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乱舞るロンドはエンドを望む  作者: 佐久良 明兎
5章 例によって騒々しい日々
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早々アラルガンド(1)

――2005年9月9日。




 耳馴染みのある音楽に背を向けながら、春は自分の影法師を横目に校門を出る。雨上がりの空気を吸い込んで、彼女は思い切り伸びをした。


 秋の訪れを告げる台風は、舞橋市を襲う前に熱帯低気圧に変わり、授業中にざんざかと雨を降らせていたが、放課後にはからりと晴れ上がっていた。西の空は見事に赤く染まっている。明日はきっと晴れるのだろう。

 九月と言えどまだまだ残暑は厳しい。だが気が付けば蝉の鳴き声はなりをひそめ、代わりに足元から虫の鳴き声が響き始めていた。


 放課を告げるメロディに促され、春は一人で下校するところだった。いつも一緒にいるメンバー、潤や奈由に杏季は、本日それぞれ塾があるため別行動だ。夏休みが終わり、いよいよ受験モードは本格化しつつあった。

 春もまた自習室にて黙々と勉強してきたところだった。勉強ははかどったが、集中して取り組んだためか疲労感が大きい。


 まだ辺りは明るいが、三十分もしないうちに日は落ちるだろう。このまま寮に帰れば明るいうちに部屋に辿り着けるが、少しばかり寄り道したい気分だった。折しも今日は金曜日である。門限さえ守れば問題ない。

 本屋かどこかにでも足を伸ばそうか、と思案したところで、ふと春は足を止める。見慣れぬ人物の姿が視界に入って来たからだった。

 校門から数十メートルほど離れた場所で、腕組みしながら電信柱に寄り掛かっていたのは、この辺りではあまり見かけない制服を着た男子高校生だった。


 濃紺のチェックのスラックスに、同色同柄のネクタイ。それらは落ち着いた色合いであるものの、羽織っているのが白いブレザーであるため否応なしに目立つ。珍しい制服であるが、特徴的なそのデザインには見覚えがあった。

 舞橋女子高校よりずっと北にある私立高校、紅城学園こうじょうがくえんのものである。

 涼し気な表情で立っているが、紅城学園からここへは徒歩で来られる距離ではない。それに紅城学園の周辺はそれなりに栄えた街になっており、多少の用事であれば学園周辺で完結するため、生徒が舞橋市街までやって来ることは滅多にないのだ。まして住宅街の中にある舞橋女子高校の近辺へ用があるとは思えない。


 誰かを待っているのだろうか、と不思議に思った春がその男子高校生を眺めていると。

 顔を上げた彼と、不意に目が合った。


「畠中春さん。

 ……で、合ってる?」


 まさか話しかけられるとは微塵も予想していなかった春は、びくりとして目を見開く。

 しかし表面上は平静を取り繕って、春は彼をじっと見返した。


「そう、ですけど。何で私の名前を?」

「良かった、本人だった。間違えたらどうしようかと思った」


 春の質問には答えず、彼は安堵したような口調で言う。腕を解き春の目の前まで歩み寄ると、彼は涼しげな表情を崩さぬまま春を切れ長の瞳で覗き込んだ。


「突然すみません。ちょっと、話したいことがあって」

「話したいこと……って、そもそもあなた、どちら様ですか?」


 困惑して春が尋ねた。

 彼は何食わぬ様子でさらりと告げる。


「紅城学園高等部三年の影路かげろ深月みつき

 はじめまして」

「か」


 言いかけて、春は息を飲む。

 彼の苗字には、寒気がするほど聞き覚えがあった。



――『影路』、宮代君が前に言ってた御三家……!



 数日前、竜太から聞かされた話が脳裏を駆け巡る。


 『影路には気を付けろ』

 『何を考えているか分からない』

 『何人かは行方不明になった――』


 不穏な情報が脳裏をよぎり、春は一歩、無意識のまま後ろに後ずさった。

 よりによって彼女は現在、一人である。これでまだ潤たちが居れば少しは余裕があったのだろうが、友人はおろか他の生徒たちすら周りにはいなかった。あれだけ竜太から話を聞かされた後とあっては、真っ向から対峙する度胸はなかなか湧いてこない。


