自業自得……なのですわ
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昼休みの鐘が轟いですぐ、あたしは教室を抜け出した。
お目当ての場所まで来ると、乱れたストレートヘアを手櫛で素早く整えてから敷居を跨ぐと、周囲に動揺が走ったが知ったこっちゃない。
突っ伏しているイブキくんの側に立って、小首を傾げた。
「あのー、イブキくん?」
「ん~……?」
唸り声と共に見上げられ、あまりの可愛さに心の中で愛を叫ぶ。
眠気眼で瞬きするイブキくん、今日も最高。
「あ~……」
「松宮キリエですわ。松宮さんでもキーちゃんでもいいので覚えてくださると嬉しいです」
「……ん~……」
「イブキー。昼だよー」
微笑みながらやってきたリクくんと目が合うも、すぐにイブキくんへ移される。
いっそ清々しい程の興味の無さだ。でも構わない。あたしが好きなのはイブキくんなのだから。
(リクくんに嫌われるのはちょっと困るけれど)
目を擦るのを止められるイブキくんに、うっとりしていると。
「ん~……今日は屋上で食べてみる~? 外あったかそう~」
「いいよ、そうしようか」
カタン、と二人が席を立つ。
「あ~、えっと……」
「松宮ですわ。その、これ……良かったら使ってください。それでは、また」
困惑気味なイブキくんの机に去年使っていた歴史の教科書を置き、素早く踵を返して教室を後にする。
(今日もまた可愛いイブキくんを拝めて眼福でしたわ!)
放課後になってあたしは花壇へ向かった。
枯れそうな蕾を取り雑草を抜いて、延ばしたホースから水を振りまく。真夏は暑くて勘弁だが、秋口だとそこまでではない。
(水やりも完了ね!)
水を止めに蛇口へ向かい、手を掛けた瞬間。
「っきゃああぁぁぁぁ!!」
水が勢いよく背中にかかって振り向いた刹那、口の中にも入り両腕で顔を覆って叫んだ。
「っぷ、やめっ……! もうやめて! 一体誰なのっ……!?」
「リク君に付きまとわないでよ! 最低!」
「ムカつくのよ! 離れろ!」
「消えてよ!」
蹲りながらその怒声にはっとする。
周囲にどう捉えられるかを少しも考慮していなかったことに、今更気付いた。
水攻撃が止んでぱたぱたと逃げていく足音を遠くに感じながら、悔しいやら情けないやら複雑な感情が心にとぐろを巻いて、内下口唇を噛む。
よろよろと水を止め、ホースを片づける。透ける胸元を両腕で隠し、足早に校舎へ向かった。
(バイト……今日、お休みで良かったわ……)
靴を履き替え、床を見ながら階段を走り抜ける。今だけは、誰の声も聞こえないように耳を塞いでしまいたい。
「っまって!」
「きゃあっ!」
ぐりんと引っ張られたと思ったら驚いたイブキくんの顔があって、恥辱に目を逸らす。
「放してくださ……っ!?」
引きずられるようにして廊下を走り、着いたところは別棟だった。
こんなところで何を、と思った刹那、シャツを脱ぎ出すイブキくんを視界に捉え、咄嗟に背を向ける。
(び、び、び、びっくりしたわ……! 心臓が破裂しそう……!)
「濡れてるの脱いで、このシャツ着て」
「えっ!? ……でも、イブキくんのシャツが……」
「早く」
「は、はい……」
いつもとは違う強い口調に慌てて頷くと、ブラウスに手をかけ――はっとする。
(ちょ、ちょっと待って? このまま脱いだらあたし……、キャミソール姿に!?)
思わず下着を確認する。
(うん、大丈夫。レースがあるし、今日のは可愛いはず! いや、今はそんなこと考えてる場合じゃなくて!)
「うしろ向いてるから早く着替えて。風邪ひくから」
「ひゃ、ひゃいっ!」
(い、イブキくんなんだか一段と男らしいわ……! カッコいい! いやぁー! ドキドキしちゃう!)
