金貨5枚の依頼
レオンの前のテーブルに一つ、皮の鞘に収まった剣が置いてある。
「おら、これがおめぇさんの依頼の品だ」
どこか投げやりな言葉と共に、細かい傷のある無骨な手が伸びてくる。
「銀貨4枚な」
「ほいよ。にしても酷え顔だな」
ズボンのポケットから皮袋の財布を取り出し、その中から言われた硬貨の数を掴むと、おっちゃんに手渡す。
レオンから硬貨を受け取ったおっちゃんは、腫れ上がる顔を歪めた。
「痛む身体を這いながら、家に帰るとさらに地獄が待っているとは思わなかったぜ…」
どうやら、アンナさんはあれだけでは許せなかったらしい。
折檻の事を思い出したのか、おっちゃんは身体を震わせる。
その様子を見て、なるべくアンナさんを怒らせないようにしようと考えながら、レオンはテーブルの上の剣を手に取り腰紐に括り付ける。
「そうかい、それじゃこれからは、ムフフは少し控えとけよ」
何気なく呟いた言葉。しかし、おっちゃんにとっては譲れないことであったようで、先程までの態度とはうって変わり、テーブルを叩き声を荒げた。
「アホかレオン。そこをすり抜けてこそ、さらに燃えるんだろうが!」
レオンの支払った硬貨を強く握りしめ、天井を見上げる。
『アホじゃ、アホがここにおる…』
呆れたクラウの言葉に内心で同意しながら、レオンはおっちゃんの後ろに人影が見えた。
「おい、おっちゃん」
「レオンちゃんと俺の話を聞け。何事もな、壁が高ければ高いほど燃えるもんなんだ。なぜなら、それを超え、桃源郷にたどり着いた時に得る達成感と充実感があるからなんだよ」
「いや、今のあんたの状況だと、恐怖感と絶望感しかねぇよ」
「はぁ?何言ってんだ、お」
「ほう、つまり、私は壁ってことかい?」
この世を凍らせるかのような冷たい声。
その瞬間、おっちゃんの顔は感情を何も映さない真顔になる。この後に起こりうる事を瞬時に理解したのだろう。
その姿を見てレオンは、何も言わずに店を出た。あの状況では、余計な言葉こそ野暮である事をレオンは知っていた。
暖簾をくぐり外へ出ると、そこには天高く登りきった太陽が通りを照らしていた。心地の良い風が、体を撫でる。
腰につけた汚れが一つもない鋼剣が、太陽の光に反射し光輝く。
『良い天気じゃの』
『あぁ、そうだな』
雲一つない空を見上げ、陽気な気候を感じながら、活気付いてきた商店街を歩いて行く。
後ろで断末魔のような音が聞こえたが、レオンは振り向かなかった。
-金貨5枚の依頼-
新調した鋼剣を腰にぶら下げながら、レオンは今日の昼食をどこまで削れるのかについて考えながら歩いていた。
現在、レオンの資産は財布にある銀貨1枚と銅貨3枚と、先ほどの武器屋で銀貨4枚と銅貨9枚で購入した鋼剣。
予想以上に軽くなってしまった財布を、一度閉じもう一度開けてみる。
そこには変わらず、銀貨1枚と銅貨3枚しか入っていなかった。
レオンの現状について、一言で言えば金欠である。
『今日から、節約生活じゃな』
クラウの呆れた声が、人声で騒がしい商店通りの中ではっきりと聞こえた。
飯はパンのみで我慢するか、それとも今日だけはスープを付けるか。
レオンの中で、その二択まで絞っていた。
『おい、レオンそろそろ意識を戻ってこい。ギルドに着いたぞ』
クラウの声を聞き、視線が下を向いていたことに気づく。どうやら考え事に集中し過ぎていたらしい。顔を上げると、目的地である冒険者ギルドの前に立っていた。
「おお、いつの間に」
そんなことを言いながら、レオンはギルド内へ足を進めていく。
相変わらず、ギルドは人と活気にあふれていた。
武装をした複数人の冒険者が、固まって話している。真剣な表情から、これから依頼で受けるのだろうか。
酒場のスペースで、酒を飲みながら楽しげに、時には怒鳴り声が聞こえてくる。自慢話や喧嘩でもしているのだろう。