「あ。その様子だと、ひょっとしてひょっとしなくても、うちに関する情報が既に吹き込まれてるって訳かな。あー、それは面倒くさいな」


 特段、気負うでもなく軽い口調で彼は呟いた。


「ま。警戒するのも分かるけど、別に俺は君に危害を加える気は無い。ちょっとだけ。ちょっとでいいから、話をさせてもらえないかな」

「えっと……」


 流石の春でも、上手く言葉が出てこない。突然の展開に、脳が着いてきていないようだった。

 こうなったら一か八か、走って寮まで逃げ切るしかないかと春はひっそり鞄を握った手に力を込める。

 彼女が目線を深月に据えたまま、じり、と後ずさった時。


 ぼす、と背後に柔らかい壁が当たった。



「おっと。

 背後には気を付けなきゃいけねぇなぁ、畠中春女史?」

「な」



 何という厄日。

 と、またしても彼女は言葉を飲み込んだ。


 前門の虎、後門の狼とはまさしくこのことを言うのだろう。

 春は自分の肩越しに、高神楽たかぐら文彦ふみひこを見上げて戦慄した。


「やあやあ、影路の坊ちゃん。息災そうで何よりじゃないか。君の愉快なモルモットたちは今日も元気かい?」

「こりゃどうも、高神楽の。お陰さまでアホ程も元気だよ。

 そっちこそ相変わらずふざけてますね」


 深月は眉を寄せ、感情を込めない声色で淡々と答えた。高神楽文彦の登場は彼にとっても予想外だったらしい。

 予想外がダブルで押し寄せた春としては、状況が全く飲み込めないままに成り行きを見守るしかなかった。そもそも文彦に両肩を掴まれている為、逃げるに逃げられないのだ。ここで下手に理術を使うのも得策ではないと思えた。


「それで。一体、何の用向きですか」

「判ってるだろう、牽制けんせいだよ。オレの大事なモルモットに縄を付けに来たんだ。逃げ出したり飛び出したり、攫われたりしないようにね」


 文彦は右腕を春の口元に回した。春は反抗の声をあげるが、むぐ、と声はかき消される。

 至って冷静さは失わず、深月は慎重に言う。


「俺は、彼女と少し話がしたいだけなんですけどね」

「聞いてなかったのかい、影路の御曹司」


 ふざけた口調ながらその中に有無言わせぬ強さを含め、文彦は腕に力を込めた。


「どこで嗅ぎ付けたか知らないが、聞いたのならば知ってるだろう。概要状況情報を総合して考えりゃ、彼女が決して手を出してはいけないテリトリーに居ると察してもいいものだけれどね。

 非情に残念しきりなことに、影路の出る幕はこれっぽっちも存在しない。この子は高神楽の手中にある。

 お前が手を出すというのなら、なるほどオレは相応の手段を採らざるを得ないと宣言しておくけれどねぇ。重々に十二分に影路の御曹司は承知している筈だろう、高神楽の範疇に影路が手を出すというのなら、それはつまり《《そういうこと》》だ。

 なかなかどうして着眼点は優秀だったと褒めてやりたいところだが、しかしそもそもたかが一般人の有望株なんざ、本来あんたにゃ不要だろうが。生かされも着飾れもしないところに貴重で大事なオレの人形を譲る理由がどこにある。

 なぁそうだろう、影路の。彼女はオレのものだ」


 深月はがりがりと頭をかくと、はあ、と傍から聞いて分かりやすいため息を吐いた。


「……分かったよ。消えればいいんだろ」

「素直で助かるねぇ、影路の」


 したり顔で文彦は笑う。

 深月は手にしていた鞄を肩から掛けると、二人を一瞥して静かに立ち去って行った。




 深月が完全に道の向こうに姿を消すのを見届けてから、文彦はようやく春を解放する。


「やあ、畠中春女史。意外と胸が大きいね?」

「この状況でこのタイミングで吐く台詞がそれですか!?」


 ばっと勢いよく春は文彦から離れた。


「つぅか普通にセクハラですけど!? 何考えてんですかこの変質者、学校に取って返して職員室に駆け込んでやろうか!?」

「つれないねぇ、ホンのジョークじゃないか。助けてやった人間に対して随分と冷たいねオレは秋の涼風に吹かれながら心が凍えそうだよ」


 悪びれもせず文彦は両手を広げてみせる。

 値踏みするような眼差しで、春は目の前にいる高神楽文彦を見上げた。


 彼女は文彦と初対面ではない。

 しかし面識がある、と言えるかどうか怪しい程度の関わりしか無かった。


 夏休みの最終決戦にて彼が名乗りを上げて登場した時には、春は廉治ことビーのところに居たため、まともに話をしていない。春が文彦と関わったのは、花火大会に行く前に窓から見かけたことと、杏季が連れ去られる直前に道端で言葉を交わした程度。全てが終わってから他のメンバーに話を聞いて、彼の立場を認識しただけだ。