目端に映るイブキくんの腕に胸が高鳴って仕方がない。しがみつきたい誘惑に耐えながら、急いで肌に張り付くブラウスを脱ぐ。差し出されたシャツを取ると身悶えする思いで濡れたブラウスを預け、手早く身につける。
(あ……イブキくんの匂い……)
ふわりと香った匂いを胸いっぱいに吸い込むと、幸せな気持ちになってくしゃりと笑う。
「着た?」
「あ、はい!」
笑んだまま向き直った瞬間イブキくんが視線をずらし、襟元をいじる。その指先にさえ心を惹きつけられ、目が離せない。
「……なんで、こんなに濡れてるの」
それは少し咎めるような口調で、我に返ったあたしは慌てて答える。
「あ……その、花壇の水やり当番で……」
「それだけじゃこんなに濡れないんじゃないの?」
「…………えっと…………」
リクくんのファンだった立場としては、自分の行動は抜け駆けをしたように見え、顰蹙を買うのもよく分かるのだ。
それに。
(あたし自身が嫉妬から、イブキくんに同じことをしたのだもの……。文句を言える立場じゃないわ……)
上手く説明できる気がせず、口ごもっていると。
「……もういいよ」
「っ……!」
突き放すような言葉に心臓が押し潰されたように苦しくなり、衝動的に吐露しそうになって――唇を引き結ぶ。
遠ざかる背中を引き留めることが出来たなら――……。
そう思ってぎゅっと目を瞑ると、腕を引かれ目を見開いた。
「風邪ひくっていってるでしょ~? 運動着とか置いてないの?」
(普通に話し掛けてもらえた……!)
たったそれだけで涙が出そうになるのを堪え、平常心に努めながら答える。
「っあ、ありますわっ……。その、イブキくんも……着替えた、ほうが……」
「そうだね~」
それきり言葉を交わすことがないまま、イブキくんは教室まで送ってくれた。すれ違う生徒たちから不思議そうに見られていたけれど、彼は歯牙にもかけない。
言われるまま運動着を取ってくると女子更衣室まで送ってくれ、去ろうとした彼をつい呼び止めてしまう。
「あの……イブキくんも、着替えをしに……?」
「うん、僕は二階だからね~。……着替えたら、靴箱で待っててよ」
「えっ……」
(もしかして、今……誘ってもらえた、の……?)
ぽーとイブキくんの背中を見送って、地に足がついてないようなふわふわした心地で着替えてから教室に置いたままの鞄を取り、昇降口へ向かう。
そこには既にイブキくんの姿があって、ぽーっと見惚れてしまった。
「……まだ帰らない?」
「あっ、ご、ごめんなさい。ぼーっとしてました……!」
あたふたと靴を履くあたしの前に立ったイブキくんの眉間には、皴が寄っていて――ぱちん、と硬くて冷たい手の平が、額に当てられる。
「……熱はなさそうだけど、大丈夫~?」
「ははははは、はいっ!」
(きゃああああぁぁぁぁぁ! イブキくんの手があたしのおでこにいいいいぃぃぃぃぃ!)
顔から火が出る思いで激しく首肯していると、訝しげな眼差しで首を傾げたイブキくんはしぶしぶというように「まあ、いいけど~」と呟いて、あたしの手首を掴むと歩き出す。
(わわわわわわわててててて手が! 手があああぁぁぁぁぁ! 手を繋いでますわあああぁぁぁぁぁ! これは夢!? そうよ夢なんだわ!? じゃないとイブキくんから手を繋いでくれるなんて、そんな都合のいいことあるわけが…………!!)
ひとり身悶えていると「ねえ~」と声を掛けられ、はっと顔を上げる。
「あらっ!?」
「家、ここで合ってたよね~?」
「は、はい! そうですわ!」
(いつの間にか着いてるわ……!?)
「じゃあ風邪ひかないようにね~。僕も帰るから~」
「あっ、イブキくんっ!」
「うん、なに~?」
足を止め、ちゃんと振り返って目を合わせてくれる。笑んではいないものの、その表情はどことなく柔らかくて。
急に胸の奥が熱くなって、涙が零れた。咄嗟に両手で目頭を押さえたあたしに、心配そうな顔をしたイブキくんが近づいてくる。
「どうしたの? なんで泣いてるの?」
自分のした行いに対しての自責の念なのか、それとも嫌がらせをされた恐怖が時間差で表れたのか、イブキくんの優しさに触れて嬉しかったからなのか。
どれが理由なのか、あたしにも分からない。
ただ、両手に顔を埋めて嗚咽を漏らすあたしの頭を、泣き止むまでずっと撫でてくれたイブキくんの手のぬくもりが、幸せで、愛おしかった。