今日、レオンが冒険者ギルドに来た目的は、昨日ギルド長から話のあった剣術指南について依頼主の貴族様と話し、正式に受注する手続きをするためである。
その手続きのためにレオンは、いつもと変わらないギルドの中、人を避けながら受付のある場所に向かう。
すると、受付の前に見知った人物が、両手に書類を持って立っていた。
「お、レオンくん」
ギルドの喧騒の中でも、よく通る元気な声が届く。そしてレオンは受付に近づき、声をかけてきた人物の名前を呼ぶ。
「よ、クリスちゃん」
レオンにクリスと呼ばれた少女は、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「おう、クリスちゃんだ」
そう言いながらクリスは、器用に書類を持っていた右手をポケットに入れ、肩口で揃えた茶色の癖っ毛の髪を揺らしながら、銀色の懐中時計を取り出す。そのままクリスは、右手で時計の蓋を開くと驚いた表情を顔に浮かべた。
「おや、珍しい。ちゃんと時間通りじゃん」
明日は雨かもと呟き、クリスはポケットに懐中時計を仕舞う。
「おいおい、これでも時間とは、真剣に付き合っているんだかな」
「何言ってんの」
『何言っているのじゃ』
レオンの言葉に、呆れたような声が2つ上がる。
「依頼の指定時間があるものには、遅刻や遅延することがあることが多くて、よく報酬が引かれているのに」
『朝方、どんなに起こしても起きんくせに』
どうやらレオンの私生活や仕事については、クラウとクリスには筒抜けのようである。呆れたようなクリスの目と、脳内に響くため息がそれを物語っていた。
「…それでクリスちゃんは、おっさんまでの案内係ってことでいいのか?」
「そうだよ。でも、これをちょっと置いてくるから待ってて」
クリスは、両手に持つ書類に一度だけ視線を向け、受付の職員用のカウンター扉をくぐっていく。
クリスの言葉から、あまり時間はかからないだろうとレオンは予想し、受付に近い壁の側により待っていることにする。
すると薄い壁なのだろうか、受付の裏から声が聞こえてきた。
「エルちゃん、これ今日中にお願いね」
「え、ちょっとクリス先輩。いきなりなんなんすか⁈」
「何って、仕事だよー仕事」
「仕事って…他にも仕事あるのに、この量今日中には無理っすよ」
「えー無理っすか?」
「無理っす」
「…先日の依頼処理のミス。修正を手伝ったのは、誰だったかな」
「うぐっ」
「この前の大事な書類に飲み物をこぼしてしまった時、いっしょに頭下げたのは誰だったかなぁ」
「わ、わかったっすよ!今日中に書類を仕上げてやるっす!」
「仕上げてやる?」
「いえ、仕上げさせていただくっす!」
「ほんと⁈それじゃあ、エルちゃんよろしくね!」
レオンは、大量の何かがひとかたまりになって落ちたような音と、それと合わせるかのように、1人の女性の悲鳴が聞こえた。
「…」
『…』
少し時間が経ち、クリスは受付の裏から出てきた。
「レオンちゃんお待たせ。それじゃあギルド長が待つ応接室に行こうか」
朗らかな笑顔をしたクリスは、背を向け歩き出す。人混みの中を慣れた足取りで進む姿を見失わないように、レオンは後に続くように足を進めた。
クリス、フルネームをクリス・ハーネスと言い、このギルドの職員である。
人懐っこい笑顔が特徴的な可愛らしい女性であり、冒険者からの人気は高く、彼女の笑顔を見るためにギルドを訪れる人もいるらしい。
「レオンちゃん。早くしないと置いて行くよ?」
そして、あまり怒らせてはいけない人物である。
『…レオン、あまり遅刻はするなよ』
弱々しいクラウの声が、頭に聞こえた。クラウの小言について、いつもなら流していたレオンだが、今回は心の中で強く同意の意思をクラウに伝えていた。
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