 顔が知られているのは驚かないが、何故、彼はわざわざ深月と春との邂逅かいこうに割って入ったのか。しかもだいぶ不穏な台詞をもってして文彦は深月を追い払っている。


 またもや春は竜太の話を思い出す。

 彼は高神楽から狙われる理由はないとは言っていた。ただし、文彦と直彦、あの兄弟がどう動くかは分からないとも言い添えている。

 春は慎重に口を開く。


「……助けてくれたのは、素直にありがとうございました。

 けど、どうして都合よくあのタイミングでここに」

「そりゃ君をストーカーしてたからに決まってるだろう」

「ストー……は?」

「『は』じゃなくて『か』」

「いやそういう意味じゃないです、ってかどういう意味ですか!」

「どうもこうも、額面通りの意味だよ春女史。君が好みのタイプだったから目を付けてた」

「いやいやいやいやおかしいでしょうよ待ってさっきの影路よりこっちの人の方が危ない気がしてきた」

「そしたら悪の魔王に手を出されそうになっていたからこりゃあいけないと思って白馬の王子が如くさっと華麗に姿を現して助けに来たって寸法さ!」

「すいませんあなたのが魔王っぽく感じるんですけど気のせいですか!?」

「さあこのオレが放つマイナスイオンで優しく包み込んであげよう」

「さっぱり癒されないし危機感しか感じねぇ!」

「全身お兄さんに身を委ねてくれて構わないんだよ!」

「この変質者!」

「褒めてくれてありがとう!」


 今度は別の意味で警戒した春である。

 潤たちから食えない人物だという事は聞き及んでいたが、実際に話してみて、春は身をもってその意味を知った。

 些か頭痛を覚えた頭を抱えながら、春は本題に戻す。


「さっきの話の、……私は高神楽の手中にあるって、どういうことですか」

「それもそれで額面通りの意味だよ。君は高神楽側の手中にある。何も間違ったことは言っちゃいないさ。

 緘口令かんこうれいを敷いたという時点で、君たちは高神楽から消極的に保護されているようなものなんだからな」


 文彦は被っていた黒いハットを外し、指先でくるりと回した。

 にわかに真顔になった彼は静かに春へ告げる。


「俺がどうとか、高神楽がどうとか、そっちの話はさて置こう。

 しかしDDの研究部門には本気で関わらない方が良い。だったら冗談抜きで、高神楽に組する方が余程もマシだろうよ。単体でまともな人物だったからって、そいつの周りにいる奴がまともな頭をしてるとは限らないからな。

 俺の言う事なんざ一片たりとも信用ならないだろうが、これだけは本当に親切心から忠言するよ」


 回した帽子を空に放り投げ、頭上でそれをキャッチする。

 帽子を被り直し、文彦は春に背を向けた。


「そういうことだよ子猫ちゃん。不審な輩にゃ気を付けな」

「じゃああれはホントにただの脅しで、影路への牽制だったってことですか」

「それは」


 口元で人差し指を立てながら、文彦は笑みを浮かべて振り返る。



「オレが君に手を出す前の、時間稼ぎかもしれないぜ?」



 にやりとした笑みを残しながら彼は、ふっと姿を消した。数回瞬きして辺りを見回すが、既に文彦の姿はどこにもない。そういえば彼はいわゆる超能力を使う術者だったか、と春は思い返す。

 春は肩で息をして、盛大にため息を吐いた。


「……つっ、かれた……」

「そりゃ、無理もないな。妖しい輩に二人も鉢合わせたんじゃ」

「ホントに……ふへっ!?」


 すぐ近くで声が聞こえ、春は裏返った声をあげた。

 いつの間にやらすぐ後ろに立っていた深月は、先ほどの文彦の様に口元で人差し指を立てる。


「大声はあげないでもらえるかな。またあいつが出てきたら厄介だ。できれば彼奴きゃつとは、顔を合わせたくないもんでね」


 しれっと深月は言った。春は訝しげな表情を目いっぱいに浮かべながら彼を睨みつける。


「……さっきの話で決着がついたんじゃないの」

「ま、ま、ま。それはそれ、これはこれ。

 ケリはついたよ。高神楽が自分のだって宣言してる人に手を出すほど馬鹿じゃない。

 けど、俺だってこのまま手ぶらじゃ帰れないんだ。俺の身内に説明するための、理由付けをしてやらにゃ。と、いうわけで」


 深月は鞄を担ぎ直し、春を促す。


「口裏合わせをさせてもらおうか」


 彼の眼差しに曇りはない。

 迷いながら、春はポケットの中の携帯電話をスカートの上から握りしめた。

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