバイザーをつけていて、耳はヒレのようになった下半身が魚の幼女が水面にピチピチ跳ねていた。
どう考えても偶然ではない。姿形は違うけど、あんなことをするのは一人しかいない。幼女である時点で真っ黒だ。
「ピチ? ピチピチピチピチ」
幼女人魚はケイに気づくが無視して、浜辺を離れて街から離れていく。
「アキ様〜! なんで人魚に変身してるんですかぁぁぁ!」
優しい心はどこへやら、ケイは慌てて幼女人魚を追いかけるのであった。
 




