束の間の平和
朝という概念がない世界で起きるのは大変だった。この部屋の掛け時計を確認すると、時計の針は十一時を指していた。これは果たして、午前十一時なのか、午後十一時なのか、スマホの充電が切れているため確かめるすべもない。すべての部屋を把握したわけではないが、この施設にデジタル時計は他になさそうだ。
そもそもこの世界で時間に縛られる必要はない。
だから、俺は二度寝した。
「しーんー、昼ごはん食べよ」
時計の針は二時。
太陽は見えないが、今は昼なのか。
扉の方を向き、見上げると琴音がいた。白のショートパンツに、オーバーサイズのグレースウェットという、緩い格好をしている。獅子姉妹のどちらかから借りたものだろう。ショートパンツからすらっと伸びる生足が姦しい。
「ちょちょっと、どこ見てるの。わ、わたし先行ってるね。場所は廊下出て右方向の突き当たりにある休憩室だから」
「あ、ああ」
天井に向かって伸びをした後、布団を畳み壁に寄せる。
俺たちはこれからどうしていくのだろう。何が起きるかわからないこの世界に毎日怯えながらここで暮らすのだろうか。
もう何もかも忘れてしまいたいが、カーテンを開ける度に思い出してしまうはずだ。月は不気味な赤色の光を放ちながら、いつまでも宙に浮かんでいる。
「おはようございます。ごはんもう少しかかりそうです」
「おはよう。ありがとな」
麻衣子はレトルトカレーと簡単なサラダを調理台で作ってくれている。それを手伝う形で琴音も麻衣子の隣に立つ。
部屋の中心にあるテーブルの席に、玲奈の姿もあった。
昨晩のこともあり、玲奈と目を合わせるのは気まずい。俺はあえて玲奈が座る席の斜め前に座る。
暇だ。
俺が手伝うことは他になさそうだし、十分な寝たから別に眠くもない。ここは玲奈に話しかけるべきだろうか。ずっとお互い無言でいるのも逆に気まずいしな。
でも、何を話せば.........。
俺は学校でよく使っていた寝たフリを発動する。会話しようにも相手が寝ているので仕方がないという状態を自ら作り出すことができる技だ。
「どーん」
「ワッ」
いきなり琴音に首筋をチョップされ、思わず驚嘆する。
「散々《さんざん》寝たでしょ。もうすぐできるからね」
調理台に戻ることねの後ろ姿を睨みつける。
それから、もう一度うつ伏せになろうと顔を動かした瞬間、玲奈としっかり目があった。
何か言わないと!
「そうえば昨日の夜は何してたの?」
よりによって、一番したくない質問をしてしまった。
「寝てただけだけど、何?」
「い、いや」
そりゃ昨日の夜はずっと泣いてたとは言わないだろう。
そこで玲奈にずっと聞きたかったことを思い出す。だが、これは聞いてもいいのだろうか。自問自答を繰り返し、結局聞くことに決めた。
「玲奈が目覚めた能力ってどんな能力なんだ?」
「それは聞かないであげて.........ほしいです」
その声は正面から
ではなく、右の方から聞こえてきた。
「ごめん」
「こちらこそごめんなさい。ごはんできましたよ」
テーブルに簡単な料理が並ぶ。
「ああ。ありがとう」
流石に能力のことはタブーだったか。義隆も言っていたが、あくまで妹たちは自分のトラウマが具現化した能力だ。自分のトラウマを聞かれていい気分になる人はいない。
軽率な発言をした一分前の自分を悔いる。
四人が席に着くと、部屋の雰囲気が変わり、琴音と麻衣子を中心に楽しい会話が繰り広げられる。今だけは、平和と言える空間が作られていた。
「レトルトなのにこのカレーすごく美味しかった」
「あと四人前が一つだけ残ってますけど、また外に取りに行かないといけないですね。他の食料のストックも切れそうですし」
「なら俺が行くよ。異能力あるし」
「異能力って、でもそれは.........」
「大丈夫だよ。辰の場合はトラウマの能力じゃないから。しかも物理攻撃が当たらない透明人間になれる最強能力だよ」
なぜか琴音が自慢げに胸を張る。
「そうなんですね。じゃあお願いしてもいいですか?」
「任せろ」
「ずっとここで暮らせたらいいのにね。外は危険だし、楽しいし」
「私は嫌。早くこっから出て、この現象の原因を突き止める」
ほとんど口を開かない玲奈が突然まくし立てるように話し出した。
「それにいつここもおかしくなるかわからないし」
確かにそれは一理ある。この施設だけ、一つの歪みも見られないのは妙だ。まだ謎の現象の影響を受けていないだけかもしれない。
「でもリスクをおかしてまで外に出る必要はないよ。お姉ちゃんは原因を突き止めてからどうしたいの?」
「その原因をぶっ壊す」
玲奈は荒ぶる心を拳に力を入れて堪える。
誰も何も言えないまま、その場を解散した。