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そうそう上手くはいかない

 久松佑介さんが亡くなるまで住んでいたマンションは、私の利用している駅から電車で三十分ほどの駅にあった。築年数はそれなりに経っているのだろうが、メンテナンスがいいのかエントランスも外観もとても綺麗で、家賃もお高そうな印象を受けた。

 久松さんが言うには、残業で給料も結構貰っていたけど使う暇もないし、毎晩遅くなってから帰るので、洗濯機回したり風呂入ったりの生活音が響かない、防音のしっかりしたところに住もうと考え一年前に引っ越したのだそうだ。まあ仕事でもストレスが溜まるのに、家に帰って来てご近所トラブルに見舞われるのは流石に嫌だろう。


 マスターは、「予算オーバーするようなことがあればすぐ言ってね。余ったら、残りでぱーっと美味しいものでも食べて」と一万円もくれたので、休日の時間の使い方としてはかなり有意義ではないだろうか。そのお金で管理人さんへの貢ぎ物として煎餅を購入する。お姉さんに会う際は設定として、私は大学時代のサークル(ミステリ研究会)の後輩で、久松さんとは大学後も細く長く友人付き合いがあって、借りていた推理小説をご遺族にお返ししたいという、さほど疑われはしないだろうという名目を考えて、本屋で久松さんの言われるままに二冊の文庫を購入した。これは私も好きな本だったので、何となく嬉しくなった。生きていたら趣味の合う友人になっていたかも知れない。


 平日の方が管理人がいるだろうと、水曜休みの日にマンションを訪れると、案の定管理人室には七十歳前後と思われる、大理石のような磨き抜かれた頭頂部の男性が新聞を読んでいる姿が見えた。常々思うが、滅びゆく大草原みたいな頭髪の男性でも、頭部の下側の毛髪への被害がなくふさふさしている人が多いのは何故だろうか。もしかすると側頭部やぼんのくぼと呼ばれる生命に直結する弱点を守ろうとする人間本来の生存本能なのかも知れない。

 ガラス戸の前に立つ私を認めて、少し怪訝そうな顔をした管理人は、貢ぎ物を渡して状況を説明するとああ、と相槌を打った。


「久松さんの後輩さん……彼も大変だったよねえ……ま、マンション側としては、室内で腐敗するまで見つからないのも清掃とか困るんだけど、飛び降りって新聞にも載っちゃっただろ? マンション全体が事故物件になっちゃってさあ。他の住人の家賃も少しの期間は下げなきゃならないし、こちらもかなりのダメージなんだよね。追い詰められてたんだろうし、彼を責める気はないんだけど、せめて別の場所でやってくれていたら、とは思うやね。酷い言い方だけどさ」

「いえ、管理会社の立場なら当然だと思います」

「そうかい? ──ただ悪いんだけど、お姉さんの連絡先は教えられないんだよ。なんか雑誌記者だか新聞記者が、君みたいに知り合いみたいな感じでしれっと問い合わせしてきたりするけど、個人情報の漏洩は流石にねえ」

「そうですよね……」


 さて困った。マスターにお金も貰い、久松さん本人からも頼まれたが、素人探偵の出番はここまでか。……そこでふと気が付いた。


「久松さんのお部屋って、もう引き払っておられるんですか?」

「いいや。今月末までにお姉さんが荷物整理をして退去って感じだね」


 私はショルダーバッグからメモ帳を取り出して、急いで自分の名前と連絡先を書き込むと管理人さんに渡した。


「これ、私の連絡先です。お姉さんがまだ何度か来られると思うので、出来たら本を返却するだけなので良ければ連絡が欲しいと伝言頂けませんか? 一応遺品になるかとは思うので。私がこのまま持っているのも申し訳ないですし、連絡がなければ許可を得たつもりで形見にしますので」


 管理人は、渡すぐらいならば、と快く預かってくれた。貢ぎ物も好印象を与えたのかも知れない。彼女が連絡をくれるかは分からないが、一縷の望みだけは残せた。

 マンションから出ると、緊張でガチガチだった肩がようやくほぐれたような気がして息をついた。事情があるとはいえ、嘘をつくのはやはり良心が疼くものである。

 役目は果たしたと気楽になった私は、普段利用しない駅をぷらぷらと歩き、チョコレート専門店なるものがあったので流れるように店に入る。スイーツに対する防御力はミジンコ並みである。本日ぱんどらは休みだがご近所だし、帰りに報告がてらクライアントであるマスターにもお土産持って行こうかな、と自分用とマスターの分の【お勧めバラエティーアソート】なるものを包んで貰うのであった。





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