番外編1
読んでいただきありがとうございます(*^▽^*)
時期は、事件があってから卒業パーティーまでの間となってます。
生ぬるい風と、頬をくすぐる感触に瞼を押し上げる。
飛び込んできた薄淡い萌黄色にがばっと体を起こし、昼間に浮かぶ月のように、白く丸い球に目を瞬いた。
遥か彼方からプリズムのようなものがキラキラと輝きを放って、あたしに降り注ぐ。
(え……これは……なに? 空? 空よね……? この光は何? 目がおかしくなったの? え、怖い……何かの病気!?)
周囲を見渡すと、稲のような色の草原がどこまでも続いていた。遠くには掠れて見えにくいが、王宮のようなものもある。
背後にずっしりと佇む太い木の幹は、人間が五人くらいは並べそうな横幅で、生い茂る葉の所々に赤、黄、紫、白など多種多様の形と色をした実が成っている。
(これは、何?)
「日本でも外国でもない……というか……地球、ですら、ない……?」
あまりのことに、愕然としていると。
「キリエさん!」
良く知った声が鼓膜を打って、勢いよく振り返る。
「っイブキくん!?」
安堵のあまり胸を撫で下ろし、涙が膜を張った。
飛び込んで来た体を強く抱きしめると、暫くしてイブキくんが顔を上げた。
「びっくりした……。変な夢みてるな~と思ったら、キリエさんがいたから……」
「夢……、これは夢なの? そうよね、夢よね。よかったわ……夢で……」
イブキくんもいるし、普通に会話できてる気がするし、妙にリアルな気もするけれど。それともこれって普通なのかしら?
「ふふふふ!」
「あはははは!」
「えっ? 何、今の声は……?」
天から女性の声が落ちてきた気がして空を仰ぎ、あたしは目を丸くした。
美しい少女が二人、鈴の音を転がしたような笑い声を上げ、宙を舞うように下りてきているのだ。
ふわり、と降り立った少女たちは側頭部同士をこてんとくっつけて笑い、金糸をふわふわさせながら追いかけっこを始める。
それはもう、楽しそうに。
(なんだかすごく……取り残されている感じがしますわね……)
あたしはイブキくんと繋いでいる手に、力を込めた。
「あー、これはまた特上の客だな」
(今度は誰ですの?)
遥か上の葉ががさがさと揺れ、どさっと何かが目前に降り立った。ふい、と上げられた、美麗であるのに凛々しさを感じる顔つきに息が止まる。
(見覚えが……あるきがするのだけど……でも、どこで……?)
「わたしはスカジ」
「あっ、あたしは松宮キリエです……」
「うむ」
「こちらは斎藤伊吹くんです」
「ああ」
あたしに向けたものとは違い、心から喜びを表しているような優しい眼差しをイブキくんに向けている。胸がちくりと痛んだ。
「スカジ様って……あのスカジ様ですか?」
「そうだよ」
イブキくんの問いに答えた女性は、温かい微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
お辞儀をするイブキくんに「ああ」と笑って背を向けた女性の背中には黄金の弓があって、驚いた。
(狩り……にでもいきそうな姿ではあるけれど……ううん、細かい事を考えるのは止めましょう。だってここは、夢の中なのだから)
後頭部で結んだ白髪を揺らしながら離れていく女性は、そばを駆け抜けた少女たちにも片手を挙げ、挨拶している。
知り合いなのだろう。
「こんにちは。皆さんこんなところで何をしていらっしゃるの?」
透き通るような声に振り向くと、桃色の髪を靡かせながら近づいて来る細目の女性がいた。
「む、ロヴンではないか。久しいな」
「ええ、スカジ様もお変わりないようで何よりですわ」
透けるような白い肌にすっと通った鼻梁。唇は艶やかな桜色、楚々とした佇まい。美しい笑顔を浮かべており、とても話がしやすそうな雰囲気がある。
「そちらのお方は?」
「ああ、女性はキリエさんというそうだ。彼は分かるだろう?」
「ええ、そうですわね」
ころころと上品に笑う女性は「申し遅れました」と続ける。
「わたくしは、ロヴンと申します。以後、お見知りおきを」
すっと優雅にお辞儀をこなす女性に、ぽーと見惚れてしまう。
(すごいわ……なんて上品で綺麗な方かしら……)
そういえば、とイブキくんに目線を転じれば、小首を傾げている姿が映る。
