見せない顔
「ココアと紅茶どちらがいいですか?」
あれから麻衣子はフレンドリーに接してくれるようになった。最初、非常口で出会ったときとは大違いだ。これは俺らに心を開いてくれた証拠なのだろうか。
普通の図書館には湯沸かしポットはないかもしれないが、ここにはある。この図書館は教育センターや市民体育館が併設してあり、避難所としての役割も果たしている。なので、布団や簡易的なシャワールームなど生活に最低限必要なものはある程度備え付けられている。
「私も手伝うよー」
「いえいえ今日ぐらいは私たちに歓迎させてください。いろいろあって疲れてるでしょうし、天日さんたちはゆっくりしていてください」
「ごめんね、じゃあそうさせてもらうね。えっと、ココアでお願いします」
「すまん俺もココアを頼む」
「はい、かしこまりました」
周りを見渡すと、玲奈の姿はもうなかった。自分の部屋があると言っていたし、自室に戻ったのだろう。玲奈も相当疲れているはずだ。
流石に疲れた。
俺は、机に折り曲げた腕を乗せ、その腕を枕にして頭を横にした。
二メートルほどの巨大なカーテンが揺れ動いている。いつの間にか雨はあがっていた。
時間的に俺が目覚めてから二十時間は経っているが、一向に朝が来ない。地球は自転することさえもやめてしまったのだろうか。
俺はその体制のまま目を瞑り、今日まで起きた出来事を整理する。
この世界に異変が起きた原因はまだわからない。そもそもここは地球なのか?
だが、奇妙な形に歪んでいたり、あるはずの物がなかったりと違和感を覚えることは多々あるが、昔から知る俺が住む町に間違いない。
そして、俺が二日間もこの騒ぎに気づかず、その寝ていた場所が駅のホームということも不可解な事実だ。
あの時、琴音が側にいなかったら、即座にパニック状態になっていただろう。
そうえば、琴音はどうやって俺が寝ている間の二日間を過ごしたのだろうか。
気になった俺は早速琴音に聞こうと顔を上げる。
「ヒャッ」
前を向いた瞬間、琴音と目が合う。なぜこっちを見ていたのだろうか。
顔を紅潮させた琴音は目を丸くさせる。
「もう急に顔を上げてきたらびっくりするじゃん」
「おお、すまん」
俺も急に気恥ずかしくなり、顔を背ける。だが、すぐに思い立ち、琴音に聞きたかったことを問う。
「琴音は俺の目が覚めるまでの二日間どうやって過ごしてたんだ?」
「またいきなりだねえ。私も辰が起きるちょっと前に駅で目が覚めたんだよ」
「え?」
それは嘘だ。
琴音は俺が目覚める二日前に鳴った鐘の音のことも知っていた。それにこの世界の事情にある程度詳しかったのも今の発言といろいろ矛盾する。
「でも琴音は最初俺にこの世界で起きたこといろいろ教えてくれたじゃないか。俺と起きたときがほぼ同じなら知らないはずだ」
「私も不思議なんだけど元から知ってたんだよね。というか夢で見たというか......、ずっとぼやぼやした視界で世界がおかしくなっていくのをただ見ていたの」
「夢.........。そうだったのか」
琴音も俺と一緒に二日間眠り続けていたんだな。
「じゃああそこで寝ていた原因とかもわからないよな?」
「うん、ごめん。わからない」
世界がおかしくなり始めてからの二日間、何も気づかずに駅のホームという普段ならありえない場所で、ずっと眠り続けていたというのがどうしても気になる。まだ悪い夢の続きではないかと疑ってしまう。
琴音に聞けば答えがわかると思っていたが、琴音にも同じ現象が起きてたとは思わなかった。
「ココアできましたよ」
「「ありがとう」」
二人で同時に礼を言い、湯気のたったココアをすする。
体の中心から全体に広がるように温まる感覚。今日起きた出来事を一瞬すべて忘れさしてくれるようだった。
「今日はお疲れでしょうしゆっくり休んでください」
麻衣子はもじもじしながらも、天使のような笑顔を見せてくれる。
「速水さんと天日さんの部屋を用意できたので案内します」
「え? そこまでやってくれたの? 麻衣子ちゃんありがとう」
麻衣子の神対応に感銘を受けた琴音は、体も使って最大の感謝を表現する。
「それぐらいはさせてください」
なんていい子なんだ! 義隆から聞く限り、常に引っ込み思案のイメージがあったが、一度話したら積極的に接してくれるじゃないか。ただ人見知りしてしまうくらいだろう。
「ほんと助かる。ありがとな」
「いえ!」
雪のように白い肌に、頬をわずかに赤く染めた姿を本物の天使のようだった。
俺の部屋は、教育センターの会議室だった場所を使わせてもらうことになった。
机を壁に寄せ、複数個あった折りたたみ椅子も畳んで部屋の角に立てかけた。
シャワーを浴びた後、麻衣子からもらった布団を部屋の隅にひいた。
義隆らは、家にある服や防災用品を持って、ここに来たようだ。俺はその義隆が持ってきた服を拝借して着ている。幸い、体型がほぼ変わらないので、不自由なことはない。
カーテンを閉め、寝ようと思ったが、急に膀胱が刺激される。
「しっこ」
暗い廊下を壁に沿いながらトイレを目指す。
トイレに到着する直前、微妙に隙間の空いた部屋を見つける。確かここは玲奈の部屋だったはずだ。
女子の部屋を覗くのは良くないことだが、たまたま目に入ってしまったから仕方がない。
その目には枕に顔を伏せながら、咽び泣く玲奈の姿が映っていた。