彼の通常運転にほっとした。けれど、燻った不安は消えない。
(こんなに美しい方だもの、いつ好きになってもおかしくないわ……)
「ふふ。皆さんでお茶にいたしませんか?」
「お茶か、たまには良いな」
「ええ、では」
くるくるっと指を回した瞬間、ティーセットが乗せられたテーブルと椅子がぱっと出現し、驚愕に目を剥いた。
夢の中だからだろうか、凄いファンタジーな世界である。
「さ、こちらにどうぞ」
そう言って微笑む女性を前にイブキくんと顔を見合わせたあたしは、意を決して歩き出すと、引かれた椅子に腰を下ろした。
イブキくんが隣に着席してくれて、心強さに安堵する。
もしここにいるのが自分ひとりだったら、耐えられなかっただろう。
うつうつとそんなことを思っていると、白い液体が入っているティーカップが置かれた。鼻孔をくすぐるのは、花のような香り。
ちらりと隣りを窺えば、イブキくんの眼下にも、弓を背負っている女性にも同様の物が置かれている。
(みんな同じものを飲むのね……なんだか安心したわ……)
こくりと舌に乗せれば、甘みはほとんどなく、匂いを楽しむようなものだと理解する。目端に捉えたイブキくんは眉間に皴が寄っていた。
おそらく甘みが足らないのだろう。あたしももう少し欲しい。
「ミツカノというお花の蜜を混ぜたお茶ですの」
「うむ。ほどよい甘みと花の香りが良いな」
(ほどよい甘み……女騎士さまは微糖がお好きでいらっしゃるのね……)
そこでタイミングを見計らったように。
「甘みが足らなければ、こちらのルルシーをどうぞお使いください」
そっと置かれた小さな受け皿に、青藍色のクリスタルが数本入っている。指の第二から第三関節を縦に二分割したような大きさ。
(これがお砂糖がわりだなんて……すごく綺麗だわ……まるで宝石のよう)
イブキくんが迷うことなく一本溶かし始めたのを目に留め、あたしもそれに倣う。
口に含むと、先刻よりしっかりとした甘みを感じた。
「人という生き物は甘いものが好きなのだな」
意表を突かれ、目を丸くすると同時にストンと納得できた。
この世とは思えない世界、人間とはかけ離れた御業と美しすぎる風貌。
やはり人間ではないのだ。
「お味はいかがですか?」
「はい、美味しいです。ありがとうございます」
「そうですか、それはようございました。こちらもどうぞ、お試しになられて」
差し出されたそれは一見してクッキーのようなお菓子だ。促されるまま口に含むとさらりと溶けて消えたが、味はよく似ていた。
少し経った頃、視界にはいった桃色の髪が動く。
「翳って来ましたわね。お別れの時間ですわ」
「む。そのようだな」
女性の視線を追って空を仰ぐも、なんの変化も感じられない。きっと、麗人たちにしか解らない何かがあるのだろう。遠く離れた場所で遊び回っていた少女たちが駆け寄ってくるや否や、残ったお菓子を指でつまんでゆき、額同士をすり合わせくすくすと笑っている。
「キリエさん! 腕が!」
「え?」
焦った声に見下ろすと、透けた腕から地面が見えていた。思わず心臓の鼓動が速まる。
ふふ、と正面から笑い声が聞こえて。
「それじゃあ、楽しんでくださいね」
何かひっかかったが、にっこりとしている細目の女性に腰を折る。
「はい、お世話になりました……! お茶、美味しくいただきました。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
姿勢を正した時、にこにこするロヴンと呼ばれた麗人の背後に立った弓を背負った女性は、どこか怪訝そうに桃色の後頭部を見つめており、あたしは内心首を傾げる。
なんとなく視線を落とすと、下半身はほぼ消えていた。
すぅ、と意識が薄れていく中、弓を背負った凛々しい麗人が一歩前に出た。
「おい。まさかお前、ロ」
パッと開いた目に映ったのはクリーム色の天井。
(あれ……? 白くない……?)
瞬きを繰り返し、内心首を傾げながらあたしは体を起こす。視界に飛び込んで来た光景に慌てて視線を巡らせ、吃驚の声を上げた。
反射的に体を触って確かめる。
「これは……誰!?」
勉強机に置かれてある鏡を目にし、飛びつくように覗き込む。
「こ……れは……!?」
何度確認しても変わらない。
鏡の中には焦った表情をしたイブキくんが映っていた――……。